第百五癖『私はあなたを、諦めない』
「心盛さんッ!?」
目の前で起きてしまった光景は、まさに凄惨たるものでしかなかった。
怒りに飲まれ半分我を失っていた私が受けるはずだった
「ぐッ……が、うぅぅぅ……!」
削り飛ばされて無くなった肘先。断面から流れ出す血液の量は尋常ではない。
腕の切断。それは激痛なんて言葉じゃ言い表すのにも物足りない程のはず。
切断面を手で抑え、これ以上の出血をしないよう堪えている。歯にヒビが入る程の歯ぎしりをしながら、心盛さんは耐えていた。
それを見た私は、背筋に走る凍えるような冷たさのせいで動けなくなってしまう。
私のためにこの人を犠牲にさせてしまった。きちんと冷静であれば回避出来たはずの悲劇なのに。
こうなってしまったのは全部私のせい。その事実に震え上がらないわけがない。
心の奥で変な音が鳴ったような気がした。でもそんな私に一喝が入る。
「温温ッ! テメェ、何やってんだッ! それでも上位剣士一歩手前の剣士か!? 怒りで敵の動きを……ぐっ、見逃してんじゃねぇ! お前が食らってれば死んでたんだぞ。気を、付けろ……ッ!」
「…………ッ!
それをしてくれたのは心盛さん。想像もつかないような凄まじい痛みに耐えながらも怒鳴り込む。
その声は腕のダメージの影響もあり絞り出すような痛々しい叫びだが、主張内容は恨みなどではなく私のしでかしてしまったミスを指摘するものだった。
家族の仇が見せた意味不明な言動を前に怒り狂ったのは間違いようのない事実。冷静でいられなかったのは私の落ち度に他ならない。
それに今の私は全裸。いくら剣の補助があるとしても、私より鍛えている心盛さんの腕が削り切られたのを鑑みると直撃は即死を意味する。
つまり心盛さんが自身の腕を犠牲に私の命を救ってくれたんだ。
本当にとんでもない無茶をさせてしまった。これじゃあ他の皆にも顔合わせできないよ……。
「クソッタレがッ! フラット、よくもやってくれやがったなァッ!」
「増魅、どうして庇った? 彼女より、あなたが戦う方が勝ちになると思う。どうして?」
心盛さんはこの悲劇を起こした張本人に向けて悪態をつくと、すぐそこにいる当人から疑問が返された。
悔しいがフラットの言い分はよく理解出来る。
戦闘経験も実力も、何もかもが私より上の剣士が何故犠牲にならねばならないのか。
私が犠牲になって隙を作れば、心盛さんがフラットを倒すことが可能となる。むしろそっちの方が合理的なはず。それなのに何で……。
「クソみてぇな質問すんじゃねぇ! んなもん決まってんだろ。こっちは若い奴らの未来を簡単に潰されるわけにはいかねぇんだ。多少の無茶無謀は覚悟の上なんだよッ!」
「ぬぐっ……」
そう返すや否や、心盛さんは
片腕が千切れているにも関わらず、まだそこまで出来る力が残ってるとは驚き。でもそんなことに驚く暇はない。
吹き飛ばしたといえどもガードはされている。無傷も同然だし、何だかんだで今の攻撃も無理したものだというのは明白。
現に今ので左腕の断面からはさらに血が噴き出し、
思わずそこへ駆け寄って、改めて今の状態の悪さを認識してしまう。
「心盛さん!」
「心配すんな、このくれぇなんてこたぁねぇ。ちょっと休めばすぐ治る……」
「そんな冗談言わないでください! 私のせいでこんなことに……ごめんなさいです。今、応急処置します」
心盛さんも限界が近い。普段の大きな声も今はとても小さく、体力の消耗が激しいのが分かる。
腕も出血量は減ってるけど、それでもまだ止まってない。これ以上血を減らすと命に関わる。
何か巻くもの……。私は裸だから包帯代わりに出来る物なんて何一つ無い。
となれば残されてる物は一つ。失礼を承知で使わせてもらうしかない。
