第百十九癖『激突、擬人化の聖癖剣士』

「……行ったか。では早速始めよう。僕とて後輩を心配する気持ちはあるものでね」

「…………」


 焔衣氏が飛び立ったのを確認してから、僕は改めて擬人化体と対峙する。


 病的に暗い表情、細長い手足、毒々しい黒紫の頭髪……これほどまで分かりやすく怪しげな姿であるのは意味芸術的。


 もしかしてだが姿を自由自在にデザイン出来るのだろうか? ランプといいカラスといい、造詣は中々悪くなかった。


 もしそうだとすれば実に興味がそそられる剣だが、今はまず彼と戦うのが先決。勿論人間の模倣物如きにやられるつもりはない。


「…………ッ!」


 ここで敵が動く。細長い腕を伸ばし、指先から滴る薬品を放ったのだ。


 芸術家である前に剣士。最低限の胴体視力は鍛えているものでね、数十滴にも及ぶ無色透明の液体が近付いてくるのを見てすぐに剣でガードをする。


「おっと。……へぇ、君、中々いい腕をしているな。あとコンマ数秒遅れたら命中だった」


 今の投滴……間違いなく僕の口や目へ向けられていた。クロロホルムを当てようとしていたな。


 ご存じの通り麻酔効果を持つこれを吸引すると目眩や吐き気、頭痛などを催し、目へのばく露は催涙等の症状を引き起こす。


 45g分の摂取で致死レベルと言われているだけに直接触れるのは好まれないタイプの物質。どの薬品にも言えることではあるけど。


 捕まれば経口から致死量を流し込まれる可能性もある上に、揮発性の高い物質であるがために薄まっているとはいえ常に吸引している状態。


 おまけに的確に急所を狙い撃つコントロール力の高さも地味に厄介だ。

 長期戦は禁物。侮ること無かれな相手。でも──


「悪いが君と遊ぶ暇は僕には無くてね。速攻で終わらせる!」


 可能性如きの話で怯えてるようでは聖癖剣士は務まらない。それは芸術だって同じこと。


 良い作品というのは暗闇の中を突き進む勇気がなければ生まれないのだから。

 それに今もこうして閃理氏の剣を追って後輩は町中を疾走している。


 先輩としてこれを放っておくのは面目が立たない。

 任された背にはしっかりと応える。それが先輩としての務めだろう。


 僕はおもむろにポケットの絵の具を数種取り出すと、乱雑に握り潰して出したインクを絵魂えごころのローラー部に塗りたくった。


 この行為──実は必要性などほぼ無いに等しい。

 インク自体は絵魂えごころから聖癖物質由来の物が出るし、単に剣を汚しているだけだ。


 では何故そのようなことをするのか。それは勿論意味あっての行為だからだ。


「ぬうぅぅんッ!」


 インクまみれのローラーを今度は左腕全体を使って勢いよく回す。


 飛び散るインクなど意に介さず、高速回転する絵魂えごころを持って左腕を見る。

 インクにまみれた僕自身の手。それを見るなり心の奥底からわき上がるある欲求を感じる。


 それは創作意欲。芸術に目覚めてから何千、何万回とも感じてきた一種の欲望。これこそが僕の力。



【聖癖暴露・楽描剣絵魂らくがきけんえごころ! 混沌が描出する神聖なる色彩!】



 準備は整った。僕は聖癖暴露撃の発動へ移る。

 絵魂えごころに選ばれた僕に宿る性癖は『ペインティング』。でも本当は少しだけ違う。



「食らえ、聖癖暴露撃──」



 光り輝く絵魂えごころに呼応するかのように、僕の左腕は光を発し始めた。


 刻み込んだ芸術の痕跡。夜空を彷彿とさせる寒色の色彩には力が宿る。

 神々しくも禍々しい、混沌とした色使いは次第に形を作り、そして腕全体に広がっていく。


 僕の本当の性癖──それはボディペイント。

 他者、あるいは自らの身体をキャンバスとし、絵のみならず肉体と併せて魅せる芸術!



