第九十癖『対立する、増と減』

「んもぉ~……、やぁっと着いたぁ~……」


 トコトコと車を走らせてから数日と数時間。私たち第三班は次の目的地に到着した。

 ようやくたどり着いたこの場所、それを見て私──朝鳥強香は深い安堵のため息を吐き出す。


 うぅ~……運転免許を持っていたとはいえ、まさかこんなことになるとは思わなかった。長時間の運転、マジで拷問かと思った。


『どうだ強香ー? 目的地に着いたかー?』

「増魅さん、今着きましたぁ……。もうお尻が痛くて肩も凝って、つらいですよぉ……」


 と、このタイミングで無線から連絡が。はい、三班のリーダーである心盛増魅さんです。

 私が車を走らせている間、あの人はあろうことか拠点内で待機中。何か不公平!


 勿論班のリーダーとしての仕事をしていた上に、前のメンバーが離脱してからずっと一人で運転してたことを聞いているから文句は言えないけど……。


『そりゃあ良かった! んじゃあ喜べ。あたしたちは日頃の疲れを癒すために温泉街に来たんだからな。お高い旅館で二泊三日、三食飯付き! ちょっとした慰安旅行だぞ!』


 増魅さんの言うとおり、私たちが目的地としている場所は温泉地。所謂小旅行に来たわけなの!


 いつ剣士として死ぬか分からないから、後悔しないよう行ける時に行っておけ、というのが増魅さんの考え。それは確かに一理あるかも。


 温泉に浸かれて、なおかつ美味しいご飯と美しい景色。さらにお泊まりも出来る。

 うんうん、確かに剣士として命をかけてる以上、これくらいはしても許されるでしょ。


 とはいえ正直心配なこともあるわけ。それが何かというと、増魅さんにあるんだよね……。


「それを心の支えにしてここまで来ましたけど、本当に大丈夫なんですか~? なんか心配なんですが」

『なっ、もしかして疑ってんのかよ! 今回はきちんと再確認してるし、電話で何日も前から予約してんだから今回ばかりは間違えねぇって!』

「それなら良いですけど……忘れてないですよね? ちょっと前に焼き肉の予約をする時に間違えて全然違うめちゃくちゃ遠くにあるお店を予約したこととか」

『うっ……』


 とある話を口に出した途端、無線越しに聞こえるうめき声。どうやら図星を突かれたっぽい。


 三班に来てから知ったけど、増魅さんという人物を短く言い纏めるとガサツと天然のハイブリットだ。

 些細なことから割とシャレにならないような事まで幅広く間違えるんだよね。


 今の話のように予約先を間違えることもそう、寝る部屋も間違えることもしばしば。一度私の部屋で寝てた時もあったりした。


 その時はビックリしたなぁ……。人の部屋で大の字になって寝てたんだもん。起こそうとしても中々起きないから、仕方なく別の部屋を使ったっけ。


 とまぁ色々回想しちゃったけど、そういう面が増魅さんにはある。

 だから本人には申し訳ないんだけど、あんまりそういうのに対する信用がね……。


『う、うるせー! これ以上言うなら予約キャンセルするぞ!』

「お、横暴~……」


 あっ、逃げた! 立場を利用してこれ以上自分のミスに触れさせまいとしてきた!

 増魅さんは良い人だけど、そういうところは心底ズルいというか卑怯というか……。


 くっ、正直心配なままだけどキャンセルされたらお店側にも迷惑がかかる。

 これも旅館と温泉の為だ。今はこれくらいにしておこう。うーん、理不尽!


