第九十五癖『怒る豪傑、湯船に流れる』

「こぉんの馬鹿どもが! 勝手した罰だオラァ!」

「い゛っ!?」

「お……あ、頭が……」


 その日の夜──第三班の移動拠点内に凄まじい怒号が鳴り響いた。


 ドデカい声だけならまだしも、続けざまにヤバめな音が二連続で鳴る。それを覗き見てしまった俺と他数名は思わず震え上がった。


 音の正体。それは怒り心頭の心盛さんがお仕置きと称して日向と凍原にゲンコツを落としたからである。

 元日本一の拳が脳天に直撃。いくら聖癖剣士と言えどもこれは耐えられまい。


 だってほら……気絶しかけてんだわ。日向はともかく凍原まで床に突っ伏して倒れてしまっている。何も知らない人が見たら虐待だぜ、これ。


 それらの光景を扉の隙間から見ている俺とメル、朝鳥さんに温温さんの四人。

 覗きはあんまり褒められる行為じゃないんだけど、流石に心配になってな。


 まぁでも二人がここまで怒鳴られてしまうのも当然で、理由は何であれ実力差を顧みず無謀にも悪癖円卓マリス・サークルに挑んだんだからな。


「燦葉ァ! てめぇ、何で相手が格上だって分かってて勝負しやがった!? 前に教えたことあるよな? 勝てない相手には挑まない。少しでも勝てる可能性があると慢心しない。自分を強いと──はいこの先言ってみろ」

「うぅ……ぐすっ、じ、自分を強いと思いこまない、です……」

「覚えてんなら何故そうした!? 戦いナメてんのか? 死にてぇのか? あ゛ぁ!?」


 うわぁ……見てるこっちも怒られてる気分になるほどの怒鳴り声。

 これには流石の日向も普段のプライドの高さ故からくる態度も鳴りを潜めて泣きじゃくっている。


 しかし心盛さんの怒りは正当だ。いくら朝鳥さんを救うためにした行動だったとはいえ、剣士生命を失いかける一撃を食らったんだから。


 咄嗟に防御したことで肉のみで済んだものの、もし直撃だったら腕が消し飛ばされていたのだそう。

 もしそうなれば最上級クラスの回復能力を持つ鼓導こどうの権能でも完全回復は見込めない。


 取れた腕をくっつけることは出来ても生やすことは回復の権能でも不可能なんだと。聖癖剣とてそこまで都合の良い存在じゃないってことだ。


 でも、もし孕川さんが居なかったとしたら本当に剣士を辞めることになっていたかもしれない。

 ドの付く素人を同行させた閃理の采配には頭が上がらないぜ。


「凍原、お前もだ。正直燦葉なら自分から突っ込んでくことは予想出来てた……だが、賢いお前なら冷静に引き留めて敵と対話するっていう手を打てたはずだ。相手は獣じゃねぇ、少なくともフラットは闇の剣士の中でも理性的な奴だ。どうしてしなかった」

「そ、それは勿論しました! 戦わずに済むよう投降を──」

悪癖円卓マリス・サークルが下位剣士ごときの言葉を聞くわけねぇだろ。お前、舞々子のとこで何学んできたんだ」

「うっ、うぅ……」


 うおお、本当に容赦ねぇな!? 日向には激しく怒鳴りつけ、凍原には冷徹に厳しい言葉を投げかける。説教の使い分けも上手すぎるぞ。


 凍原が泣いてるの初めて見たわ。舞々子さんの下で剣士やってることを侮辱され、反論さえ出来ず悔し涙を流している。


 そうだよなぁ……当時起きたことは朝鳥さんからちょろっと聞いたけど、格上に投降するよう促すのはズレている気もしないでもない。


 まぁその時は焦ってつい言葉選びに失敗したのかもしれん。むしろ敵に臆せずしゃべれただけすごいくらいだ。俺はそう思う。


「おい、そこの馬鹿ども。ちらちら覗いてる暇があるならお前らも説教してやろうか? 特に温温と焔衣! お前らにも本当は山ほど言いてぇことがあんだからな!」


「やばっ……。逃げろみんな!」

「増魅の説教、舞々子と同じくらい怖イ。Run away逃げろー!」

「待てください! 怒られるの私も嫌です!」

「私被害者側なんだけど~!?」


 すると心盛さんは俺たちの存在に気付いてしまった模様。

 温温さんはまだしも今回何もしてない俺が名指しで呼ばれたのは納得いかないぞ!