題名タイトル──眠り堕ちる星月夜」



 選んだ色彩は青、白、黄、そして黒。この路地裏の薄暗さを闇夜に見立て、輝く絵魂えごころを月としよう。

 そして──糸杉、これはだ。



 僕が描く『星月夜』……狂気と正気の境目で苦しむといい。



 星月夜が描かれた左腕を大きく振るったその瞬間、狭い路地裏は一瞬にして三日月が昇る闇夜の世界へと変貌を遂げた。


 あまりにも突然過ぎる周囲の変化に驚きを見せる擬人化体。でも、驚くのはここからだ。

 左手で何かを掴む振りをすると、擬人化体に向かって闇夜の手が襲いかかる。


「…………ッ!?」


 逃げようともがくが脱出は不可能。なぜならここは僕の世界だからだ。

 僕が思い描き、絵魂えごころが現象化させた空間。想像力の及ぶ範囲なら何でも起こすことが出来る。


 分かりやすく言えば──限られた空間内で僕は神にも等しい支配能力を得ているということだ。

 それこそ作品を創造する時の芸術家のように、ね。



「安心したまえ。君を弄ぶような真似はしない。故に……ここで完成エンドだ」



 そう、遊んでいる暇は無いと先ほど明言したばかり。発言を取り消して悪趣味に走ることはない。


 闇の手が掴む擬人化体を天高く上へ伸ばし、三日月へと近付けさせる。

 その先には月……と例えた絵魂えごころが待っていた。



「さらばだ。僕の芸術品となって散ることを誇りに思うといい」



 そして──月との衝突。剥き出しの刃を携える絵魂えごころによって無抵抗のまま闇の手ごと切り裂かれる擬人化体。


 身体は白い粘土のような形に還元されると、中から液体入りのフラスコが出現。

 それは地面に落下して地面を濡らし、身体だった物は空中に霧散する。


 これで僕の戦闘げいじゅつ終了かんせいした。

 路地はバンクシーが暴れたのではないかと思うにも十分な散らかり具合だが、後片付けの必要は無い。


 聖癖物質由来のインクは僕の意志一つで消すことが出来る。便利なことこの上ない。

 名残惜しいが星月夜は消すことにする。今気にするべき事柄は焔衣氏の行方だからね。


「さて……氏は今どうしているのやら。失敗していなければいいのだが」


 女人のカラスを追って行ったが、きちんと捕まえられただろうか?


 もし『頭翼聖癖章』のコントロールに失敗して墜落でもされたらたまったものではない。

 僕の責任にされても困るから、すぐに後を追おう。


 スマホから閃理氏が夜なべして組んだアプリで焔衣氏の後を追跡。

 ほぉ……どうやら墜落はしていないようで、今も空を飛んで町中を滑空している模様。


「フッ、あのじゃじゃ馬をこうも短時間に使いこなすとは。将来有望だな」


 僕が彼に渡した聖癖章、実はかなり使いづらく、初見で使いこなせる者はそう多くない。

 だが流石は特命剣士に選ばれるだけのことはある。その実力は本物のようだ。


「いいね、気に入った。やはりここに来たのは大正解だったようだ」


 改めて増援に応じたのが正解の選択だったことを理解する。

 一歩踏み出した先に求めた刺激は、予想もしない才能を持つ者という形で出会うことが出来た。


 焔衣兼人……。この男、実に興味深い。

 戦いの行く末、しかと見守らせてもらうよ。











 メルに理明わからせの後を追わせ、閃理と合流した俺は移動しながら話の詳細を聞いていた。


「敵の居場所を見つけたってどういうこと?」

「ああ。警察の目が少なくなった今なら『メスガキ聖癖章』を使えると思ってな。ここへ来る前にメルに使わせたんだ」


 なるほど。町を巡回する警官の数が減ってる今なら問題なく使えるってわけ。

 んで、その肝心の居場所ってどこなんだ? 流石に昨日の廃倉庫にいるとは思えないけど。


「奴の所在地は運動公園だ。廃倉庫のある場所ではないもう一つの公園……そこに潜んでいる」

「この町に公園なんてもう一つあったのか。知らなかったや」

「ああ。市街地から遠い場所にあるからな。俺たちの捜索範囲からそれなりに離れた位置にある。すぐに気付けなくて当然だ」


 ふむ、どうやら聖癖章の力で判明した敵の居場所は、予想していた場所と大きく異なるようだ。


 運動公園……この町にそんな場所があったとはな。

 というか公園と呼べる物が複数存在しているなんて思いもしなかったぜ。


 それで、今からそこに行くわけになるんだろうけど……場所が遠くにあるのはいただけないな。


「場所分かんないしタクシーでも捕まえる?」

「馬鹿言え。そんなことに使える金はない。場所は把握しているし、そもそもタクシーなんかこの町に走ってないだろう」


 冗談のつもりだったんだけど普通に怒られた。まぁ今のは俺のだだスベりだったな。

 そんなことはさておいて、目的地が決まった俺たちは急いでその場所を目指す。


 市街地を抜け、山を迂回するような道を通ったその奥に目的の場所はあった。坂道は多いし擬人化体には警戒しないとで意外と大変な道のりだったんだが?


