第百癖『削り消された、幸せのために』

【──このまま真っ直ぐだよぉ】

【──あともう少しだよっ】



 鬱蒼とする森の中を走ること数分。私たちは理明わからせによる導きでついに最後の舞台へと到着する。

 他の場所と違い、より山に近いところだから斜面があり足場が悪い。戦う場所にしては随分と悪環境だ。


「ここがフラットのいるところ。今回こそは必ず倒す……です」

「気をつけろ。理明わからせにも反応しねぇってことは、完全に自分の気配や存在感を削って消してるてことだ。注意を怠るなよ」


 どこを見渡しても目標の人物の姿はない。その代わりに隣の上位剣士はこのタネに気付いている模様。

 奴の権能は他者だけに留まらず、自分自身にだって効果を発揮する。


 使い方次第では今のように気配を削り取ってどこかに隠れるだけで誰にも気付かれることはない。

 これから相手にする剣士の力、そのほんの一部に過ぎないという事実が私にプレッシャーをかける。


 怖くないと言えば嘘にはなる。トラウマと対峙することがどれほど精神に堪えるか実感している。

 でも、そんなことで怯えて動けなくなるほど私は弱くない。


 家族と家業の仇を取る。そのためだけに剣士になってここまでやってきた。今更弱気になる理由はどこにもない。


「さぁ、来ましたよフラット! 姿を現してください! 私が相手です!」

「おいおい、温温。あたしたち、の間違いだろ?」

「……それもそうですね。ごめんなさい。私たち、ですね!」


 大声で叫ぶと心盛さんからツッコみが。確かにフラットと戦うのは私だけでなく、心盛さんも同じこと。


 今は上位剣士が一人同行してもらっているんだから尚更負ける気はしない。

 発言を訂正しつつ、呼びかけにどう反応するかを待つ。静かな森の中に私の声が木霊する。


「……来たか。二人だけ。最後まで削りきれなかった。でもこれで十分」


「出たなフラット。いきなり現れんのは心臓に悪いぜ」


 静かな世界に突如として私たち以外の声が発せられた。すぐさま反応をする心盛さん。


 現れたのは言わずもがなフラット。私たちの隣からたった十メートルも離れていない位置に生える木に腕を組んで寄りかかっていた。


 ここまで近いのに声を出すまで気付かなかったのは、やはり推測通り気配を削っているからか。でも、一度認識すれば後は大丈夫。


 戦いが始まる前から負けるわけにはいかない。今一度冷静になって対峙する。


「前は倒しきれなかたですが今日こそは倒しますです。仇討ち、してみせます」

「分かった。あなたの覚悟、三日前の戦いで十分知った。その気持ちに応えるのも、剣士の仕事」


 木から身体を離してゆっくりと舞台の中央へと歩いていくフラット。その間に私との会話に返答をしてくる。


 私の思いに応えるのも仕事? 正直言っている意味は分からないけどやる気でいることは理解する。

 相手がそう来るのだと知れば、私はより本気で挑むだけだ。


「私に勝てたら──あなたの家族から奪った物を返す。我保证約束する

「なっ……!? 这是真的吗それ本当!?」

「ただし、あなたが負けたらあなたから同じ物を奪う。増魅のも。二人分賭けろ」

「何を賭けてるのか知んねぇけどあたしも巻き込むのかよ!」


 ここで衝撃の発言が飛び出す。あろうことかフラットはあの時奪った物を返すことを約束してくれた。


 それが本当だとすれば信じられないレベルの情報になる。奪われた物を返せる可能性が出てきたことは予想外過ぎる吉報。


 もっとも──今更それを返還されたところで奪われたことで失った物まで取り戻せるとは思えないけど。

 だとしても、ほんの僅かでも昔を取り戻せるなら構わない。私の分も賭けてやる。


 心盛さんを巻き込むのはちょっと気が引けるけど、今は私と私の家族のために我慢して欲しい!


「その勝負、受けて立ちますです。約束、絶対守てください」

「ちっ、しゃあねぇな。理由は何であれようやく戦えるんだし、そもそも負けてやるつもりもねぇしな!」

不要紧それでいい。それじゃ、やろう」


 私の事情に巻き込まれてくれた心盛さんには心から感謝を。これで尚更負けられない戦いになった。

 そしてついに、ラスト一組の戦いが始まる。私の意地とプライドをかけて──フラットを倒す!


