第百三十一癖『歯止め利かぬ、死の暴走』
街の明かりが照らす歩道をふらふらと渡って、私はどこかへと向かっていく。
通り過ぎる人たちがこっちを見てくるけど、不思議と気にならない。いや、気にする余裕が無いのが正しいかな。
ただ意味も無く……心に渦巻く望みが叶うはずもないと分かっていながら無闇やたらに歩いていた。
「どこに……どこにいるの……?」
独りでに言葉が出る。ある人物を……あの人を今、私は捜している。
どこに行ったの、私の愛した人。何故私を置いて行ったの? 何故全てを持って行ってしまったの?
分からない……。何一つとして分からない。
苦しい。この苦しみは何? 心に穴が開いたようなこの感覚。もしかしてこれは……。
「あ……そうか。悲しいんだ。私は、今」
ふと立ち止まり、自身の感情の正体に気付く。
そうだ……そうだった。私は悲しんでいたんだ。
あの人に裏切られて、何もかも失ってしまった。そのことをずっと引きずっていたことに。
自殺に踏み切るくらい思い悩んでいたはずなのに、それを忘れていたなんて……。
私は最近おかしくなっているのかもしれない。実際妙に気分が良いことが多々ある。
突然の来客にも笑顔で対応出来るくらいには精神状態は安定していた。
でも、それらはどことなく変に感じている。
まるで身体に私以外の何かがいて、それが私に代わって生活しているような……そんな違和感。
きっとその原因はこの手に握ってある物が関係している気がする。これは一体──
「いたっ……。ってぇな。どこ突っ立ってんだよ、おばさん」
すると、不意にドンと何かが肩にぶつかってくる。
私は少しも押し負けなかったからか、向こうが尻餅を突く。その際謂われもない罵声を浴びてしまう。
見れば若い女の子だった。派手に染めた金髪、煌びやかなアクセサリー。濃いめのお化粧……。
私とはまるで対照的。黒い髪に冴えない顔、ああやって遊んだこともない悪い意味で汚れの無い身体。
もしかしたら、私もこれくらいはっちゃけられたら少しは違った人生もあったのかもしれない。
そうだったら、あの人もきっと……!
「人の彼女にぶつかっておいて謝りもしないとは、いい大人のクセして教育がなってねぇんじゃねぇ~の?」
「そうだ慰謝料、慰謝料寄こせよ! それくらい持ってるだろ? くれたら許してやるよ」
ここでもう一人が私に突っかかってくる。
どうやらぶつかった女の子の彼氏らしい。こんな夜中に遊び歩いているような子だもの、それくらいいて当然か。
ぶつかってきたのは向こうなのに、私を悪者扱いしてお金を請求しようとする厚かましさ。
二人が騒ぐせいでより人の目が集まってくる。夜中とはいえ市の中心、人通りだって多い。
いいなぁ……守ってくれる人がいて。私にもいたはずなのに、今はどこにも見当たらない。
どうして私ばっかりこんな目に遭う? 分からない。理由も原因も……全てが不条理。
こんな因果な人生、生き続けている意味なんてあるわけが……。
「フ、フフ……」
「あ? なんだこいつ」
「何笑ってんだよ! 馬鹿じゃねぇの?」
そんな時、心に黒い物が渦巻くと同時に例の違和感が身体に走った。
それは一瞬の出来事。内心で絶望しているはずなのに、身体が──口から出てきたのは笑い声。
意外だった。こんなにも辛くて苦しいのに笑えるなんて。
これじゃあまるで私がおかしくなったみたい。
心の中の本心とは違う行動に自分で驚きながらも、身体は行動を止めてくれない。
「んだこいつマジでよ……気持ち悪っ」
「行こうぜ。皆待ってるし、こんなババアに突っかかってる暇なんかねぇって」
こんな私を見て、あの二人も驚いてる様子。
流石に気味悪がって離れようとする二人だけど、またしても意思とは関係なく身体が動く。
腕が、勝手に……。これは、まさか……!