 スタコラサッサとその場から退避。鬼が来る前に説教部屋と化している応接室前からとんずらした。

 二人の様子をこれ以上見守れないのは残念だが、飛び火は避けたいところ。頑張れ日向、凍原。


「物好きだな、お前たちは」

「人が怒られてるのを見るのはマナー的にも精神的にも良くないから止めといた方がいいよ?」


「閃理……と、孕川さん。い、いやぁ、だって何か心配でさ。結果はどうあれ朝鳥さんのために身体張ったのに報われないなぁって」


 俺たち四人が逃げ帰った先は二階へ繋がる階段の踊り場。そこに集って上がった息を落ち着かせていたら、二階から声をかけられた。


 言わずもがな閃理たちである。その傍らに孕川さんが縋りつきながら立っているのを見る限り、多分トイレの付き添いでもしてたんだろうな。


 説教の傍観中にも思った通り、日向と凍原の腕は鼓導こどうの権能で完全に回復させている。治す瞬間を見てるけど、これがまたスゴかったんだわ。


 削れた肉が盛り上がるように増えていって、あっという間に皮膚まで張り直す一幕。当然、痕は一つも無く、以前までの綺麗な肌に戻っている。


 回復にかけた時間は僅か二分にも満たない。骨まで見えていた日向の腕は少し時間をかけたけど、それでも五分とかかってない。超回復力を見せつけられた。


 瞬間回復って物によっては痛みを生じさせるイメージもあるけど、当人たち曰く「むず痒い」とのこと。

 副作用も軽いとは流石最上級の回復能力の権能なだけはあるぜ。


 しかし、鼓導こどうの権能は剣士を妊婦と同等の状態にさせるデメリットを文字通り孕んでいるため、肉を削がれた腕という大怪我を回復させた結果、今のような臨月ばりの大きさになっているのだ。


「俺とて本当は褒めてやりたいが、今回は相手が悪い上に小さいが被害も出た。心盛さんがあそこまで怒りを露わにするのも無理はない」

「自分が要請した応援部隊の人が死んだら後味悪いですしね。そりゃそうもなるか……」


 話は戻って答弁に。閃理が言うにはあの二人、本当は褒められて然るべきことをしてはいるらしい。

 だが、負けてしまった上で命の危機に陥りかけたことは見逃すわけにはいかないんだと。


 心盛さんのように怒鳴ることはせずとも、無謀に挑んだこと自体は決して褒められることじゃない。

 朝鳥さんの呟きも道理。あの怒りようじゃ多分相当心配してたんだろうなぁ。


 特に日向は先輩呼びをしてくるくらい慕われているわけだし、そりゃああなってしまうもんか。


「でもちょと可哀想です。私たちに出来ることあればいいですが」

「賛成かなぁ、私も。具体的な意見は無いけど……」

「メルも同ジ。焔衣、何か考えテ」

「うーん、何かって言ってもなぁ。何するよ?」


 ここで一つの案が提唱された。温温さんによれば、怒られている二人に何かをしてあげようとのこと。

 そうだよな、折角頑張ったのに何も無いままなのはちょっと可哀想だ。


 とはいえ出来ることなんてなぁ……。相当限られてると思うんだけど。

 とりあえず言われた通り考えてはみるけど、ご期待に添えられる物をお出し出来る可能性は望み薄。


 ここは温泉地だけどフラットの襲撃が影響してかどこも彼処も臨時休業しているところばかり。折角来たのについてな…………あ。


「そうだ。温温さん、湯烟ゆけむりって『温泉』の聖癖ですよね?」

「そうです。湯烟ゆけむりは『温泉』のシチュエーションの剣です。それがどうかしましたか?」


 ここで俺、名案を思いつく。これは我ながら良いアイデアなんじゃないか!?

