第七十四癖『空間が向かう先、彼方の地へ』

 午後の仕事に向かった三人を見送り、俺たちは俺たちで仕事を始める。


 とは言っても夕食までは四時間近くある上に、昨日みたいな豪勢な食事にするつもりもない。故に料理の仕込はしない。


 他にするべきことを行う……掃除の続きとか、庭の手入れとか。

 それらもチャチャッと終わらせたらば、今度は俺の番になる。


「では坊ちゃま、昨日のお話の続きをしましょう。お飲み物をご用意致しますので、席におかけになってください」

「あ、うん」


 そう、スケジュール通り俺はこれから休憩も兼ねて昨日の話の続きを聞くことになる。

 居間の座布団に座ると、メイディさんはポットから湯を汲み、お茶を出してくれる。


 そしてお互いに向かい合う形で俺の今後に関わる大事な話が始まるのであった。


「もうお気付きになられているはずですが、私は坊ちゃまが聖癖剣士であることを知っております。閃理様やメラニー様も同様、同じ光の聖癖剣協会に所属する剣士だということも」

「やっぱりそうだったんだ……」


 本日最初の話は俺たちの正体について。どうやらメイディさんは全て分かっているみたいだ。

 そりゃ組織が何十年も探してる相手なわけだし、こっちの目的を知らないなんてことはないはず。


「じゃあ、俺たちが何なのかも知ってるの? その……ここに来た理由とか、組織の目標とか」

「勿論です。短い間でしたが在籍していた時期もありましたから。少なくとも現在の元老院でさえも知らない情報も私は持っていますよ」


 今さらっとものすごいこと言ったなこの人……。

 元老院の人たちも知らない情報ってどんな内容なんだ。伊達に五百年も生きてるだけはある。


 それにしても元は組織に所属していたこともあったのか。まぁ先代炎熱の聖癖剣士と関わりがあったっぽいから、それ自体は別におかしい話でもないけど。


「それなら俺らに味方してくれますよね? 俺を新しい雇い主にして生涯付いていくって言ったし」

「確かにその通りですが、私はあくまでも坊ちゃまにのみ仕える身。それ故に組織へ全面的に協力をする気はありません」

「え……、何で?」


 だが俺の期待は意外にも半分裏切られた形になる。

 メイディさんは組織に協力する気があまり無い……だと?


 それは一体何故なんだ。何かそういう決まりとか誓約でもあるのだろうか?


「私の使命は炎熱の聖癖剣士の指南役及び身の回りのお世話。そして来るべき時に人類を守護る剣となること。それ故に私たちは光と闇の戦いに関与しない方針を取っているのです」

「来るべき時……?」


 そしてさらに衝撃の事実が述べられていく。

 まさかノストラダムスの大予言的なのが聖癖剣士間にあるとでもいうのだろうか?


 というかそれに組織の何が関わっているっていうんだ?