「着いたな。では探すぞ」

「ちょ、待って……息くらい、整えさせて……」


 到着早々剣士を探しに公園内へ乗り出す閃理。急ぐ気持ちも分かるがちょい待て。


 ここに来るまでずっと休まず走って来たからかなり疲れている。

 それに俺、ついさっきマスクマンの蹴りがクリティカルヒットしたばっかりの手負いなんだぞ。


 ただでさえ体力消耗してる状態なのにこれ以上急かす行為はご遠慮願いたいなァ?


「仕方ない。息を整え次第追って来い。俺は先に探しに行く」

「それ、大丈夫なの? いくら閃理でも剣無しじゃ擬人化体を相手にするのはは危ないんじゃ……」

「あまり俺を侮るなよ。多少なり対人格闘は出来る。大勢を相手にしない限りはな」


 と言って俺の心配など気にせず、閃理は運動公園の中へと入っていった。

 まぁ確かに上位剣士でマスター直属の人間が剣無いだけで弱体化するわけないか。


 無用な心配だったと判明したのなら、俺もすぐに後を追わなければ。

 早急に呼吸を整えると、俺も運動公園の門を潜って中へと侵入。


 平日だからか利用者はそう多くない。グラウンドでキャッチボールをしてる人や走ってる人がちらほらと見られるくらいだ。


 はてさて、閃理はどこにいった? あの長身が人気もまばらな公園内で紛れてしまうなんてことはないと思うんだけど。


「…………」

「…………」


「うっ、人目もあるな。こ、こんにちはー……?」


 辺りをキョロキョロと見ていたら、通りすがりの運動終わりと見られる女性二人組が訝しげな目で俺のことを見てくる。


 うわ、なんか恥ずかしい……。そりゃ入って早々出入り口付近で周囲を見回してる部外者なんだし、怪しまれても文句は言えないが。


 気まずい雰囲気とか苦手だから、これ以上怪しまれたくない。よって足早に場所を変える。


 取りあえずグラウンドに行こう。現在地である門付近とは地面の高さが違うようで、観客席に備わっている階段を降りて行くのが最短距離だ。


 閃理の姿は依然として見当たらないが、その内気付いてくれるだろうと信じておくことにする。

 行き先が決定したところで、俺は階段を使って下に降りようとした、その時──



「えっ……!?」


 

 ドンッ、と背中を強く押される感覚。

 思わぬ出来事に一瞬脳の理解が追いつかなかった。


 一歩下に踏み出すはずだった足はただ宙を振るうだけに終わり、崩壊するバランスのせいで俺の身体は意図せず前方へ重心を大きく傾いていた。

 

 か、階段からの転落……!? 下手すれば大怪我どころか即死だってあり得る重大な事故。

 一体誰が……いや、そんなこと暢気に考えている暇は無い。この状況を覆さなければ!


