第七十五癖『語られる過去、運命の血族』
「……私が焔衣家に仕える切っ掛けとなったのはおよそ六十年ほど前のある出来事にまで遡ります。私は組織の剣士として活動している最中、遠い異国の辺境にてとあるミスを犯してしまい、絶体絶命の危機に陥っていました」
メイディさんは自分の分のハーブティーが出されると、それを一口飲んでから過去の話を始めた。
俺はそれを固唾を飲んで聞き入る。メイディさんほどの剣士が陥った危機って何だろうか。正直めっちゃ興味ある。
「その前に一つ補足をと。私──ひいては始まりの聖癖剣士は全員、人と剣が一体化した存在。なので通常の人間とは身体の作りが大きく異なります」
「もしかして昨日剣を出したり、剣の姿になった時に出てきた白っぽい何かと関係あったり?」
不意に脳裏を過ぎる昨日の光景。腕から直接剣を生み出し、そして剣そのものの姿となった衝撃的な一幕。絶対に無関係ではないだろ。
「ご名答です。この通り、私たちは『
案の定それは的中。メイディさんは手にしていたティーカップを皿に置くと、右手からあの白っぽいドロドロを出して見せた。
これが始まりの聖癖剣士を構成する未知の物体……なんともまぁ不思議な物だ。
白い液状の物体は『
「話はまた更に戻りまして、昼間に少しお教えした光と闇の両組織が掲げる目標が関わるのですが、今は省かさせていただきます。私はそこで始まりの聖癖剣士としての使命を遂行していたのですが、不幸にも保有していた聖癖物質が底を突いてしまい、人としての姿を保てなくなってしまいました」
「えっ!? それ大丈夫なの?」
どうやらこの件には例の目標も絡んでるらしい。それ本当に俺の家系に関わる話なの?
それはそれとしてメイディさんは使命を果たすために戦っていたらしいのだが、聖癖物質の枯渇という問題が発生してしまったのだという。
ついさっきの話からして、聖癖物質が無くなるのって普通にマズくないか? だってアレは血であり肉体であり力の源そのものなんだろう?
「私たちにとって聖癖物質の枯渇は死と同義。都合の悪いことに枯渇状態では自然な回復は望めませんし、権能の行使は勿論自意識すら維持出来ません。ある意味封印されるよりも厄介ではありますね」
「うわぁ、ヤバすぎだ……。よくそんな状況を抜け出せましたね」
そんな危機的な状況に陥り、メイディさんも相当な覚悟をしたんだろうな。
人としてだけでなく剣としても役目を果たせず終いになるかもしれない状況。
何となくだが分かる。それはきっと永遠の孤独と同じ状態なんだなって。
「はい。そんな私は誰にも気付かれることなく、辺境の地で永遠に忘れ去られ、朽ち果てるはずでした──あのお方に出会うまでは」
だが、そんなメイディさんを救ってくれた者がいる。それは俺の身内──家系内に。
それは一体誰なのか……。結論を急ぎたくもあるけど、話も気になるからハーブティーと一緒にせっかちな質問は飲み込んでおく。
「枯渇状態となり数年が経過したある時、私は突如として復活することが出来ました。そう、先代炎熱の聖癖剣士が私を発見するだけでなく聖癖物質を分け与えてくれたのです」
「ん? 聖癖物質って分け与えられるんですか? それって始まりの聖癖剣士だけが使える物じゃ……?」
ここでちょっと疑問。どうやらメイディさんが復活出来たのは先代が聖癖物質を分け与えたかららしい。
でも気になるのは聖癖物質って始まりの聖癖剣士固有の概念じゃないのか? って話。
メイディさん以外に
「聖癖物質とは何なのかを端的にご説明しますと、凝縮された聖癖の力が液状化した物になります。故に
「あ、そういうことか」
この疑問はあっさり解決。どうやら聖癖物質と聖癖の力は濃度が違うだけで同じ物らしい。
なら先代がメイディさんを復活させられたのにも納得がいく。
流石は歴代最強の剣士と呼ばれるだけはあるぜ。まさか始まりの聖癖剣士が操る物質を扱えるなんて。
やっぱり規格外な実力を持ってたんだなぁ。ますます
「あのお方は私に
「それが先代と出会う切っ掛け……。そういえば先代って世界中を旅してたんだっけ」
ここでメイディさんが焔衣家に仕えるまでに至る物語は一つの節目を終える。
さすがに始まりの話なだけあって組織に関わる部分も多くあったな。
記録にあった先代の動向について。何をしていたかまでは分からないが世界を渡り歩いていたらしい。だから偶然出くわしてもおかしくはないな。
それにしてもメイディさんの聖癖物質を枯らすほどの戦いってどんな凄まじい戦闘だったのだろう。俄然組織の最終目標が気になってくるな。
「
「え、これは……」
「ありがとうございます。坊ちゃま、この方の手掛けるタルトの味は私が保証します」
不意に俺たちが座るテーブルへ出されたのは切り分けた二切れのタルト。
何やらこの家の家主がごちそうしてくれるらしい。メイディさんも認めるレベルってマジ?