 二人を慰めるためにをここで再現するのだ! それを可能にするの温温さんの剣だけ。


「……ああ、なるほど! 流石焔衣さん。その手がありましたですね!」

「ん……? ど、どういうこと? 剣が何か関係してるの?」


 一瞬遅れて温温さんも俺の真意を理解。その様子を見る限り賛成してくれるのは確実だな!

 一人よく分かってない朝鳥さんはさておき、考えが一致した俺と温温さんは直ちに行動に移る。


「閃理、何か岩とかそういう感じの物体を出せる聖癖章持ってない?」

「なるほど、そういう魂胆か。その考えは確かに面白そうだ。待っていろ、第三班の保管庫から使えそうな物をいくつか拝借してくる」

Roger了解。メル、増魅ところの様子見てくル。終わりそうになったら連絡すル」

「あーなるほど。でも適当に作ると時間かかるでしょ? デザイン設計は任せてよ。こういうの実は経験あるんだから」

「だからどういうことなの!? 岩とか設計とか分かんないよ。私にも説明してよ~!」


 閃理とメル、そして孕川さんも俺たちの考えには賛成みたいだ。

 この人らが味方に付いてくれるならこれほど頼れる人は無い。よし、実質満場一致だな。


 というわけで三班が所有する聖癖章を借りてくる間に俺たちは行動に移る。場所はどこがいいかな。

 そして最後まで何をしようとしているのか分かってない朝鳥さん。仕方がないから教えてやろう!


「ふふふ、作るんですよ! 二人の機嫌を直せるくらいスゴいやつを!」

「おん、せん……? を、作る!? 何ソレ!?」


 さぁ、というわけで工事開始だ! 制限時間は説教が終わるのをメルが教えてくれるその時まで。

 孕川さん提供の図面を元に急ピッチで作業を進めるぜ!











「ぐすっ、うぅ……」

「日向さん。これ以上泣いてはいけません。納得しきれない部分もありますが、非は私たちにあります。この辛さをバネにして次また頑張りましょう……」


 説教が終わり、私たちが応接室から出られたのは開始から大体一時間くらい経ってからのこと。

 私と凍原はそこで、悪癖円卓マリス・サークルに挑んだことについて心盛先輩にきつく叱られてしまった。


 ここまで強く説教されたのは久しぶり。説教中は散々泣いたし今も涙が溢れて止まらない。あともう何ヶ月も経てば二十歳なのに今の私はまるで子供。


 とても悔しい……。今日ほど自分自身の非力さを悔やんだことはない。数時間前に戻れたのなら、今すぐ過去の私を殴って止めに行きたいくらいに。


 一方の凍原は私とは違って泣き止んではいる。

 でも目元は赤いし声は震えたまま。時々鼻を啜っているから、泣くのを我慢していることは明らかだ。


「分かってるわよぉ……。でも凍原だって同じでしょ! 舞々子さんのとこで修行してるのをあんな風に言われて悔しくないの!?」


 泣き止みたくても涙腺はそう簡単に言うことを聞いちゃくれない。私はつい八つ当たり半分で凍原に当たってしまった。


 一歳差とはいえ年下に当たるなんてみっともない。言葉にしてしまってから心の中で若干後悔していたら、すぐに返答をもらう。


「勿論……悔しいに決まってます。ですが虚勢を張るばかりで封田さんから学んだことを生かせずに終わったのは私が未熟だったからです。心盛さんに言い返す言葉を私は持っていません。全て、事実でしたから」