「フフ、あなたたちも死逢わせにしてあげる」
ぼそりと、無意識に言葉を発する。
その瞬間、右手に握っている物が私を避けて通り過ぎようとした彼らの背中に向けて振り払われる。
刹那、服を裂いて浅いながらも背中に刻まれた赤い線。直後に倒れ込んだ二人からは悲鳴が出ることは無かった。
振り向きざまの一閃。手に伝わった不明な感覚。そして白銀色の刀身から滴る赤い液体……。
私が今、何をしたのか──それは明白だった。
「い、いやぁあああっ!?」
不意に誰かの絶叫が現場に鳴り響いたことで、私は自分が何をしたのかにようやく気付く。
目下に転がっている見ず知らずのカップル、彼らを私は切りつけた。
それもただ傷を負わせただけじゃない。
うつ伏せになったままぴくりとも動かないその姿、まるで死んでしまったかのよう。
いや……本当に死んだ、のかもしれない。
この感覚、不思議と覚えがある。おぼろげにだけど、この数日間で何度も経験している?
「そうだ……お店の時も、闇金の取り立ての時も、私は今のをやってる。この剣の力を……!」
喧噪とする現場の中、私はぼんやりと思い出す。
あの日、自殺を図ろうとした時、私を救ってくれた不思議な物体。
それに触れたことで全てが変わった。
感じて久しい幸せな気持ちの復活。何に対しても優しくなれそうな心の余裕。
全てが懐かしい……いや、むしろ初めてと言っても良いほどに物の見方が変わっていった。
でも同時に別の変化も私自身に起きている。それが──
「私……人を殺したのに……何で笑っているの…………!?」
震える声がその異変を言葉にした。
視線の先にあるのは店のガラスケース。綺麗なアクセサリーや洋服が飾られているけど、今はそれなんかに惹かれない。
鏡のようにうっすらと景色を反射するガラスには、まるで幸せそうな笑顔を浮かべる知らない私が立っているのだから。
これが…………今の私? 何でこんなに場違いな顔をしているの?
人を殺した。その自覚があるにも関わらず、表情にそれが反映されない。
知らない……知らない! こんなの知りたくない……!
これが今の私だなんて信じたくない! だって私は今────
「フフ、ウフフフフ。アッハァア……!
心が泣きたがっていても、身体が出力するのは恐ろしいまでに恍惚そうな顔。
口から漏れ出す笑い声も止まらない。そこにいるのはやっぱり私じゃない、別の何か。
一歩歩き出す。いつの間にか周囲に集まっていた野次馬が一斉に距離を取り出す。
その行為を見た時、私に……私では無い何かが苛立つような感覚を共有。
その瞬間、私の思考が一気に変わり始める。
「でもまだ、死逢わせには程遠いわ。あの人だけじゃない、他の皆にもこの死逢わせを分けてあげないと」
【
先ほどのカップルを殺害した凶器を天高く掲げる。
トルソーに掛けたウェディングドレスにも似たそれは、重力によってスカート部分が捲れ、刀身の全体が露わになる。
大きなブーケにケーキナイフが生えたような奇妙な形に変貌を遂げ、空へ掲げたまま呟く。
「……全て死逢わせになれ」
【聖癖開示・『ウェディングドレス』! 嫁ぐ聖癖!】
私の行動にざわつく野次馬たちに構わず、身体はまた意思とは関係なく動いてあの力を発動させる。
謎の声が聞こえた瞬間、刀身の根元の鍔に生える青い花弁が勢いよく吹き上がり、周囲一帯に青い花吹雪が舞い広がった。
「な、何これ? 花弁?」
「綺麗だけど、あの人は何なの? さっき人切ったって……」
「警察は呼ぶ? ってか呼ばなきゃ──」
このサプライズに再びざわめく野次馬たち。舞い落ちてくる物が花弁だと気付き始める。
幻想的なフラワーシャワーに大勢が空を仰いで驚いているけど……もう遅い。
「うっ……」
「ちょっ……!? えっ、ねぇどうし──あ……」
「な、何だ!? 急に人が倒れ……が、あっ……!?」
落ちてくる花弁に当たった瞬間、それに触れた野次馬の一人が突然倒れてしまう。
その友達であろう真横にいた女性も、そのまた隣にいた男性も事態を理解する前に同じように倒れていった。