わァ……嗅げば薫り高い香ばしさの中にフルーティーさを感じられる。こんなの店先のパン屋でも嗅いだこと無いぞ。
「いいんですか? いきなり来た上に出してもらうのは……」
「彼は元パティシエで休日はこの工房でお菓子を作り、近所の子供たちにプレゼントしています。これはその内の一つ。ささ、遠慮なさらず」
「え゛!? パ、パティシエ!? ってか何でメイディさんはこの人と知り合いに?」
「ふふ、そこは秘密です」
な、なるほど。道理で作るに時間の掛かるタルトがすぐに提供されたわけだ。
プロの菓子職人の家……いや、別荘の方が表現的に正しいか?
こんなことしてるってことは相当稼いだ人なんだろうな……。俺も憧れた所謂隠居ってやつ。
後で調べてみると心のメモ帳に書き留めておきつつ、出会いの物語の第二幕が始まる。
「さて、お話の続きを致しましょう。先代に救われた私は、あちらからの提案で旅に同行するよう契約を結びました。そこから紆余曲折ありまして最終的に日本へ帰国し、そのまま焔衣家に仕えました」
「いや端折りすぎてません!?」
が、第二幕は俺がタルトに手をつけるよりも早く終わってしまった。
えぇ……。一部分は省くと前もって言ってあるとはいえ、冒頭は結構興味を引かれる内容から始まっただけに、この投げやりな締め方は無いでしょ。
「冗談です。とはいえ旅の内容までお話すると長くなりますので帰国してからのことを少々」
「ああ、良かった。そのまま不完全燃焼で先代の正体が明かされるのかと思った」
流石に不満な終わり方に納得いかないでいるのを察されてか、ハーブティーを一口啜ったメイディさんは冗談だと笑ってくれた。
そりゃそうだよな。あーびっくりした。
「しかしながら帰国後のことも特段話せる内容はあまりなくてですね、私のことで組織を分裂させかけたり、家を火事にして村を半焼させたりと……本題にはあまり関係ない話ばかりなのです」
「めちゃくちゃ気になる話しかないんですけど!?」
メイディさんにこんな口をきくのも何だけど……何だその逸話!? そっちの話の方が何倍も面白そうじゃん!
先代ってそんなお茶目なところがあったの!? 最強の剣士って言われてるから、てっきり自他共に厳しいエリートな人物像をイメージしてたんだが。
すげぇ気になるけどどうせ今は話してくれないんだろうなぁ……。うーむ残念。
「かろうじてですが婚活のお話は関わっていますのでお話しますね」
「婚活」
と思ったら少しだけ教えてくれるらしい。ははっ、やったぜ。
何やら本筋に僅かだが関係しているらしい。婚活と焔衣家……一体どういう過去があるのだろうか?