 そんなわけで指示された場所まで車をもう少し走らせ、目的の旅館に到着した。

 おおー、と思わず感嘆の声が上がる。それくらい外装からして高級感が漂っている旅館だ。


 私はかなりテンションが上がってる。こういう所にはあんまり来たことないんだよね。


「すみません、『シャインオブバリュー』名義でネット予約している心盛ですが……」

「はい、ではお調べ致しますので少々お待ちください。……二名様でご予約されている心盛様ご一行ですね。お待ちしておりました」


 受付で予約の確認をすると、驚いたことにしっかりと予約が出来ていたみたい。

 これには増魅さん、見せつけるように私に向けてドヤ顔をしてくる。そういうのいいですからもう……。


 後は淡々と受付を済ませて、仲居さんの案内で私たちの泊まる部屋まで案内してもらう。


「ではごゆっくりどうぞ」

「はい、ありがとうございます。……よし、んじゃあ早速風呂行こうぜ!」

「えぇー。ちょっと早くないですか? まだ四時ですよ?」


 仲居さんが出て行ったのを確認するや否や、増魅さんは早速行動を取り始める。

 確かに温泉に入りたい気持ちは私もあるけど、荷物とかそういうのも先にやっておかないと……。


「なぁーに無意味に真面目ぶってんだ。んなモン戻って来てからでも良いだろ」

「が、ガサツ~!」


 小旅行中でもその大雑把さは相変わらず。私が言えたことじゃないけど、流石に不安になるかも。


 お高い旅館とはいえ犯罪が発生しない確率はゼロじゃない。いくら聖癖剣士でも不在を突かれれば他と同じだと思うんだけどなぁ……。


 恐らく事前に準備はしてたんだと思う。増魅さん、荷物から着替えとかシャンプーとかを取り出していつでも温泉に浸かりに行く準備を整えている。


 うーん、一人で行かせて変にトラブルが起きても困るしなぁ。

 正直心配。しょうがない、私もついて行くかぁ。




 そんなわけで手早く支度を終わらせ、私と増魅さんは旅館の温泉へ。


 ここは広い露天風呂がある所で、脱衣場を抜ければすぐ目の前に大自然の絶景と温泉の湯気が立ち込める癒しの空間となっている。


 そうそう、高級な温泉ってこんなイメージがあるよね。ほぼ初体験だからテンションが上がるってもんでしょ!


「すぅ────はぁ……。温泉に来たーって感じですね!」

「そりゃそうだ。どうやら今の時間帯の利用客はほとんどいねぇようだし、実質貸し切りだな!」


 がはは、と仮にも女の人とは思えない大笑いをしながら浴場を歩く増魅さん。

 まぁこうやって笑えるのも人が少ないからなんだけどね。流石に一人もいないわけではないかもだけど。


 取りあえず温泉のマナーに乗っ取って先に身体を洗ってから露天風呂へ。お湯にタオルを浸けないよう気を付けてね。


「だはぁ──……! 極楽だぁ。やっぱ高いとこの温泉だから心なしか他とは違うぜぇ~」

「ああ~~……身体に染みるぅ~~」


 お湯に浸かって早々、心地よさのあまり私たち二人同時に喜びのため息を吐き出してしまっていた。

 特に私は長時間運転をしていたから、その気持ちよさは別格。


 普通のお風呂じゃこんな風にはなれないよ。やっぱりお高めっていう付与価値が影響してるのかなぁ?


「お前が来て大体一ヶ月が経ったけどどうだ? 慣れたか?」


 温泉に浸かりながら増魅さんは唐突に訊ねてきた。

 私が聖癖剣士になり、そして行動部隊に異動となってもうそれくらいの時が経っている。


 時間の流れはあっと言う間だ。光陰矢の如しとはいうけど、まだ二十代前半でそれを実感するとは思わなかったなぁ。


「ええ、まぁ……事前に聞いてた通りハードではありますけど、想像していたような地獄の特訓の連続とかじゃなくて意外っていうか……」


 問いにはしっかりと受け答えはしておく。

 ぬふふ、一班の基礎トレーニングの五倍はあるらしい三班のトレーニングだけど、実は私、それに結構ついていけているのだ。


 まぁギリギリ何とかってレベルに違いはないんだけどさ。それでも最初の私が今の私を見たらびっくりするくらいにはなっている。


 だって小学校から高校まで一貫して文化部&体育の成績3より上を取ったことがない私がだよ? しかも剣の身体能力強化補助無しで。


 これを成長と呼ばずして何と言うか! いやはや、我ながらスゴいことをしている。少しくらい褒められても良いと思うんだけどな……?


