第百二十三癖『恐るべき権能の力、抗えし力の来日』
特殊権能現象処理課。通称“特権課”──
ここは光の聖癖剣協会協力の下、警視庁が運用している非公開部署だ。
基本的には闇側の剣士による被害などを専門に調査や隠蔽などを行っており、捜査のみならず状況によっては戦闘行為も許可されている。
主に聖癖剣を取り扱っている特殊性故、通常では法に触れかねない捜査が国から認められた文字通り特権を行使出来る特別な部署。
……そう言えば表面上の聞こえはいいだろう。だが現実というのは思い描いた通りにはいかないもの。
その実聖癖剣が絡まなければ動くことさえ出来ないため、署内の人間からは給料泥棒だの事務専門だのと陰口を叩かれているのではあるが。
そんな特権課だが普段の業務が一切無いというわけでは無く、やらなければならないことはそれなりに多い。
「本日の訓練はここまでとします。皆さん、ご苦労でした」
「ご指導、ありがとうございましたッ」
「ふぃー。やぁーっと終わったぁ……」
その一つが毎日の基礎訓練が義務付けられていることである。
基本現場に直接赴き、有事の際は戦闘による鎮圧を許可されているという特性上、もしもの時に備えておくのは当然のこと。
さらにどの階級であろうとも訓練は必須かつ強制。
そういった意味では特権課は他の部署とは大きく異なる特殊な部署だ。
陰口を叩く輩は大抵署内という安全圏から命令を下すような人間ばかりだというのは理解っている。
よって椅子にふんぞり返っているだけでなく、腹が出っ張っている者がついて行ける所ではないのだ。
「それでは昼休憩です。午後の業務には決して遅れないようお願いします。では」
つい悪態をつくような考えをしてしまったが、この特権課を取り仕切る責任者はこの私、
好きな物はコーヒー。嫌いな物は特に無し。強い挙げるならば面倒な仕事を増やす輩といったところか。
「警部っ、お昼食べに行きましょっ!」
「犬居巡査、あなたはもう少し人との距離感を考えてください。私は仮にも上司ですよ。それに汗も拭かずにくっつくのは距離感以前の問題です」
訓練業務では部下二名の訓練指導を行っている。
その内の一人がこうして訓練の終了直後にも関わらずベタベタとくっついて来る女性だ。
彼女の名は
「良いじゃないですか~。シャワーも一緒に浴びましょう! お背中流しますよぉ~?」
「結構です」
「あ~ん、警部ってば冷淡~! でもそういう所もカッコいい……」
少なからず私に対する憧れがあるようで、隙あらばボディタッチでのコミュニケーションを図ろうとする困った婦警である。
彼女のことを嫌っているわけではないにしろ、いつまでも学生気分が抜けないでいるのは正直どうにかしてほしいところだ。
「犬居さん、警部の言う通りです。迷惑になるようなことをするのは良くありませんよ」
「ちぇー。相変わらず真面目ですこと。冗談を真に受けるから彼女出来ないんだよ」
「ぐっ……、今彼女云々は関係無いでしょう……!」
ここで犬居巡査を宥めに入ったのは特権課のもう一人の構成員。
その生真面目さ故に犬居巡査から揶揄いの対象になっている。
犬猿の仲という程ではないが、こちらもこちらでもう少し仲良くしてもらいたいものだ。
……と、いつの間にか考えに耽ってしまったが、私を含めたこの三名が現在の特権課が保有する戦力となる。
流石に光の聖癖剣協会や他の関連組織と比較するとかなり少人数だが、一つの組織が保有する戦力としては十分だ。
何しろ警察官という職に就く者たちで構成されているだけに、身体的優位性は勿論のこと警察としての特権の行使などが可能な点など、他の組織では決して真似出来ない独自性を有している。
そんな特権課のリーダーであることを誇りに思う。
犬居巡査と乙骨巡査の両名も私にとっては自慢の部下だ。彼ら無しに特権課は成立しない、そう言える。