走吧行くぞ!」


 間髪入れずに速攻! 全力の踏み込みで駆けて行って接近戦に持ち込む。


 足場は多少悪いけど、こういうデコボコな道を走り込む訓練を中国上海支部ではよくやっていた。だからこの程度の悪路で躓くことはない。


 倒れた木、転がる岩も何のその。この三年半の剣士人生で培ってきた全てをぶつけるんだ!


「うおおお、フラットぉッ!」

「特攻、無駄」


 迫る直前に奴が自身の得物を構えたのを見た。

 貧削けずりの剣腹には赤い表面と青い裏面があって、今はその赤い面を私に向けている。


 それを切るのではなく薙ぐ……あるいは扇ぐようにして振るわれた。

 当たれば日向さんと凍原さんのように肉を削がれるはず。内臓が露出するくらいの威力かも。


 でも問題はない。あの日に誓った復讐を達成させるべく、剣士になった私は貧削けずりについての情報を頭の中に叩き込み、ずっと作戦を練り続けていた。


 だから対抗策はしっかり考えてある。むしろ私が最も貧削けずりに対して強く出られる力を持っている!


蒸気化ヂョンファ!」

「むっ!?」


 剣が当たる直前、私は身体を蒸気に変質させた。それによってさっきまで着ていた服だけが貧削けずりに当たる。

 その瞬間、服は一瞬にしてビリビリに裂かれ細かい布切れにされてしまった。


 私の服が……と悲しむのは後回し。貧削けずりの赤い面での攻撃は私には全く効いていない。

 そのまま真横で実体化すると、勢いよく剣を振りかぶる!


「くっ……! あなた、やっぱり分かってる。貧削けずりの弱点」

「勿論です。あなたを倒すため、貧削けずりに関する情報、沢山集めましたから!」


 限りなく死角に近い位置からの攻撃も即座にガード。やっぱりこの一発でやられるわけないか。


 そしてフラットも気付いたみたい。私が貧削けずりの弱点を知っていることを。

 奴の剣【誇虚剣貧削むねなしけんけずり】の権能は『削減』。あらゆる物を削ぎ落とす破壊の力だ。


 どんなに硬質な物体も、人の目に見えない触れられない概念も、この世に存在している物であれば削り落として無くしてしまう。


 でもそれは絶対でもなければ完璧でもない。明確な弱点というのもしっかり存在している。

 その一つが赤い面──はある程度の硬さがある物にしか効力を発揮しない、というもの。


 女子トイレの壁を洗面器や鏡ごと消し飛ばしたり、肉を削り取れたのも全て一定以上の硬さや弾力、反発力のある物……もっと砕いて言えば物理的に触れる物だったからだ。


 赤色の面は煙や匂いに対し効力を発揮出来ない。湯烟ゆけむりには剣士を蒸気の身体する力を持つ──それを知った時、私は確信した。


 私が湯烟ゆけむりに選ばれたのは、全てフラットを倒すためだって。

 こういう運命に私はあるんだと。だから仇を討て──そう剣に言われたように感じたからだ!