「たりめーだ。お前が運動不足だってことは一目見て分かったんだ。そんな奴にいきなりメインのトレーニングなんかさせたら身体壊すに決まってんだろ。今は減量と最低限の筋肉を付ける基礎の基礎からやってんだ。これでついていけなかったら剣士向いてねぇぞ」

「ぐふぅっ! そ、そうなの……!? あのトレーニングって剣士のトレーニングじゃないんですか!?」


 な、なんですとォ!? ここで衝撃の事実が明かされてしまった!

 あの地獄一歩手前の訓練が全て基礎の基礎……? う、嘘だそんなこと!


 この一ヶ月間を疑いたくなるほどの衝撃的真実を告げられ、私は思わず叫んでしまっていた。

 いや、だって私が血を吐く程の思いでついて行っている訓練が基礎の基礎って……。


「なわけねーだろ……。あとお前、来た時は腹がたるんでたんだぞ? それは今だって同じことよ。どれ、抜き打ちチェックだ!」

「えっ、あっ! いだだだだだ!?」


 すると増魅さん、何か失礼極まりない事実を突きつけながら、突然私のお腹をつまんでくる暴挙に!


 いや痛い痛い痛い! チェックって言ってるけど、これつまんでるっていうか千切ろうとしてない!?

 指の力加減出来てないよこの人! ギュウゥゥゥゥっていう人皮から出ちゃいけない音が出てる!


「痛うぅ……。もう! いきなり何するんですか! 人のお腹千切る気ですか!?」

「へっへっへ、初めに比べちゃかなり引き締まってきたな。だが、まだまだだな」


 絶対わざとだよぉ……。いたずらっぽく笑う増魅さんは露天風呂の縁に両腕を置き、身体を預けてリラックスする。


 しかし……本当にスゴい身体だ。私はつい増魅さんの肉体を見てしまう。


 昔はボディビルの大会に出てたって言うだけあって、薄褐色の肌に浮かぶ隆々とした筋肉! おまけにおっぱいも大きい! 同性とは思えない恵体だ。


 歳は三十の半ばらしい。普通なら僅かながら体力の低下が始まる年齢でありながら、増魅さんの身体からはその気が一切感じられない。


 剣士としても相当な場数を踏んでいるだけはある。

 あんまり目立たないけど傷もそれなりに付いていて、まさに歴戦の戦士といった風貌────


「何だよ、さっきからジロジロと。前世男か?」

「んなっ! ああ、いや……増魅さんってスゴい人だなぁって思ってました」

「マジで今更だな、お前。あたしが先代の日本一だって教えたことあるだろ」


 やっぱり視線に気付かれたっぽい。独特な言い回しにやや困りつつ、素直な感想を口にする。

 そう、本人が言うように増魅さんは日本一強い聖癖剣士。ただしらしいけど。


「増魅さんの強さはこの一ヶ月で嫌ほど知りましたけど、どうして元なんですか?」

「ああ、単純な話だ。舞々子の奴が一番強くなっただけだ。全部の権能に対して優位に立てるあいつの剣の前じゃ、ただ物の質量や大きさを変えられるだけのあたしの剣は勝てない。それだけだ」


 ちょっとだけ悔しそうな表情になりながらも増魅さんは教えてくれる。

 今の日本一は第三班のリーダーがその座に付いている。確か封田舞々子さん……だったっけ?