「あ。警部ぅ、何ニヤニヤしてるんですかぁ? もしかして一緒にご飯食べに行ってくれる気になりました?」
「……! べ、別ににやけてなど……」
「警部はたまにほくそ笑みますからね。貴重な笑顔、僕も拝ませていただきました。眼福です」
……どうやら少し考えに耽り過ぎたようだ。無意識に口角が上がってしまっていたらしい。
というよりもこの二人、普段はそこまで仲が良いというわけでもないのに私が話に絡むと途端に息が合うのはどういう理屈だ。
ただでさえ厄介なのにこうして隙を見せてしまうのはより面倒なことになる。おまけに上司としての威厳も保てない。
本当に癖の強い部下たちだ。でも、そんな彼らだからこそやって行けるんだろう。
「いつまでもくだらないことを言っていないでさっさとシャワーを済ませなさい。遅れたら明日の訓練は倍にしますからね」
「うへぇ、それは嫌だなぁ」
「僕は一足先に失礼しまーす……」
無駄に息の合う厄介な部下二人にペナルティちらつかせつつ、そそくさと訓練場から追い出して私もその後を追う。
もっとも本当に遅れたら言葉通りのことを実行するつもりだが、仮にも警察官である以上遅刻はしないはず。心配は不要だ。
男子寮の風呂を利用する乙骨巡査とは途中で別れ、私と犬居巡査は女子寮の風呂場へ向かう。
汗を流し、昼食などの諸々の準備を済ますと休憩時間はすぐに終了する。
「さて……それでは午後の業務に戻りましょうか」
「はい! 警部から香るフローラルな匂いで元気1000%です! 汗の匂いでも私は一向に構わないですけど!」
「同性でもセクシャルハラスメントは成立することを覚えておくと今後役立ちますよ」
そう遠くない内に犯罪を犯してしまいそうな部下に呆れつつも特権課の部屋へと戻る。
非公開部署であるが故に専用のオフィスは地下に存在している。
そこへ戻るとすでに乙骨巡査は戻っていたようだ。明日の訓練はいつも通りになるらしい。
他の事務職員も全員揃ったことを確認し、午後も気張って行こう……と思った時のこと。
ジリリリリ、と内線電話が突如として鳴り出した。
「──ッ!?」
「な、内線? もしかして……」
この音を耳にした瞬間、私の頭は一瞬で仕事脳へと切り替わる。他の二人も同様だ。
特権課への内線連絡。これが何を意味するのかというと、通常の捜査では解決不可能と判断された事件と遭遇したということになる。
躊躇う理由は無い。すぐに受話器を取り、連絡者の話を聞く。
「はい、こちら特権課」
『廻警部ですか。あなた方の出番が来ましたよ。すぐに出動を願います。場所は──』
「……了解しました。では直ちに確認へ向かいます」
受話器を通じた相手によれば本当に特権課の出番が来たようだ。
現場や諸々の情報を聞いて通話を終えると、まずは部下たちに状況を簡単に説明する。
「隣の県で聖癖剣が関わっている可能性のある事件が発生。詳しい話はまた移動中にするので、まずは出動の準備に取りかかってください」
「了解です。しかし先月の件といい最近多い気がしますよね。何か起きてるんでしょうか?」
「ほんとねー。今度協会の人に会ったら聞き込みでもしてみようか」
「つべこべ言わずにさっさとする! 遅れたら許しませんよ」
説明を終えると、くっちゃべる犬居巡査を急かしつつそれぞれが出撃準備を開始。
特権課専用の
そして最後に──聖癖剣。聖癖剣協会から提供された専用の鞘にそれぞれの得物を仕舞い込む。
特権課の戦闘班は全員が聖癖剣士。故にこれだけは決して忘れられない代物。
そもそも剣がなければ特権課は存在を許されていない。非常に重要な物なのだ。
各々の準備が整ったところで最終確認。私はオフィス内にて今回の出動に参加する者たちの点呼を取る。
「全員倣え! 特殊権能現象処理課戦闘捜査班、点呼!」