「あなた、侮れない。こんな厄介な相手になるなら、無理してでも湯烟ゆけむり奪えばよかった!」

「今更後悔しても遅いです! このまま倒されるです!」


 ガードされてからの素早い取り回しから派生する剣劇。このまま捌ききって次の攻撃に繋げてやる。


 剣と剣が触れるたびに骨まで揺らしそうな強い威力だけど、能力を使わなければただの剣。

 それに──フラットの敵は私一人じゃない。こっちに注目をさせ続けていれば後ろから合図が来るはず。


 ここに来る前にそう打ち合わせしていた。宿敵を絶対に討ち取るため、二対一という有利状況を最大限に生かした戦いをする。



【乳盛倍加! 二倍・三倍・四倍! 五倍・六倍・七倍! 聖癖特盛・七重倍撃!】



「温温、離れろッ!」


 そしてすぐに合図は来る。耳に届いた瞬間、私は身体を蒸気化させて物理攻撃を完全に回避する。


漆倍斬ななばいざん!」


「……ッ!」


 その瞬間、巨大な刃がフラットに向かって振り落とされた。

 風圧だけで私も吹き飛ぶほどの威力だけど、蒸気化している今ならほぼノーダメージだ。


 そう、作戦とはこのこと。私がフラットの気を引いている間に後ろで心盛さんが剣のチャージをする時間を稼ぐというもの。


 心盛さんの聖癖剣【乳盛剣重媒ちちもりけんじゅうばい】──この剣についても私は少しだけ学んでいる。

 元々貧削けずりに対抗出来る力を持つ剣を調べていた最中、対となる存在として上がったのがこの剣。


 重媒じゅうばいの力は今のように剣自体も巨大化させることが可能。倍加させた分重さと大きさも増えていく。

 十聖剣に数えられてないのが不思議なほどに強いけれど、それがフラット相手にどこまでやれるのか。


「……なるほど。直撃してねぇなとは思ってたけど、今のもかわすか」

「正直危なかった。クラウディ、あなたのこと苦手にする理由、分かった気がする」


 が、土煙の中から姿を現すのは無傷のフラット。まさか今の攻撃を打ち消した……?


 いや、それでも全くの無傷ではないみたい。服が一部裂けていることから削り消せなかった分のダメージを受けているようだ。


 流石は十聖剣に次ぐ強さの聖癖剣。私の暴露撃だって平気でかわせる相手に攻撃を当てられるなんて実力も性能も桁外れだ。


「お褒めに預かり光栄だぜ。そんじゃあ、もっと強ェ一発を叩き込んでやらぁ。覚悟しとけ」

「……そう何度も上手くいかせない。増魅、あなたを倒す」

「もう一人のこと忘れないでください。あなたを倒すのは私です」

「一対二、やっぱり卑怯。でも協定破ったから、文句言えない。人生、後悔の連続。这真的很可悲全く嘆かわしい


 小さくため息を吐き出すフラット。覆水盆に返らずとはまさにこのこと。

 そうやって後悔し続けていればいい。一生かけて今まで奪ってきた物に懺悔でもしてろ!


 私の──人生を賭けた戦いは始まったばかりだ。

 絶対にフラットを倒し、あの時の誓いをここで果たす。そのためだけに私はここにいる!


 いくぞ! 私の実力はあの程度じゃ終わらない。湯烟ゆけむりが誇る権能を味わわせてやる!



【聖癖開示・『温泉』! 立ち昇る聖癖!】



温焼塊ウェンシャオクァイ!」


 開示攻撃を承認、そして発動。剣のスリットから高熱の蒸気が放出された。

 周囲の景色を大きく揺らめかせてしまうそれを、一つの大きな塊にして剣とリンクさせる。


 鎖で繋がれた鉄球を扱うが如く振り回し──フラットに向けて投擲!

 これは触れるだけで火傷にさせるほどの高熱だ。当たれば大ダメージは免れない。


概念削ガイニェンシュエ


 だがフラット。そんな弱点を突く攻撃にも即座に対応してくる。

 同じように薙ぎ切りをしてきた。


 すると温焼塊は見えない何かによって消失。湯烟ゆけむりを介して感じる熱の力が急激に弱まったのを感じ取った。


 やっぱりあの力は知っていたとしても実際にやられてしまうと果てしなく厄介。

 物体を削るのも十分脅威だけど、本当に恐れるべきはこっちだというのを改めて思い知らされる。


「ぐ……、やはりそうしますか!」

「『削減』の権能、甘く見ない。削れるの、物だけじゃない。触れないのも削れる。『鬼の首取ったように』だったか。そう思うの、まだ早い」


 完全に消え去った私の技を前に、青い面を見せつけながら今の権能が何なのかを教えてくれる。

 さっきの説明通り、貧削けずりには赤色の表面の他に青色の裏面がある。


 今のは裏面の方を使ったんだ。赤色の面と違い、物理的な物を削ることは出来ないものの、逆に概念……触れない物や視認出来ない物を削ることが可能。


 煙や温度だけじゃなく重量や光、機械のデータに至るまで権能の影響範囲はとかく広い。噂じゃ人の記憶だって対象の内らしい。


 もし下手に出て攻撃を受けてしまえば手の感覚さえも削り取られてしまうかもしれない。十分に注意して行かないと……!


