第百二十四癖『嵐の前の一服、邂逅せし露の剣士たち』

「なぁ、今回の件についてどう思う?」

「いや、普通に激ヤバ案件でしょ。死の権能とかヤバすぎて逆に実感湧かないわ」

「いくら対抗出来る剣士がいるとはいえ、支部長が言うように最悪のケースも考えられますよねぇ……」

「すみません。私、ちょっと勇気が……うぅ」


 支部での待機命令が出された翌日──俺は暇つぶしがてらいつメン三人+他数人と一緒に近場のカフェでお茶をしばいていた。


 話題は昨日の教えられた任務の内容について。

 突如として現代に復活した禁忌の聖癖剣【華嫁剣死逢はなよめけんしあわせ】。こいつに対する各々の感想というか意見を確認する。


 真っ先に反応してくれた仲良し三人組響、輝井、真視の意見は至極当然というか、こう思うのが普通だよな。

 死という概念を敵にするわけだから、真視のように始まる前から戦意喪失するのもわけないこと。


 でも逃げ出すことは許されない。ここで俺たちがやらなきゃ一般人にも被害が及ぶ可能性は大だ

 剣士としての責務が発生している以上、敵前逃亡は厳禁である。


「確かに権能は怖いけど、どうせ剣士はド素人なんでしょ? なら問題はないんじゃない?」

「日向さんの言うことも一理あります。少なくとも私たちは経験と人数差で勝っているので、それらを剣の加護と権能だけで覆せるとは考えにくいかと」

「そうね、厄介なのはあくまでも権能の方であることに変わりはないわ。剣士自体の実力は考慮しなくてもいいかもしれないわね。もっとも油断は禁物だけど」


 今度は日向と凍原、そして透子さんが意見を口に出す。

 こちらは強気の姿勢でいるようで、権能にさえ気をつけていれば剣士の存在は度外視という大胆な考えに行き着いている模様。


 うむ、確かに行動班として今まで多くの剣士候補たちと接触してきたけど、最初から剣を上手く扱えていた人はいなかった。


 良くも悪くも全員が権能頼り。扱いの上手い下手こそあれど剣技で圧倒されたことは一度も無い。

 このことから今回に限って剣に心得のある人が選ばれるなんて都合の悪いことになるとも考えにくい。


 だから今の意見も十分理解出来る。ある意味当然の内容だ。

 増援のことも考慮すれば、もしかするとそんなに重く受け止めるような案件ではないのかもしれないな。


 もっとも相手は脅威的な存在であることに変わりは無いけども。


「何であれ死逢しあわせっていうヤバい剣を相手にするんだから、いくら増援が来ると言っても気は抜けないよな」


 俺の考えはヤバい権能だから十分気をつける、味方が増えても油断は禁物というもの。

 それ以上でもそれ以下でもない我ながら淡泊シンプルな意見である。……あ、そういえば。


「そういや今日にも増援の剣士は来るって話だけど、ちゃんと来てるのかな?」

「どうでしょう。今のところそういった連絡が来てるわけではなさそうですし……まだなのではないでしょうか?」


 味方が増えても──っていう心の中の発言で思い出したけど、ロシア支部からの増援ってまだ来てないよな?


 ここのカフェに来てから一時間は経った。凍原がスマホを確認するけど、やっぱりそういう連絡は今のところ無さげである。


 時刻はもう昼過ぎ。日本から何千キロも離れた場所にある国だし、飛行機でもすぐには到着しないことくらい分かる。


 とはいえ一体いつになったら到着するのやら。

 流石にドタキャンみたいなことにはなってないだろうけど、早いとこ来てくれないとこっちも困るというもの。


 何しろ死逢しあわせに対応するための作戦を閃理や他の有識者が考えているんだ。

 最初の打ち合わせまでにはきちんと間に合って貰わないと日本人的には良い印象持たれないぞ。


「気長に待つしかないんじゃない? 私は別にそういうの気にしないけど」

「ま、どうせ今日中には来るって話だし、そんな焦んなくても良くね的な?」


 しかし瑞着姉妹の言う通りでもある。すでにロシアを出ていることが分かっている以上はメイディさんを遣わせられないから待つ以外に俺たちが出来ることはない。


 肝心の死逢しあわせも未だ所在不明なんだし、焦ったところで何になるわけでもないもんな。


「それもそうか。じゃあどうする? 増援の人たちが来るまで練習試合とかして暇つぶしでも──」


 と、俺が聖癖剣士らしい提案を口にしかけた瞬間、からんころんとカフェの扉を開ける音が店内に鳴る。

 そして、入って来た人たちについ目がいってしまうのだった。



「暑い、暑過ぎるわ……。ここで一旦休みましょう。もう限界……」

「ここまで暑いと半袖にしても無意味そうだな。日本の夏、想像以上だ」



 やって来たのは二名の女性。その容姿を一目見て、俺は思わず目を見開いてしまう。

 もこもこの白とシュッとした黒。二人のそれぞれの第一印象はそれだった。


 まず最初に目を引くのは腰まである白いロングヘアーの女性。全体的にふわっとした印象を受ける。

 一目で美人だと分かるくらい整った顔をしているけど浮かべる汗の量が尋常ではない。大丈夫か?