 馬鹿げている……と言いたいところだが、真っ向から否定するのも出来ない話。


 もう何度も思ったことだが概念を操れる存在である聖癖剣がある以上、数十数百年先にある破滅の未来を予測していても何らおかしいとは思えないんだよな。


 それをメイディさんは知っている……のだろう。気になるけども、あんまり知りたくはないな。


「坊ちゃまは光と闇の両組織が掲げる目標が同じだというお話を聞いたことはありますでしょうか?」

「うん。内容までは知らないですけど」

「そうでしたか。ではここで少しだけお教えしましょう。光の聖癖剣協会と闇の聖癖剣使いは数百年前までは元々一つの組織でした。目標が同じなのはそのためです」


 なんと……! いや、ありがちな展開と言えばそうなのだが、まさかそういう関係性だったのか。


 組織名が似ているのもそれに由来するようだ。

 そうなってしまった理由こそ分からないけど、多分内部の不仲から派閥が出来たとかそういうのだろう。


 分裂から数百年も経ってるのに、和解どころか対立関係を進行形で維持しているくらいだ。相当根深い因縁が当時あったに違いない。


 しかし……それでも妙に気になる点も存在する。


 光の聖癖剣協会が掲げる目標の一つには『闇の聖癖剣使いの撃滅』というのがある。分裂した組織が敵として立ちはだかったのだから当然の内容だ。


 そんな相手は『目標のためなら手段を選ばない』という如何にも敵らしい信条を掲げている以上、こっちもそういう手段を取るのも止むなしである。


 地形や公共物の破壊は勿論、時には一般人さえも巻き込むなど、悪党らしい行いを平気でする。まさに人類の敵とも例えても過言ではない。


 ここからが本題。一方で俺が今まで遭遇してきた闇の剣士は全員、光の組織俺たちを倒すという考えを持ってはいなかった。


 普通なら分裂した段階で光の組織を倒す方針に変えていてもおかしくはない。

 部下にそれをするよう命令し、組織を襲う──そういう考えに至るのが道理のはず。


 しかし、いずれの剣士も剣の回収や個人的な目的がほとんど。偶然出会っただけ、なんて物もある。


 たまたまそういう考えや命令を受けてない人としか会ってない可能性もあるけど、一度も光の組織への攻撃を目標に襲撃を受けたことはない。


 唯一組織への攻撃をしたことになる例の件でさえ結果的には支部自体の被害は剣の保管場所と遮霧さえぎりの破壊(これは俺のせい)のみ。組織の崩壊を狙うにしてはあまりにも些細な被害内容だ。


 侵入してきた剣士たちも剣の奪還を名目に拉致、俺の守護と任務の補助、ただの復讐等々個人的な理由でやって来ている者ばかりだ。


 敵は光への攻撃を考えてはおらず、逆に俺たちは闇へ積極的な攻撃姿勢を見せている。


 先代炎熱の聖癖剣士が闇の組織を壊滅寸前にしたのは、少なくとも当時からその考えがあったからなのだろう。それに基づいて行動したに違いない。


 それなのに最終的な目標が同じなのは何故か。単に目指す先が同じなだけなのか、それとも何か深い理由でもあるのか────


「メイディさん。組織の目標って一体どんな内容なんですか?」

「……どうしても知りたいのだと仰るのでしたらお教えしますが、それ相応の覚悟をしていただけなければなりません。それでもお聞きしますか?」


 改めて組織の目標が気になった俺は内容を訊ねようとした──のだが、返ってきた答えに喉をゴクリと鳴らしてしまう。


 今の話に触れようとしただけでメイディさんの表情がより一層厳しくなったのだ。一瞬身震いしかけてしまうくらいに。


「えっ……、そんなに聞いちゃマズいやつなの?」

「はい。マズいやつです。いえ、どちらかと言えば数年先に必ず知ることを先んじて知ることになります。未来を知る責任は重いですよ」

「むぅ……」


 未来を知る責任!? その言い方はかなり悪質だろ。

 もしかしてそれ、組織の最高機密とかじゃないよな? だとしたら聞きたくないんだけど!?


「これはまだ知らなくていいことなのです。坊ちゃまには真実を知る前に強くなっていただくだけですので」


 真実を聞くのに躊躇っていたのを察されてか、メイディさんは話を切り上げてくれた。


 やっぱり今聞くべき話じゃないようだ。きっと知ってしまったが最後、後悔するかその日が来るまで引きずり続けることになるのだろう。


 もしそうなったら、もしかして龍美を救うどころの話じゃなくなるのかな……。

 知らない方が今やり遂げたいことの障害にならないのかもしれない。


 正直かなり気になるけど……。真実を知るのはいつかの日が来るまで待つしかないな。


「話がだいぶ逸れてしまいましたね。結論を言いますと私は坊ちゃまに付き従いますが、組織の命令に従うつもりはございません。この件は後に閃理様にもお伝えしておきますのでご安心ください」

「任務失敗が確定した時点で安心出来るわけないんですけど……」


 意志が固いぜメイディさん。組織からは何てお小言を言われることやら。聞かされるのは閃理だけど。


 出されていたお茶もすっかり冷めてしまった。捨てるのも勿体ないから全部一気の飲み下しつつ、俺はもう一度あることを聞くことにする。


「最後に一つ訊くんですけど、俺に仕えるってことはずっと近くにいるって意味なんですよね?」

「はい。坊ちゃまがお住みになられている場所が私の職場。私も移動拠点に住まわせていただきます。お部屋はご用意していただかなくても結構ですよ。物置で構いませんので」

「マジか。いやそんなことしませんけど……」


 物置って……。そういえばじいちゃん家にいた時もメイディさんの部屋がどこにあるか知らなかったなぁ。剣になれるから場所には困らないんだろうか?


