第百二十二癖『禁忌たる剣、死と幸せを纏いて』
『焔衣、唐突ですまないが今すぐ拠点に戻って来てくれ! それとメイディさんにすぐ支部へ送るようにも伝えて欲しい』
「えっ、急にどうしたの?」
『説明は後でする。とにかく頼んだぞ』
閃理から緊急の連絡を受け、買い物を途中で切り上げると、何が起きたかの説明もされないまま支部へと戻ることになった。
前回から一ヶ月ぶりとなる日本支部への帰還。最近何かと頻繁に戻ってきてるような気がするけどきっと気のせいだろう。
それにしても一体何が起きたと言うのか。
閃理の様子を察するに相当なことが起きているようだけど、メルもよく分かっていないみたいだし支部に着かない限りは分からなさそうだ。
そして空間跳躍の権能で一瞬でたどり着くと、俺たちは支部内へと急いで入る。
「第一班ただいま戻りました!」
「ご苦労様です。第一班はこちらへ」
集合場所は閃理が事前に聞いていたようで、到着早々俺たちは指定されていた会議室の中へと入室。
そこにはすでに支部長を含めた剣士が全員揃って待っているようだった。まだ支部を出ていなかったのか第三班の姿もある。
けれどそれもまだ完全では無さそうだ。軽く見渡してから閃理がその違和感について口を開ける。
「……来てないのは二班だけか」
「では私が二班のお迎えにあがります。どなたか二班の現在地を知る方はおりませんか?」
ここに二班の面々がいないことに気付くのはそう時間はかからない。
事態の深刻さを察してかメイディさんが直接連れてくることになった。
早速向こうと連絡を取り、落ち合う場所を決めるとすぐにメイディさんが行く。そこから僅か数分後。
「第二班到着しました! 遅れてしまい申し訳ありません!」
バタバタと駆け足で会議室に入ってきたのは当然の如く第二班の面々だ。流石は始まりの聖癖剣士、いとも簡単にやってくれるぜ。
舞々子さんは自分らの班が最後であることの謝罪を口にしているけど、緊急招集のメールが届いたのは今日のこと。
だから時間的に見ればむしろ全員が早すぎるくらいなんだよな。指摘はあえて控えておくけど。
何はともあれこれで日本支部所属の剣士総勢十八名+メイディさんの全員が揃ったな。
じゃあ早速緊急招集の理由について支部長から直々にお話をお伺いしようか。
「行動部隊も全班到着したので、今回のことについてご説明をします。とても重大な内容ですので聞き流したりしないようお願い致します」
前置きはほどほどに本題へ。この時点ですでに異様というか、一切の余裕も無い緊急事態なんだってことはよく分かる。
ここにいる全員が詳細を知っているであろう者も含めて息を飲む。一体どんな内容なんだ……?
「先日、ロシアのモスクワ支部に保管されている聖癖剣が新たな剣士を選定し、その人物の下へ向かったという報告を受けました」
「ロシア……?」
支部長の口から出た言葉。それはまさかの海外支部のことについてである。
しかし何故にロシア? いくら聖癖剣関連とはいえ日本から相当な距離がある大国の事情と何の関係があるのだろうか。
「疑問に思うのも理解出来ますが本件はその聖癖剣と深く関わっています。モスクワ支部から離れたその剣は現在、日本に来る可能性があると推測されているからです」
「えっ、日本に!?」
マジで!? 淡々と衝撃の内容を説明されたけど、この報せは流石に驚かざるを得ない。
遠い北にある国が所有している剣が国境を飛んで日本にやって来てるなんて誰が想像するか。
いや、一応地球の裏側まで行った前例があるらしいから、聖癖剣的には全く不思議なことではないけど。
「つまり今回の任務は、そのロシアから来た剣を探すってことですね!」
「概ねその解釈で正解です。……が、今回に限ってはそう簡単な話ではないのです」
ここで輝井が勇敢にも結論を出す。同時に俺もここまでの説明で大体の理由を察していた。
海外からやって来た剣を日本の支部が代わりに探して、それを送り届けるってのが今回の招集理由なんだろう。
もっともそれが緊急招集するレベルなのかと言われればうーんと首を捻らざるを得ないが。
でも国を跨いだ任務なんてそうそう滅多に無いであろう貴重な経験だ。
ここまでなら少しくらいワクワクしてもおかしい話ではない……が、所属剣士の予想内容に肯定はしつつも、支部長は意味深な言葉で話を続ける。
「今回日本に飛来するとされる聖癖剣は協会の歴史において禁忌の存在として恐れられてきた物になります」
「禁忌って……」
その不吉な言葉に一同がざわめいた。
聖癖剣協会そのものが禁忌とした剣って……それ、もしかしなくてもヤバいヤツなのでは?