 続くもう一人の女性は黒髪のショートヘア。ピアスもバリバリ付いてる強烈な見た目で、何というかこっちも美人だけど威圧感が凄い。


 さっきの人とはまるで対照的だが同じように汗まみれで辛そうである。

 どうやらこの二人は日本の夏に苦しめられているようで、会話からして海外の人だと分かる。


 それにしては随分と流暢な日本語でおしゃべりしているけどな。郷に入っては郷に従えってやつ?



「ええっとメニュー……あら、見てゾーシャ! アイスコーヒーがあるわ。しかもスイーツと一緒に注文すると飲み放題ですって!」

「冷たいコーヒーは日本特有の文化だからな。ヴィーナはそれにしたら──……なっ、シロノワール!? ここにそんなものが!? 私はこれにする……!」



 その二人は入店して早々エアコンの冷風が直に当たるカウンター席に着き、注文票を眺めている。


 見慣れぬメニュー内容にキャッキャとはしゃぐ白い方ヴィーナと、冷静にうんちくを披露するも興奮を隠しきれない黒い方のゾーシャ。


 両方とも二十代半ばくらいはありそうだが日本の独特な文化に触れてかなり楽しそうである。

 そんな様子を遠巻きに見ながら俺たちは話を一旦区切り、新たな利用客についての話へ移る。


「なんか凄い人たちが来ましたねー。どこの国の人たちだろう」

「ってかアイスコーヒーでそんな反応する? 飲んだこと無いとか?」

「実はアイスコーヒーって日本発祥なんだぜ? 海外じゃそんなに浸透した飲み物じゃないんだってさ」

「な、何よ。急な知識マウント止めてくんない!? 自分は知ってるからって偉そうに……!」


 こっちは豆知識を披露したら文句を言われる始末。別にマウントを取ったつもりはないんだけどなぁ。


 それはそうと輝井はあの人たちの国籍が気になるらしい。確かにどこの国から来たんだろうか。

 もっとも気にしたところで何になるわけでもないんだけどな。取りあえず遠巻きから様子を見ることに。



「そういえば勝手に休憩しちゃってるのは良くないわよね。向こうに連絡を入れようかしら」

「なら私がする。ヴィーナは休んでるといい」

「ありがとう、ゾーシャ。助かるわ」



 無粋かつ失礼なことを承知であの二人の会話を盗み聞いていると、何やら気にし始めたぞ。


 向こうに連絡……ってことは仕事か何かで日本に来たのかな。

 さしずめ暑さに耐えきれず独自の判断でカフェ休憩を挟み、到着が遅れることを連絡するってところか。


 まぁ向かってる途中で熱中症にでもなれば仕事どころの話ではなくなるからな。その判断は正しいと言える。


 にしても仕事かー……俺たちの仕事はいつになったら始まるのやら。ロシア支部からの増援、早く来ないもんかなぁ……。



「それじゃあマスター。私はアイスのとアップルパイをお願いするわ」

「私も同じ飲み物を。スイーツにシロノワールも頼みたい」



「……ん!?」


 まだ見ぬ海外からの剣士に思いを馳せていたら、向こうのカウンターに座る二人は食べる物を決めたようだ。


 ただ、その聞き覚えのあるワードの含まれた注文内容にここにいる支部剣士は全員耳を疑う。


「え、今何て言った?」

「ロシアンコーヒーって注文したわね。もしかしてだけど、あの人たちが……」



 周囲に確認を取って、全員が同じワードを聞いたことの裏を取る。


 。ロシアン……つまりロシア流ってことだ。俺は飲んだことないが、確か卵と酒を入れる作り方だった気がする。


 日本に来てわざわざそれを注文するって明らかにとまでは言わないけどちょっと変じゃないか?

 頼むなら普通のコーヒーでもいいはず。これは……ちょっとまさかなのでは?