「特権課“嗅覚の聖癖剣士”犬居薫!」
「同じく“連骨の聖癖剣士”乙骨恋太郎!」
怒鳴り声のような点呼に二人の巡査は警察官らしく敬礼をし、威勢良く身分を証明する。
そして取りを飾るのは私の役目。二人と同じように身分を自らの言葉で明かす。
「“裁断の聖癖剣士”廻裁綺──以上三名。これより現場へ急行し、状況の確認作業に向かいます。犯人と遭遇する可能性がある以上、決して油断しないように。では出動します」
「はい!」
「はいッ」
最後にそう締め、私たちは警察車両に乗り込む。
けたたましいサイレンの音を鳴らし、電話で伝えられた場所へ急行する間、部下には今回の事件の内容について説明をしておく。
「事件現場はドレスショップ『ハルマウェディング』。犯人は女性と思われ、午前十時の開店と同時に犯人は店内に入り、ウェディングドレスを要求。対応した店員に対し刃物のような凶器を突き付けて脅迫し、ドレスを数点奪った後に建物を破壊し逃走。通報を受けた当初は強盗傷害事件と見て捜査をしていたようですが、不可解な点をいくつか見つけたことにより特権課に協力を要請した、という内容です」
「……え、ドレス? お金じゃなくてですか?」
「えぇ……」
タブレットに送られたメールで事件の詳細を伝えると、部下二人は予想通りの反応をする。
そうなるのも当然だろう。今回の事件はあまりにも奇怪と言わざるを得ない。
何故に犯人は金銭ではなくウェディングドレスを要求したのか。どのような目的を持ってそれを望んだのか。全く以て意味不明である。
「ドレスかぁ、何でそんな物を狙って……。着てみたかったとか?」
「もしや転売目的でしょうか? 盗品の売買も増えてますしね」
皆目見当がつかないといった様子。それぞれが推測を始めていく。
犯人が女性であることを察するにドレスに何かしら興味や関心を持っていることは確実。
ではそれを犯行に至らしめるまでにする動機とは何か。ここが一番不明瞭な部分だろう。
乙骨巡査が言う転売目的だとしても犯人が持ち去ったのは数点。これを凶器を所持している状態となると、一度に持てるドレスは精々二~三着が限度だ。
さらにウェディングドレス一着の平均価格帯は三十万前後となっているため、売れてもたった三着では百万を超えることはない。
仮に盗んだのが高額な物だとしても、逃走時に付いた傷や泥などでその価値は確実に落ちる。よってドレスの強盗は狙うだけ損な獲物だと言える。
「ちなみに犯人についてどこまで分かってます?」
「当時現場にいた従業員曰く、犯人の女性は以前にも来店しており、その時とは様子が少しばかり変だったと証言しているそうです」
「……それってつまり、自分のドレスを取りに来たってことですかね? だとしても犯罪行為をする理由がますます分かりませんが」
話は動機から犯人像へと移る。現状得られている情報によると犯人は店の元利用者とのことだが、それだと尚更おかしいことになる。
犬居巡査の言うようにただ取りに来ただけなら犯罪を犯してまでドレスを奪う理由にはならない。
何か他に理由があるのか……。今のところ動機も人物像も不明のままだ。
「恋太郎は何か分かる? こういうのよく調べてるでしょ、架空の恋人相手に」
「一言二言余計ですよ……。まぁ、以前来たことがあるということは婚約の予定があったと見るべきでしょう。ここから考えられる動機として婚約解消などによって精神にダメージを負った結果、自分が選んだドレスが他の誰かに着られることを嫌がってドレスを奪ったというサイコパス的思考による犯行の可能性が無きにしも非ず、ですかね」
「うわ陰鬱~。そんな予想よくパッと思いつけるね。何かそういう本とか読んでんの?」
「犬居巡査、職務に関係の無い話は控えてください」