「心盛さん、ごめんなさいです。その服、使いますです!」
私は心盛さんのシャツの一部を裂いて、それを包帯の代用として使う。
切断面を覆い隠すと心盛さんが呻き声を上げる。今はこれが精一杯の応急処置だ。
とはいえ早くどうにかしないといけないことに変わりはない。でも、それにはどうしてもフラットを下す必要がある。
倒さなければこっちがやられる。相手にとっては日本支部の中で一番厄介な剣士を倒せるチャンスが巡ってきてるわけだから、これを逃すはずはない。
そう、だからこの状況を私が何とかしなくちゃいけないんだ。
……でも本当に自分なんかが出来るのか? そう思ってしまう。
何しろつい先程怒りに飲まれて注意を疎かにしてしまい、結果心盛さんをこんな目に遭わせてしまったのだから、立ち向かう勇気が無くなって当然のこと。
復讐に囚われている私がフラットを目の前にして冷静で居続けられる保証も自信もない。
怖い……今まで感じても怒りがそれを覆って曖昧にしていた感情が溢れ出ている。
一度のみならず二度までも、その恐ろしい力で大切な人を傷付けられた。怖いと思わないはずがない。
そうだ、分かった。さっき私が心の中で聞いた変な音の正体が……。
「フラット……正直に、言います。私はあなたが怖いです。もう、戦いたくないです……」
応急処置をしている間、空気を読んでか何もしてこなかったフラットに向けて本心を打ち明ける。
今の悲劇によって、心の中に巣くうトラウマを完全に掘り返されてしまった。
さっき心の中で聞いた異音は……、私の心が折れてしまった音だったんだ。
剣士にあるまじき発言なのは承知の上。他の仲間に顔向け出来ないようなことを言ってるのも理解している。
でももう沢山だ。私が挑もうとしていた無謀さを改めて知り、心はもう限界に近い。
これ以上戦いを続ければ……身体だけでなく心まで壊れてしまう。そう思わざるを得なかった。
「──それでいい。あなたは私と戦うべきじゃない。実力とか、何もかも離れてる。挑んでも勝てない。引く勇気、剣士として大切。今すぐ増魅連れて逃げろ」
「……え!?」
私の告白を聞いてか、フラットはあろう事か敗走を認めてくれる発言をする。
意外だった。私だけじゃなく心盛さんほどの剣士を連れて逃げるのを許すだなんて……。
「どうしてですか? 私たちを倒せば剣が手に入ります。特に私の剣、あなたからすれば任務の失敗に繋がた物のはずです。何故ですか……?」
「さっきも言った。私、あなたの家族、必要以上に不幸にした。それも復讐者を生み出すほど。これは重い罪。だからあなたから奪った物返す。二人を見逃す。これが私の償い。そう思ってる」
問いに対し言い渋ることもなく理由を口にするフラット。
見逃すのは私への償いが理由? 組織への貢献よりも個人に対する思いを優先するなんて……。
でも、そんなことをされたって私の中で未だに燃え続ける復讐心は消えることはない。
戦意を失ってもなお、フラットに対する負の感情は残ったままだ。変わることもない。
何せこの思いはもはや掲げる目標なんかじゃなく、呪いそのものなんだから……。
「ううっ……
敵に情けをかけられて見逃される。剣士としてこれほど恥ずべきことはない。
思わず悔し涙を浮かべて相手を睨みつけていた。
あまりにも屈辱的。復讐相手にここまでされてボロボロになったのは戦意だけじゃなく、プライドもだった。
「……
そんな私に目もくれず、剣を仕舞うフラット。そのまま森の奥へと消えるために歩き始めた。
本当に戦いを止めるつもりなんだ。心盛さんを戦闘不能にし、私の心を砕くという完全勝利を収めて。
悔しい……悔し過ぎる! 私を支配しているのはその考えだけだ。