「早まってはいけません。怪しいとはいえここでそうだと決めつけるのは早計です。単純に物珍しさ故に注文した可能性の方が十分あり得ますし」

「そ、それもそうですね。もし間違えて全然関係の無い人たちだったら気まずいですし……」


 でも凍原がその考えに待ったをかけた。

 注文一つだけを理由に当該の人物だと決めつけるにはちょっとばかし無理矢理感があるとのこと。


 ふむ、確かにその通りかもな。判断材料としてはあまりにも雑すぎるのも事実。

 それにこのカフェは協会の息がかかっているとはいえ一般にも向けられた場所である。


 一般人へ剣の存在を知られてはいけない以上、憶測だけで行動するのは御法度。だから真視の考えも正しいよな。


 しかしロシアってワードにちょっと敏感になってるタイミングでロシアンコーヒーなんて注文を聞いたら疑ってしまうのものもある意味道理じゃん?


 こう考えてしまうのも致し方のないことなんだよ。うん、人間疑り深くあれってな。


「ちょっと全員神経質になりすぎじゃない? そんな都合良くあの人たちがロシアから来たなんてあり得な──」



「でもまさか日本の夏がこんなに暑いだなんて思わなかったわ。過ごしやすいイメージだったけど、ロシアとはまるで大違いね」

「そうだな。母国と違ってこっちは気温だけじゃなく湿気も酷いから過ごし辛いみたいだ。特にヴィーナは髪の量が多いし長袖だからその分熱がこもるんだろう。到着したらまずシャワーだな」



「ロシアから来た人たちって言うのは、どうやら確定的みたいですね……」


 日向がド正論を言い放とうとしたら、向こうのカウンター席では最早疑うことすら意味を成さない発言が飛び出していた。


 あの人たち、マジでロシアから来たのか……。

 なんたる偶然。これでは凍原や日向の否定的な考察が全部おシャカになってしまった。


 そしてさっきの発言からして多分ここにいる剣士全員は一つの考えに至っていることだろう。

 それは、あの二人が噂の増援なのではないか、ということを。


「……ねぇ、誰か行って聞いてみてよ。多分アレ、絶対ロシアから来た剣士たちでしょ」

「誰って誰よ。私嫌なんだけど」

「いやぁ~……流石に見ず知らずの人にいきなり話しかける勇気はないですよね。僕もちょっと……」


 ここで例の剣士と思しき二人に話しかける一番槍の役目を誰が担うのかで議論が勃発。

 というか話しかけに行く前提で進めるのか……。それはともかく案の定役割の押し付け合いが始まってしまう。


 輝井たちの気持ちは分かる。この歳で友達を作ることに抵抗が無い俺だっていきなり初対面で年上の人に声かけする勇気はない。


 そもそもあの二人がロシアから来たってことが分かっただけであって、まだ増援の剣士だという確証にまでは至っていない。


 怪しむ道理こそあれど、これもまた些か早とちりな気がするな。俺はパスしたいところだ。


「よし、ここは焔衣兼人、あんたが代表して行きなさい」

「……え、俺が!? 何で!?」


 が、ここでまさかの展開に。あろうことか日向は俺を一番槍として使命してきやがった!

 おいおいおいおい、そりゃないぜ。というか何で名指しの指名なんだよ。


「聞いてるわよ。あんた、朝鳥さんと孕川さんにナンパして勧誘したらしいじゃない。そんなこと平気で出来るんだから話しかけに行くくらいどうってことないでしょ?」

「ちょっ……!?」


 ああ──ッ!! こいつにもやっぱり知られてるゥ!

 思わぬタイミングでの黒歴史暴露。これには流石に心の中で大絶叫をせざるを得ない。


 何で……どうして? 一体俺が何したっていうんだよォ!


「あ、それ知ってるー。ケンティーもスミに置けないって言うかー? 何かちょっと意外だよねー」

「焔衣さんってフランクなイメージのわりに結構生真面目な人だと思ってたので、そういう話が出たのは驚きましたねぇ」

「聞いた話によると先月の回収任務では聖癖剣の能力で作られた人型実体にもしたそうですね。別け隔て無いと言うと言い方は悪いですが、その方法はあまり印象が良くありませんよ?」

「止めろ止めろ! 俺だって好きでやってんじゃないんだよッ、掘り返すのはマジで止めて!」


 うぐァーッ! 薄々思ってたけど俺がナンパをスカウト手段に使ってることが全員に知れ渡っている!


 ってか絵之本さん! 擬人化の件、あれに関してはあんたの指示じゃんかよ!