 それはそれとして、つまり組織の味方にはならなくとも俺の側にいてくれるのなら実質協力関係を結べたってことになるのでは?


 それなら別にいいんじゃないか? 俺としてもまたメイディさんが側にいてくれるのは嬉しいし、家事の負担が減るのはとても助かる。


 組織的にどう思われるかは依然として不安要素だが、ほぼ確保スカウトに成功したようなものだし、何も問題はないんじゃないか!?

 そう考えが纏まれば俺が次にやることは一つ。


「えーと、どう言うのが正しいかどうか分からないんですけど、メイディさん。面と向かって言うには少し恥ずかしいけど、また一緒に暮らせるのはすごく嬉しいって思ってます。どうかこれからよろしくお願いします」


 俺はその場でメイディさんに向けて深々と一礼する。

 多分冗談抜きで生涯に渡ってお世話になり続けるかもしれないからな。俺なりにきちんとした誠意を以てこの人を迎え入れるんだ。


「……! 兼人坊ちゃま……いえ、ご主人様。不肖メイディ・サーベリア、あなた様に生涯お仕えしますことをここに誓います」

「そんな大げさな……」


 これに対しメイディさんは俺の前に跪いて仰々しく誓いを立ててきた。

 いつの時代だよ……って思ったけど、そういえばこの人16世紀生まれだったわ。


 これじゃまるでメイドと言うより騎士だ。例えとしてはあながち間違いではないだろうが、俺の剣士としての立つ瀬がなくなるな。


「とはいえ現在の契約は三日もありますのでまだご主人様とは呼べませんね。でもお教えするべきことは一通り話し終えましたから、今度は夕食の準備をしましょう。メラニー様はよくお食べになりますからお手伝いをお願いしますね」

「気持ちの切り替えも早いなぁ」


 流石はメイド。今までの真面目な雰囲気も一転していつもの感じに戻ってしまった。

 まぁ俺もこっちのメイディさんがとっつきやすくて好きなんだけどさ。


 そうして居間から台所へと移動した俺たちは、午後の作業に勤しむ三人のための食事を作り始めた。

 昼間の時もそうだったが、やっぱりメイディさんと一緒に何かをするのは嬉しい。


 実はまだちょっぴり産方さんには悪いかなぁとは思ってるけど、俺の専属になる話自体は大歓迎だ。

 末永い付き合いになってくれればいいな。心の中でそう思いつつ、作業に集中するのだった。






 本日の仕事も終わり、畑仕事組も帰ってきて一緒に夕食をいただく。

 内容は割愛するけど実に美味しい食事が出来たことは言うまでもない。


 それはそうと食後の自由時間になり、メイディさんは閃理とメル、そして俺の三人を昼間に産方さんとも話した部屋に集めた。


 話の内容は大方分かっている。俺が昼間に聞いた話の一部と、それらを踏まえて組織に協力をしないという旨のことを伝えるんだろう。


「……なるほど。組織に全面的な協力をしない代わりに、焔衣に仕えている間は第一班への協力をすると」

「はい。これからは私が第一班の家事全般、お食事のご用意など全て請け負います。勿論訓練のお手伝いもです。その条件で如何でしょう?」


 そして条件の提示。マジで第一班に住み込んで俺についていくつもりだ。

 やはり組織に協力しないという一文が納得出来ないのか、好条件に違いはないのに無言を貫く閃理。


 即決してもいいくらいなんだろうけどなぁ。一体何をそうさせるのだろうか。


「何迷ってんの? 形はどうあれメイディさんがついてきてくれる事に変わりはないじゃん」

「いや、条件自体は何も問題はない。むしろこちらから頼みたいくらいなのだが……」


 そう言い渋る閃理。条件そのものは受け入れる方針のようで何よりだけど、簡単に頭を縦に振れない理由があるっぽい。


 一体どんな内容なんだ? まさか個人的な理由が絡んでいるわけじゃないよな?