そこから次々と人が倒れ始めていく。男性も女性も、若い人も歳を重ねた人も関係なく平等に死逢わせになり始める。
逃げる暇なんて存在しない。花弁が拡散した範囲にいた時点でその人たちの幸福の形は決まる。
ドレスショップの店員や取り立て屋の男たちと同じように……全員死逢わせになるのだから。
「ヤバい、ヤバいって! 何か全員倒れてる!」
「何が起きてんだ!? ま、まさか死んだわけじゃ……!?」
「警察ッ! 早く呼べ! もうテロとかだろこれ!」
流石に花弁の拡散範囲から外れた場所にいる人たちは死逢わせにならなかった。この出来事に遠目から慌てふためく人々。
警察……? 何故呼ぶのか分からないけど、来たら来たで面倒かもしれない。
なら、さらに範囲を広げればいい。呼ばれる前に静かにさせれば問題ない。
あの人に限らず、全ての人々は死逢わせになって然るべき……それは全ての生き物が平等に与えられた権利だから。
再び鍔から花弁が吹き上がる。今度は量が増し、街の明かりで星が見えない真っ黒な夜空を青色が覆い尽くすほど。
誰もが空を見上げ、視界に映る光景に驚愕する。
ここにいる……いや、この街の人々全てに死逢わせを分け与える!
それが私の望み────……なのかな?
【聖癖暴露・
「
勝手に出てくる言葉が合図となり、私は剣を振るってしまう。
その瞬間、瞬き一つ自由に出来ないこの目に飛び込んでくる光景。
心の中の私は……身体の私に抗うことが出来なかった。
†
夜の九時を少し回った頃──その連絡は支部の中を駆け巡った。
緊急招集。ここ数日の間に何度も受けてきたメッセージだが、今回の毛色は大きく違う。
衝撃的な内容はまさに青天の霹靂。俺たち第一班も急いで現場に向かう準備をする。
「あーもう、何でこのタイミングで動くんだよ!?」
「仕方あるまい。元々いつ起こってもおかしくない状況だったんだ。むしろようやく剣士を鎮圧出来る状況になったのはある意味幸運と言える。もっとも被害者たちには悪いがな」
戦闘用の服装に着替える最中に閃理へ愚痴る。
返答の内容もごもっともだ。長々と時間を食ってこっちのやる気を削がれてから始まるより、少しでも早い内に事が起きてくれる方が良い。
すでに複数人もの被害者が出ているとのことらしいが、俺たちが到着するまでにどこまで被害が広がることか……。
「装備良し、聖癖章良し、剣良し! 準備オッケー」
「メルも準備いーヨ」
「ああ。他の者たちも準備が出来た頃合いだろう。支部に戻るぞ」
別室にて着替えを済ませたメルも加えて俺たち一班は移動拠点を出て支部内に移動。
申し訳ないがちんたらと動いている暇はない。
行儀が悪いとは思いつつ、走って集合場所に指定された運動場に向かう。
到着した先にはすでに多くの剣士が待機しているようだった。俺たち一班も合流する。
「ごめん、待った?」
「焔衣さん。大丈夫です。まだ三班と絵之本さんに純騎さん他数名も来てません」
「響って寝付き良すぎよね。思いっきりドア叩いたのに全然起きないんだもの。ちょっと羨ましいわ」
近くにいた凍原と日向が現状を説明してくれた。
準備にそこそこ時間を掛けてしまったかなと思ってたばかりに、ビリケツじゃなかったのは意外。
しかし絵之本さんはともかく、純騎や三班等々来てない人も多いとは。
時間が時間だから仕方ないか。結構規則正しい生活リズムで行動してる剣士は多いみたいだしな。
「来ましたね。全員ではないようですが事態は急を要するため、今の剣士で現場に向かうこととします。唐突なことではありますが、準備はよろしいですね?」
すると一班……いや正確には閃理の到着がトリガーとなったのか、ここで支部長が口を開いた。
どうやら今のメンバーで現場へと向かわせる模様。
そりゃそうか。ちんたらと全員を待つ間に向こうの被害者がどれだけ増えるかなんて分からないもんな。
見回して誰が集まっているのかを確認。
俺たち一班と舞々子さんと凍原、輝井、真視、透子さん、日向、頼才さん、孕川さん、そしてロシア支部組か。
合計で十三名。うん、でも十分過ぎないかな?