 何自主的にやりましたみたいな感じに伝えてんだ! そのせいで皆にあらぬ誤解が……。


「まぁナンパ抜きにしてもこの中で一番人に平気で話しかけられれそうなのはあんただけだし、適任に違いはないわよね。そういうわけで頼んだわよ」

「んな殺生な……。俺に配慮はないの?」

「配慮? 無いわよそんなの。ほら、分かったなら早く行きなさいってのよ」


 という嬉しくも何ともないお言葉を日向からいただき、悲しいことに代表として選出されてしまった。


 追い出されるようにテーブル席を離れ、俺はカウンター席へと渋々向かう。

 とほほ……何かこういうことに都合良く使われがちなのは気のせいかな。なんかちょっと悲しいぞ。


 皆は俺のことをコミュ力おばけみたいな扱いするけどさ、俺だって剣士になる前は人と関わること自体避けてた人間なんだぜ?


 同年代とかちょっと年上くらいなら問題ないが、流石に何の仲介者も無しに何歳差かも分からない人……さらに国籍さえ違うともなれば話は違う。ぶっちゃけ言うと普通に怖い。


 あー行きたくねぇー……。そんな気持ちがふつふつと……いや、もうグツグツと溢れかえっている。

 でもここまで来てしまったのだから後には戻れない。すごすごと戻ったら腑抜けに扱われる。特に日向から。


 覚悟決めろ、焔衣兼人。成せばなる、成さねばならぬ、何事もだ!


「そ、そこのお二人さん。隣に座っても良いかな? 俺とちょっとおしゃべりしてみない?」

「む……」

「あら……?」


 俺は勇気を振り絞って声をかけた。すると、先ほどまで談笑していた二人は俺の方を見る。


 この時俺に向けられている表情は当然真顔。ロシアの女性ってあんまり笑わないって話は聞いたことあるけど、それは本当のことらしい。めっちゃやりづらいわ。


 俺的には笑って対応し返してくれるとありがたいところ。

 そしてなるべく早いタイミングで拒否ってくれるともっと助かるんだが。


「……もしかしてナンパかしら?」

「だろうな。日本はこういうことは殆どしないと思っていたが、案外そうでもないようだな」


 例の二人は返答よりもまず小声で状況を確認し合っている。うむ、距離が近いから全部聞こえてるわ。


 日本でナンパされたことに驚いているっぽい。確かにナンパは品の無い下卑た行為という認識が日本人あるのは事実だもんな。


 日本人は真面目な人柄だというパブリックイメージは世界でも一般的な認識である模様。

 俺だってその意見は同じ。あくまでもこのナンパは接触の手段であり、普段からやろうと思う行為ではない。


 ほら、突然青臭いガキに声を掛けられて迷惑だろ? 適当にあしらうなりして追い払って────


「ええ、どうぞ。ここ、クーラーがよく当たるもの。よそ者の私たちが占領してしまってごめんなさいね」

「まだ来てすぐだから日本の暑さに慣れていなくてな。そのナンパの相手になるついでに色々教えてもらえると助かる」

「ま、マジすか……!?」


 な、何ィッ──! このナンパ、まさかの成功!?

 ちょっ、俺の理想とは全くの正反対の反応なんですけどォ!?


 絶対失敗に終わると思っていたナンパが予想外の成功を収めてしまい困惑を隠せない俺。


 思わず日向たちの方を見てしまうが、当の奴らは俺が後ろを向いた瞬間にさも無関係ですと言わんばかりに視線を外したのが見えた!


 おいおいおいおい、他人のフリとか止めてくれ。あんたらが俺にやらせたことだろう!?


「あら、どうかしたのかしら。座らないの?」

「えっ、あっ。いやいや、大丈夫大丈夫。ちょっと荷物が置きっぱなしになってるのが気になっただけなんで。それじゃ、お隣失礼……」


 案の定ナンパしておいていつまで経っても席に座らないことを疑問に思われてしまった。

 咄嗟の嘘で誤魔化しつつ、黒髪の人──確かゾーシャさんだったか──の隣りに座る。


 ここまで来て怪しまれるなんて勘弁だからな。仕方ないが最後までやるしかない。演じきるぜ、俺!