「俺が毎日レポートを支部に提出していることは知っているだろう。確かに個人的といえばそうなるんだが、始まりの聖癖剣士が第一班に住み込む以上、書き記す内容に嘘があってはいけない。だが今回のことを書かないわけにはいかないんだ。つまり……」

「支部にこのこと報告ホーコクしたら、確実に帰還命令メーレーが出ル。メイディ連れてこいっテ」

「あー、そういうことか……」


 言い渋る理由が説明されたことで、俺もハッとその事実に気付かされる。


 普段閃理は訓練が終わってから寝る前までにその日あったことをレポートに記録している。班のリーダーが行う業務だからだ。


 だから、メイディさんが一班に加入するという報告をしなければならない以上、レポートに目を通したあっちも無視するわけにはいかないだろう。


 要はどのみちメイディさんを支部まで連れて行かないといけないわけだ。

 そしてこれは余談だが、現在地から支部までかなりの距離がある。長旅になるのは確実だった。


「って、支部に戻るってことは俺あの人と決闘しなきゃいけないじゃん! マジかよぉ~……」


 んで、支部に帰還するということは、即ち俺にも憂慮すべきイベントが待機中だということ。

 あの時、俺に因縁をつけて戦おうとしてきた日焼けのヤンキー女……もとい、日向燦葉ひゅうが さんばとの試合がだ。


 まぁ仲良し三人組や透子さんと一ヶ月も経たずに再会出来るのは嬉しいし、流石に帰ってきているであろう絵之本描人えのもと かいと、そして支部長の息子である純騎いとなとのコンタクトも改めてしておきたい。