フラットを倒すためだけに剣士になって、今日まで努力を積み重ねてきた。
上位剣士という強さの証を手に入れる手前まで来て、実力だって上海支部の下位剣士では一番。
日本に来てからも伝説の剣の後継者に勝って、その力を全支部に見せつけられたのに……。
それでもまだ、フラットには遠く及ばない。その事実が余計に悲しさを増す。
「うう、ああ……。うわああぁぁ…………っ」
最早今の私に出来ることは泣き叫ぶことだけ。
復讐の果てに取り返すはずだった物は、相手の情けでいとも簡単に返却される。これを屈辱でなくて何と言えるんだ。
全部無駄だったんだ。決意も努力も、この三年半の剣士人生で培ってきた何もかもが。
これほど絶望したことは人生で一度もない。家族の幸せだけじゃなく復讐の理由まで奪われた。
私のあらゆる物を否定、そして奪われた感覚になり、涙が止まらなった。ここまで泣くのは初めてかもしれない。
涙で歪んで見え辛くなっていく宿敵の背中。後を追って剣を向けたくなるけど身体はそれを拒む。
終わりだ。剣士としての私は、こんな場所であっさりと終わりを迎えてしまう。
ただただ泣きながら憎い敵の後ろ姿を眺めるばかり。今の私は酷く惨めだ。
最早諦める他ない。その考えが脳裏に浮かび始めた時──決着がついたこの場所に乱入者が現れる。
「──焔魔旋風!」
「むっ!?」
突如としてどこからか凄まじい炎の竜巻が森に消えようとしていたフラットへ一直線に向かって襲いかかった。
この不意打ちにも咄嗟に対応するフラット。
「
「これは光……? まさか」
炎が削り消されたと思えば、今度はその場所に来るのを予測していたかの如く幾つもの光の刃が出現し、フラットへと向けて飛ばされた。
これも同じように削って消滅させられたものの、何者かによる意図的な現象が連続で起きた。
一体誰が──なんて知らないふりをしない。最初の不意打ちから正体に気付いている。
今の技を放った人たちは、そう……。
「温温さん、無事!? うぉ、やっぱりまた裸だ」
「やはりな。相当最悪な状況に陥っているようだ」
「焔衣さん! 閃理さん!」
別の場所でディザストと戦っているはずの日本支部の剣士たち。二人が助けに来てくれた!
この人物らの登場は流石のフラットも無視出来ない。帰る足を止めて、少しだけ顔をしかめる。
「光の聖癖剣士、炎熱の聖癖剣士……。何故二人いる? ディザストはどうした?」
「あんたの予想通り俺の負けだよ。でも残念だったな。テンタクルとかモナカって奴はこっちの剣士に倒されてるぜ。そのことを知ったディザストはそいつらの介抱するためにどっかに行っちまったよ」
ここにやって来た理由を訊ねられると、焔衣さんがこれまでの経緯を簡単に説明する。
どうやらディザスト以外の増援は全員倒したらしい。敵が仲間の回収に行ったのを機に応援に駆けつけてくれたんだ。
この報告は今の私を少しだけ安心させてくれる。
もしこれで他の皆がやられていれば、より精神にダメージを受けたかもしれなかったからだ。
だが良かったと思う反面、手遅れだと知っている。
何しろ私は負けるどころか自ら勝負に白旗を上げたのだから、二人に庇われる資格はない。
「……もういいです。助けに来てくれたのは嬉しいですが、私は負けました。だから勝負は……私の復讐はもう終わたのです」
「何言ってんですか温温さん。まだ負けたって認めるには早過ぎだろ。なぁ閃理!」
「ああ。剣士たる者、最後まで希望を捨てない者が勝利を勝ち取る資格を得る。温温、お前が自ら敗北を認めた理由は
私が二人を止める発言をすると、案の定な返事がその口から出た。