 増魅さん曰く自分より強い剣士だとのこと。

 一応舞々子さんの権能が『封印』っていうあらゆる権能の中でも最強格の能力持ちであることは知ってる。ほぼ全部の剣に強く出れるのは強いよね。


 私は会ったことないけど一体どんな人なんだろう。

 優しいとも聞いてるし、結構ヤバい人って話もある。これだけじゃよく分からない人だよね。


 こっちと同じく日本中を旅してるから滅多に会えないのが残念。いつか会えればいいんだけど。


「増魅さんでも勝てないのかぁ。どんな人なんだろう、舞々子さんって人は」

「あ? 別に勝てないとは言ってねぇよ。勝てねぇのは剣の権能であって勝つこと自体は出来る。そこ履き違えんなよ」

「つ、強気~……」


 うわぁ、何とも増魅さんらしい意地っ張り加減。

 現日本一に勝てると豪語するのは事実か虚勢か……それは本人のみぞ知るってね。


 会話はここで一旦終わり、温泉の心地よさにもう一度意識を戻す。

 まだ明るい空には雲一つ無くて、遠くの山が緑を生い茂らせている。綺麗な景色で目も保養になるなぁ。


 温泉がこんなに気持ちいいってことを忘れてたや。

 OL時代のお風呂なんてシャワーだけで済ませてたから、それを思い出して余計心地よく感じる。


 毎日これに入られたらなぁ……。ひっそりとそんな妄想をしつつ肩までじっくり浸かっていたら、この露天風呂にようやく私たち以外の誰かが来た。


「おっと、人が来ちまったな。んじゃ、こっから静かに風呂を楽しもうぜ」

「そうですねぇ……」


 話している内容が聖癖剣士関連だから、本当はあんまり外でしていい話じゃない。

 来たのが剣士と関わりのない一般人だとしても、可能な限り情報は秘匿しておかないと。


 ちらっと出入り口の方を見ると、一人の女性が入浴道具を入れた風呂桶を持って歩いて来ていた。

 うぉ……超絶スレンダーな体型。増魅さんとはまるで正反対だ。細いし、その……おっぱいも無い。


 それでいてしっかり鍛えている身体だというのが分かる。

 もしかしてアスリートかな? スポーツは詳しくないから分かんないけど。


 そんな女性はぺたぺたと裸足で歩いてこっちへと近付いてくると思えば、早々に湯船へ入ってきた。

 むむ……まさか身体を洗わず直行とは。そういう人は結構多いけど、マナーがなってないと私は思う。


 とか何とか考えてても実際に注意はしない。マナー違反をその場で注意することが何よりのマナー違反ってよく言うじゃん?


 まぁ単に見ず知らずの人に声を掛ける度胸が無いだけなんだけど。そこまでしたらお節介も極まりないから────


「おい、そこのお嬢さん。日本じゃ湯船に浸かる前に身体を洗うのがマナーだぜ?」


 んなっ!? 増魅さん、まさかの臆することなく人にマナー違反を注意しただとォ!?

 え、えぇ……? もしこれで厄介な人だったら喧嘩にだってなりうるのになんて度胸。


 思わぬ行動にドキドキしながら、事の行く末を他人のフリをしながら見守る。


「……不好意思すまない。あ、えっと、ごめんなさい。気を付けます」

「ん? 外国語……?」


 すると注意された女性は知らない言葉を口にした。

 どこの言葉だろう……。ぶーはおいーすー? イントネーション的に中国か台湾かな?


 つまり旅行者。なるほど、ここは旅館に併設された温泉だから海外の人が居てもおかしくはないよね。

 そしてその人はカタコトで日本語の謝罪を言うと、身体を洗いに湯船を出てシャワーの所へ行った。


「ま、増魅さん。よく注意出来ましたね……」

「ああ。どうせあたしが注意すれば大体のマナーがなってない奴は黙って言うこと聞くからな」


 あー……、そういうこと。筋肉が解決してくれるのは何も体力面だけじゃないってことか。

 増魅さん、その筋肉に体つきも相まってドシッと構えて黙ってるだけでも怖いからなぁ。


 悪く言って威圧感……それを得たことでその場での優位性を示し、いつでも暴力で解決することが出来るぞっていう脅迫めいた圧をかけられるってこと。


 でもそれを海外旅行者に向けるのは如何なものかと。日本人の印象悪くならない?


「それに……あいつは多分、気付いてる」

「へ? な、何をですか……?」


 体裁を若干気にしていたら、増魅さんは急に声を潜めて何かを教えてくれた。

 気付いてる……って一体何に? 気付かれるようなことなんてあるとは思えないけど。


「聖癖剣士ってことにだよ。あいつは闇の剣士だ」

「んにゃッ!? ……ま、マジですか?」


 う、嘘!? こんな所で敵と鉢合わせ……ってコト!?