 咄嗟に焔神えんじんの剣柄に触れ、身体能力を解放すると、本来なら頭から落ちるところを衝突よりも早く身体を大きく捻らせて直撃の回避に成功する。


 よほど身体と胴体視力を鍛えてる人でなければ実現出来ないこの芸当。

 ミスったら死もあり得ただけに、内心ちょっとヒヤヒヤしたのは秘密だ。


 そういうわけで改めて姿勢を戻すと、身体の向きを前方へと直した。

 今の転落事故……否、殺害未遂の現場にいる犯人をこの目で確かめる。


「こいつら……さっきすれ違った人たちだな。そうか、あんたらも具召ぐしょうの手下だな?」


「…………」

「…………」


 俺が見上げる階段の先に佇む二つの人影。それはつい先ほどまで俺のことを訝しい目で見てきていた女性二人組だったのだ。


 突き落とそうとしたのがバレたにも関わらず、慌てるどころか無言を貫いたままなのは明らかに普通の人間がする行動じゃない。ここまで分かりやすければ逆に安心出来る。


 こいつらは擬人化体だ。どうやらこの運動公園、閃理の言うとおり具召ぐしょうの剣士の潜伏場所で間違いないらしい。


 この様子じゃ敵の陣中真っ直中ってわけ。フッ、でも上等だぜ。

 流石の俺もここまでされちゃあ怒りの感情が沸くというもの。


 こうして二度、そして三度と擬人化体による傷害を未遂含めて食らった以上、ここまでやられちゃあ仏の顔も三度までという言葉を使わざるを得まい。


 本をぶつけられたり、財布盗まれかけたり、毒で眠らされそうになったり、蹴りで撃墜されたり……そして今、階段から突き落とされそうになったこと。


 たった数日の期間でこれだけの目に遭わされたんだ。ここまでされれば堪忍袋の緒が切れるぜ。


「何も言わないってことはそういうことだな? 具召ぐしょうの剣士を止めることが俺の仕事。だから悪いけどあんたらは速攻で倒させてもらうぜ」



【聖癖開示・『ツンデレ』! 熱する聖癖!】



 俺は剣を抜いてすぐさま聖癖開示へ。ゆっくりと階段を上がり、二人の所へ近付いていく。


 当然警戒して数歩ずつ後ずさって逃げる隙を窺う擬人化体コンビ。

 そして──奴らとの距離が残り数段まで登り切った瞬間、擬人化体たちは振り返って逃げ始める!


 勿論逃がしはしねぇ! 俺の地味~な怒り、ここで食らいやがれ!


焔魔追炎矢えんまついえんや!」


 二、三段跳ばしで階段を駆け登ると、即座に振りかぶって放たれる炎の矢。

 それは今にも逃げられそうになっている擬人化体に向かって真っ直ぐ飛んで行った。


 新技──と名乗るにはオリジナリティが足りないけど、焔魔追炎召えんまついえんしょう焔魔刃弓波えんまじんきゅうはの長所を合わせ、開示攻撃で放てるレベルにデチューンした物がこれ。


 追尾する炎の矢を放つこの技。そう簡単に逃げきれると思うなよ!?


「…………ッ!?」


 技を放ったことに気付き、逃走のペースを上げる擬人化体だったが、僅かに俺の技の方が速かった。

 矢は擬人化体の内一人の背中を貫いた。人ならざる真っ白な中身を見せながら、その場に伏す。


 擬人化体は人間を模倣した存在でしかない。だから倒すことに容赦はしない……まぁ、気分的にあまり気持ちの良いことではないことではないけど。


「…………ッ!」


「ん待てこらァ!」


 残る一体は相方がやられたことを気にする素振りをみせつつも、逃げる選択肢を迷わず取る。


 良い判断だ。俺には出来ない合理的思考……擬人化体ながらその即決には脱帽だぜ。

 でも逃さない。俺を突き落とそうとした悪意ある行為をした奴は放っておくわけにはいかん!


 逃げるもう一体の擬人化体を追う。広い通路を走り抜けて、階段を下ってグラウンドへ。

 そのまま横断してより運動公園の奥の方へと進んでいく。ちょっと目線が痛い……。


「いでっ!? あ、こいつらも擬人化体か! やめろ、ボールを投げるな!」


 いや、物理的に痛い。どこからか無限に湧き出てくる硬式ボールが俺の頭を狙って飛んでくる。


 何事か!? と思うのも一瞬、グラウンドの中央付近でスポーツしていた一般人はどうやら擬人化体だったらしい。そいつらがボールを投げまくっている。


 うぐぅ、や、止めろ! ボールをぶつけられるのは地味にかなり痛い!

 非常に目障りだけど相手にしたら目標を追えなくなるのは確実だし無視するべきだな……。


 投球の雨を我慢して乗り切り、何とか目標を見失わずに先へと進む。


「くっ……。よし、追いついた────って、んなっ!?」


 擬人化体を追って到着したのは運動公園の一番端っこに位置する場所。


 そこには建物があり、そこの裏へ隠れるように入っていくのを目撃。

 逃げ込むのを見て俺も迷わず突入。すると、ここでとんでもない光景を目の当たりにする。


 突如として俺が追っていた擬人化体は人の姿を解除して元の形に──今回のは片足のスニーカーに戻ってしまった。


 これは一体何事か。倒したわけでもなければ言うほど追い詰めてたわけでもないのに元へ戻るなんて。

 うっすらと嫌な予感がする。そしてその予感は直ちに現実として俺の前に現れた。



「よく来たな、聖癖剣協会の剣士。簡単に追っかけてくれて助かるぜ」



「……! 誰だ!?」


 不意に鼓膜を突く何者による歓迎の言葉。なんかどっかで聞いたことがあるような……?