敵との実力差に怯え、惨めな存在となった私を励まそうとする言葉。それは確かに心強いものではある。
しかし、それは結局理想論。同情されても全く嬉しくない。
むしろ復讐の価値さえ奪われた敗北者となった今の私にとって、一番聞きたくない言葉だ。
その場にうずくまり、全てを拒絶するように頭を抱える私。
自分の弱さを知らしめられたこの戦い。立ち直ることは不可能。もう何も聞きたくない……。
でも、そんな私に閃理さんの言葉は意外な内容を語ってくれた。
「だが温温、お前が今まで積み重ねてきた努力は家族の仇のためにあるのだろう。選んだ手段が復讐であるとしても……俺はそれを否定しない。道を誤らなければそれも立派な糧となり、次に繋がる。今は敗北を認めざるを得ないほど打ちのめされたとしても、その先の未来まで簡単に諦めるな!」
「…………!!」
私はこの発言に度肝を抜かれてしまった。思わず俯かせた頭を上げてしまうくらいに。
剣士の中でも最上位に位置するマスター直属の十剣士にして十聖剣の使い手。
組織の中でも人格者としても名高いこの人から出た復讐の肯定という発言は流石に予想がつかなかった。
正直なところ少し信じられない。
上海支部に在籍していた頃も復讐のために剣士になるのは分不相応だと言われたこともある。それくらい勿論自覚している。
そんな意見を無視して私はこれまで努力を惜しまずに修行を積んできた。
全ては家族と家業のため。フラットを倒してその罪を認めさせ、失った物を少しでも取り返せるように。
「実を言うと俺は復讐否定派だけどさ、タイミングが悪いことに第一剣士をブッ倒さなきゃいけない理由が出来たから閃理の言うことを肯定出来る。温温さん、あんたの目標を俺は応援する。家業の再建も家族の仇も、フラットへの復讐も全部。だからもう少しだけ、この戦いを続けてみるべきだと思うぜ!」
「焔衣さん……!」
続けて焔衣さんからの言葉を受け取り、心の内側からよく分からない熱い何かが込み上がってくるのを感じた。
私の考えを否定されたことは数え切れないくらいある。肯定も無いわけではないけど、それを良しとして認めてくれたことはない。
でもこの二人は違う。どっちも本心からそれを言っているんだってことを頭と心で理解した。
今の実力差を鑑みると勝てないかもしれない。でもまだ敗北を認めるには早い。
そうだ、この復讐はまだ完全に終わっていない!
せめてフラットに一発入れてやらないと終われないんだ!
一度は消えた心火が灯る。光が照らし、炎が点けてくれた火は絶やさせはしない。
「焔衣さん、閃理さん! フラットを少しだけ抑えててください! 私、もう一度やります!」
「へっ、任せろ! 秒くらいならやってやる!」
「ああ。フラット、まだもう少し付き合ってもらうぞ。次代の剣士の覚悟、その目に焼き付けろ」
「……分かった。戦いは最後まで付き合う。これも礼儀」
するとフラットは
あっちも改めて戦闘態勢に入るらしい。第二ラウンドの始まりだ。
心の中で立ち直らせてくれた二人に感謝しつつ、私はフラットを倒すための作戦を用意する。
一度は戦いを諦めたとはいえ、出せる手を尽くしたわけじゃない。
だって私には切り札が残っている。奥義とも言える解放撃がまだあるのだから。
ただそれを使うには大量の水が必要とする。すぐには見つけられないけども、問題はない。
【聖癖開示・『温泉』! 立ち昇る聖癖!】
「
開示を発動させ、
ここは温泉地。つまり源泉が発見出来る可能性がまだ残っている場所。権能を使ってそれを探すんだ。
本当の力──それは『熱』と『水』。先代である曾祖母はこれを個々に使いこなすことが出来ていた。
先代ほどではないけれど私もそれを使いこなせる。リスクを承知でやってやるのみ!