「うるああッ!」


 今度は心盛さんの攻撃。私との短い会話をしている一瞬の隙を突き、またも巨大化させた剣で切りつけに行く。


 即座に気付かれ、紙一重の回避。今のは固有技による巨大化ではないようで、先程のような威力はない。それでも地面を抉る一撃ではあるのだけども。


「さっきからヒラヒラとかわしやがって! ま、そんな薄い身体なら簡単に避けるのもわけねぇか!」


 不意を狙った攻撃をかわされても苛つくどころか半笑いを浮かべている心盛さん。この人にはまだ余裕というものが感じ取れる。


 その証拠に達者な回避技術が胸の薄さに起因しているのだと、わざとらしい言葉でフラットに挑発をし始めたのだから。


「むっ……! そっちも大きいだけの脂肪つけてるの、理解出来ない。動きづらい、邪魔、無駄でしかない物、必要性はどこにもない!」

「はっ、何ならお前も大きくさせてやろうか!? あたしの剣ならそれが出来る。デカい乳を持ってることの良さってのを思い知らせたらァ!」


 自身の聖癖を煽られことが癪に障ったのか、挑発に一際強く反応するフラット。まさか乗るとは思わなかったものの、それはむしろ好都合。


 奴のターゲットから私は外れる。そして次の標的となった心盛さんもやる気を見せていた。

 構える聖癖剣。エンブレム部には灰色の光が灯っており、権能を行使するつもりでいるのが分かる。


 心盛さんの剣【乳盛剣重媒ちちもりけんじゅうばい】──それが宿す聖癖は俗に言う『巨乳化』と呼ばれる物だ。

 読んで字の如く胸を大きくさせる趣向型の聖癖。内容とリンクするかのように『質量倍加』の権能を宿す。


 物体を大きくさせるのは勿論、概念にもある程度干渉が可能。重量の増加や力の増幅など、まるで貧削けずりの正反対を往く権能だ。


 そして当然、こっちも人体に影響を及ぼさせる力がある。どういうことなのかを具体的に言うと──


我不会让这种情况发生そんなことされてたまるか……! 気が変わった。邪魔な肉が無いことの良さ、増魅に身を以て味わわせる!」

「やってみせろよ、ド貧乳!」

闭嘴,你这个大胸脯的婊子黙ってろ、デカ乳女!」


 挑発を受けたフラットは、あろうことかこっちも同じ様に権能を行使するつもりでいる。

 お互いに一騎打ちの姿勢に。もう私のことなんか眼中に無いのかも。


 一瞬の沈黙。どちらが先というわけでもなく、同時に二人は動く。

 超重量の重媒じゅうばいを軽々片手で持つ心盛さん。青い面を見せるフラット。その二つが今、交差した。


 足場の悪い中で行われた一騎打ち。普通の戦いならば今のでどちらかに軍配が上がるのだけれども、私の想像が間違いでなければ、この交錯は──


「……ぐっ。フッ、やるな。軽く掠っただけのくせしてここまでやってくれるとは」


 最初に反応を見せたのは心盛さん。小さく呻き声を出してフラットの攻撃を賞賛する呟きをする。

 まさか、やられた? しかし、出血はおろか致命的なダメージを負った様子は見られないけど?