この大所帯に上位剣士が五人も含まれていて、死の権能に対抗できる対抗策も揃っている。
油断は禁物とはいえこれ上手く行けば今日にも終わらせられるんじゃないか?
そんな安心感を覚える面々にちょっとだけ余裕を感じるぜ。
「詳細な説明は現地のスタッフから受けるようお願いします。メイディさん、現場は例のドレスショップからほど近い場所にあるので、そこへ剣士たちを移動させてください。その後は特権課の方々もお願いします」
「承知しました。ではまず剣士の皆様からですね」
支部長が早口で説明すると、メイディさんの空間跳躍の渦が目の前に生成される。
この先は先日行った最初の被害に遭った店へと繋がっているらしい。
そこから近いところで暴れ出したとはな……一体何が引き金になったんだろうか。
「では行こう。一刻も早く事態を収め、被害者を救出する。
「何それ初耳なんだけど……!?」
さらりと異常性の説明もされつつ俺たちは空間を通じて現場に到着する。
ご丁寧にも店内へ続いていたようで、中ですでに待機していた私服姿のスタッフ数名と合流。
その内の一人……ボーダータイツを履いた個性的な服装の長身女性スタッフが閃理ら上位剣士へ説明を始めていた。
「……以上が現場の情報です。想像よりも広範囲に花弁が散っているため、注意して移動してください」
「予想していた通りだったな。街中至る所に即死トラップが仕掛けられているも同然らしい」
「ヴィーナちゃん、確か剣士なら多少触っても平気なのよね?」
「ええ。でも直だったり長い間触れ続けるのも危ないわ。私の権能である程度カバー出来るけど、踏まないに越したことはないわ」
横から話を聞く限りだと現場には
そりゃ危ないわな。閃理の言う通り踏めば即死の罠が広がっている以上、相当な被害が出ているかも。
しかし意外なことに剣士は死の権能に対する耐性を多少ながら持っているらしい。
多分だけど剣士の身体能力を底上げする剣の加護が関係しているんだろう。それしか考えられないし。
まぁなんであれ触り方を間違えれば剣士でも死ぬことに変わりはない。
剣の報復も発動しないようだから、慎重な行動を心がけなければ。
「今回は闇の剣士と違い一般人が起こしたものだ。行動部隊はともかく、素人が相手だからとはいえ油断は禁物だからな」
「では行きましょう。
支部直属組の剣士らに注意喚起をしつつ、アルヴィナさんと閃理を先頭に俺たちは現場へと急ぐ。
店を出て右側を真っ直ぐ進んでいくと、野次馬と思われる人の群れを発見。
そのすぐ奥には警察の警備が立っており、人の往来を制限しているようだった。
現場となっているのは俗に言う歓楽街。日夜問わずにぎやかな区画で暴れられたことで閉鎖状態となったのは人々にとっても迷惑極まりないはず。
時間帯が夜である以上、暴走に巻き込まれた被害者だって大勢いることだろう。
本当になんだってこんな時に……! 同情の余地がある背景を持っているとしても許されないぞ。
「人の目に俺たちが映ってしまうわけにはいかない。全員、人前から姿を消すか隠せる聖癖章を使って入るぞ」
【聖癖リード・『目隠れ』! 聖癖一種! 聖癖唯一撃!】
【聖癖リード・『スク水』! 聖癖一種! 聖癖唯一撃!】
【聖癖リード・『透明感』! 聖癖一種! 聖癖唯一撃!】
閃理がそう言うと、全員が聖癖リードを実行。
俺や閃理他数名は『目隠れ聖癖章』を。メルは『スク水聖癖章』、透子さんは持ち前の権能で身体を地面に沈ませた。
最後の『透明感聖癖章』はアルヴィナさんとゾーヤさんが使う。
こちらもすーっと透明になり、姿が視認出来なくなる。これはシンプルに透明化する権能のようだ。
これで準備は完了。野次馬の群れを避けつつ、警備の奥へと侵入だ。
「……なんかすげぇ静かだ。本当に県庁所在地の歓楽街なのか?」
「ですね。まるでここから人間だけがいなくなったみたいで、ちょっと不気味ささえ感じます」
たたたっと足早に駆けて行く中、歓楽街なのに誰一人として人の気配を感じないことに気付く。