 まさかそんな……。い、いいやでも増魅さんが言うんだし、多分間違いないかも。


 普段はあんなんだけど、戦いとかが絡むことには一切のミスをしないのが増魅さんという人物。

 俗に言う戦士の勘ってやつ? そこは他の誰よりも頼れる心強い一面だ。本当そこだけは……ね。


「ああ、マジだぜ。その証拠にあいつ、身体を洗い始めてからずっと鏡を見てる。恐らく鏡越しにあたしたちを見てるんだろうよ」

「それは……普通のことでは?」

「いいや、よく見ろ。頭の位置や向きがずっと変わってねぇし、おまけに鏡が曇らないよう頻繁に拭いてる。間違いねぇ」


 そう違和感のある点を教えられ、私もあの人のことをよーく観察してみることに。

 確かに言われてみれば顔……もとい頭は下を見たりはせず、常に鏡と真正面になっている。


 その鏡には時折シャワーかけたり、タオルで一部分を拭いたり……うん、少し変な行動をしてる気がしなくもない。


「間違ってなければあいつは悪癖円卓マリス・サークルの一人『貧削フラット』のはず」

「ま、悪癖円卓マリス・サークル!?」

「バカ! 声出すな!」


 なななんとォ!? あの人、まさかの敵幹部級剣士!?

 嘘……こんな所でそんな人物と出会うとかツいてない。おまけに私の上司は戦闘狂の気がある増魅さん!


 つまり衝突は免れない! せっかくの慰安旅行なのに戦いになるなんてツいてなさすぎじゃない!?

 剣士って本当にいつどこで戦いになるか分かんないんだなぁ……。悲しむ側で説明は続いていく。


「だがあいつは普段海外で物探しの任務をしてるって聞いたことがある。だから日本にいるのはおかしい。恐らくだが奴も休暇でここに来た可能性がある」

「へ? ってことはつまり……?」

「こっちが下手に動かなきゃあっちも動くことはねぇってことだ。そもそも闇は光に対し攻撃的じゃない。わざわざ休みの日に喧嘩売るほど馬鹿じゃねぇはず」


 その話を聞いて、私は一瞬遅れてから理解する。

 つまり増魅さんは確かフラット? と戦う気は無いって解釈で良いのかな。向こうもそれは同じなのかもしれない。


 そうなら多分大丈夫……かも? 戦わないならギリギリ旅行を楽しめるはず。なーんだ、ちょっと安心。


「とはいえ奴が近くにいることは決して油断は出来ねぇ。光栄なことにあたしは闇から優先討伐対象リストとやらに入れられてるからいつ戦いに発展してもおかしくない。あたし的には喜んでやるけど」

「もうダメだぁ、お終いだぁ……」


 結局戦うつもりじゃん! この戦闘狂を何とかしてください神様ぁ!


 どっちの意味でも安心出来ない状況になってしっまったことに悲しんでいたら、向こうからバシャァッと頭からお湯を被る音が聞こえた。


 フラットが身体を洗い終えたんだ。その証拠に今し方使った風呂桶に道具を戻して湯船に最接近する。

 そして入浴。マナーを守ったことで私たちが指摘して止めることはもう出来ない。


「さっきは失礼。日本の風呂、マナーまだよく分からない。教えて感謝。ありがとう」

「良いってことよ。お互い気持ちよく風呂に入れればそれで良いさ」


 するとフラットは私たちに向かって気さくに話しかけてきた。これに一瞬ドキッとしつつ、受け答えするのは増魅さん。


 仮にも敵と話すなんて光の剣士としてどうなんだろう……。

 一応お互いに休暇中なわけだし、無闇に戦いに持ち込むことはないと思うけど。


「ここ、良い湯。日本の湯、中国と違う。過ごしやすい。とても良い」

「そういや中国って入浴文化が無い所も多いんだったか。そりゃ慣れなくて大変だよな」

「へ、へぇ~。そうなんだ。行ったことあるんですか?」

「ああ、昔ボディビルの大会で二回な。どの宿泊施設に行ってもシャワーとトイレが一緒でバスタブがほとんど無ぇんだわ」


 日本の温泉にご満悦な様子のフラット。やっぱりこの人は中国出身みたい。

 敵ながら日本の文化を好きになってもらえてるのは日本人としてちょっと誇らしい気分かも。


 意外な旅行経験談が増魅さんから出るのを聞きながら、いつ戦いに発展するのかどぎまぎしながら待つ。

 でも思いの外相手は動かない。普通に会話して普通に返事をして、普通に温泉を楽しんでいる。


 あれ、相手って私たちのこと気付いてるんだよね?