「先代の性格は素直ではない上に気難しい人でした。それ故に相当苦労していまして、30歳になるまで沢山の男性に逃げられていましたよ」
「プッ、何ですかそれ。そんなことしてる人が身内にいたとか逆に怖いんですけど」
「あまりにも厳しく接するため、私を本命に先代へ近寄る人も少なくありませんでした。それに気付く度にショックを受けていた覚えもあります。意外とナイーブだったんですよ」
笑いながら暴かれていく先代の黒歴史。仕えのメイドに魅力で負けてるとか不躾ながら面白い。
その失敗談を肴に食べるタルトが美味いのなんの。人の不幸は蜜の味と言うが、悔しいけどその通りだ。
ハーブティーでそれを流し込み、完食。すげぇ美味しかった。多分俺が今まで食べてきたタルトで一番美味だったかもしれない。
メイディさんもいつの間にか食べ終えていた。これまたお早いこと……。
それはそれとして婚活の失敗談は続く……というより話の最終章に突入するようだ。
「そんな先代にも運命のお相手が現れます。性格は気弱で体も貧弱。現代的な言い方をすれば草食系男子であるお方を拉──ではなく巡り会い、半ば強引に結婚されました」
「今拉致って言いかけませんでした?」
「申し訳ありませんがこの部分のご説明は控えさせていただきます」
あっ、ふ~ん……。分かった、俺もそこまで野暮ったい人間じゃないからこれ以上は訊かないでおく。
だって嫌だもん。自分誕生のルーツにまさか犯罪スレスレのこと絡んでるかもしれないとか。
マジの闇部が見え隠れしてしまったが、気を取り直して話を静聴の姿勢に。
とはいえ実を言えばもうこの時点で話の先が見えていた。大方予想は出来ているけど最後まで横やりを入れずに聞き通す。
「ここまでご説明をすればもうご理解いただけたと思います。先代はその後、二人のご子息を授かります。その内のお一人のお名前は焔衣賢一郎様。長々とお話しまいましたが、とどのつまり先代炎熱の聖癖剣士は────」
「俺の……ばあちゃん。焔衣カエ、ってことか」
やや食い気味に俺がその先の言葉を言い放つ。何を言うでもなく、メイディさんはゆっくりと頷いて肯定してくれた。
途中から薄々気付いてた。具体的に言えば先代の性格のあたりから。
話に聞くようなばあちゃんの性格を彷彿とさせるのは勿論、じいちゃんに至っては人に恨まれるようなことをしない小心者であることも知っている。
まさかたった二つ上の世代しか離れてなかったのは驚きだったがな。五百年も生きてるメイディさんだから、てっきりそれくらい昔の人かと思ってた。
「驚くと思っていたのですが、案外冷静なのですね」
「そりゃ驚いているといえばそうですけど、ばあちゃんが聖癖剣士だから
普通は驚いて当然なのはそうだろう。あんまり気にしてこなかったとはいえ、祖母が先代と同一人物だなんて思うまい。それも最強の剣士だぜ?
これまで
俺が二歳になる頃に亡くなったらしいけど、今でも形を変えて見守ってくれるんだと思うと心から安心する。今更かもだけどありがとう、ばあちゃん。
「坊ちゃまが大きくなるにつれて先代……いえ、カエ様の面影が強くなっていくことに気付いた時、私は悟りました。
そりゃあ命の恩人に似た顔立ちの孫を可愛がらないわけないよな。
マジで運命的な何かが俺とばあちゃんの間にあるのだろう。焔衣の名にちなんだ焔の縁が。
「お話はここまでにしておきましょう。時間を鑑みるとこれ以上の滞在は就寝時間に響きますので」
「マジですか。えー、閃理たちに心配かけさせてないかなぁ」
現在地って日本と時間が五時間くらいずれてるんだっけ? 時計を見やれば四時になってるってことは、もう日本は九時過ぎだ。
産方家どころか日本からも離れた場所に移動してるんだし、いきなりこんなことになってるだなんて思わないよな普通。
戻ったら何て言われるんだろう。いくらメイディさんの独断でやったこととはいえ、流石に怒られそうだ。
家へ帰ることに決定し、俺たちは片田舎のパティシエの隠れ家から出る。
秘密の話をする場所を貸してくれるだけじゃなく、美味しいおやつまでいただいてしまうとは思わなかった。いやはや、ありがたきことこの上無しだな。
「Mən