それは俺以外の場慣れしていない剣士も同じ。周囲を見回して状況の異質さに困惑しているようだ。
何しろ辺りには被害者の物と思われるバッグなどが散乱しており、車だって乗り捨てられたようにハザードランプが付けっぱなしの状態で放置されている。
輝井の言うとおり人間だけ消えたような世界だ。
いくら死の権能とはいえ、人体まで消す能力じゃないとは思うんだが……?
「回収出来る範囲の遺体は処理班が別の場所に移動させたらしい。剣士は今、ここからもう少し離れた場所で動きを止めているとのことだ」
「え、処理班ってさっきのスタッフのこと? たった数人でこの辺の被害者全員移動させたの!?」
俺の疑問を読み取って閃理がこの謎を解明。
どうやらほんの一時間もない間に手の届く範囲の被害者を回収し終えていたとのこと。いやすげぇな。
処理班。俺は行動部隊だからほとんど面識は無いけど、支部周辺に起きた聖癖剣士の戦いの後始末などを担当する部署だという。
にしてもあの少人数で……いや、本当はもっといるかもしれないけど、被害者を移動させておくとは中々やりおる。優秀な部隊だ。
「……! みんな、あれを見て!」
するとここで先頭を行くアルヴィナさんが何かに気付いた。
一度足を止めて指差す方向に視線を向けると、そこには処理班が回収を断念したであろう被害者がそこいらに転がっていた。
相変わらず被害者の表情は不気味にも笑顔。それが目視だけでも数十人近くいる。
そして何よりの異変──この異様な世界にたった一人だけ、直立している人影が背を向けていた。
「もしかしてあの人が……!?」
「ああ。今回の目標にしてこの事態を引き起こした犯人。“死の聖癖剣士”我妻あやめだ」
閃理以外の剣士は初めて今回の目標となる剣士の姿を拝むこととなる。
黒いセミロングで、ウェーブがかっているというよりかは若干ボサついた頭髪。
ただ服装はウェディングドレス姿ではなく、ただの私服姿である模様。
後ろ姿だけ見れば、本当にただの一般人同然。
でも分かっている。身体の陰に隠れているけど、その手に
「…………あれ、まだ
ここで俺たちの存在に気付いたのか、我妻さんがこちらを振り向いた。
ウェディングドレスをそのまま武器にしたような特徴的な形状の聖癖剣と一緒に、その素顔が明らかとなる。
平常時なら薄幸美人という言葉が似合いそうな平凡な顔つきなんだろうが、今はそんな面影など無い。
何せ大勢の人々の命を奪った直後であるにも関わらず、その表情は異様なほどに笑顔。
真っ黄色に染まった獣のような眼が俺たちに向けられた時、思わず背筋がぞっとしたくらいだ。
まるで何か良くない物にでも取り憑かれた──そんな例えがぴったりな猟奇的な印象を受ける。
「我妻あやめで間違いないな。我々は光の聖癖剣協会。あなたの暴走を止めにここへ来た」
「あなたは何日か前に私の家に来た警察の人? それに聖癖剣協会? 何だかよく分からないわ」
閃理は臆さず一歩前に踏み出て名乗りを上げる。
すぐに返答してくれたのを察するに、意識は結構明瞭みたいだ。
みんな暴走って言うもんだから、所謂バーサーカー状態になっているのでは? と思っていたけど、意外にも平静を保てているらしい。
その証拠に以前聞き込みの体で閃理が接触してきた時のことを覚えている模様。
しかし非公開組織の定めとして、聖癖剣協会のこと自体は無知のようだ。
ふむ、組織に関する情報を持っていないということは、多分闇側との関連性は無いと見ていい。
もし向こうが先に接触して事を起こさせたのなら、何かしらの情報は与えているだろうしな。その点は少しだけ安心する。
「あなたは先日、ドレスショップとマンションで従業員や住人を殺害し、さらに今回の騒動を引き起こした。そのことについて何か弁明はあるか?」
「弁明……? 私はただ、みんなを死逢わせにしているだけよ。誰もが死逢わせになれる権利はある。私の力でそれを実現するお手伝いをしているだけ。誰も不幸にはなっていないわ」
は、はぁ……? 何言ってるんだ、この人……?