概念を操る代物である以上、そういう扱いをせざるを得ないヤバい物があっても全然おかしい話ではないけど、実際にそんな物が存在する事実を知ってしまうのは嫌だな。
俺は一気に内心のワクワク感が冷めきってしまうのを覚えてしまう。所謂嫌な予感って奴か?
「ではこちらをご覧ください。目標の実物画像です」
そして支部長は持っていたリモコンを操作し、手前の机に設置されているプロジェクターを起動。
とある画像をスクリーンに投影し、全員をそれに注目させる。
映し出されたのは自らの剣柄を覆い隠してしまうほどに長い純白の布が鍔から垂れ下がった剣。
一見すると派手な装飾を施されたブーケから長い刃が生えたみたいな、これまた一風変わった特徴を持った聖癖剣である。
でも一番に驚いたのは刃を付けたブーケっぽい見た目のことではない。
隣には剣の角度を変えて撮った別の画像があり、それが驚きの形をしていたのだ。
「これが今回の目標? でもこれ、剣っていうかむしろ……」
「まるでウェディングドレスのようですね。何というか、その禁忌と言われるにしてはあまりにも綺麗というか、何と申しましょうか……」
そう、凍原が隣で言った通り、もう一枚の画像にはほぼウェディングドレスそのものと言っても過言ではないくらいにドレスの形状をした状態の剣が載せられていた。
持ち方を逆手に変えると布の部分が裏返り、隠れていたドレスの上半身部分を彷彿とさせるナックルガード部が露出することで形状が変わるってわけか。
しかし普通に面白い仕組みしてるな……。流石は聖癖剣、禁忌と呼ばれている物でも変わり物ばかりだ。
「この剣は【
「花……嫁?」
ギミックに関心していると、告げられるターゲットの銘に俺たち剣士は一瞬唖然としてしまう。
禁忌と呼ばれる物騒さに反して見た目はウェディングドレス、名前は『幸せ』と来たか。
このギャップ、聖癖剣あるあるだな。名前まで変わっているとはある意味とんでもない代物だ。
でも組織が名指しでヤバいと言うくらいなんだから相当な権能を持っていることに変わりはない。
一体それはどんな内容なのやら。ううむ、なんかそれを考えると途端に怖くなってきたぞ。
知ったら後戻り出来なくなりそうな感覚とでも言うべきか。
禁忌の聖癖剣という言葉が無意識に忌避感を感じさせているのかもな。
静まり返る室内。数秒の沈黙を経て、支部長は権能の詳細について説明を始める。
「禁忌とされる理由──それは、かつてこの剣を手にした者の手によって幾数百もの人々が犠牲となった記録が存在することに由来します。何故ならばその権能は『死』であるからです」
「死っ……!?」
支部長が重々しく告げた衝撃的な内容に、ここにいる全ての剣士の顔が引きつった。
今何て言ったんだ? 幾数百もの人々の犠牲って……もしかしてたった一人でその被害数を出したってことなのか?
だとすればそれって単に剣士自身の暴走だけでなく権能による影響……!?