「え、これ貰っていいって言ってるんですよね?」
「はい。ご厚意は受け取っておくべきですよ」
すると家主の男は帰り際に手土産としてさっき食べたタルトを1ホール分箱に入れて寄越してきた。
やはりアゼリー語? だったかは何言ってるのか分からなかったが、この行動で意味を理解。
翻訳によればこの考えで違いはないらしい。それなら貰わないなんて選択は失礼だよな。
一礼して感謝を伝えると、グッとサムズアップをするジェスチャーをしてくれた。
なるほど。歳だけじゃなく言語の壁で隔てられていても人は分かりあえるんだな。
いやそれはちょっと早計か。とにかく頂き物はありがたく頂戴しておくぜ。
たった一時間ながらもお世話になった家主へ向けて大きく手を振って別れを惜しみつつ、メイディさんの権能を使うために最初の小屋へと向かう。
「そういえばメイディさんの権能ってワープみたいな能力なんですか?」
気付けばあっという間に到着し、帰る準備をする──のだが、その前に俺はふと気になっていたことを訊ねてみることにした。
それはメイディさん……ひいては
現在地はアゼルバイジャンの片田舎。つい一時間前までは日本だったのに、ここへ来るのに数分も掛かっていないんだぜ。
現在の航空技術では隣の国へ行くだけでも一時間かそこらはかかる。ましてやSFにある瞬間移動装置みたいなのはまだ空想の域に留まったままだ。
それなのにメイディさんはどうして一瞬にして海外へ行くことが出来たのか。
概念を行使出来る聖癖剣なら不可能ではないからな。権能の内容が気になるところ
「そうですね。その予想は一つだけ正解といったところでしょうか? 私の権能は遠距離を移動するだけでは終わりませんよ」
「一つだけ? それじゃあ他のってどんなのなんですか?」
ところが俺の予想は
何やら権能はワープだけではないらしい。他にも行使できる能力があるってことか?
聖癖剣が持てる権能の数には決まりがある。それは剣一本につき権能は一つか二つだけということ。
三つ以上の権能を持つ聖癖剣は本来存在しない。家事や訓練の合間に剣の勉強をして知ったことだ。
「私──【
「四つ!? メイディさん、そんな沢山権能があるんですか!?」
なんと……! メイディさんが扱える権能の数は驚異の四種類!
驚くのも無理はない。何せ伝説の剣である
それらの二倍だぞ、二倍。これがどんだけイレギュラーなことなのか、俺でさえも理解している。
始まりの聖癖剣士ってのはどこまでも規格外の存在だ……。常識はいとも簡単に覆されてしまう。
「一つはこちらになります。『空間跳躍』──仰った通りこちらは瞬間移動能力のようなもの。私が記憶している場所であればどこへでも行くことが可能です」
「す、スッゲー……!?」
まず一つを教えてもらう。メイディさんが手を翳した場所の空間がねじ曲がり、人の高さほどの大きな白い渦のような物が出現。
これが権能の一つによる事象らしい。さっきもこれを通ってここに来たんだな。
通るよう促され、俺は恐る恐る渦の中へ手を突っ込むと、やはり妙な違和感が身体を通り抜ける。
渦の中は真っ白だが、通り抜ければ夜の日本。見覚えのある産方さん宅の敷地内に出ていた。
「本当にワープしてる……」
「いつぞやに物置小屋へ閉じ込められた際や、
「なるほど、だからいくら探しても仕掛けが分からないわけだ。納得」
あの時のアレはこういうタネだったのか。
メイディさんって結構神出鬼没というか、いつの間にか近くにいたり逆に遠くにいたりしていたのはこれを使っていたかららしい。
移動に時間を取られにくいだろうし、これも仕事も効率的に行える理由の一つってことか。
でもまだあと三つ権能が隠されてるんだよな。俄然気になってくる。
「……っ! 来たか」
「あ、閃理……とメル。あー、えっと……ごめん。ちょっと色々あって家から離れてた」
次の権能の内容を聞き出そうとしたとき、縁側の襖を開けて二人の剣士が現れた。
それは勿論閃理とメル。一時間も姿を眩ませたんだし、絶対心配をかけさせたよな。