 そして心盛さんが振り向いた瞬間──今の一騎打ちによる被害が明らかとなる。


「心盛さん、は……!?」

「へっ、なぁに気にすんな。乳の一つや二つ取られたって死ぬわけじゃねぇって」


 私の予想は奇しくも的中する。動けば揺れる乳房を支えるせいでぱつんぱつんだった衣服。それはもはや以前の大きさなど見る影もなくだぼっとしている。


 削られたんだ……身体の一部、胸という部位を。

 気丈に笑って何ともないことを口にする心盛さん。だけど私は内心欠片も笑えない。


 女性離れした高身長で筋肉質な恵まれたその身体は、遠目だと男性に見間違えられることもあるはず。

 そんな彼女を一目で女性と判別させるのは胸の存在。今はそのシンボルが失われている状態だ。


 女性にとって胸の大きさはステータス。大きければ大きいほど異性に対する魅力が増す。それを奪われることで多くの物を失うことだってある。


 それが何より恐ろしかった。あの時と同じように、私の家族だって──


「ぐ、うおおおぉぉ……!?」


 そんな心盛さんの心配をしていたら唐突な悲鳴が。

 まるで生理的に受け付けない物でも見てしまったかのような酷い叫びが聞こえた。


 向こうを見やると、重い物を抱えているかのようにふらふらと覚束ない足取りのフラットが振り向いた。

 敵に何が起きているのかをこの目で知ってしまう。


衣服太紧太硬服で圧迫されてきつい……。这是胸大的人的身体吗これが胸の大きい奴の身体か……!?」


 大きな独り言を呟きながらフラットがきつい目つきでこちらを強く睨む。


 どこか苦しそうにするのは自身の身体が原因であるとすぐに理解した。

 フラットの平坦な身体には──先程まで存在しなかった大きな起伏が生まれていたからだ。


 相応のサイズに合わせられていたであろう衣服から溢れる……いや、もはや溢れ押し返してしまっている豊満な柔肉。それを腕全体を使って支えている。


 想定のサイズを遙かにオーバーした胸は、存在そのものがデメリットと化す。

 フラットは今、重媒じゅうばいの力によって巨乳化され、纏う衣服が身体の自由を奪うギプスとなっているんだ!


「よくもやってくれた、増魅! こんな物、付けるなんて……绝对不原谅許さない!」

「ダーッハッハッハ! そう怒るなよ。案外似合ってるぜぇ? うっすい身体にデッケェ胸がぶら下がってんのも悪くねぇだろ?」


 自慢の貧相な身体スレンダーボディに手を加えられたことで、その声に混じる怒りの色は凄まじい。仮にも『貧乳』の聖癖剣を使う者としての誇りはあるみたい。


 対する心盛さんは爆笑。自分の胸が削がれているというのに、逆に相手の胸を盛り返すというカウンターが成功したことに嬉しそうだ。


别傻了ふざけるな! 日本のことわざにある、『貧乳はステータスだ、希少価値だ』と。増魅は私の身体を無価値な物にした。我绝不允许絶対に許せない!」

「それ別にことわざでも格言でもねぇからな!?」


 なんかちょっとしたデジャブを感じてしまっているけど、きっと気のせいだよね。

 ともあれ程度の低い言い争いに発展しそうになるのを察した私は、ここで行動を起こすことに。


「これで分かりましたか、フラット。人の大切な身体ものを奪われる気持ちが。私の家族は、その気持ちをあなたに味わわされてます」

「フッ、私はあれを消し去った。これは与えられた。ベクトルが違う」

「いえ、同じです。あなたはその身体を自慢に思てる。それを奪われた苦しみ……形は違うにしても、感じ方は同じなはずです」


 一歩前に踏み出して苦しむフラットに私は言葉をかける。

 これは憐れみなんかじゃない。あの時と同じ苦しみを味わわされていることへの問いかけだ。


 否定こそされるけど私個人の解釈だと本質は同じものだと思う。

 豊満な身体よりもシャープな体型を自慢に思う人がいたって不思議じゃない。


 自分が誇らしく思う物事を否定されること……それがどれだけつらいことなのか、知って欲しかった。

 勿論それを理解させたからと言って私の復讐は終わるわけでもないけど。


「ん? そういえば温温。お前の家族って、フラットに何を奪われてんだ?」


 すると、フラットからの返事よりも先に心盛さんの疑問が飛んだ。

 何やら私の家族のことについてらしい。そういえばこのことをまだ誰にも言ってなかったっけ?