その話を聞いただけでさっきまで考えていたことが全て吹き飛んでしまうほどの衝撃を受けたのはあえて言うまい。
もうすでに額からは冷や汗が滲み始めている。心臓が一気に縮こまるような感覚を覚えたのは初めての経験である。
死の権能──これが如何に危険な内容なのか、最早火を見るよりも明らか。
そんな権能が存在しているなんて思いもしなかった。そもそも考えたことすら無い。
「し、支部長、死って一体どういうことなんですか!? そんな権能があるなんて……」
耳を疑うような権能を宿しているだけに、にわかには信じられないという声が上げる。
いくら荒唐無稽な存在である聖癖剣といえど、死を権能として宿す特異性を聞いた朝鳥さんは困惑しきっている。
死は誰もが恐れる概念だ。これを前にして慄かない方がおかしいくらいだから、ある意味朝鳥さんの反応は正常そのものである。
「……驚くのも無理はありません。ですが残念なことに権能の内容は事実です。死に立ち向かわなければならない以上、前回同様多数の犠牲者が出るでしょう。被害者となるのが一般市民のみならず、我々剣士である可能性も十分にあることをお忘れなく」
無慈悲にも一切の否定が無い支部長の言葉に静まり返る剣士一同。
ああ、分かってる。支部で一番偉い人がここまで真面目に言うんだから、今回の任務の難易度は相当なレベルになるってことだ。
それこそ今言った様にこの中の誰かが死んでしまう可能性だってある以上、本気でヤバいんだっていうのが嫌ほど理解出来た。
こんなに綺麗な剣なのに禁忌とされるのも納得の内容である。
一連の話を聞かされた会議室の空気は過去一に重い。まだ始まってもないのにまるでお通夜だ。
「不安になるのも訳ないことですが、そう悲観しなくても結構です。今回は日本支部の剣士だけでは難しいと判断し、ロシアの支部から剣士を二名お呼びしています」
「ロシアから助太刀……?」
だが支部長の一声が空気を僅かに変える。
曰く今回の件を顧みてかロシアから相手に有利を取れる権能を持つ剣士を二人も呼んでいるらしい。
まさに吉報。さらにこの暗いムードを払拭するような重大な情報も入ってくる。
「応援に駆けつけてくれる一人は十聖剣の使い手で、前回の
「十聖剣使いがですか!?」
「それに前のを止めたって……それ、相当強いってことじゃない?」
なんと、向こうからやって来る剣士はあの十聖剣に選ばれた剣士なのだという。
つまり閃理や舞々子さんと同等の実力者ということだ。さらに使う剣も前回の暴走時の時にも使われている由緒ある剣とのこと。
死というどうしようも無い概念にも対抗出来る力があるのは流石聖癖剣。マジで何でもあるな。
だからと言って油断は出来ないけど、それでも心強いことこの上ないぜ!
「ロシアで十聖剣ってことは、もしかしてあの子かしら?」
「だろうな。となるともう一人も察しはつく」
ここで閃理と舞々子さんの十聖剣使い組が増援に来る人物の予想を立てているのが耳に入る。
やっぱり十聖剣という高位のランクにある聖癖剣を扱う者同士、知らないわけないか。
「閃理と舞々子さんは知ってるの?」
「俺とて特命剣士となる前はロシア支部に籍を置いていたんだ。向こうの剣士たちと全員顔なじみでもおかしい話ではないだろう?」
試しに訊いてみれば意外な事実が……って訳でもないな。
閃理はロシア人とのハーフな上に最初から日本支部で活動していたわけじゃないから、向こうの支部に在籍していた過去があってもおかしくはないよな。
んで、今の口ぶりから察するにこれから来る増援の人とは案の定顔見知りらしい。ついでに舞々子さんにも心当たりがある模様。
一体どんな人が来るのやら。せめて癖の強くない人であればいいんだが。
「増援に来る剣士たちは明日到着予定です。目標物の回収が完了するまでの間、支部で生活することとなっていますので、当然ですが同じ剣士とはいえ無礼な真似はしないように。良いですね?」
すると支部長から至極当たり前な注意事項が説明された。
うむ、確かに同じ組織の一員とはいえ遠い異国からわざわざ足を運んでくれたお客さんでもあるんだから、下手な真似はNGだよな。
特に日本支部には変人が多いわけだし、その人たちが暴走したら大変なことになりかねない。
国際問題に発展するのは勘弁ってことだな。そこはどの業界でも同じなんだろう。
俺も意図せず失礼なことを口走ってしまわないよう気をつけないと。
「最後に
続く説明によると目標は今も見つかっていないという背景もあり、俺たちは支部内で待機することになるようだ。
外出の制限があるのは痛いな。俺はともかく夏休み中の響たちには良くないことだろうし。
「今回の件は非常に危険な任務となるでしょう。一瞬の気の緩みが文字通り死に繋がりかねません。いくら増援の剣士たちが参加するとはいえ、決して油断しないようお願いします」