「焔魔塵炎霧!」
「弱い。
「なわけあるか! まだ本気は出せるぜ!」
「俺のことも忘れてくれるなッ!」
ふと準備が終わるまでの間代わりに戦ってもらっている向こうを見る。
焔衣さん、ディザストと戦い終わったばかりなのに戦えている。やはり
閃理さんも相手の攻撃を読みながら時間稼ぎに徹してくれている。二人の頑張りを無下には出来ない。
早く……早く見つかれ。最悪ただの水溜まりでもいい。とにかく大量の水が要る。
意識を集中させ、聖癖の蒸気を地中に猛烈な勢いで染み込ませていく。
そして──一際強い熱を放つ水源を知覚する。
「
【聖癖リード・『温泉』『温泉』『温泉』! 聖癖重複! 潜在聖癖解放撃!】
発見に喜ぶ暇なんてない。私はすぐに聖癖章を三回リードして解放撃を発動させた。
その瞬間、私の身体は蒸気となって
逃亡なんかじゃない。もう一度戦う意志を取り戻した私はこの戦いに勝ってみせる。
あらかじめ染み込ませていた
これを使うのは初めてだし、失敗すれば身体が地中に埋まる可能性もある。
怖いけど、そんなことに怯えてなんかいられない!
私は今から──人ではない存在に近付く! 先代が残した聖癖剣の奥義、奴に見せつけてやる!
熱い水溜まりに染み出す私の身体。そして触れた瞬間──
「うぉっ!? な、なんだ?」
「地震……。まさか」
「そのまさかだ、フラット。今から起きる温温の本気、受けきって見せろ」
地上では──原因不明の地震が三人を襲う。
勿論これは自然現象なんかじゃない。私が起こした正真正銘成功の証!
その瞬間、私が入り込んだ亀裂から猛烈な勢いで水が噴き出した。
もうもうと立ち昇る蒸気。それは温泉の湯の証明。それに紛れて私も外へ飛び出す。
でもその姿は元の人間の形じゃない。噴水のように散ることなく大量の水は蒸気と共に空中に留まると、ある巨大な形へと形成させていく。
「うおぉぉッ、アレが温温さん!? マジで!?」
「ああ、
今の私は水と蒸気に
温水で出来た巨大な体躯に何メートルもある蛇型の蒸気。その全てを操って私はこの場に現れたんだ。
「……! それがあなたの本気」
「そうです! これで勝てなければ私の復讐は終わりです。でも負けません! 今度こそ勝ちますです!」
大きな地響きを鳴らしながら地面に降り立つ玄武体の私。すでにフラットの真上に到達している。
容赦はしない。このまま踏み潰す! 温水で構成された一歩を踏みしめる!
「……っ! なんて迫力。まるで怪獣映画。水で出来た身体と思えない」
これにはフラットも回避を優先。さっきまでいた場所は大きな音をたてて水に濡れてしまう。
そしてそのまま素早い身のこなしで死角に回り、剣を振るおうとする──けど、それは読めてる!
「丸見えです!」
その瞬間、水を噴き出させることで生まれる水圧を利用した槍を脚から数十本も作り出し、それを油断したフラットに向けて突き刺す!
「ぐぬっ……」
咄嗟の
ここで初めて私の攻撃がフラットに命中する。でも嬉しさを覚えるのは後回しだ。
「正面を見てる頭が私の頭と思いました? その答えは
玄武体の後ろ足部分に回って背後を取ったと思ってたフラットだけど、私は身体を温水に溶かしている状態だから視界の位置が固定されていない。
つまり玄武体は全身が目であり手足でもある!