「……ごめん」


 その言葉に私は何も言わない。いや、言えないのが正しいか。

 凍原だって聖癖剣士である前に人間。決して氷のように冷たい女じゃない。


 悪く言われて傷つく心はある。私の問いかけは流石に失礼極まりない言葉だった。

 逆に精神的ダメージを食らう私。何と例えるのが正しいのか……ああ、心が曇っているって感じかも。


 とにかく自分が酷くみじめに思えていて仕方がない。こういう時はさっさと寝るのが得策。

 暗くどんよりとした気持ちで二階の部屋に行こうとした時、私たちの目の前にあいつが現れた。


「おーい、日向、凍原。説教終わったか?」

「ちっ、何よ。私たちのこと嗤いにでも来たの?」


 それは焔衣兼人。あーもう、よりによって今一番会いたくない奴とばったり会ってしまうなんて。この出会いに思わず舌打ちが出てしまった。


 当たり前だけど知ってるから。さっき説教中に覗きに来てたこと。

 いくら今は友達だからとはいえ元々はお互いにいがみ合った間柄。どうせ陰で嗤ってたんでしょ。


 凍原に対してはどう思ってるのかは分からないけど、私がこんな目に遭ったことを喜んでたって不思議じゃない。ほんとツいてな────


 ……いや、意外と清い考え方をしてる焔衣兼人こいつがわざわざ人のことを嘲笑しにくる? なーんかイメージに合わないような……。


 ダメだ。ていうか何を考えてるのよ私は。こんなのに構ってられるほど心に余裕なんてない。

 一体何しに来たのかは知らないけど、適当な慰めなんかいらないんだから。


「嗤いたければ嗤うといいわ。どうせ私はあんたと違って恵まれてるわけじゃないんだし。無様に負けて無様に叱られたことをネタにでもしてれば?」

「日向さん、その言い方は……」

「俺、そんなに性格の悪い人間に見えてるの? そうだとしたらめちゃくちゃショックなんだけど……」


 ぐ……。こいつ、やっぱり人間性は想像以上にまともだわ。そう真面目に言い返されればこっちの調子が狂うってのよ。


 はぁー……、とはいえ私も私ね。塞ぎ込んだ気分になってるせいで今は友達の剣士に対して嫌みな言葉を投げかけるなんて。


 本当に性格の悪い人間は今の私じゃない……。凍原に苦言されて当然か。自己嫌悪も致し方が無し、ね。


「……はぁ、悪かったわよ。さっきの発言は取り消すわ。ごめん。それで本当に何の用? 今はあんまり人と話す気分じゃないんだけど」

「ああ、いや、さ。俺……っていうか俺たちなんだけど、二人のこと心配しててさ、朝鳥さんのために頑張ったのにあそこまで怒られたのは流石に可哀想っていうか、居たたまれなくてさ……」


 心の中でため息を吐き出しながら、私は失言を謝罪しつつ改めて焔衣の用事を訊ねた。


 やっぱり同情や慰めの気持ちを持っているみたい。こいつだけじゃなく、他のみんなの総意らしいけど。

 焔衣の言うように正直説教されたことは少しだけ納得していない。


 結果はどうであれ私たちは朝鳥さんを助けようとして行動したんだから、褒められることはなくともあそこまで怒られたのは理不尽だと思ってる。


 勿論今の考えは口にしないけど。それくらいの言っていいこととそうでないことの違いくらい理解してるつもりだから。


「それでさ、少しだけ言い辛いんだけど……」

「何? 早く言いなさいよ」

「ごめん。えーっと……、入る気ない?」

「……は? 温泉?」


 んん? こいつ、今何て言ったの? 温泉に入るかどうかを今訊いてきた……のよね?

 え、何……いきなり。話が飛躍し過ぎてて理解に苦しんでるんだけど。


 確かフラットのせいでこの辺の宿泊施設や銭湯は被害に遭った旅館以外一日だけ臨時休業してるはず。

 あと時間も十時過ぎてるから、仮に営業中の店があってもすぐ閉店の時間になると思うんだけど。


 入れる温泉なんてどこにも無いはず……。ってか何故に温泉?