 一応剣は鞘に納めて風呂桶にタオルと一緒に入れて近くに置いてるけど、結局無防備であることに変わりはない。


 どうして動かないんだろう……? 隙でも伺ってるのかな。それにしてはあっちもかなり無防備だけど。


「私、大仕事終わって旅行中です。最初の場所であなたたち、良い人と出会えた。幸先良い旅になりそう」

「そいつぁ良かった。それが最初で最後の幸運にならなきゃいいがな」


 当たり障りのない世間話──って、もしかして今挑発した?

 さっき何もしないみたいなこと言ってましたよね? 心臓に悪いからそういうの止めてくださいよぉ。


 もしこれで挑発に乗って攻めてきたらどうするつもりなんですか。

 でも相手はきょとんとした顔のままこっち見て呆然としている。言葉の意味まで理解出来てないのかも。


 それならセーフ。まぁ、いくら旅行者とはいえ分かりづらい言い回しまで把握しているとは思え────


「面白い冗談、嫌いじゃない。でも私の旅行、最後まで幸運でいます。光の聖癖剣士」

「ご名答。ずいぶんとフレンドリーに接するもんだから最後まで一般人のフリでもするんじゃないかと期待してたんだがな、闇の聖癖剣士」


 う、うそぉぉぉ……! ここでお互いに正体をバラし合うだってぇ……!?


 あまりにも唐突に言うもんだから若干気を抜いてしまっていた。相手も相手でしっかり日本語理解してんじゃん!


 のどかで優雅な入浴タイムは今の会話によって一瞬で敵対する者同士が対面する地獄絵図に変わろうとしていた。

 ああもう。増魅さん、あなたって人はぁ~……。


「自己紹介。私、悪癖円卓マリス・サークル第六剣士、“削減の聖癖剣士”、『貧削フラット』。日本語、上手く言えてますか?」

「ああ、実に聞き取りやすい嫌な名前だ。私は光の聖癖剣協会日本支部行動部隊第三班班長。“質量の聖癖剣士”こと心盛増魅。こっちが部下の朝鳥強香だ」

「えっ、私のことまで言うんですか!?」


 お互いに自己紹介し合ったと思えばついでのように私も聖癖剣士であることを教えてしまう。

 ちょ……余計な一言過ぎる! ここは他人のフリをしていたかった……。


「んで、どうすんだ? お互いに何者か教え合ってよぉ。このままおっぱじめんのか?」

「来るなら構わない。いつでも戦う準備出来てる。剣士だから」


 近くに置いてある風呂桶に手を伸ばす増魅さん。

 どうやら本気で戦うつもりみたい。それは流石に控えてほしいんだけど……。


 こんな所でドンパチされるとお店に迷惑がかかるし、何よりせっかくの旅行が台無しに。それだけは何としても回避しなければ!


「ちょ、増魅さん。ストップストップ! 今戦うのは得策じゃないですって!」

「あぁ? でもお前、相手がやる気ならこっちもやる気を見せなきゃ剣士として失礼だろ。それに、そうやって庇ってたら後ろから切られるぞ」


 いざ勇気を振り絞って仲裁へ。きつく睨まれて一瞬萎縮しかけるけど、温泉のことを考えて堪え忍ぶ。


 確かに相手は一般人を剣士に仕立て上げて、私を殺すよう命じた組織の一員。

 それは今も許せないけど、だからって私たちが敵と同じく暴れ回るのもいけないと思ってる。


 争いは同じレベルの者同士の間でしか起こらないって言うし、もし戦ったらこっちが相手と同レベルになってしまうということだ。


 それはなんか……嫌だ。組織間に深い因縁があるとかの話も聞いたことあるし、そうなってしまうのもしょうがないことかもしれないけど、私一個人の考えじゃなるべくそうなってほしくない。


 だから止めた。こうして増魅さんの前に移動してまで戦いに発展しないよう説得に出た。

 これがどうなるかは分からない。剣士である前に人間なら平和的に済むように考えてはくれるはず……!