閃理の問いに対するあまりにもぶっとんだ回答に俺は思わず困惑してしまう。
だってそうだろ? 人を殺しておいて幸せになるお手伝いとか意味不明が過ぎる。
その行為自体が他者にとって特大の不幸だって気付いていないのか?
支離滅裂な発言に困惑しているのは俺だけじゃ無い。ここにいる剣士たち全員も同じ様子だった。
「違う。あなたのしていることはただの殺戮行為だ。人を幸せにする手伝いではない」
「幸福の形は人それぞれって言うでしょう? でも全員が納得できる形の死逢わせもあるわ。私はそれを与えることができる……全ての人たちが平等に感じられる死逢わせを!」
真正面からの正論も今の我妻さんには届かない。
全ての人たちが平等に感じられる幸せ……それが死なのだろう。そんなめちゃくちゃな……。
それが人を死なせていい理由なわけない。
というか理由云々以前に人殺しはやってはいけないことだぞ!
人を死なせることが幸せなんて変過ぎる。どう考えたって異常そのものだ。
「……やはりあいつは
「そうね。早いとこ終わらせないとあの人の精神が持たないわ」
不意に横から会話が聞こえた。ゾーヤさんとアルヴィナさんのひそひそ話に意識が向く。
一応
今の我妻さんは自らの意思で権能を行使しているわけではなく、聖癖剣による影響で今回の事態を発生させたということを。
一見平静を装っているように見えていても、その実内心では嫌がっているはず。
曰く前の
前回の被害、そして使い手の自死という二の舞を防ぐためにも、ここは何とかしてやらなければ。
あの狂気に染まった考えまるごと救い出す!
「ふふ、でも死逢わせになる権利を持っているのはあなたたちも同じこと。今すぐ全員死逢わせにしてあげる!」
「来るぞ! 全員防御態勢!」
するとここで我妻さんは
話し合いでの解決は案の定玉砕。だが問題ない、ここも想定内だ。
閃理の合図で俺たちは臨戦態勢へ。いつでも防御に移れるよう剣を取って待ち構える。
「全て死逢わせになれ」
ブーケ形態の
あっという間に歓楽街の空を青色で埋め尽くし、俺たちの目を釘付けにさせる。
これが今日までで数え切れないほどの人々を死に至らしめた能力。
最も恐れるべき権能を前にして怖いと思う気持ちも依然あるが、そんな物に負けられない!
絶対に勝つ! ここにいる全員が共通して思っていることを、俺も心の中で復唱。
そして雨が降ってくるように、空から死の落花が始まる。
「ちょっ、これ避けれる!?」
「回避行動を意識するな。花弁を切って避けろ!」
花弁はひらひらと無作為に揺れながら俺たち目がけて落ちてくる。これ回避が結構難しいぞ!?