「お二人はどちらから? 日本の暑さになれてないってことは、寒い所から来たんでしょう?」


 まず始めに俺はどこから来たのかを二人に訊ねる。すでに知っていることだが一応な。

 無難な話から入り、そこから話を広げるのが会話のコツ。これに返答してくれるのはゾーシャさんだ。


「ああ、ロシアから仕事でな。相方が暑さでやられそうになったからここへ避難しに来たんだ」

「やだ、倒れそうになってたのはお互い様でしょ? ゾーシャったら見栄っ張りなんだから」


 やはりロシアから来たのは間違いない様子。

 しかし、すかさず相方本人──名前はヴィーナさんだったはず──が訂正を入れる。


 自分だけじゃなくゾーシャさん自身も暑さにやられかけていたとカミングアウトしてくれた。

 そしてお互いに噴き出して笑顔を見せる。今の会話で俺はあっという間に輪から外されてしまった。


 ふーん……この二人、何だかただの仕事仲間って感じじゃないな。

 単純に仲良さげというか、仕事だけで完結してる間柄には見えない。


 俺の人間関係を見る目がそう言っているんだから間違いないはず。

 ん……? ってことはもしかしてこの状況、俗に言う百合の間に挟まる男って奴になってないか、俺。


 だとしたら参ったなぁ。もっとも二人の間に割って入る気は一切ないけれど、これをすると烈火の如く怒り狂う人間がいることは百も承知だから、なるべく遠慮願いたかったポジションだ。


 やっぱり駄目だったんだよ、仲良い女性二人組にナンパ仕掛けるのは。ますます関わりづらい気持ちが増幅してきたんだけど。


「あぁ、そういえば自己紹介をしていなかったわね。私はアルヴィナ。こっちの彼女は──」

「ゾーヤだ。さぁ名前を言ったんだから今度はそっちが名乗る番だぞ」


 ここでふと思い出したかのようにヴィーナさん……改めアルヴィナさんが自己紹介をし始めた。


 呼び名と名前が違う……ってことは愛称か。ヴィーナ呼びもゾーシャ呼びも親しい間柄だから使われるあだ名なんだろう。


 じゃあ赤の他人である俺が使って良いわけないか。

 ともあれ向こうが自主的に名乗ったんだ。名乗られたら名乗り返す、それが礼儀だろう。


「俺は焔衣兼人って言います。まぁしがないメイドの弟子……みたいな? 今のナンパも人慣れするための練習みたいな──」


 適当な人物設定を即興で考えて身分を誤魔化す。

 ほぼ確信しているとはいえ、いきなり聖癖剣士ですとは言えるわけないからな。文字通り挨拶代わりのジャブだ。


 だが自己紹介を終えた一方、当の二人組は少しばかり訝しげな様子を見せる。


「……悪いがもう一回名前を教えてくれるか?」

「え、焔衣兼人ですけど……」

「何故だかどこかで聞き覚えがあるような、無いような……」

「どうかしたの? 何かあったのかしら?」


 名前を聞き返されて素直に応答すると、ゾーヤさん急には考えに耽り始めた。


 これは一体どういうことだ? 俺、ロシアの支部に名前が伝わるようなことしてたっけ?

 うーむ……思い当たる節は今のところない。俺の交友関係にロシア関係の人なんて閃理くらいだし。


 ここで謎の縁が発生してしまうとは思いもしなかった。俺とロシア支部、一体何の関係が……?


「お待たせ致しました。こちらロシアンアイスコーヒーとアップルパイ、そしてシロノワールです」

「あら、頼んでた物が来ちゃったわね。考えるのはここまでにしてまずは食べましょう」


 と、このタイミングで店主はロシア組が注文していた物を持ってきた。


 これにより思考は一時中断。アルヴィナさんの前には一切れのアップルパイ。ゾーヤさんにはシロノワールが置かれる。


「う~ん、良い香り。シャルロートカとはやっぱり違うわ。これが日本風なのね」

「おお、これがシロノワールか。ボリュームも想像以上だが、これはどうやって食べるのが正解だ……?」


 それぞれ香りと見た目で料理を楽しむ中、当然だが俺は何の注文をしていないから何も無い。


 というか食事は二人が来る前に全部済ませてるからな。スイーツを羨ましく見つめるほど空腹じゃないんだわ。


 話の腰をスイーツに折られてしまったから、俺は頭の片隅に先の問題をぼんやり考えつつ、二人の食べる様子を窺うことにする。


「あ、シロノワールは生地部分が横に半分切られてるんで、それを上から取ってアイスを付けると食べやすいですよ」

「……ナンパ目的で私たちに接触して来たわりには随分と甲斐甲斐しいな。そういう性格じゃロシアの女は捕まえられないぞ」


 シロノワールという初見で食べるには難易度の高いスイーツの攻略に苦戦するゾーヤさん。

 見かねた俺は食べ方を伝授するのだが、その際に鋭い一言をいただいてしまう。


 ふむ、確かにその言い分も一理あるな。

 そもそもナンパはもっとガッついた人がするようなことだし、俺の性分的に向いてるとは思えない。


 全ての困ってる人を助ける! ……というほど善意に満ちた人間では無いにしろ、身近な人の世話をつい焼いてしまうような奴には似合わないことだ。


「いいんですよ、俺は単に人と会話するのが好きなだけなんで。別にそれ以上のことはそこまで望んでませんし、海外の人と知り合いになれるってだけで十分嬉しいことです。それってそんなに変なことですかね?」