どの方向からでも相手の姿を見捉えて攻撃も可能。死角を完全に克服した存在に私はなっているんだ。
これが先代の残した奥義の一つ。
「……やっぱり
【悪癖開示・『貧乳』! 削れる悪癖!】
今までの攻撃は全て通常攻撃。未知の領域に突入する怖さを虚勢で押さえ込み、私は玄武体を動かす。
「
エンブレムと共に赤い面がうっすら輝く
それを大きく振るうと、振り上げた玄武の脚は大部分を一瞬にして削り取られた。
胴体部を巻き込むように消され、バランスを崩す玄武体。水で出来た身体は崩壊する……ことはない。
「……ぬっ!? 再生する!?」
「当然です! まだ掘り当てた温泉は流れ続けてます。これが尽きるまで私はどんな攻撃を受けても元に戻ります。あなたに私は削り切れません!」
私の身体を構成する温水は尻尾の先に繋がっている源泉から今もなお私の身体に湯を供給し続けている。
削り消されても物量で回復。削らなければ──その体積はさらに増えていく!
いくら
身体全体を操作し、先程まで脚だった部分を玄武の頭に置換することで向きを変更。
目の前で立ちすくむフラットに向かって今度は熱水を頭から被せてやる!
吐き出した高熱の水は広範囲に渡って逃げ道を奪い去っていく。
「くおぉっ……!?」
フラットはそのまま熱水を食らい、大きく吹き飛ばされた。
下手な放水装置よりも遙かに高い威力と水圧。おまけに高温。並の剣士なら無傷では済まない。
「く……
全身ずぶ濡れで肌も赤く火傷しているフラット。第六剣士に大きくダメージが入ったらしい。
そしてついに、あっちも最大の技で迎え撃ってくれるのを予告した。
次のでこの戦いに決着がつく! 負けられない……私の目的のために、絶対に勝ってみせる!
【悪癖暴露・
「
発動される暴露撃。深紅の目映い輝きを放つ
間違いない。この技は命中すれば大怪我どころか塵の一つも残さず身体が削ぎ消される即死の一撃。
直撃すれば水に溶けている私でもダメージ……大怪我は避けられない。
でも、だからって素直に食らってたまるか! この戦い、勝つのは私だ!
「──やあああああッ!」
「はああああぁぁ──ッ!」
お互いが叫びながら一騎打ちへと移行する。
水と蒸気で構成された巨体を操る私と、あらゆる物を削り消せる剣の大技で迎え撃つフラット。
この勝負、どちらに軍配が上がるのか。それは──
「──はあッ!」
「ぐがっ……!?」
悲鳴を上げたのは──私だった。
いくら水に溶け込ませているとはいえ、ここまで大きく削れれば流石にノーダメージとはいかない。
痛みがどこからともなく全身を襲う────
……ことにはならないんだよね、これが。
「フッ、かかりましたですね!」
「何ッ?」
今の攻撃が決まったことで一瞬油断したな、フラット! あなたの剣の特性を私が忘れるはずはない!
玄武体を構成するのは源泉から供給される熱水。それに身体を溶け込ませているのは事実。
ただし、巨体は熱水だけじゃなく、蒸気もその内に含まれている。
私の権能は本来蒸気化するというもの。さらに
「──でやあああッ!」
この瞬間、玄武体から死んだように垂れている蒸気の蛇から勢いよく実体化した私が飛び出す!
そして形象崩壊を起こして温水に還る玄武体。
私は技が命中する直前に蒸気の蛇へと身体を移し、あえてフラットの大技を食らったんだ。
これも大技を発動した隙を狙うため──捨て身のカウンターを私は迷うことなく選択したわけだ!
「食らえフラットぉぉッ!」
「ぐ、しまっ──」
玄武体を半分を一撃で消し飛ばす威力の暴露撃。その反動は隙を作るには十分過ぎるほど。
接近──ぬかるむ足場を踏み込んで、
プライドと復讐心、そして私を応援してくれた二人の期待に応えるための信念!
私の思いという思いがこもったこの刃を食らえ!
「うぐっ……!?」
「やった──あ、ぐぅぇ!?」
剣に感じた弾力と呻き声。それらを感じ取った瞬間、不幸にもぬかるむ地面に脚を取られて激しく転倒してしまった!