 聞こえた方向に身体を向けると、そこには一人の男が立っていた。


 そう──そいつは具召ぐしょうの剣士。確か名前は……形遥けいようとか言われてた気が。


具召ぐしょうの剣士……! やっと姿を現したな。昨日はどっか行ってたようだけど、何してたんだ?」

「お前には関係ない。そんなことより、よくも廻鋸のこぎりを盗ってくれたな。俺の新しい仲間を奪ったこと、後悔させてやる」


 唐突に訪れた面と向かって会話するチャンス。俺はすぐに昨日の動向に関する疑問を投げかける……が、ろくな返答が出るわけないか。


 一方でこいつはこいつで廻鋸のこぎりを奪還したことについてご立腹の様子。


 新しい仲間とか言ってるけどあの剣はメルの得物。剣自身がそう言ってたように、あれは決してこいつの所有物なんかじゃない。


 随分と傲慢で自己中心的な考えをした男だ。こんな人間でも剣は剣士に選ぶんだから不思議だな。


「何様か知らないけど廻鋸のこぎりはあんたの物じゃない。人から奪った物に所有権を主張すんな。いい歳した大人が何でこんなことする?」

「はっ、俺から具召ぐしょうを奪おうとしてる奴らが何言ってんだ。説得力皆無だぜ、このガキが」

「んにゃろぉ……! 好き放題言ってくれるな」


 鼻につく言い方にちょっとムッとする。こう言えばああ言うのは、大人が言うにしてはあまりにも稚拙な発言だ。


 この捻くれ者め。せっかくの対話のチャンスだったけど、お話での解決は望めそうもなくて実に残念。

 これ以上の意志疎通は無駄と判断した俺は、会話を中断し改めて今置かれた状況を見る。


 スニーカーの擬人化体の片割れを追ってやって来たこの場所は、建物の裏手にある小さな庭のような空間だ。


 運動公園の端に位置するだけに周囲を囲うのは雑木林。下手に入ると遭難するかもだから逃げ道には使えない。


 俺が入ってきた方向はがら空きだから、逃げるのは簡単。いざとなったら撤退だ。

 でもやっぱり気になるのは具召ぐしょうの剣士の行動について。


 何故今こうして俺を呼び、動機や理由を教えてくれるわけでもないのに対面をするのか。

 ……まさか何かしらの目的があるのか? そうとしか考えられないけど、どうなんだろう。


「その辺をキョロキョロと見て逃げる隙を窺ってるようだが、お前は逃がさない。ここで俺が倒す」

「……何? あんた、もしかして俺と戦う気か?」


 ここで具召ぐしょうの剣士は俺をこの場所に呼び寄せた理由を口にする。


 どうやらこの男、ここで俺を倒すつもりでいるらしい。随分と思い切りの良い判断をしたな。

 この場所へ誘導したのは戦いに妨害が入らないように配慮したってことか。


 先に行った閃理と出会えなかったのは別の場所に誘導された可能性もあると見ていいだろう。

 警察を昏睡させまくっていたのもそれの一環だったってわけ。随分と念入りに準備するな。


「ああ、理明わからせの話じゃお前は三人の中で一番弱いらしいからな。確かに俺一人じゃお前より弱いのは確かだ……。だが具召ぐしょうの力を使えばそれを覆せる! 覚悟しろ」

「この野郎、俺の気にしてることをずけずけと言ってくれるな……」


 ぬぅ……理明わからせめ、支配されているとはいえ個人情報を簡単に他人に漏らすなよ。十聖剣の威光はどこいった!?


 まぁいい。第一班の強さ順がバレたことは仕方ないにせよ、俺との実力差については向こうも十分理解しているらしい。


 現にこうして個人の力では勝てないと明言したんだ。その差を聖癖剣の力で埋めるという。

 具召ぐしょうの権能は『擬人化』。つまり多勢に無勢、数で俺を押し切るつもりだな?