「……率直に言って変人の極みだな。だが、そういうのは嫌いじゃない。なるほど、お前の魂の色が透き通っているわけだ」


 俺の正直な気持ちを言葉にしたら、急にスピリチュアルな返事が。

 た、魂の色? 何というか胡散臭い匂いがする言葉を口にし始めたな。


 別に疑うわけじゃないけどオカルト系かじってる?

 もしかしてだけど、なんかそういう宗教的なのを信じてる人だったり?


 仮に剣士じゃなかったとしたら、まさかとは思うんだけどお仕事ってのはカルト的な関係じゃ……。


「もう、また人の魂の色なんか見て。信じる人はそう多くないとはいえ、あんまり関係者以外の人に対して言わない方が良いと思うのだけど」

「いや、大丈夫さ。この男は私たちの関係者だ。そうだろう焔衣兼人。焔神えんじんの後継者」

「えっ、ば、バレた!?」


 一抹の不安が襲う中、アップルパイを頬張るアルヴィナさんの一言によって状況が一変する。


 人の魂の色とやらが見えるらしいゾーヤさん。やっぱり怪しい宗教関係の人か……と思ったその矢先、突如として俺の正体を言い当てたのだ!


 いや、元々剣士だろうと確信して近付いたわけだからバレて当然と言えば当然のことではある。

 でもこっちからは大したヒントも与えてないのに的中させるなんて流石に驚かざるを得ない。


 よもや本当に一度でも会ったことがあるのだろうか? 俺は未だに何も思い出せていないけど。


「ゾーシャ! この子が剣士ってどういうこと?」

「以前ロシア支部に始まりの聖癖剣士が来てマスター主催の練習試合に招待されただろう。その時に舞台で戦っていた剣士だ。今それを思い出したんだ」

「……あ! あの時の試合か! うわぁ、何か嫌な記憶思い出してしまった!」


 あ──! やっと分かった、俺がこの人に……ひいてはロシア支部の剣士に顔が割れている理由!


 ゾーヤさんが言った通り、温温さんとの練習試合の時にマスターが余計なお世話サプライズで全支部から剣士を招集したんだった。


 そこでマスターが無駄に凝った演説を行ったせいで俺の名前が観戦者全員に知られたんだ。余計な情報込みで! そりゃ俺のことを知ってるよな!


 学びのある一戦だったけど、大層な口上で紹介されたくせに負けたという事実。

 冷静に考えると恥晒しもいいとこだぞ、あの試合!


「……あー。そういえばそんなこともあったわね。ごめんなさい、私結局その試合の映像観てなかったわ」

「その時は仕事に追われてたから仕方ないさ。後で一緒に録画を観返そう」

「えっ、あの試合録画されてたんですか!? マジか……」


 ただ全員が全員知っているわけでは無さそうだ。

 アルヴィナさんは仕事とやらで直接観に来て無かったらしい。本当に全部の剣士が来ていたわけではなかった模様。


 思い出し羞恥に苦しむ俺はほっと一安心……となるはずもなく、いつの間に撮られていたのか試合の映像という言葉で俺の失態は永久保存されている事実でさらに悶絶する。


 状況は何一つ変わってないどころか知りたくない事実も判明してしまうとは。こんなのってないぜ……。

 嘆くのはさておき正体がバレたのならもうこれ以上身分を隠す必要はない。全てを明かす時が来たな。


「その通り俺は日本支部の剣士です。本当はこのナンパも二人がロシアから来たって会話を他の皆と一緒に聞いちゃったもんで、試しに話しかけてみようってやったことなんです」