 悪いことばかりでもないから全面的に否定はしないけど、いやぁ~面倒くさい上に正直言って好意的に見れそうもないんだよなぁ、あの人。


「それはそれとして俺たちについて行くということは、必ず支部に来ていただくことになりますがそれでもよろしいでしょうか?」

「はい、問題ありません。むしろ直々に支部長様にお会いして丁重にお断りをする方が良いでしょうから、良い機会です」


 俺の懸念は当然スルーされたが、それとは裏腹にメイディさんはあっさりとオーケーしてくれた。


 意外だな。てっきり組織に協力しないのは個人的に嫌っているとかかとうっすら思ってたからさ。メイディさんがそういう感情を抱く人には思えないけど。


「決まりだな。ではこの件をレポートに纏めて支部へ送ります。この話はここまでということで」

「はい。私のためにお時間を割いていただきありがとうございました。片付けはしておきますので、お先にお戻りになってください」


 早速本日のレポートに取り組むべく、閃理はこの話し合いの場を切り上げた。


 後始末はやってくれるそうなのでそのまま退室する……んだけど、閃理たちが先に戻ったのを見計らってから俺は一つの疑問を訊ねる。


「あの、メイディさんってどうして組織から抜けたんですか? もしかして何か変なこととかされたりしたとか?」


 去り際の問いかけに、今にも片付け準備をしかけていたメイディさんは手を止めて俺を見やる。

 心底不思議そうに──と例えるのも変だな。むしろ予想にもしなかった質問に目を丸くしていた。


「そうですねぇ。理由はいくつかあるのですが、一番はやはり焔衣家に仕えると決心したからですかね」

「俺ん家に? そういえば、何で俺の家系に仕えることになってるんですか?」


 思えば変だよな。始まりの聖癖剣士という大層な存在であるメイディさんが一介の一般家庭に仕えてるだなんて。


 五十年……およそ半世紀近くもの間じいちゃんとばあちゃんに仕え、八年のブランクを経て剣士となった俺に仕えることで再び焔衣家に戻ることとなった。


 そもそも何故、じいちゃん家に焔神えんじんは封印されていたのか。

 あと剣に選ばれた日以降に見せてくれた焔神えんじんは何だったのか。


 メイディさんは次の炎熱の聖癖剣士を育てることを使命としていたのに、どうして祖父母に仕えていたのか。


 ここまで考えれば自然と結論は思い浮かんでしまうというもの。

 質問の答えを待つよりも早く、俺は再び訊ねた。


「……もしかして、俺の家系に聖癖剣士がいたんですか? 先代炎熱の聖癖剣士が」


 導き出した結論を口にする。これは俺も意外だったが、自分自身その結論にたどり着いてもあんまり驚きはなかった。

 何せよく考えると初めから変な話だったからな。


 先代炎熱の聖癖剣士こと『焔巫女』は何故、剣を組織に返還するとか人知れぬ山奥に封印するとかをせずにじいちゃん家に剣を置こうと決めたのか。


 何で記憶の中で俺を導くような言葉を遺していたのか──それが分からなかった。


 今までそこまで気にもしていなかったけど、おそらく全てを知っているであろう人を前にすれば、全容を問いただしたくなるのも道理。


 多分だけど、俺はそれらを知る権利を持っているのだと思う。本当は今じゃなくてもいいかもしれないけど、いつかは知るはずのことを。


 未来を知る責任はまだ負えないが、過去を知ることは出来るはず。

 答えを知るであろう人からの回答を待つ。


「……はい。おっしゃる通り、焔衣家には一人、聖癖剣士になった方がおられます」

「やっぱり……! メイディさんはその人に言われて仕えたんだ」

「その通りです。自分語りはあまりしたくありませんが、お聞きになりたいのでしたらお話致しますよ」


 推測通り俺の考えは当たっていた模様。

 ここまで問われた以上、隠し通すのが難しいと判断したのか、メイディさんは事の経緯を全てを教えるつもりのようだ。


 昼間の時とは違い、威圧をかけて聞きづらくさせようとしてこない。多分本気なんだろう。

 ささっと簡単に椅子などを戻して整理を済ませると、手招きして部屋の奥へと連れてこられた。そして──


「それでは失礼します」

「えっ!? な、何を──」

「河岸を変えます。今からお教えする内容は本来誰にも聞かれてはいけないお話。ですので聞き耳を立てられては少々困りますから」


 一言断るや否や俺の腕を掴むと同時に目隠しされた。

 聞き耳を立てられると困る……って、もしかしてそれ閃理の権能のことを言ってるのか?


 すると今の状況を察されてか廊下に繋がる襖から人の気配。誰かが──いや、閃理たちが来てるんだ。

 視界を手で覆い隠されてるから分からないが、ザァッと部屋を開ける音がする。


「うぉ……!?」


 ──のだが、それよりもメイディさんの行動が一手早い。

 身体を引っ張られると、何かが全身を通り過ぎる感覚に襲われた。とはいっても不快感などではないが。


 何だったんだ今のは……そう思うのも束の間、この後に衝撃的な光景を目撃することとなる。


「さぁ、着きましたよ。ここなら盗み聞きは勿論、敵が来る心配をする必要もありません」

「え、嘘? 冗談きついですよメイディさ……ん?」


 感覚的には少し引っ張られて数歩分歩いただけにしか感じなかったのだが、すぐ違和感を感じ取る。


 風だ。そよ風が俺の肌を撫でたのだ。さっきまで屋内だったのに。

 勿論それだけじゃない。鼻で感じる空気の匂いも違うように思える。


 ご年配の人が住む家特有の湿布臭さがある部屋の匂いは無く、むしろ清涼感のある自然の匂いが鼻腔を通っていく。


 一体何が起きたっていうんだ……? そして目隠しされていた視界はと共に衝撃の光景を映し出す。


「え……。どこだ、ここ……?」


 目を開ければ──そこは見知らぬ土地であった。

 どこまでも続く緑色の大地。遠くを見やれば高い山々も見える。


 そこいらに目をやれば点々と小さな小屋も建っており、まるで海外映画に出てくるワンシーンみたいな……いや、むしろそのもの。マジでどこだよここは!?