口の悪さが目立つ犬居巡査に軽く注意をしつつ、乙骨巡査の意見を私なりに解釈してみる。
犯行動機が稚拙な内容であることはそう珍しいことではない。思い込みや勘違いなどが原因となって凄惨な事件に発展することも度々起きる。
取りあえず現状で判明していることは、利益を得るためではなく個人的な理由による犯行の可能性があるということか。
「憶測を立てるのはひとまず置いておくとして、詳しいことは現場を見てから判断することにしましょう。到着まで幾分か時間があるとはいえ、気を緩めないように」
「はい!」
「了解です」
考えは一旦保留に留めておくことにしつつ、車を走らせること数時間。特権課は県境を跨いで事件現場へと到着。
下車して早々特権課の面々は事件現場の前に立つ今回の要請者と合流する。
「初めまして。我々は本件に例の物による可能性があると判断されたために警視庁から派遣されました特権課です。私は責任者の廻裁綺、こちらは部下の犬居巡査と乙骨巡査です」
「お待ちしておりました。私は埼玉県警刑事部捜査第一課の妻夫木と申します。早速ですが、どうぞこちらへ」
私たちを出迎えてくれたのは些かふっくらとした体格をした刑事課の妻夫木警部。今回の要請者だ。
妻夫木警部へ警察手帳を見せて身分を証明する中、横目でちらちらと私たちを見てくる警官たちの姿が視界に映る。
きっと彼らは私たち特権課を見るのは初めてに違いない。いきなり警視庁から聞き慣れぬ部署の人間が来たのだから当然の反応だ。
無論その程度のことは慣れているから問題は無い。自己紹介もそこそこに内部へと案内される。
規制線とブルーシートが張られた入り口を通ると、内部には悲惨な光景が広がっていた。その悲劇的な現場に思わず眉が
「こちらが今回の事件現場です」
「これは……」
視界に飛び込んで来た光景。それは砕け散ったガラスに破壊されたハンガーやトルソー、それらを着飾らせていたであろうドレスは床に散乱しており、服飾関係の職に就く者が見ればまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
内部に広がる惨状はまさに強盗被害に遭ったと証明するには十分過ぎる状況。いや、むしろ想像を上回ったと言える。
「うっわぁ、こりゃ酷い。何もかもぐちゃぐちゃだ」
「この被害をたった一人の女性がやったんですか? まるで信じられないな……」
私ですら吃驚を隠せないほどなのだから、他の二人も同様の反応をするのも道理。
一見すると複数犯による犯行と思うだろう。だが、実際にはたった一人の女性による仕業だと言うのだから驚きである。
「……とにかくまずは話を聞きましょう。では妻夫木警部、メールに記載していない非公開情報について教えていただけますでしょうか」
「分かりました。今、それの用意をしますので少々お待ちを」
この惨状を作り上げた犯人は一体どのような人物なのかも気になるところではあるが、先ずは情報を聞き出すのが先決。
早速私は妻夫木警部にある情報を要求する。
それは移動中に特権課の面々と共有したメールには載っていない隠された情報のことだ。
現場の状況が記載されたメールは歴とした公文書だ。にも関わらず『不可解な点がいくつか見つかった』などという曖昧な表現を使うのは相応しくない。
この文章が使われたということは、それ即ち聖癖剣による超常現象の発生を意味している。
協会が聖癖剣の存在を世間に隠すのと同じく、警察もその存在は秘匿する情報として扱われている。
それは何も外部に限った話ではない。我々警察組織そのものにも情報を規制する義務があるのだ。
その一環として聖癖剣の情報を知る警察官には『聖癖剣』などの関連ワードの使用を禁じられている。
具体的には特権課のオフィスと専用車両内。そして聖癖剣協会の息が掛かっている施設などが発言可能な場所としている。