「やはりな。ナンパにしてはぎこちなかったし、変だとは思っていたさ」


 俺は後ろに他の仲間も一緒だということも明らかにして素直に全てを告白する。

 ゾーヤさんは俺のナンパは怪しいと常々察していたらしい。なんだ、最初から乗せられてたってわけだ。


「それじゃあ、あそこのテーブル席にいる子、全員剣士ってこと?」

「そうなりますね。すみません、改めて謝らせてください。目上の剣士にナンパなんてふざけたことをしてすみませんでした」


 まさかそこで屯ってる奴らが全員同業者だとは思うまい。驚きを露わにするアルヴィナさんに謝罪をして誠意を見せる。


 なにせ立場を会社に置き換えると俺は平の新入社員の分際で海外支店の女性社員(階級は上)を二人同時にひっかけたんだ。


 いくら同僚にやれと言われてやったこととはいえ、実行犯である俺が謝らなければ示しが付かない。


 とはいえ支部に戻ったら何と言われてしまうのやら。この場合は他の皆も共犯になるだろうし、一人責任を被ることにはならないだろうけど。


「にしても伝説と言われる剣に選ばれた奴がこんなお人好しとはな。念のために忠告しておくが、いつまでもそんなんじゃ他人に良いように使われるだけだ。人に舐められない態度でいることも重要だからな」