 なら丁度良い。フラットに今一度私の家族が受けた被害を認識させてやる。

 おそらく日本に来て初めて口にすると思う。私の家族が奪われた大事な物……その真相を。


「私の家族、母と姉はフラットに────“胸”を奪われました」

「……は?」


 家業については前にも言った通り。今から説明するのは家族の方。


 フラットの暴挙を止めるために立ち向かった家族は呆気なく返り討ちにされた挙げ句、母と姉は見せしめのように胸を奪われてしまったのだ。


 この凄惨な光景を目撃した当時の私は、無様へ地面に転る家族を宿の柱から覗くことしか出来なかったのを今でもはっきり思い出せる。


 たまたま中国支部の剣士が居合わせていたから湯烟ゆけむりは奪われずに済んだけど、それでも宿を畳まなければならない程の被害を受けた。


 あれほど悔しい思いをしたことは後にも先にもその一件だけ。家業、家族、そして私自身のトラウマ……それらがこの復讐を後押しする原動力だ。


「……え、そんだけ? もっとこう、腕とか足とか消し飛ばされたとかじゃねぇのか?」

「大きな怪我とかは無いですけど、この後さらに酷いことになりました。フラット、自分がどれだけのことを私たちしたのか、教えてやりますです!」


 しかし、この悲劇を何故か心盛さんは理解出来ていない様子だった。

 確かに胸を奪われたということ自体は命に関わるようなことではない。それは認めざるを得ない事実。


 でも私たちの場合は違う。失った物があるせいで、より大きな物を失うことになったから。




 隠れた名湯として有名だった私の実家、幸花温泉シンファウェンチュェンは多くの人を惹きつけてきた。それは何も近所の人や中国支部の剣士だけに留まらない。


 先代昇華の聖癖剣士が作り出したとされる今の私にも再現出来ない効能を宿す湯を目的に、富裕層の人たちも頻繁に足を運んできていた。


 そこで出会ったとある会社の後継者が私の姉に一目惚れ。トントン拍子で宿への経済的支援を約束、そして婚約と事が進んでいき、私たち家族は何不自由なく暮らせる未来が待っていた──はずだった。


「姉は……一流企業の次期社長との婚約を取り消されました。胸が無くなたことで女としての魅力が消えたと言われて、家業を存続出来なくなたことで経済的支援も白紙! そのせいで今は鬱病で引きこもりです。全部あなたのせいです、フラット!」

「…………!」

「う、うわぁ。悪ぃ、想像以上の被害過ぎて何も言えねぇわ……」


 これには流石の心盛さんも理解してくれた。

 そう、フラットが奪ったのは胸や家業だけじゃない。人の幸せを……人生そのものを破壊したんだ!


 姉の自殺未遂だって何十回と止めたことか! だから私はフラットを倒すことで家族の無念を晴らす。

 そのためだけに剣で宿の再興を目指すよりも先に復讐の道を取ったのだから!


「……闇の剣士、目的達成のために手段選ばない。だから多少の犠牲も仕方がない。そう考えてる」

「この後に及んで言い訳ですか!? あなたが宿を襲わなければ、家族に手を出さなければ、宿の剣が湯烟ゆけむりだと分かていればこうはならなかたはずです。それを組織のせいにするつもりですか!?」


 長い沈黙の後、ようやく発した言葉に私は怒りそうに……いや、激怒する直前まで来た。

 第一声が言い訳とは悪癖円卓マリス・サークルが聞いて呆れる。それならまだ開き直ってくれた方が気分が良い。


 日本語で会話をすることで冷静さを保たせているけど、返事次第でそれがどこまで持つのか分からない。

 身体の内側から滾る怒りを剣のグリップを強く握りしめることで何とか抑え込んでいる。


 我慢の限界が近い私に対し、フラットの弁明は意外な方向へと進んでいく。


「でも──それでも、必要無い被害や犠牲、出すのも禁じられている」

「……どういうことです?」


 次に何を口に出すのかと思えば、組織の信条を一部否定する発言だった。

 確かに闇の聖癖剣使いは目的のためなら非情な手段も平気で行う組織だと言われている。


 破壊活動は勿論のこと場合によっては殺人だって厭わない悪辣な組織だ。

 だけどフラットの言い分ではそれらには限度があるのだという。一体どういう意味なのだろうか。


「あの時の私、確かに個人的な感情であなたの家族を攻撃した。胸奪われるくらいじゃ死なない、多少人の目が変わるだけ。そう思ってた。でも違った。私の想像がつかない不幸を呼び込んでしまっていた。それは間違いなく、私のミス。謝らせて欲しい。对不起ごめんなさい