 敵ながら賢い判断だ。仮にも剣に選ばれた剣士なだけあって、使い方をきちんと理解っているようだ。


「分かった。その勝負、受けて立つ! 俺が勝ったら観念してこっちの言うことを聞いてもらうからな!」

「勝手に言ってろ! 俺は絶対に負けねぇ、負けるわけにはいかねぇんだ。目的のために! 来い、俺の仲間!」


 これは決闘の申し込みだと判断した俺はそれを了承。こっちの勝利報酬を提示しつつ、戦うために剣を抜いた。


 具召ぐしょうの剣士は怒り半分の面もちで手を前方にかざし、権能を発動させる。

 何をするのかと一瞬警戒したその直後、変化は周囲にもたらされた。


「こ、これは──!?」

「これでお前は逃げられない。さぁ、勝負開始だ!」


 戦いの舞台となっている空間を囲うようにいきなり現れた擬人化体によって肉壁の形成がなされた。


 さっきまでがらんとしていた場所は一瞬にして大勢の人型で囲い込まれ、さらに全員が無言を俺を見ているだけあって威圧感も凄まじい。


 開示攻撃や暴露撃も無しにここまでの人数を一気に擬人化出来るとは……聖癖使いの練度が中々高いんじゃないか!?


 奴の権能が何なのか分かっていてもこれには流石に驚きを隠せない。正直予想外だったぜ。


「行け! あいつをぶっ倒せ!」


 そして戦いのゴングはすでに鳴っていた。剣士の命令に擬人化体は従う。

 周囲を取り囲む肉壁から離脱した複数体が俺に向かってくる。


「くっ……!」


 色んな形状の武器を片手に次々と仕掛けてくる擬人化体たち。

 攻撃を何とか回避していくものの、ここまでの多人数戦は初めての経験だ。


 おまけに見た目は人と同一なだけに戦いづらい。

 カラス女ばりに人外要素が強ければ少しは戦いやすくなるんだけどな。


 でも──戦場で文句なんか吐ける訳がない。

 一瞬の油断が命取りになる剣士の道を選んだ以上、相手が人であっても切らねばならない時が来る。


 今がその時だ。わき上がる小さな罪悪感を咬み殺し、俺は一歩だけ修羅の道に足を踏み入れる。


「俺を……、舐めるなよッ!」


 敵の攻撃を捌きながら、俺はついに擬人化体の一体を焔神えんじんの刃で斬り伏せた。


 身体を分断させるほどの一撃で倒れる擬人化体。そいつも他の個体と同じく聖癖物質の塊となり、元となったであろう包丁を残して姿を消す。


 とうとうやっちまった。いや、これまで何度か敵を切ったことはあるが、勢いだけに頼らず感情もそこまで高ぶっていないままに切ったのは初めてだ。


 切る時の感覚は人間のそれと大差ないんだろう。

 炎を使って倒すのとは大きく違う生々しい感触だが、これに慣れなければいけない。


 案の定胃の奥から何かが込み上がる不快感を覚えるが、それを我慢して今一度戦いに望む。

 擬人化体はまだ減ったとは言えない。ここで俺が全部倒すまでだ!


「うおおおッ!!」


「こいつ……マジかよ!?」


 一度切ったのならもう後戻り出来ない! 俺はこれまで回避の一辺倒だったのを止め、次々と擬人化体を斬り伏せていく戦法にシフト。


 敵を倒すごとに元となった凶器が散らばっていき、ものの数分も経たずに最初の擬人化体は全滅する。


 危ないのは武器だけで他はそんなに危険視するような物はないからな。それにメイディさんや閃理との試合と比べりゃ大分イージーだ。


「そんなに意外か? 俺は剣士だから人を切る覚悟はある。逆に訊ねるけど、あんたにはその剣を使う勇気あんのか? 剣士に選ばれた責任、結構重いぞ?」

「う、うるさい黙れ! 調子乗るんじゃねぇぞ。まだこっちには大勢の擬人化体がいる。お前の体力はいつまで持つんだろうな!? 行け、次の奴らだ!」


 別に挑発のつもりで言ったわけじゃないけど、今の言葉は奴を躍起にさせるには十分の威力があったらしい。


 そのまま追加の擬人化体を戦場に投入。さっきより数が多いけど、多分大丈夫。



【聖癖リード・『ツンデレ』『褐色』! 聖癖二種・解釈一致! 聖癖接続撃!】



焔魔赫雷走えんまかくらいそう!」


 今度は聖癖リードを使用。自前の二つを読み込ませると高相性の音声が鳴った。


 一体いつの間に……だがこれはこれで好都合。すぐに承認し技を放つ。

 瞬間、俺はその場から消えるように動く。


 これは稲妻の如きスピードで強化した炎による攻撃を繰り出すコンボ。速さにおいては流石に本家に大きく劣るが、それでも十分!