 はっ、まさかこいつ、もしかして……!


「あんた、まさか混浴の風呂屋でも見つけてそこに連れて行くつもりなの!? そうだとしたらサイッテーよ! 傷心してたらOKするとでも!?」

「あ、いや、違う! ああもうやっぱりこうなるのかよ! 勘違いするなって。別に俺も一緒に入るだなんて言ってない。これは二人のために用意した物だから!」

「私たちのため、ですか? それに用意とは……」


 つい考えが先走って焔衣を叩いてしまったが、何やら混浴とか覗きを目的に温泉に誘ったわけじゃなさそう。私たちのため、ってどういうこと?


「来れば分かるよ。どうする。入る? 入らない?」

「……本当に覗いたりしないのよね?」

「当然だ。聖癖の力で外からは見えないようになってる。……それに命賭けてまで見たいものでもないし」

「ちょっと、今の聞こえたわよ!」


 最後にぼそっとめちゃくちゃ失礼なこと言いやがって! 聞こえないと思って言ったのなら果てしなく大間違いだから!


 人に裸を見られたくはないけど、見る価値無いって言われるのも結構不快ね。こんなところで知る気持ちじゃないけど。


「いいわ、上等よ。覗きたければ覗けば!? 顔に穴開けられてもいいならね! そうでしょ、凍原?」

「えっ。わ、私もですか?」


 売られた喧嘩は買う主義よ。その温泉に入ってやろうじゃないの。凍原と一緒に!


 そういうわけで私たちは焔衣の後をついて行く。すると拠点から出て、駐車場の少し奥にある林の中へと連れて行かれた。


 一体どこまで行くっていうの……? ていうか温泉街から真反対の方向なんだけど。


「ん~……あれ? どこだったっけ」

「何で迷ってんのよ。あんたが連れてくんでしょ」

「しょうがないだろ。さっきも言ったけど外側からは見えないんだ。おまけに暗いし」


 案内人のくせに迷うとか馬鹿でしょ? めちゃくちゃ心配なんだけど。

 別に何十分も時間かかってるわけじゃないのに、気分の悪さも相まって流石にイライラしてきた。


 これでもしたどり着けなかったら一発ぶん殴ってやる。そうすれば多少スッキリするかもね。

 ひっそりと拳の用意をしながら黙って歩いていると、誰かのため息と同時にそれはいきなり出現する。


「焔衣、いつまでその辺をうろちょろしているつもりだ」

「ひょっ!? えっ、生首!?」

「うぉっ。あーもう、びっくりした。脅かさないでよ閃理はさぁ……」


 すると何もない空間からニュッと人の頭だけが現れた! 暗い林の中、この出現に驚かないわけないでしょ。


 生首の正体は閃理さん。どうやら本当に外からは見えなくなる聖癖の壁を張っているらしい。

 首から下の身体もすうっと無から出てくる。あそこが結界の境界みたいね。


「…………!」

「あ、凍原が固まってる!」

「そういえばホラー系が苦手だったっけ。おーい、幽霊じゃないから戻ってきなって」


 生首もどきの出現は予期せぬ事態まで引き起こしてしまう。驚きのあまり凍原が硬直してるわ。


 そういえば林に入ってから終始無言だったのは、単に無口ってことだけじゃなく怖かったからだったのね。忘れてたわ。


 それはそれとしてやっと到着か。林の中を延々歩きまくらされるかと思ったけど、きちんとゴールにたどり着けて何よりよ。


 さぁーて、一体何があるのやら。結界の中へと臆せず入っていく。すると────


欢迎ようこそ! 出張幸花温泉シンファウェンチュエンへ!」


「こ、これは……!」

「うわ、本当に温泉がある! これマジなの?」


 入って早々待機していた温温が歓迎してくれる。私たちは内部の光景に驚かざるを得ない。


 結界の内部は暗い外とは違い、シャボン玉に包まれた光の照明が浮かんでいてとても明るい。ちょっと幻想的じゃん……。外とのギャップがすごい。


 そして中央にドンと設置されているのは岩のサークル。凄まじい存在感を放つその中からは湯気が昇っていて、中に何があるのか見なくても分かった。


 ガチの温泉。それが本当にそこにある。一体どうやってこれを短時間の間に用意したの……?