それ以外は署内のどこであっても発言は許されていない。例えトイレや寮内であってもだ。
可能な限り世間へ存在を隠すのが特権課の任務。情報の漏洩を防ぐための措置である。
それ故に公文書であっても聖癖剣が絡む内容であれば曖昧な文章にせざるを得ないのだ。
「お待たせしました。では特権課の皆様はこちらへ。今回の件、あなた方の目で判断していただきたい。これが例の物による犯行なのかを……」
妻夫木警部が用意を進める間に色々と復唱してしまったが、どうやら準備が整った模様。
一度現場から離れた警部が戻ってくると、その傍らには鑑識官が一人、物々しいケースを携えて同行してきた。
例の物……という隠語を使うのだから、相当不可解な何かが現場に残されていたんだろう。
果たしてそれは我々が対処するべき物なのか、しっかりと見定めさせてもらう。
「こちらが犯人が逃走した後、現場にいくつも落ちていた物体です」
「これは……花弁?」
厳重なケースを開け、中に仕舞われていた証拠品袋をトングのような物で摘まみ上げる鑑識官。
その中に入っている物……それは花弁の形状をした複数の青い物体だった。
一見しただけでは何の変哲も無いただの植物片でしかない。それこそ場所が場所であるだけにブーケに使われている造花の一部なのではないかと思うほど。
この時点ではこれと聖癖剣が関係してるとは考えにくい。
そもそもこれ自体の何がおかしいのだと言うのか。そこも知らなくては。
「うーん、もう少しよく見せてもらってもいいでしょうか? ええっと、失礼しま──」
提示された証拠品だが、どうにもそれほど怪しい物だと思っていない乙骨巡査。
さらに近くで見るために証拠品袋に手を伸ばしたその瞬間──
「触るなッ!!」
「えっ!?」
「な……!?」
不意に現場へ鳴り響く妻夫木警部の怒声。
それの矛先は明らかに乙骨巡査に向けられているものだった。
「ど、どうされました……?」
「それに触っては駄目だ。それに触れると……死ぬぞ!」
思わぬ出来事の発生で現場内にいる検察や鑑識などの目線が集まる中、怒鳴り散らした妻夫木警部は一度冷静さを取りもどす。
「……突然怒鳴ってしまい申し訳ない。実は私も理解しきれてはおらなんだで……」
「今の内容、どういうことか詳しく聞かせてもらってもいいでしょうか?」
謝罪はともかく今の内容……触れば死ぬとはどういうことだ?
まさかそれが今回の件に深く関わっていることなのだろうか。それに、何故触れれば死ぬと分かって──
「この花弁は触れた人間の生命活動を停止させる異常性を持っていることが判明しているのです。おまけに薄手の手袋程度では意味も成さず……それに気付かず私の部下と鑑識、さらにこの店の従業員の併せて十数名が……」
「……! そ、そうでしたか。つかぬ事をお伺いしてしまい申し訳ありません。ご冥福をお祈りします」
嫌な予感は即座に的中。妻夫木警部が暗い表情を俯かせたことで花弁に触れた被害者の末路を悟らせる。
そういえば被害者である店の従業員を見かけていない。説明から察するに全員病院へ搬送され、死亡が確認されたのだろう。
今回の件、間違いなく聖癖剣が関わっていると見ていいらしい。そのせいで無関係な人々の尊い命が失われたとあらば我々も黙ってはいられない。
強盗傷害から強盗殺人に容疑を切り替えて捜査をしなければならないようだ。
ウェディングドレスの強盗殺人犯……奴を決して許せない。聖癖剣悪用の罪は重いことをその身を以て知らしめなければ。
「……分かりました。今の確認作業で例の物との関連性は確実と判断致しました。よって現時刻を以て我々特権課は本件の捜査に全面的な協力を致します。総力を挙げて犯人逮捕に尽力しますので、よろしくお願い致します」
「ありがとうございます廻警部。部下の無念、晴らさせてやってください」