 電流のパルスと炎の残火をフィールドにまき散らしながら猛スピードで擬人化体を次々切り伏せていく。

 ものの数十秒で全てを蹴散らすことに成功。リード技の効果切れと共に俺は姿を現す。


 くっ、でも今ので少し体力を消耗した。高相性にもなればそれなりに負担も増すか。


「お前っ、まだ本気じゃないってのかよ!? 一番弱いって聞いてたのに全然強ぇじゃん。理明わからせの奴、俺に嘘を……!?」

「いいや、それは正しい情報だぜ。俺は剣士の中じゃ下の下の実力だ。それを把握しないで勝手に倒せると思い込んだあんた自身のミスに他なら無い。それを剣のせいにするんじゃねぇ!」


 どうやら奴は俺の実力を見誤っていたらしい。信頼出来る筋からの情報だからと信じ切ったのが裏目に出たようだ。


 理明わからせの情報に基本嘘は無い。だから言われた通り一番弱いのは間違いようのない事実。

 ただしそれはに限定すれば、の話だけどな。


 剣士全体としてみれば俺の実力がどの辺りに位置するのかなんて俺自身だって分からない。

 でも上には上がいるように、下には下がきちんと存在している。その例は崩れない。


 少なくとも悪癖円卓マリス・サークルという格上中の格上との戦いを何度も生還してきた実績が俺にはあるから、一概に最弱の一言で片付けられるほど俺は弱くない。


 ましてや能力に頼りきっているだけの剣士の素人になんか負けてやるかっての!


「いくぞ! 今度は俺のターン!」



【聖癖暴露・対陽剣焔神ツンデレけんえんじん! 聖なる焔が全ての邪悪を焼き払う!】



「ぐっ……! こ、来い、お前たち! 俺を守れ!」


 さぁ、説明タイムは終わりだ! そっちが最初に攻めてきたんだから、今度はこっちが攻める番で良いよな!?


 俺は暴露撃の発動手順を踏む。ここで一発、逆転勝利を狙う!


 実力差が剣の力だけで埋まらないことを察した具召ぐしょうの剣士は、急いで擬人化体を召集させて何かをしようとしている。


 口振りからして防御態勢でも取るのだろう。逃げれば逆に隙を晒すことになるから、これも賢明な判断だ……でも残念。


 焔神えんじんの攻撃力は普通の剣の比じゃないぜ! これの正解は最初から相手にしないことだ!



「焔魔天変!!」



 十分に防御が固まってきたのを見てから俺は全力で剣を振るう!


 赤と青の炎による超熱高圧の一撃。擬人化体を寄せ集めただけの壁で防ぎきれるかな?

 存在するだけで周囲の草木が燃えそうなほどの威力を持つ炎の塊が防御肉壁に振るわれた。


 表面を形成する鉄の盾を生成する擬人化体たちだが、それらごと融断。

 その下にあるまた別の擬人化体諸共焔の刃が断ち切ろうとする。


 でも正直驚いた。わりと本気で出してるのに全然切れねぇ! 結構堅いぞ、この防御。

 でもそれは時間の問題。悪癖円卓マリス・サークルでも耐えきるに本気を出す威力を素人が耐えられるはずはない!



「これで、終わりだああぁぁッ!!」



 勝利を確信し、俺はさらに剣に力を込める!

 焔魔天変の発動時間は結構短い。一撃必殺の威力を叩き込む!


 あと少し。そう、あと少しで俺の勝ちは決定的になるはずだった。

 それが登場するまでは────



「──隙有りね!」



「なっ……!?」



「聖癖暴露・擬我剣具召ぎがけんぐしょう! 空虚を満たす聖なる化身の体現!」



 不意に背後から聞こえた女性の声。立て続けに同じ声が暴露撃発動時の音声を詠じた。


 目の前の戦いに集中し過ぎて気付くのが大幅に遅れてしまうとは……!

 そうだ、具召ぐしょうの剣士は一人じゃない。


 と同等の存在だということをすっかり忘れてしまっていた。



「聖癖暴露撃──擬人転成!」



 具召ぐしょうの擬人化体……ぐしょさんはがら空きとなっている俺の背に向けて暴露撃を発動。

 至近距離で放たれたそれを──俺は避けることが出来なかった

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