支部長は改めて今回の任務がとても危険なものであることを全ての剣士に伝えた。
対抗手段があるとはいえ下手すると取り返しのつかない事態を引き起こす力を相手にするんだから、この中の誰かがそうなってしまう可能性は十分にある。
正直怖いという気持ちはめちゃくちゃある。でもそんな恐怖心なんかに負けてはいられない。
こういうのはビビった方が負けるって相場は決まってるからな。
俺だけじゃなく他のみんなだってまだ死にたいとは誰も思ってないはずだろうし、応援の剣士も来るんだからきっとなんとかなるはずだ。
「以上で説明を終わります。先ほどの通り剣士の皆さんは別命あるまで待機、外出の際は申請を行うように。では本日はここまでとします。ご苦労様でした」
これを最後に支部長による緊急会議は終わる。
足早に会議室を出て行くのを見送ってから俺たちも部屋を後にした。
さて、これまた唐突に厄介な任務が発生してしまったな。
死を司る聖癖剣【
その法外な力を宿す権能を一体どこの誰に与えるというのか。そのような異常な力、誰にだって与えられても許されるはずがない。
そんな危なっかしい剣が一刻も早く見つかることを祈るばかり。
緊張と不安が綯い交ぜになったようなもどかしい日はしばらく続きそうだな。
†
「ふふ……素敵なドレス。青やピンクも良いけれど、やっぱり白よねぇ……」
私は今、自分の部屋の中である物の触り心地を堪能している。
以前ドレスの予約をしたお店で仕立てて貰ったウェディングドレス……それを抱きしめて懐かしさと高揚感に包まれていた。
このドレスは私の憧れ。これを着るためにあの時まで頑張ってきた。
一度はそれを剥奪されたけれど、またこうして触れる機会を得れたんだから文句は無いわ。
十分に匂いを堪能したのなら、今度は着替える番。
今の服を全て脱ぎ捨て、自前のブライダルインナーに着替え、ついにドレスを着る。
「ん、むむむ……。ちょっと手がきつい……」
けれどそもそもウェディングドレスは一人で着るには難しい。
不思議と身体が柔らかくなっている今に私でも届かない所はどうしても届かない……でも。
「……! あっ、誰……?」
あともうちょっと届かない背中の編み上げを不意に誰かに触られた気がした。
それに一瞬驚いて振り向くも誰もいない。でも背中には依然として何者かが触れている感触が……。
「もしかして……着替えを手伝ってくれているの?」
しかし気付く。この感触……前に一度経験がある。
以前試着した際にお店のスタッフがしてくれたような感覚に近い。いや、むしろそれそのもだ。
不意に目がいくのは例の物。適当な箱を台座代わりにして突き刺している純白のドレスを彷彿とさせる装飾の剣だ。
幽霊を信じてないわけじゃないけれど、この部屋で長年暮らしてる中で心霊現象が起きたことは無い。
だから、この剣が私がドレスを着るのを手伝ってくれているんだって分かる。
背中の違和感が消えると、きちんと編み上げ部分が整えられているのを確認。どうやら本当に手伝ってくれていたみたい。
何から何まで手伝ってくれて感謝しかない。この剣は私の幸せを願っているんだってことが伝わってくる。
「これが……私のドレス。ふふ、やっぱり良い。なんだか心の奥底から元気が湧いてくるわ」
着替えが終わると、あらかじめ用意しておいた全身鏡に写る自分の姿を見る。
私が選んだのはボディラインが強調されるマーメイドラインの白いウェディングドレス。
脇のお肉のはみ出しはない。二の腕だって気になるほど弛んでいない。ウエストも……きつくない。
うん、これを着るために毎日の運動を欠かさなかった努力は身を結んでいるみたい。我ながら努力をし続けてきた甲斐があったというものね。
ちょっとだけ嬉しいと思う反面、やっぱりお店からここまで持ってくる間に汚れが付いてしまったのは残念ポイントかな。もう少し丁寧に運べたら良かったのに。
「後で汚れは落とすとして……次はあの人の居場所を見つけなくちゃ。今はどこに──」
今後のプランを考え始めると、またも不意にドアを叩く音が鳴る。
この音が耳に届いた瞬間、私の脳裏にはある存在が一瞬だけ全てを覆い尽くしてしまう。
来たんだ……。また、あの人たちが。
幸せな気分が続いている今、それをどうしても阻害してしまう不必要な存在が。
「すいませェ~ん。吾妻さァん、いらっしゃいますかァ~?」
「貸したお金、きっちり返してもらわんと困るんですわ。そろそろ次の分、払っていただかないといけないんでぇ、お願いしますわぁ」
「…………」
やって来たのは……そう、取り立て屋。私が借りてしまった闇金から催促が来ている。
あの人から勧められたところから借りて、それで盛大に結婚式を上げたら一緒に返済していくって約束したのに……一体どこに行ったの?