「……! この温泉、もしかして湯烟ゆけむりの権能で作った物ですか?」

「あ。そういえば温温の実家の温泉って聖癖剣から出てたんだっけ」


 呆然とする中、凍原がいち早くこの謎を解明した。

 そういえば確かに昨日そんな話を聞いた覚えがある。そのことをすっかり忘れていた。


 先代昇華の聖癖剣士が湯烟ゆけむりを使って温泉を作り出したんだから、つまり今の使い手である温温も同じように温泉を作り出せるってわけね。


「その通りです! 二人のために作りました。ささ、どうぞ入てください。嫌なことはパーッとお湯に流して忘れましょう! お風呂は命の洗濯。日本の一番好きなことわざです」

「それことわざじゃないけど…………まぁ、折角作ってくれたんなら入っちゃおうか?」

「そうですね。厚意を無下には出来ませんから」


 この温泉を私たちのために用意したというのは事実みたい。いやまぁ、確かに嬉しいけど、私たちだけでこれを独占してもいいものなのかな?


 柄にもなく不安になる私だけど、温温の言うことも道理よね。しこたま叱られた分をお風呂で発散出来るのならやらない試しはないし。


 更衣室なんて無いからその場で服を脱ぐ……んだけど、私はしっかりとその行動を見逃さない。

 丁度良く足下に転がる小石を持って──投げつける!


「こっち見てんじゃないってのよ!」


「え……いってぇッ!? ちょ、見えてないんだからどの方向見てても同じだろ!」


「そういう問題じゃないのよ! そっちからは見えなくてもこっちからはずっと見られてんだから。あっち向きなさいよ!」


 私が石ころを投げた先にいるのは焔衣兼人! 投石攻撃は見事腹部にクリーンヒットする。

 あいつ、見えないからって私たちのいる方向を向いてるのよ。これは流石にどうかと思うわ。


 いくら結界の効力は本物とはいえ、こっちが視線を感じてしまえば見ているのも同然。ほんっとデリカシー無いわね。



 邪魔者の排除も済んだことだし、いざ入浴。

 文字通り自然の中に現れた温泉。これには落ち込んでいた気分も多少は上向きになるってものね。


 岩の中を覗くと、ブルーシートが敷かれていて地面にお湯が染み込まないよう対策されていた。

 そして先客も実は居たみたい。


「あ、お先入ってま~す」

「ぴース」

「あー、ごめんね? 作るの手伝ったもんだから試運転……もとい試入浴してて」


 岩の陰に隠れて気付かなかったけど、メル、朝鳥さん、孕川さんの三人がお湯に浸かっている。

 この温泉を男二人だけで作れるはずないし、他に協力者がいて当然よね。


 作った側が先に入る権利くらいはあるか。べ、別に一番綺麗な状態の温泉に入りたかったとか、そんな我が儘考えちゃいないんだから。


「それじゃ、失礼しまーす。お、結構丁度良い湯加減……」

「はい。意外……といわけではありませんが、不思議な暖かさです」


 それはそれとして私と凍原は湯に浸かる。ちゃぽんと足先を入れた途端、即座に暖かさが身に染みるような感覚を覚えた。


 これ……普通の湯じゃない? まぁ聖癖剣が由来だし、それは当たり前なんだけどさ。

 ゆっくり入っていって段差の部分に腰を下ろす。意外と深くて肩まで浸かれるんだ。


 即席で作ったにしては不満に感じる窮屈さはなく、むしろ五人入っているのにまだもう一人いけそうなくらいだ。


 空を見上げれば木々の隙間から星が見える。夜の露天風呂、悪くないじゃない。

 心地よさのあまり、上を向いてぼけーっと呆けてしまう。これぇ……最高では?