そして、特権課は新たな超常事件に途中参戦することを決定した。
この一件に仮の名称を付けるなら……『ハルマウェディング権能行使強盗殺人事件』と言ったところ。
剣を使った殺人事件なんていつ以来のことか。
まずここ数年でそれに連なる系統の事件は無い。私が警部に昇進する前まで遡るだろう。
今回のヤマは間違いなく相当な事態に発展すると思われる。そうなってしまうのを防ぐのも特権課の役割だ。
「では一度本部へと帰還し、諸々の準備を整えてから明日再びここへ戻ります。妻夫木警部は特権課の権限として地域の情報統制や店舗への説明などをお願いします」
「分かりました。署に連絡をし、手配するよう伝えておきます」
これからするべきことを決めると、妻夫木警部に頼んで今後の捜査の拠点となるオフィスを借りてもらうよう指示。
特権課が行使出来る権限はこういう時に真価を発揮する。多少無理な内容でも国家権力の前には従うしかないからだ。
そういうわけで間一髪即死を免れ顔面蒼白になる乙骨巡査とその様子を見て不謹慎にも笑う犬居巡査を連れ、一度警視庁へと帰還。
本部に戻ると本件の情報を特権課全体に共有する会議を開く。
明日から本格的な捜査に乗り出すことを説明し、準備を急がせる指示をした。
例の触れれば即死の花弁も証拠品として押収し、鑑識に回すよう手配しておいた。
これで何が分かればいいのだが……期待はしないでおく。そして、会議は本題へ移る。
「本件は特権課だけでの解決は難しいかもしれません。よって、外部組織への協力を要請することにします」
「というと……光の聖癖剣協会と協力するってことですか?」
全体会議で提唱した私の案に乙骨巡査は反応する。
脅威的な権能を持つとされる聖癖剣の出現。今回使われた剣は非常に凶悪な能力を持つと推測される。
あの花弁の特性を鑑みるに権能の内容は『死』かそれに準ずる物であることは確定的だからだ。
本来ならば今すぐにでも行動しなければならない事態なのであるが、今は無理にでも落ち着かなければならない。
何しろこれほどまでに異常な性質を宿した剣を相手にするのは私も未経験なのだから。
「死の聖癖剣……そんな物が日本にあるとは思いもしませんでした。仮に目標の権能が我々が想像する通りであれば、悔しいですが今の特権課の戦力では対処の仕様が無いためです」
「死……。そ、そうですよね。あの花弁に触ったら即死らしいですからね。その案は私も賛成です」
妻夫木警部には申し訳ないが、流石に今回ばかりは我々の手に余る案件である。
残念ながら特権課には死という権能に対抗する力を保有していない。全くの無力だからだ。
その状態で立ち向かうだけではいたずらに被害を増やすだけになることは明白。ただぶつかるだけでは何一つとして解決しない。
だからこそ──今の私たちに残された選択肢は外部組織との共同捜査という手段のみ。
他の聖癖剣を扱う組織へ協力を要請し、早期の解決を狙う。それしか無いのだ。
「相手は死の権能と推測可能な以上、こちらの情報を公開することで何らかの情報を得られるはずです。少なくとも犠牲者をこれ以上増やさないためには協力を仰ぐ他に方法はありません」
「協力を得られる組織の中で一番剣の知識に長けた組織は協会だけですからね。僕も賛成です」
外部組織への協力要請の案は満場一致の意見となった。二人の巡査も非戦闘職員も同意の意を示す。
しかし不安は拭えない。いくら協力的な組織であるとはいえ、死の概念を宿す剣を前にしてはどのような反応をするのだろうか。
彼らの存在無くして特権課は成立しない。断られたが最後、文字通り死を覚悟して捜査に取り組まなければならない。
もし仮にそうなってしまったのならば、その時はその時だ。私の命と引き換えに部下たちを守らねばなるまい。