「閃理様、メラニー様。突然このようなことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「……いえ、こちらにも少なからず非はあります。望んで聞き耳を立てて話を聞こうとした我々も反省しなければなりません。どうかお気になさらず」
「メルも巻き添えなの納得しないけド」
流石に一言言われるかなと思っていたのだが、今回の件の首謀者であるメイディさんの謝罪に対し、閃理も盗み聞きをしていたことを公表した。
やっぱり聞いてたんだな、俺たちの会話。
互いに謝罪し合うことでこの場はなんとか丸く収まる。大した言い争いにならなくて何よりだ。
「不躾な問いにはなるのですが、やはり我々には先代炎熱の聖癖剣士に関する話は教えられないのでしょうか?」
が、やはりマナー違反になるのを承知で盗み聞きしたんだから気になるのだろう。
俺のばあちゃん……先代炎熱の聖癖剣士の話を。
閃理はあの話の内容を教えて欲しいと頼み込んでいる。そこまで気になるもんなのかな。
「はい。遠方にてお話しした内容は全て、
「……そうですか。とても残念です」
でもやっぱり俺以外の人には教えられないらしい。メイディさんははっきりと固~くお断りする。
諦め半分のやるせない表情を浮かべる閃理。そんなに先代のことを知りたかったのか。
これ、絶対教えられた側の俺も口外しちゃ駄目なやつなんだろうなぁ……。
一度非剣士の人に組織の詳細を口を滑らせているから、こればかりは気をつけよう。
「ん~……? 焔衣、メイディ、何か良い匂いすル。
「うわっ、やっぱり匂いでバレるか。まぁ、ちょっとな。お土産はあるから安心しろって」
そして案の定食い物が関われば鋭敏な嗅覚を発揮してくるメル。
不満げな表情をされるのも致し方あるまい。まぁそれ自体は然したる問題ではないがな。
ここに戻ってくる前にメイディさんにさっきのお土産を渡している。それを見せてメルの機嫌を直そう。
「はい、ではこちらを。某有名菓子店に勤めていた元パティシエによるフルーツタルトを1ホールご用意しております。後で切り分けてお出ししますね」
「ヤッター! とっても楽しミ!」
はっ、チョロいな。さっきまでの不満顔もどこへやら。フルーツタルトの箱を見せたら大喜びだ。
っていうか今どっからそれを出したんだ? 確かに物は渡しているとはいえ、さっきまでは明らかに手ぶらのように見えたが……?
「坊ちゃま、これが私の権能の一つ『次元収納』になります。内部はこの世界のどこでもない異空間と繋がっておりまして、温度や状態などを関係なく物を保管することが出来ます」
訝しい視線をタルトの入った箱に向けていたら、何を考えているのか察されてか説明をしてくれる。
さっきの白い渦とは違い、今度は小さな黒い渦が現れた。これも権能の一つか。
「この通り十年前近くの物であっても当時の状態を維持しておりますので」
「へぇ~、すごい便利な……ていうかそれって何の手紙?」
メイディさんは実演とばかりにタルトの箱を渦へ突っ込むと、その中から一通の手紙を代わりに取り出した。
本当に中には物を入れられるんだな。これも道理で何もない場所から道具を取り出せるわけだ。
というか出した手紙とやらは当時の状態を維持しているにしては随分としわくちゃだな。何度も繰り返し読んでいるのだろうか?
「ふふっ、ずっと昔に書き
「へ? ろ、朗読……?」
するとメイディさんは手紙の内容を読んで教えてくれるという。
ちょっと待ってほしい。その直前に言った言葉が妙に気になるんだけど……。
そこはかとなく感じる嫌な予感に冷や汗をかきながら、心の中の制止なんて読みとってくれる訳もなく朗読が始まってしまう。
「うふふ。では失礼して……『ぼくのたいせつな人は、おじいちゃんの家ではたらいているかせいふさんです。ぼくは夏休みと冬休みのあいだはおじいちゃんの家にとまりに行きます。いつもいっしょにあそんでくれたり、おいしいごはんを作ってくれたりして、まるでもう一人のお母さ──』」
「ちょっ。それっ、メイディさん! ストップストップ! 思い出した、それ俺が昔書いた手紙だ! 何でまだ持ってんの!?」
ぐおおおっ、まさかの記憶を回帰させてしまい、猛烈な恥ずかしさが襲ってきやがった!
なんて危険なジョーカーを持ってるんだ、メイディさん!