 もしかしたら今まで入ってきた温泉の中でも一、二を争えるかも。

 まさか温泉地に来て最初に入るのがお店のお風呂じゃなく手掘りの温泉に入るとは思わなかったけど。


「どうですか? 私と焔衣くんと閃理さんの三人で掘って、孕川さんが設計デザインして、温温さんが入れた温泉は?」

「もぉ~最高ですよぉ~……。本当に疲れが抜けてる感じでぇ~……」

「本当に……はい、心地良いです……。こんなに気持ちの良いお風呂は初めて……」


 溶けるような心地よさのあまり、これまで一度も出したことのないようなとろけた声が出てしまった。

 ちょっと恥ずかしい……でも心地良いんだもん。ポーカーフェイスな凍原だってこうもなるくらいに。


湯烟ゆけむりはお湯の効能とか泉質、自在に操れます。疲労回復、美肌効果、健康増進他もろもろです。今私が作り出せる最高のお湯を出しましたですから。満足してくれたなら感謝です。謝謝シェシェ!」


 す、すごいじゃない……。正直温泉の効能とかそういうのは信じて無かったけど、今効果を実感したわ。


 権能で作り出した物だから一際特別なお湯になってんのかしらね。これを一般客に向けて出してたんだからさぞ人気の宿だったに違いないでしょうに。


 身体中に成分が染み渡る感覚に浸っていると、ふと今日のことを振り返ってしまう。

 あの時の私は良くも悪くも調子に乗っていた。客観的に見てそう感じるんだから間違いない。


 始まりの聖癖剣士に実力を褒められ、模擬戦でも好成績を修めたのが慢心の原因。そう、お粗末な自信にあの時は満ち溢れていたの。


 それがあの結果になった。メイディさんに褒められたからと言って、悪癖円卓マリス・サークルと渡り合えるわけじゃない。それをきっと勘違いしていたんだ。


 ほーんと剣士としても人間としても未熟ね、私。思い上がって一瞬で返り討ちにあったなんてメイディさんが聞いたら笑われそう。


 気付くと私は泣いていた。号泣じゃなく、空を見上げながら目尻に涙を滲ませる程度に。

 それと同時に気分が晴れていく感覚も覚えている。


 どことなく感じていたもやっとした気持ちはもうどこにもない。涙と一緒に流れ出たのかもね。

 温温が言ってた通り、嫌なことはお湯に流せるってのもあながち嘘じゃないみたい。


「……もっと、頑張らなきゃね」


 自分自身の至らなさの反省、そしてこれから新しく生まれ変わることを心の中で誓ったその時のこと──


「へぇ。お前ら、こんな所に風呂作ってやがったのか」


「うっ……!? その声……」

「ま、まさか……」


 その声を聞いた瞬間、温泉の心地よさに浸っていた私と凍原はビクッと身震いする。

 う、嘘でしょ……!? 恐る恐る振り返ってみれば、そこにいたのは……。


「よぉ。随分と気持ち良さそうじゃねぇか。燦葉、凍原。その他大勢」

「む、心盛さん……」

「せ、先輩! こ、これはその……違うんです! これは皆が用意してくれた物であって、そんな他意みたいなのは……」


 や、やっぱり心盛先輩がそこにいた──……。仁王立ちで私たちのことを見下ろして、威圧感が凄まじいことこの上ないんですけど!?


 温泉入ること自体別に変なことでは無いけど、このままでは説教第二ラウンドが始まってしまうと錯覚。

 私は思わず立ち上がって言い訳がましく状況を説明しようと必死になってしまう。


 だけど、対する心盛先輩の言葉は違った。


「は? 何慌ててんだよ。別にそんなことで叱るわけねぇだろうが。あたしがここにいんのは理明わからせ経由で閃理が呼んだからだ。風呂入ってさっぱりしろってな」


 お、怒って……ない? それならそれで良いんだけど、でも……えーっと、本気ですか?