全裸で地面を滑ってしまう私。ここまで頑張ったのに最後の最後で格好がつかないな……。
いや、そんなことよりも! この戦いの決着は──
「ぐっ……。
「うっ、まだ倒れてないですか……!?」
泥まみれになりながらも振り向いて状況を確認。
すると信じられないことにフラットは胴体の傷から血を流しつつも、倒れることなく立っていた。
解放撃の大技を使ったにも関わらず、致命打に至らなかっただなんて……。
どれだけタフなの、
化け物め……と言おうとしたその時、またさらに信じられないことが起きる。
空から──何かが降ってくる!? 湿った地面に勢いよく降り立ち、激しい泥飛沫を上げてそれは現れた。
それは龍。ここにそんなのがいるということは、まさか──
「してやられましたね、フラットさん」
「ディザスト……!?」
やっぱり──さっきまで焔衣さんたちが戦っていた剣士、ディザストが乱入してきたんだ。
これには一時避難して場を離れていた焔衣さんたちも顔を出す……けれども。
「フラット様!」
刹那、黒い手のような何かが勢い良く伸びると、そのままフラットを包み込んでしまう。
何事かと思う間もなく黒い腕の群は龍の背まで戻っていく。フラットの姿は消えていた。
「フラット様、大丈夫ですか!?」
「平気。死ぬ傷じゃない。だから問題ない」
龍の背からそんなやり取りが聞こえる。どうやらフラットを回収しに来たといったところか。
改めて見るとその龍にはディザストの他に数名の剣士が乗っていた。テンタクルとモナカ、他数名見知らぬ増援の剣士たちも。
さっき焔衣さんが言ってたように、他の剣士たちの回収を終えた最後にここへ来たと見るべきかもしれない。
警戒は解かずにいると、龍の召喚者であろうディザストの口が開く。
「先程の戦い、上から見──」
「あっ、あの人裸なのだ! しかも泥だらけ。性癖がすごくニッチなのだ!」
「うわっ、ホントだ。マッディが好きそう」
「あわわ……。いくら聖癖剣士とはいえ、無防備に晒された裸体を見るのは気が引けます。いくら同性とはいえまじまじと見るのは失礼ですよ」
「……皆さん、人が喋った瞬間に話の腰を折らないでください」
がしかし、私の姿を見た他の乗員が急にわちゃわちゃとし始めた。
権能の仕様上全裸になりがちな上に泥を被っている状況。流石に無視するには存在感が強いみたい。
というかニッチとは何だニッチとは! こっちも好きで裸になってるわけじゃないんだよ!
一応腕で胸を隠しつつ、敵の話に耳を傾ける。
「先程の戦いで全ての試合に決着がつきました。四戦中二戦はそちらの勝利。よって僕たちの敗北です。手負いの剣士も多いので大人しく引き下がることとします」
ディザストはこの対抗戦におけるリザルトを発表。
私の試合は勝敗が不明瞭だけど、少なくとも勝利数はこっちが上。よって光側の剣士チームの勝利。
敵ながら公平な判断である。公平すぎて怪しく思うけど、勝ちなら文句はない。
ほっと一安心。思わず肩から力が抜けたその時だ。
「温温……いや、煙温汽」
「っ!? な、なんですか!?」
不意にフラットが私を呼んだ。驚きのあまり、つい返事をしてしまう。
黒い装束の剣士に身体を預けながら私の方を見ている。一体何を言うつもり……?