せっかく幸せな気分が続くと思ってたのに、あいつらが来たせいで台無しだ。
私だって好きでお金を借りた訳じゃ無い。本当どうしてこんなことに……。
目の前の現実から逃げるようにその場でしゃがみ込んで耳を塞ぐ姿勢になる。
それでも来訪者の耳障りな催促はドア越しでも鼓膜を突く。
「居留守はいけませんよォ。帰って来てるの見てるんで。ちょっとだけお話するだけでも良いんで、開けてくださいよォ」
ああ、うるさい。人の帰りを待ち伏せだなんて犯罪じゃない。ストーカーよ。
本当に煩わしい。あいつらのせいで私がどれだけ追い詰められてきたか……もう我慢の限界だ。
人の幸せを害する奴は……幸せになる価値もない。
心のどこかでそんな感情が迸った。その瞬間、私は側に突き立てていた剣を取る。
やるしかない。その考えが今の私の思考を支配していた。思い浮かぶ考えに意見する人はどこにも存在しない。
いやむしろ──人では無い何かがそれを肯定している、そんな気さえする。
一人満場一致。そんな妄想を刹那に脳裏で繰り広げると、玄関に向かう。
「……どうぞ」
「お、ようやくですか。随分と待たせてくれましたね。それなりの金額は揃えたってわけで──……っ!?」
玄関の鍵を開け、私は取り立て屋を中に招き入れる。
ドアを開けば無遠慮に入ってくる男二人。だけど、目の前にある光景に閉口するのが見えた。
その反応も当然で、今の私はウェディングドレス姿。
これを見て異様と思われても否定しない。それくらいの理性は持ち合わせているつもりだ。
「ど、どどどドレス!? な、何やってんだあんた!?」
「もしかして来る時に持ってた奴ってそれか? んなモンどっから持ってきたんだ?」
予想通りの反応をする取り立て屋の二人。勿論彼らだって一度や二度会っただけの人たちじゃない。
普段の私の姿をそれなりに知ってる人たちだ。だからこそこの変化に戸惑っているんだろう。
「すみません。今の私にはお金はありません。今後も払えなさそうです」
「格好はともかくそう言われると困るぜ吾妻さん。連帯保証人のあんたが返済をしてもらわなきゃなんねぇんだからさ」
そう取り立て屋は言うけれど、現状の私は他からお金を借りることが出来ない。
すでにいくつかの金融から数十万もの金額を借りた上で返済出来ない状況にあり、さらにあの件をきっかけに仕事も辞めている。
今日まで生きてきたのも隠していたなけなしの貯金を生活費に当て続けてきたからだ。
だからあの時、かつて働いていた会社のビルから飛び降りて死のうとしていたのである。
もっとも、この剣のお陰で今はもう同じ事をするつもりは毛頭ないけれど。
「無理なものは……無理です。今の私に返せる力はありませんから」
「だったら前に言った通りだ。返せないんだったら風俗で働いてもらう。それが一番手っ取り早い方ほ──」
それ以上の言葉は言わせない。聞きたくもない!