剣士なら多少触れても大丈夫だとしても、当たり続けるわけにはいかない。
閃理のアドバイス通り空に向けて各々は聖癖剣を振るう。
流石に頑丈では無さそうだ。刃に当たった花弁は簡単に裂けて霧散する。
なるほど、しっかり切れば消すことができる模様。これならなんとかなるか?
「上ばかりに気を取られるな! 敵は正面にもいるんだぞ!」
「ふふ、あなたも死逢わせにしてあげる!」
「え……!? あ、閃理!?」
続く声に反応した直後、我妻さんが迫って来たのが見えた。
最初に問いかけをした閃理に向かって行き、ガードには難なく成功して、そのまま
ぬぬぬ、こりゃ油断も隙もならんな。
上からは死の落花。正面は我妻さん。そして下には被害者と散乱する死の花弁。
これ……中々厄介な状況だ。いくら多対一の構造が成り立っていても、覆せるかどうか怪しい。
想像以上に難しい相手だ。流石にジェノサイドを引き起こしただけのことはあるぜ。
「何故このようなことをする? 死は全ての人にとっての幸せではない。あなたではなく、あなたの剣がそうさせるのか?」
「そうよ。一度全てを失った私だけど、この剣を手にした時、全てが満ち足りた気持ちになった。この気持ちを独り占めするなんて勿体ないことはしない。全ての人たちにも分け与えてあげるの。それが剣の……私自身の望み!」
「ぐおっ……!?」
最接近から再びの問答。我妻さんはまたしても意味不明な返答を繰り返す。
さらに鍔迫り合いはまさかの我妻さんが勝利。う、嘘だろ!?
押し負けた閃理は追撃を受けないよう大きく後方へ跳び、距離を置く。
おいおい、冗談だろ? あの閃理が……マスター直属のナンバー4が一般人相手に引くなんて。
まさか手加減した? でも相手は禁忌の聖癖剣の使い手。急を要する事態にそんなことするか……?
「閃理! どうかしたの!?」
「…………あなたは剣を持つのは初めてじゃないな? 差し詰め剣道……その辺りを習っているな」
すると一瞬の沈黙の後、閃理はまさかの言葉を口にした。
なんとあの鍔迫り合いで我妻さんの運動経験を見抜いたらしい。
しかも剣道。よりによって剣に関連するスポーツを経験しているとか……!?
「……ええ。学生の頃は剣道部に入っていたわ。そしてつい最近もう一度始めていたの。ウェディングドレスを綺麗に着るための運動としてね」
「マジかよ……」
閃理の推測は見事的中。我妻さんは元剣道部員だったらしい。しかもドレスのために再開までしてたみたいだ。
言われて見れば確かに剣の持ち方が所謂下段の構えに似ている気もしないでもない。
もっとも剣の形状が特殊だから、ケーキ入刀をする際のナイフの持ち方にも見えるが。
ううむ、本当にまさかな事実が判明するとは。
そういえば何日か前に日向とかが相手は剣の素人だから安心、みたいなことを言っていた気がする。もしかしてフラグ回収しちゃったのかなぁ。
「試合だったら今の鍔迫り合いは反則だけど……これは剣道じゃない。みんなを死逢わせにするための戦い。その邪魔をするあなたたちにも死逢わせを分け与えるための、本物の死合よ!」
我妻さんが吼える。再び
一体何をするつもりだ? と思うのも束の間、花弁が形成するのは巨大な刀身、その延長!
物体を生成可能な聖癖剣には
「死逢わせになれ! 全部全部、……全部!」
青い特大の剣となった
建物に当たっても動きが阻害されることなく、高密度の死の刃が俺たちへと迫ってくる。
これちょっとヤバくない? よ、避けられる?
いや──無理だ。ただでさえ広範囲に渡る死の花弁が舞い散る中で大技をかわすのは至難の業。
早くも訪れる絶体絶命の危機。身代装甲を使っても耐えきれるかな……!?
今後何度でも起きるであろうその最初の難関に、俺たちは直面した────
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