「お前なぁ、敵に情けをかけることがどれだけ危険なことなのか分かってんのか? 優しさを見せてもあっちが優しさで返してくれるとは限らねぇんだぞ!」

「そ、それでも! 人がいるこの場所では止めてほしいです。あなたも今日くらい休むことに集中してください!」

「……あなた、とても剣士思えない。敵だけどその考え、私も同じ。あなた、剣士向いてないかも」


 私の必死の説得に増魅さんには呆れられ、フラットからは厳しい言葉を貰う。二人とも奇しくも意見が一致している。


 勿論私自身の言い分がどれだけの理想を口にしているかくらい自覚してる。

 敵対する者同士、必ず戦わなければならない。それに背いてるんだから甘いと叱られても言い返せない。


 それでも戦い合うことばかりが正解じゃないはず。

 だから休みの時くらい剣士じゃなく普通の人でいても許されると私は思う。


 異様な緊迫感が湯気と共に漂う風呂場。先に動いたのは……フラットの方だ。


「……でもあなたの甘さ、私好き。分かった。今日戦わない。勝負はまたいつか」

「ちぇっ。強香ぁ、お前のせいで話が流れちまったじゃねぇかよ。久々に戦えると思ったんだけどなぁ」


 最初は増魅さんと意見が一致していたけど、私の言葉を聞いてか戦う意欲を取り下げた。

 それに戦う気満々だった増魅さんは子供っぽく舌打ちをして、私を軽く小突いてくる。


 よ、良かったぁ。どうやら二人とも、この場で戦うことはしないと決めてくれたみたい。

 それだけで私は心から安堵する。この小旅行、何とか穏便に済みそうだ……。


「あなた気に入った。こっち来ない? 闇の聖癖剣使い、あなたらが思ってるより優しい組織だから」

「え……? 私今スカウトされてる!?」

「おいフラット! てめぇクラウディの真似事かぁ!? 人の部下に手ェ出そうとすんじゃねぇ!」


 一触即発から脱したと思えば、あらぬ言葉をかけられた。まさかの闇へのお誘い!?

 これには流石に増魅さんも怒る。バシャバシャと水を掛けて猛抗議だ。


 ううむ、温泉で騒ぐのはマナー違反ってか、迷惑行為なんですけど。

 いくら私のためとはいえ、みっともないから止めてほしいなぁ……。


开玩笑的冗談だよ。短気。冷静さゼロ。白痴アホ

「あー、それは確かに……んびゃっ!?」

「強香ァ! 何同意してんだァ! 庇えよ!」


 相手の冗談につい理解を示してしまったらゲンコツを落とされた。


 ハンマーで殴られたみたいな衝撃が頭全体に伝わって視界がぐわんぐわんとしてる。大丈夫? 頭蓋骨陥没してない?


 剣士になる前の私だったら確実に意識まで奪われてたかも。今は何とか倒れずには済んでるぞぉ……。


「どいつもこいつもぉ……! 覚えてろフラット! 近い内に必ずブッ倒してやるからな。覚悟してろよ!」

「分かった。こういう時、確か首を洗って待ってる、だったか」

「そ、それを言うなら首を長くして、じゃないかな……?」


 怒り心頭の増魅さん、改めて宣戦布告をする。

 そりゃあ敵に馬鹿にされ、味方わたしもついそれに同意しちゃったから怒るのも訳ないよね。


 果たして宿泊期間にフラットはここからいなくなるのか。それとも本当に決着をつけるような展開になるのか……。


 それはまだ誰にも分からない。とにもかくにも今は何とかつなぎ止められた平穏な小旅行を楽しむだけ。


 最後まで何事もなければいいんだけどなぁ……。

 神様にそうお祈りしつつ、私は温泉にどっぷりと肩まで浸かって疲れを癒すのだった。

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