「ここはアゼルバイジャンのとある地方になります。日本より五時間ほど時差があるので、現在時刻は十五時前後といったところでしょう」

「あ、アゼ!? か、かかか海外!?」


 アゼルバイジャン!? 名前は聞いたことあるけど実際にはどんな所なのか分からない国の一つじゃん!

 ってことはつまり……いや待て、何も分からない。さっきまで俺は日本のとある田舎にいたはず。


 それなのに何故今は昼間のアゼルバイジャンの地方にいるんだ? 俺は勿論海外旅行経験は皆無。

 夢……? きっとそうなんだろう。これも聖癖剣の能力で明晰夢みたいなんを見せているに違いない。


「ではこちらへ。少々歩きますがすぐに到着しますのでご安心ください。素足ではいけませんね。こちらはサンダルです。サイズは合わせてありますので」

「あ、うん。夢にしてはやけにリアルだな……。明晰夢だからかなぁ」


 さっきまで屋内だったから、俺は当然裸足。でもメイディさんは履き物を用意してくれていた。

 都合の良い展開。やっぱり夢かな……。


 そんで先行くメイドの後をついていくこと数分。少し奥に見えていた小屋の一軒に到着する。


 遠目じゃボロい建物に見えていたが、近くに来ると案外そうでもない。しっかりとした造りの如何にも中~近世の家って感じな見た目をしていた。


 躊躇することなくノックをすると、中から中年くらいの男が現れる。その人はメイディさんを見るや否やとても驚いた表情をしたのを見逃さない。


 そして──全く知らない言語でメイディさんは男と話し始めた。

 流石は五百年も生きてるだけはある。言語も堪能だ。これは俺の夢のはずなんだけどなぁ。


「坊ちゃま、それでは中へどうぞ」

「お、お邪魔しまーす……」


 家主と思われる男とのやり取りを終えたメイディさんはそのまま俺を中に入れてくれた。

 すれ違いざまに男は如何にも見よう見真似なわざとらしいお辞儀をしてきて、俺も同じ風に返しておく。


 中もまぁまぁ古いっちゃあ古いが、ファンタジックな外見とは裏腹に設備がかなり整っている。テレビもあるし、季節的に今はお役御免中の暖房もある。


 ガチな生活臭が漂ってる空間だな……。これ夢なんだよな? いや、もしかしてマジなのかな。


「では椅子にお掛けになってください。お話を始めましょう」

「メイディさん。ここって……俺が見てる夢なの?」

「ふふ、そう思いたくなるのも分かりますが、ここは正真正銘本物の国外ですよ」


 訝しげに訊ねるが、返答はやはりの内容だった。

 どうやらこの世界は現実のものらしい。夢じゃないのだとすれば一体どうやって一瞬にしてここまで来たんだ?