「全く仰る通りですわ……」


 ううむ、まさにぐうの音も出ないド正論。これには大人しく肩を窄めるしかない。


 確か前にも似たようなことを言われてたような気がする。いつ言われたことなのかは覚えてないが、俺の弱点はまだまだ直る兆候すらないようだ。


「ところでだけど……日本支部には始まりの聖癖剣士が所属しているって話は本当?」

「もしかしてそれメイディさんのことですか?」

「ええ、異次元の聖癖剣士ことメイディ・サーベリアさん。モスクワ支部に来たのもその人のはずよ。それで、今もいるのかしら?」


 しょんぼりするのも束の間、アップルパイを全て食べきったアルヴィナさんが唐突にそれを訊ねてきた。


 何やらメイディさんのことに興味があるらしい。

 ぐいっと身を乗り出してゾーヤさんを挟んだ二つ隣の席に座る俺に近付こうとしてくる。ちょっと圧がすごいな……。


 それはそれとして、やや間違った情報ではあるもののすでに世界中にメイディさんの存在が割れてしまっているらしい。


 そりゃ一時間ほどでほぼ全部の支部に行って観客を集めてきたんだ。バレない方がおかしいか。


「一応俺の専属メイドってことで第一班の家事とかやってもらってますよ」

「ぶっ……!? ごほっ、ごほっ! な、何言ってるんだお前!?」

「始まりの聖癖剣士をメイドに!? すごいわ!」


 疑問に対する答えをそのまま教えると、隣でコーヒーを啜っていたゾーヤさんはその内容の異常さに噴き出してしまった。


 無論俺だって発言内容の甚だしさは理解しているつもりである。

 あの人は文字通り伝説の存在であるため、本来はマスターと同等の扱いをされてもおかしくない人物。


 そんな人が一介の下位剣士の専属メイドなんかやってるんだ。否応にもそんな反応をしてしまうのは当然と言える。


「今の話も含めてその方にとても興味があるわ。支部に行けばすぐに会えたりするのかしら?」

「た、多分……。買い物とかに行ってなければですけど」


 一方質問者のアルヴィナさんはメイディさんのことに興味津々といったご様子。

 最初の無表情さからは程遠い喜びに満ちた笑顔だ。


 あの人に会いたい理由でもあるのだろうか? まぁ伝説的存在に会いたい気持ちは誰にだってあるとは思うけどさ。


「雇い主本人から言質も取れたことだし、そろそろ出発しましょうか。あんまり長居するのも厳禁よね」

「そうだな。十分涼めたし、何より良い暇つぶしになった」

「あ、もう行くんですか?」


 一通りの話を終えると、アルヴィナさんは唐突にカフェを出ることを決定。

 ゾーヤさんもシロノワールをいつの間にか平らげており、同じように準備をし始めていた。


 な、何か急だなぁ……。もっとも二人を引き留める理由は無いから素直に見送るけど。


「それじゃあ焔衣兼人、支部でまた会おう。他の奴らにもよろしく言っておいてくれ」

「ええ。短い会話だったけど楽しかったわ。私はあなたのこと嫌いじゃないかも。それじゃあまた後でね」


 手早く会計を済ませた二人は最後にそう言い残してスマートに格好良くカフェから出て行く。

 静まり返る店内。元々客が少なめだっただけに、人が減ってよりBGMが際立つ空間になってしまった。


 それにしても、あれがロシア支部の剣士か……。

 なんかうっすら感じてた不安が解消された気分。思いの外いい人たちだったな。


 見た目通りおだやかなアルヴィナさんに、コワモテでオカルトな側面があるけど結構優しいゾーヤさん。


 今回のやりとりで俺の中の好感度ゲージはかなり高い状態から始まったと言える。すげぇや、ロシアの剣士は。


「……何いつまでもぼけっと座ってんのよ。戻ってきなさいっての」

「はっ、そうだった。悪い悪い、あんまりいい人たちだったもんでつい」


 数十秒前までの思い出をリフレインしていたら、不意に棘のある言葉が俺を呼ぶ。

 日向がいつの間にか俺の後ろに立っていた。俺としたことがここまで近付かれて気がつかないとは。


 ロシア組の二人が店を出て行ったから俺の役割は終わったんだ。任務完了……ってことで元の席に戻る。


「でさでさ、ナンパしてみてどうだった?」

「遠巻きから聞いた感じでは話は弾んでる感じでしたけど……」


 着席して早々に響たちから感想を求められた。

 そういうわけで今回の調査ナンパで得られた経験を語る。素直な気持ちを全員に共有するぜ。


 感想の内容は割愛。日本に初めて来たっぽいのに日本語ペラペラだったとか、ゾーヤさんがかなりスピリチュアル属性だったみたいな他愛の無いものばかりだしな。


「あと俺と温温さんとの試合を観に来てたみたいで、俺のこと知ってたのは驚いたかなぁ」

「あの試合はほぼ全部の支部から剣士が観に来てたらしいから当然と言えば当然よね」

「すごいですね! つまり焔衣さん世界的に有名な人になってるってことじゃないですか!」


 最後に俺の向こうに存在が知られてる件に触れる。

 透子さんと輝井が言うように、俺──ついでに温温さんも──は世界規模の剣士間で名の知れた人物になってしまってるようだ。


 嬉しいんだかそうじゃないんだか……。よく分からん気持ちだ。


「向こうに行けばまた会えるとはいえ、結局私たちは挨拶しそびれましたね。悪い印象になっていなければいいのですが」

「大丈夫じゃない? 俺一応皆のこと言ったつもりだし、そんな挨拶し損ねたくらいで怒りそうな人たちじゃないと思うんだけど」


 凍原はアルヴィナさんたちに挨拶出来なかったことを若干悔やんでる模様。ほんと真面目だなぁ。


 確かに日本人的には先方へは先んじて挨拶しておきたいと考えるのが普通だけど、その心配は多分杞憂に終わるんじゃないか?


 だってあんなに優しい人たちだったんだ。挨拶は支部に戻ってからでも全然セーフだと俺は思う──


 ……と考えた瞬間再びカフェの扉を開ける音が聞こえた。その直後、意外な存在が転がり込む。



「ひっ、ひぃっ……。駄目! やっぱり無理! こんな蒸し暑い所を歩くのは無理よぉ!」

「涼んだから暑さへの耐性がリセットされたんだ。もしかしたらカフェに寄ったのは間違いだったのかもな……」



「えっ、って、えぇ──!? 何か戻ってきたァ!?」


 入ってきたのは……まさかのアルヴィナさんとゾーヤさん!?

 さっき出てってからまだ十分も経ってないんだが?


 一体どうしたんだ──ってのもすっとぼけ過ぎか。

 二人の様子を見る限り原因は明らか。早くも日本の夏にもう一度やられてしまったんだろう。


 あんなスマートに退店してったのにものの数分でこの体たらくを晒すとは……そんなに日本の夏場は駄目なのかよ。


 この騒ぎに他の支部剣士たちも席を立って汗まみれのロシア組にへと近付く。そりゃ心配にもなるわ。

 位置的に一番近かった俺がもう一度接触しに行くと──


「……焔衣兼人、頼みがある」

「あ、はい。なんでしょ……?」

「始まりの聖癖剣士に送迎を頼めないだろうか? 雇い主のお前なら呼び出せるんだろう?」


 汗だらっだらのゾーヤさんが俺の接近に気付くと、有無をも言わさず頼み事をしてくる。


 まぁそうだろうとは思ったよ。というか最初からそうすれば良かったものを、変に格好付けるからそうなるんだぞ。


 今回の任務の要となる二人に頼まれたのなら致し方が無い。

 まぁ俺たち支部組も帰るに丁度良いタイミングだったからメイディさんに迎えに来てもらうとするか。






 という訳で迎えに来て貰うために閃理へ連絡。待つこと数分でメイディさんがカフェ内に現れた。



 後は全員空間跳躍の権能で支部に戻るだけだから割愛。

 これでようやくアルヴィナさんとゾーヤさんは無事に支部に戻ることが出来たのであった。



 色々衝撃的だったがこれがロシア組剣士との最初の出会い。

 これから始まる戦いの……一番の功労者になる人たちである。

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