「私への復讐、これで終わる? それを訊きたい」
言い放たれた言葉に私は少しだけ固まる。
そういえば私は咄嗟に口走ってしまったいた。これで勝てなかったら復讐を止めると。
分かってる。本当は全然納得していない。でも一度口に出してしまったから嘘にするつもりもない。
複雑な心境のまま素直な気持ちを私は言洩らす。
「……はい。全力を出してもあなたを倒せませんでした。もう私には何も残てませんです。あなたを倒す理由、それも無くなたですから……」
今一度戦う意志を取り戻したとはいえ、それは一時的なもの。
この手で取り返すはずの物は本人の身勝手な償いの気持ちのせいで返却された。実力も離れている以上、もう私がフラットにすることは何もない。
ちょっと気が早いかもしれないけど、これからは宿の再建のために曾祖母が作り出した極上の湯を再現する研究を始めるつもりでいる。
もう全て終わったんだ。私の剣士人生は。
多分、諦め故の寂しい笑顔を今の私は浮かべていたと思う。目尻に貯まっていた涙がぽろりと落ちた。
そんな私を見てか、数秒の沈黙を経て思いもよらない発言をフラットはする。
「……ふっ、気が変わった。やっぱりあなたの家族から奪った物、返さない。そう決めた」
「なっ……! それは話が違います! どういうつもりですか!?」
あろうことかフラットは奪った物の返還をする約束を撤回するという暴挙に出た。
これには諦めの気持ちでいた私も怒りを表さざるを得ない。
ただでさえ第三班との停戦協定を破ってるのに、今度は自分自身がした約束まで破るなんて一体どういう神経をしているのか。
いくら敵のこととはいえ身勝手が過ぎる。流石に苛立ちを隠せない私にフラットの真意が伝えられた。
「あなたとの戦い、とても良かった。あなた、まだまだ強くなれる。ここで終わらせるの勿体ない。だからまた今度、私に奪われた物取り返すために戦え。私はいつまでも待ってる」
「…………!」
それはまさかの再戦を求める声。私との戦いをもう一度望むなんて……。
本気での戦いはあろうことか
敵の幹部に実力を認められたという事実は少しだけ嬉しく思える。
けれども一度返すと言った事を撤回されたのは腑に落ちないけど。
「……今度は、負けないです。あなたを絶対に倒してみせますです」
「それでいい。増魅から奪った物は返す。増魅とも、いつか本気で戦いたい。生きてたらそう伝えて」
最後にそう言い残すと、龍は空を飛んであっと言う間に去っていってしまった。
遠くに消え行く闇の剣士たちを見送りながら、改めてこの戦いが終わったことを実感する。
剣士という道を選んだ以上、残酷な光景を目にする日は必ず来る。物理的にも精神的にも、心を締め付けるような出来事を短い間に何度も経験した。
今日ほど濃い一日は初めてのこと。良くも悪くも今後に繋がる経験にはなったと……思う。
「温温さん、これ」
「ん? あ、上着……。また裸のままでした。ごめんなさい、あんまり見ないでください……」
不意に両肩へ掛かる違和感。振り返れば顔を赤くした焔衣さんが目線を逸らしつつ私に上着を被せてくれていた。
忘れていたわけではないにしろ、全裸で泥だらけという格好は放ってはおけないか。
素直に上着を受け取りつつ、でもやっぱり少し恥ずかしさを感じてつい素っ気なく返してしまう。
少なくともちょっとだけ傷心してる私にとってはその心遣いは嬉しい。
貸してくれた上着で胸元を締め、大きな深呼吸を一つする。
土の匂いと掘り当てた温泉の臭気が混じった空気を肺に出し入れすると、すぐに気分が切り替わる。
「私はもう大丈夫です。そんなことよりも心盛さんは大丈夫ですか?」
「うん。俺と閃理で運んだから被害は受けてないはず。千切れた腕も何とか無事に回収出来てる」
最後に途中から存在がフェードアウトしていた心盛さんの心配をしつつ、この戦いはついに幕を降ろす。
この後、無事に全員やって来た他の皆さんと一緒に心盛さんの腕を繋ぎ治す手伝いをしたり、掘り当ててしまった温泉をどうするかで一悶着あったりもした。
本当に色々あったけど、今日という日は私の剣士人生で最も最悪で……そして最高の経験になったと言っても過言じゃない。
私はやっぱり、まだ剣士を辞められない。フラット本人に再戦を望まれた以上は応えてやるのが礼儀。
次こそ倒して私の復讐を達成させる。宿の再建は……もう少し先になるかな?
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