「なっ……!?」


 この想像もしなかった行動に私はただ驚くことしか出来なかった。

 因縁の相手に自ら謝らせたという事実は日本の基準では考えられないレベルの事態であるからだ。


 日本とは違い、中国の人は気軽に謝罪を言葉にしない。心の底から自分が悪いと思わない限りは謝らないのが中国人私たちの普通なのだから。


 ましてや敵対関係であれば礼儀など以ての外。にも関わらずフラットはそれ以上の言い訳をせず、素直に謝罪を口にしたんだ。


 とても悔しいし、かなり不服ではあるけども、フラットの誠意は嫌ほど伝わった。

 ただ、だからと言って全てを許す気には到底なれなかったけど。


「今更反省……!? そんなこと今されても、もう遅いです。私はあなたを永遠に許さないです!」

我不会介意的それで構わない。闇の聖癖剣使い、そっちと同じ世界を守る組織。世の中の平和を願ってる。人の幸せを望んでる。あなたの家族、必要以上に傷付けた。これは組織のポリシーに反する。許しはいらない。私が背負う責任だから」


 本当に……訳が分からない。敵のくせに、加害者のくせにそんなあっさりと謝ってくれるなんて逆に気持ちが悪い!


 それに何? 闇の聖癖剣使いが私たち光の聖癖剣協会と同じ世界を守る組織?

 そんなの信じられるわけない。ふざけるのも大概にしろ!


 謝罪をされてこんなに不快な気分になったのは初めてだ。喉元まで来ていた私の怒りは今、複雑な感情と一緒に暴発する。


你夠了沒有いい加減にしろよ……! 我和你们这些人不一样お前らなんかと一緒にするな!」


 ついに爆発してしまった私は、湯烟ゆけむりを握る腕を大きく振るう!

 それにより生まれる高熱を纏った衝撃波は真っ直ぐフラットへと襲いかかった。


 たが仮にも悪癖円卓マリス・サークル重媒じゅうばいの力により巨乳おもりの付いた身体にされてしまっていても即座に反応。

 接触する直前、青い面で瞬時に削り消されてしまう。


 やっぱりこの程度の攻撃じゃ駄目だ。もっと強い力でやらないと……。

 怒っていても冷静さだけは手放さないよう次の攻撃は必ず当てるつもりで接近する。


 お互いに構え、剣劇に発展。ものの数十秒程度の打ち合いは鍔迫り合いへ持ち込まれる。

 その間、私は内心の感情を眼前の仇敵に打ち明けていた。


「敵なら敵らしくしろです! 言い訳して、開き直て、一生悪役でいてもらわないと困るです!」

「それは出来ない。私たち、世界を陰から守る組織、だから闇を名乗ってる。世間のルールは基本従う、必要以上の悪事になるようなことしない。人もなるべく殺さない。トロッコ問題と同じ、大勢の人救うのに、一人の犠牲を選ぶ組織。だから悪じゃない」

闭嘴吧うるさい! あなたは悪、組織も悪。悪は倒されるべきです! 现在就去死吧今すぐ死ね!」


 そんな言い分関係ない! 組織の方針がどうあれ家族を不幸のどん底へ叩き落とした事実がある限り、私の復讐は絶対に終わることはない!


 拮抗していた剣は、私の怒りのせいか貧削けずりを僅かずつ押し返し始めたのだ。

 ギリ、ギリと金属が擦れる音と共に湯烟ゆけむりをフラットへと押し近付けていく。


 いける。足場は悪いから回避は困難。本人は重媒じゅうばいの権能で巨乳化デバフをかけられている。

 倒せる、もうすぐ仇が討てる! だからこのままやられろ、フラットォォォ──ッ!!


「うおおおおぉぉ──ッ!」


 力一杯、鍔迫り合いに全力を込める。心の中で仇敵の名を叫びながら、目の前にある勝利に手を伸ばした──その瞬間だった。


「まずいッ。どけ、温温!」

「えっ……!?」


 不意に横から誰かに押された。力強く突き飛ばされたことで、私は強制的に攻撃を中断させられる。

 そして次の瞬間、私の怒りが一気に冷めきってしまう事態が起きてしまう。



「────ぐうぅっ……!!」



 その悲鳴は私が突き飛ばされる直線に聞こえた声と同じ。

 そして顔にかかる水滴──これは、ただの水なんかじゃない。温い、鉄の匂い。


「…………ッ! 心盛さんッ!?」


 視界に飛び込んできたのは仲間の剣士が私を庇い、敵の攻撃の身替わりになった光景。

 その豪腕が剣の力で削り飛ばされ、あらぬ方向へと飛んでいくのを見てしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る