ここまで恐怖を感じるヤマは本当にいつ以来のことだろうか。
感じて久しい感情に内心冷や汗をかきつつ、私は特権課の責任者としての体を保つ。
「協会への連絡は私が行います。各自は明日の準備を整えておいてください。会議は以上です」
最後にそう伝えて会議は終わる。
一人部屋に残された私は協力を要請するために光の聖癖剣協会へと電話を入れた。
そして──我々は思い知ることとなる。
このヤマは私が予想した通り……いや、予想を上回るレベルで複数の組織をも巻き込む深刻な被害をもたらす最悪の事件となるのを。
†
「ふわあぁ……。あら、もしかして到着した……?」
不意に目が覚めると、あくびが一つ出てしまう。
いつの間にか眠っていたみたい。寝ぼけ眼をこすって窓をぼんやりと眺める。
青い空間……ということはまだ空の上。到着はしてないみたいね。
そんなざっくりとした考えを浮かべていると、隣の席から声がかかる。
「起きたか。でも生憎まだ飛行機の中だ。もっとも、あと一時間も経たない内に着くが」
「おはよう、ゾーシャ。あなたは眠らなかったの?」
「ヴィーナほどはな。でも私にとっては十分量だ」
タブレットPCで電子書籍を読む黒髪のハンサムショートの女性。ゾーシャという愛称で呼んだ彼女は私の友人にして同僚。
彼女によると空の旅は終わりが近付いてきているみたい。私と違いゾーシャは飛行機に慣れてないからあんまり眠れなかったみたいだけど。
窓から見える景色をよく見ると、確かに日本が見え始めている。あそこが今回の目的地なのね。
次の戦いの舞台を眺めながら、今日まで何度も考えたこの国へ迫る大きな脅威について考える。
「今になって不安になるのも今更だけど、私たちはこれからあの剣の対処に行くのよね……」
ぼそりと口から漏れ出したのは不安を表す言葉。
いけないわ。これは剣士にあるまじき失言……だけれど、こんなネガティブワードが出てしまうのも仕方の無いことなの。
私たちは目標物の回収任務を受け、遠征という形でロシアのモスクワ支部から日本へ派遣された。
その目標物というのは聖癖剣のこと。ただし、これは通常の聖癖剣という枠に収まる代物ではないの。
協会が所有する剣の中で最も危険視されてる物の一つであり、その曰くに違わず、前回の回収時には多数の死者を出したと言われている。
そんな代物が今の時代になって再び目を覚ました。これを不安に思わないわけがない。
だってそうでしょう? 誰だって死にたくはないのは当然のこと。
私は──もう昔のように死を望む人間ではなくなったのだから。
「ヴィーナ」
様々な考えに耽っていると、肘掛けの上で震える拳にゾーシャの手がかかる。
その行動に驚いて思わず隣を見ると、彼女の視線はタブレットから逸れ、私へと向けられていた。
「大丈夫。ヴィーナは死なない、死なせない。あなたはもう一人じゃない。だからそんな顔しないで」
「ゾーシャ……」
青い瞳が真っ直ぐに捉えるのは不安に染まる私の優れない表情。それを和らげるように優しい声色で宥めてくれる。
いつも私が不安になると、ゾーシャはこうやって手を繋いでくれる。この優しさに今までどれだけ救われてきたことか。
……そうね、彼女の言う通り私一人で戦うわけじゃない。
私にはゾーシャがいる。それに日本支部の剣士たちもこの任務の手伝いをすることにもなっている。
一人なんかじゃない……か。私としたことがこんな些細なことで昔みたに落ち込むところだった。
もう二度と挫けたりしないって決めたはずなのに……これじゃあゾーシャ本人にも失礼よね。
辛く悲しい現実を前に打ちひしがれていた頃の私を救ってくれた親友のためにも、これ以上の悲観は許されないわ。
「ありがとう、ゾーシャ。そうね、前回だってどうにかなったもの。私だって上手く出来るはずよね」