 閃理さんめ。私と凍原がこっぴどく叱られて傷心してることを知らないわけないのに、こんなことをするとは……。


「ウワ──ッ! 増魅、You are boorish入り方雑!」


 そうこう考えてたら服を脱ぎ捨てた心盛先輩が温泉にイン。


 それによりメルが悲鳴を上げた。驚くのもわけないくらい結構な量の湯が外に逃げ出して辺りはびしょ濡れ。これ大丈夫なの?


「おお──めちゃくちゃ良い湯じゃねぇかよ。温温、これお前が作ったんだろ? やるじゃねぇか」

「ありがとうございますです! 効能もバチリ期待しておけですよ」

「マジで? 肩凝りにも効くか?」

「はい! 神経間接筋肉五十肩に効きますです!」


 うーん、湯の量がだいぶ減った上に下手な男よりも仕上がった体格のせいでかなりスペースが狭まったんですけど……。


 文句は言えない立場だから、誰も何も言わない。そりゃそうよね……。

 女六人、露天風呂にて集う──。うん、すごい気まずいわ。特に私と凍原は。


 さっきまで殺されるんじゃないかと思わされるほど叱られて泣かされたんだから、居られるだけで気分がまた塞ぎ込んでしまいそうだわ。


 先に上がって退散するべきか──そう密かに脱出の計画を企てていると、予想もしない出来事が発生する。


「燦葉、凍原。さっきのゲンコツ、痛くなかったか? 大丈夫か?」

「え……あ、はい」

「まだ触ると少し痛みますが……、今は大丈夫です」


 先輩はいきなり私の頭を撫でたのだ。何年も剣を握り続けた堅い手で、優しく慰めるように。同じことを凍原にもしてあげている。


 一瞬意識を持って行かれそうになっただけあって、あのゲンコツの威力はそれほど凄まじかった。

 その心配をしてくれるなんて……。本人には悪いけど正直意外だった。


「ごめんな。フラットに挑んでやられたって聞いた時は正直気が気じゃなくてな、心配でたまらなかったんだ。でも腕の怪我だけで済んで安心した反面、あんな無茶をしたことに怒りたくなった。怒ってやらねぇといけない、そう思っちまってさ」


 いつもの騒がしい感じとは違い、しんみりとした雰囲気で当時の感情を教えてくれる先輩。

 やっぱりすごく心配させてしまっていたんだ。この心を聞き、私は酷く自己嫌悪する。


 さっきも反省したつもりだったけど、あの戦いの敗因は無意識の慢心。もっと冷静になれていれば少なくとも怪我には繋がらなかったかもしれなかったから。


「すみません。私、あの時少しだけ慢心して、勝てなくても持ちこたえることは出来ると過信して……」

「私もです。格上相手ならこれまでの学びを生かせるとばかり……」

「いいさ、死ななかっただけマシだ。ありがとな、強香を助けようとしてくれて」


 そう言って心盛先輩はまた頭をぽんぽんと撫でてくれる。それと同時に私はまた涙が止めどなく溢れ出てしまった。


 凍原も他の誰にも見せたことがないくらいみっともなく泣いている。それは私も同じなんだけどさ。

 あの敗北は全部が全部無駄じゃない。それが分かって嬉しくないはずないもんね。


「ところで強香ぁ、こいつらにきちんとありがとうって言ったか? 仮にも閃理らが来るまでの時間を稼いでくれたってのに」

「んなぁっ!? も、勿論ですよ! きちんと言ったよね、私!?」

「あー、はい。そりゃあもう土下座して謝られたりしましたけど……」

「ぶははははッ! プライド無ぇのかよお前。年下に土下座って」

「年下でも剣士としては先輩じゃないですかぁ!」


 しんみりとした空気はここで強制終了。場の雰囲気は心盛先輩の言葉一つで大きく変わる。

 夜中の即席露天風呂は笑い声に包まれた。こういうのもたまにはいいかもね。私は心からそう思った。

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