その瞬間、私は手に持つ剣を前に真っ直ぐ突き出していた。
真っ直ぐ伸びる刃は二人の間へ一直線に飛び、閉じられたドアに向かって勢いよく突き刺さる。
放った私自身が意外に思うほどに勢いが乗った一突きだった。
「ひっ、ひいいぇぇぇッ!? な、何持ってんだてめェ!?」
「て、てめぇ……!」
あまりの勢いに気押されたのか、取り立て屋の一人はその場で怯えながら崩れ落ちた。突拍子もない行動は流石に予想外だったみたい。
いや、そもそも私が持っている物が剣だということ自体気付かなかったのかもしれない。
もう一人は姿勢こそ不動のままだけど、表情にあからさまな危機感を感じているのが窺える。
この時、私の中からは何か黒い感情がふつふつと沸き起こっているのを感じていた。
これは……そう、剣を手に取る前まで感じていた不幸の苦しみ。二度と味わいたくないあの感覚だった。
「私は……もう限界なんです。借りたくもないのに借りらされて、背負いたくない借金を背負わされて……。私はただ、幸せになりたかっただけなのに……」
「お、落ち着け吾妻さん! 分かった、俺も好きでこんなことしてるわけじゃねぇのは一緒だ。あんただってそれなりに不幸な目に遭ったことは知ってる。今日はこの辺にしとくから、一旦落ち着け! な!?」
ドアに突き刺さる剣を引き抜き、今度はゆっくりと棒立ちする取り立て屋の首筋へ刃を移動。
これには流石に身の危険を直に感じ取ったようで、先ほどまでの高圧的な態度から一変。この場を何とか鎮めようとし始める。
……でもそれは無理。どうせここで逃がしたところでまたやって来る。
この人じゃなく、別の新しい取り立て屋の人が私を脅迫しに来ることも。それくらい分かる。
だから──ここでそれを終わらせるの。
私はまず解放という幸せを掴み取るんだ。今、この場で!
「
まさにその言葉がトリガーとなった。
取り立て屋の首筋に迫る刃……の付け根。ブーケのような花束を模した鍔から、無数の青い花弁が部屋中に放出される。
それは正しく花吹雪。風も無いのに強風で飛ばされたような挙動で取り立て屋の二人に襲いかかった。
「ぐおおおおおッ!? な、なんだ、これはッ!?」
「ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいッ! し、死ぬ! 死ぬ、コレェッ!」
勢いは止まることを知らない。狭い部屋を覆い尽くすほどに無限生成される花弁の波は、二人の目や口、鼻などを完全に塞ぎ尽くそうとする。
徐々に叫ぶことすら出来なくなるのを、私はただ構えを解かず、俯きながら待つ。
私の幸せを邪魔する奴らに容赦はしない。そう誓ったばかりだから。
「ヒッ、ヒイェ! た、助け……っ」
「ぐがッ。く、くそォッ!?」
ついに二人は花弁の勢いに耐えかねて部屋から出て行ってしまう。
ドアを勢いよく開けて出て行ったことで当然花弁は私が住むマンションの廊下へと飛び出していく。
しかし、それでも勢いは弱まるどころか増す一方。
花弁の群れはそれぞれ二手に逃げ分かれた取り立て屋を追ってピンポイントに纏わり付いている。
巣を突かれて怒る蜂の如く、まるで生きているかのような挙動で取り立て屋を襲い続けていき──その瞬間はいきなり訪れる。
「がッ……」
「うっ……」
花弁に纏わり付かれながら逃げること僅か数秒後。
どちらもマンションの階段にたどり着く前に突然意図の切れた人形のように倒れた。
その瞬間に花弁は霧散。剣の力で作り出したそれらはほんの僅かの量を残して消え去ってしまう。
「……ぶはっ! はぁ、はぁ……ぐっ、げほっ」
これで……終わり。ふと思い出したかのように呼吸を再開させると、私は激しくむせかえった。
剣の力に集中している間は無意識に息を止めていたからだ。
開きっぱなしになっている部屋の扉を急いで閉め、鍵とチェーンを付け直して扉にもたれ掛かりながら荒い息を続ける。
「はぁ、はぁ……。ふぅ、これで、きっとこれでいいはず。私の気分を害した罰だ。ざまぁみろっての」
身体中に酸素を行き渡らせてから、独りでに呟いたしてやったりの言葉。
あの取り立て屋はもう二度とここに来ることは出来なくなったはず。
自業自得──そんな言葉が脳裏に浮かぶ。私に関わってきた報いを受けたんだ。
「これで、今度こそ私の幸せを邪魔する者は無くなったわ。早くあの人を見つけてあげないと」
ある程度の落ち着きを取り戻すと、途端に私の頭の中は最初の時と同じ使命感に支配される。
おかしいとは感じない。思うことさえしなかった。
何故なら幸福を望むのは全人類が考える共通認識。
その幸福の最たる象徴こそ──私が望む幸せの形だって知っているから。
それを叶えるためなら一切の容赦はしない。
私の前に立ちはだかる不幸は全て……
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