「ああ、必ず上手くいく。私はいつだってヴィーナのことを信じている。だから大丈夫だ」
私は震えの止まった拳の向きを変えて、重ねられるゾーシャの手に指を絡み合わせた。
ちょっぴり大胆なことをしても反発されることなく絡み合う手を強く握り返してくれる。
こんな弱虫で面倒くさい私のことを信じて着いて来てくれる彼女を裏切れない。
一人の聖癖剣士として、何より十聖剣の使い手の名に恥じない行動をしないと。
「日本と言えば閃理の今の派遣先だったか。あいつは今どうしてるんだろうな」
途中で思い出したかのようにゾーシャがある人の存在を思い出す。
勿論私だって忘れてないわ。かつては同じ支部に在籍して一緒に仕事をした仲だもの。
むしろ彼の存在を忘れる方が難しい話よね。
「閃理くんねぇ。最後に会話をしたのはいつだったかしら。久しぶりに会えるって思うと何だか今から緊張しちゃうわ」
「マスター直属になってからは会ってないからな。あいつがいれば今回の件もあっさりと解決するんじゃないかと思ってしまう。実際、そうなる可能性はありそうだからな」
さっきまで不安に押し潰されそうになっていたことなどつゆ知らず、私たちの会話は久しく会っていない友達について変わっていく。
これから向かう日本には“光の聖癖剣士”という全幅の信頼を寄せる仲間が所属している。
彼の力があれば今回の件も簡単に解決へと導ける確信があるくらいに頼れる剣士ね。
勿論同じ十聖剣の使い手としてのプライドにかけて彼の力には頼り切らないようにするつもりよ。
私とゾーシャの力で目標物をきちんと回収してみせるわ。そうみんなと約束したんだもの。
「いよいよね。任務を完璧にこなして支部のみんなに良い報告が出来るようにしましょう」
「ああ。私たちならどんな相手でも勝てる。ロシア支部の実力、日本の奴らにも見せてやろう」
今度はお互いの拳を当て合い、健闘を祈り合う。
この危険と隣り合わせとなるであろう任務で何より優先されるのは全員が生きて帰ること。
以前までのことなら困難を極めるであろう任務だけど、私とヴィーナならそれが実現出来る。
アルヴィナ・ファリドヴナ・ポチョムキナ。またの名を“白闇の聖癖剣士”。
ゾーヤ・レナートヴナ・モギーリナヤ。またの名を“幽魂の聖癖剣士”。
私たちの異名が表す権能は、例の剣に対する強力なカウンターとして機能する。
だからこそ選ばれた。次となる戦いでは犠牲を出させないために。
そして、私たちを乗せたプライベートジェットは日本の空港に到着。
まずは日本の支部に行って様々な手続きをしないといけないわ。早速向かいましょう。
「きゃあっ!? な、何この気温!? 日本暑すぎじゃない!?」
「うわっ……話に聞いてた以上にヤバいな。戦うどころか支部に着く前に熱中症で倒れるんじゃないのか? これ……」
でもジェット機から降りた瞬間、肌を炙るような猛烈な暑さが北国生まれの人間を襲う。
容赦なく降り注ぐ日射し、じめっとした湿度、照り返すコンクリート……なんて場所なの!?
話には聞いてはいてもここまでとは予想出来るわけないじゃない!
これには私とゾーシャはお手上げ。今から支部に行かなきゃならないのに、初手からこんな凶悪極まりない天候の下で移動しなきゃいけないなんて!
一筋縄でいく任務じゃないとは覚悟して受けたけれど、それってまさかこういう意味も含まれたのかしら……?
ああ、
「これは早急に支部へ行く必要がありそうね……」
「暑……。もっと薄着で来れば良かった……」
ごめんなさい、正直に言うと日本という土地を軽視していたわ。
この戦い、もしかしたら別ベクトルでも危険極まりないのかもしれない。今、身体で実感したわ……。
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