それは小学生の頃、授業の一環でお世話になっている人に宛てた手紙を書いて送るってやつをした時に、他のクラスメイトは親とか先生に宛てた手紙の中で俺だけは唯一メイディさん宛てに手紙を送ったんだ。
今にして思えばおかしいことをしてる。そこはせめてじいちゃんに宛てるべきだろうに、まさかの家政婦宛てとは。
そりゃ手紙の授業をした後、両親がしょぼくれた顔をしたわけだ。普通親に向けて手紙を送るはずだろうからそうもなる。
黒歴史と呼べるほどのことでは無いにせよ、クソガキ時代の俺が書いた手紙だなんて恥ずかしさで悶え死にそうだ……。
「これは幼い頃の坊ちゃまからいただいた大事なお手紙。私の大切な宝物です」
「でも人前で朗読するのだけは止めてー!」
そう言ってもらえるのは恥ずかしい反面嬉しくも思うけど、この場には俺ら以外にも閃理とメルがいる。どのみちキツいから二度は無いようにしてほしい。
「別にそう恥ずかしがることでもないだろう。小学生の頃に書いた文章など稚拙で当然だ。むしろ忘れていた過去を思い出せたのは悪いことではないはず」
「
あんまりな所行に悶絶していると、フォローよろしく外野の二人が声をかけてくれた。
変にからかってこないと分かってはいても、やっぱり聞かれて恥ずかしい話はどうやっても恥ずかしいものだ。
それに俺のメイディさんに抱く敬愛に近いであろう感情もラブの内に入るものなのか。悔しいがほんとに時々良いこと言うよな、メルは。
「では皆様、そろそろお戻りになられましょう。いつまでも外にいてはタルトをお出し出来ませんからね」
「閃理、焔衣、早く戻ル!
ちょっとだけ感心した側からこれだ。食欲だけで動いてんのかって突っ込みたくなるわ。
とはいえ今の時間は九時過ぎ。寒いとは言えない気温だが、いい加減屋内へ戻るべきだ。
俺は勿論閃理も異論はない。メルに至っては戻るのを急かしてきやがる。そんなにタルトを食べたいのかよ。
今回の話で俺は自分自身が聖癖剣士になったのはただの偶然ではないことを知った。
メイディさんと焔衣家の関係もそう、
ただうっすら気になるのは何故父さんや伯父さんではなく俺が剣を継承することになったのか。そもそも俺の家系の人たちは聖癖剣のことを知っているのかなど、新たな疑問もたった今浮かんだ。
今は心のメモ帳に書き記しておくだけにするけど……いつかじいちゃん家に戻れたら聞いてみようかな。徒労に終わるかもだけど。
一つ不可解な点を上げるとすれば────メイディさんが陥った絶体絶命の危機と強く関わっているらしい組織の目標について。
始まりの聖癖剣士を数年間に渡り行動不能にさせるなんて相手は一体どのような存在なのか、全く見当がつかない。
いつか知ることになるとはいえ、じわじわと気になってくるよなぁ……。閃理はともかくメルや第二班、支部の皆も知ってるのかな?
まさかだが敵もそのことを知っていたり? クラウディは勿論、下位剣士の枠にいるであろうキャンドルもそれっぽいことを口にしていたような覚えもある。
まぁ今はこれ以上深くは考えないでおく。知恵熱が出るほど頭は良くないが、無駄な思考にエネルギーを割くのはいただけないからな。
「んン──!
「静かにしろ。産方さんの睡眠の妨げになるだろう。それよりもいいのですか。メルに三分の一近くも切り分けてしまって」
「坊ちゃまと私はすでにいただいておりますし、奥様はあまり甘味が得意ではありませんので遠慮なさらなくても良いですよ」
麦茶で喉を潤しながら考えに耽っていると、メルがタルトの美味しさに絶叫を上げた。その気持ちは分かるがもっと静かに食ってくれ。
俺ももう一度タルトの味を堪能したいところだが、この時間のお菓子はヤバいからな。そういう点では太りにくいメルの体質は羨ましい限りである。
おっと、思考が逸れてしまった。まぁ何であれ今日聞いた話は実に有意義な内容であったと締めておくことにする。
三日後……メイディさんが俺たちにつく。それだけを考えておけばいいか。
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