 聖癖剣の力に違いはないだろうけど……まさかワープ系の権能でも持っているんだろうか? 可能性としては十分高いな。


Zəhmət olmasa içməkこちらをどうぞ

「え? あ、ありが……さ、サンキュー?」

「坊ちゃま。ここの公用語はアゼリー語なので英語は通じませんよ」


 するとさっきの男がやってきて、俺の前に飲み物を置いてくれた。

 咄嗟にありがとうと言うつもりが、日本語が通じないことは明白だったのでカタコト英語で返事をする。


 珍しくメイディさんから突っ込みをもらったけど、まぁ英語は世界共通語だしサンキューの一文も知らないわけないだろうからセーフセーフ。


「それではまず、先代炎熱の聖癖剣士様との馴れ初めについてお話しましょう。内容はなるべく短く纏めますので、質問等がありましたらその都度お聞かせください」

「質問オッケーなんだ……あ、これ美味い」


 のどかな場所で始まる昔話。俺はそれをいただいた飲み物──どうやらハーブティーっぽい──を啜りながら聞き入る。


 始まる話の内容──それは先代炎熱の聖癖剣士である焔巫女との出会い。

 それがどうやって焔衣家に来ることになり、そして次代の炎熱の聖癖剣士に仕えるメイドとなったのか。


 本来ならば誰にも聞かせられないままでいるはず謎が特別に明かされる。

 それを一言も逃すまいと、俺は固唾を飲んで言葉の続きを待った。











 始まりの聖癖剣士との話を終えた俺は、本日のことをレポートに書き記すべく行動していた。

 だが、途中で焔衣が戻っていないことに気付くや否や、理明わからせはそれを教えてくれる。



【──焔衣のお兄さんはまだ始まりの聖癖剣士に訊ねごとがあるみたいだよぉ】

【──組織を辞めた理由を聞いたみたいだよっ】



「なるほど。脱退した理由を知りたがるか。理明わからせ、二人の発言をそのまま伝えてくれ」


 焔衣は昨日からあの方に様々な話をしてもらっていることは把握済みだ。

 勿論近場の公園で聖癖剣士であることを明かしたことも知っている。


 俺はある程度ならば情報を耳にはしているものの、やはり知らない話も多くある。故に悪いとは分かっていても話は気になってしまうのだ。


「閃理、そーいうの止めとケ。あとで怒られても知らないかラ」

「分かっている。だがどうしても気になってな。集められる情報ならば少しでも欲しいんだ」


 始まりの聖癖剣士の情報は貴重である。何しろ全員が百年以上も過去のことを知るまさに生きる歴史書とも例えられる存在だからだ。


 そんな人物から得る情報に興味を抱かないわけがない。人に誇れるようなことではないが、聞き耳を立てて静聴する。



【──『そうですねぇ。理由はいくつかあるのですが、一番はやはり焔衣家に仕えると決心したからですかね』】

【──『俺ん家に? そういえば、何で俺の家系に仕えることになってるんですか?』】



 理明わからせは一字一句違わずしっかりと話の内容を伝えてくれる。

 言われてみれば焔衣の祖父家にいた理由は確かに気になるな。


 悪く言うつもりはないが焔衣家は一般家庭。それなのに永きに渡り焔神えんじんを封印していたのだから、それと全くの無関係とは思えない。


 つい先ほどの話では焔神えんじんの継承者に仕えると言っていたのだから、何かしらの繋がりがあるはず。

 例えるならば、そう──



【──『……もしかして、俺の家系に聖癖剣士がいたんですか? 先代炎熱の聖癖剣士が』】



「…………!」


 焔衣家の血筋に剣士がいるなどだ。それは焔衣自身も気付いてはいたらしい。

 むしろ疑わないわけはないだろう。自分の祖父家に剣があったのだから、一度は推し量っていて当然だ。


 核心を突いているであろう質問。それに対し、始まりの聖癖剣士はどう答える?



【──『……はい。おっしゃる通り、焔衣家には一人、聖癖剣士になった方がおられます』】

【──『やっぱり……! メイディさんはその人に言われて仕えたんだ』】



「やはりか。怪しいとは常々感じていたが、そうだったか」


 推測は今、確信に変わった。やはり先代炎熱の聖癖剣士は焔衣家の人間だったのだ。

 それなら焔神えんじんが封印されていた理由についても大部分が説明がつく。


 聞く限りの話では先代炎熱の聖癖剣士は自身の痕跡を残したくない性分だったとされている。

 道理で組織が管理する歴代剣士の名簿にも異名と剣だけしか明記していないわけだ。


 やたらに人の過去を知りたがるのは褒められたことではないが、これでいつかも考えていた焔衣家に行く理由が出来てしまったな。



【──『その通りです。自分語りはあまりしたくありませんが、お聞きになりたければお話しますよ』】



「何っ!?」

「どーしたノ?」


 すると、ここでとんでもない発言を捉えてしまう。

 過去を話す、だと……!? この言葉、聖癖剣士の歴史を知る者からすればどれほどの価値があるかも分からない発言だぞ!?


 それをここで明かすということは、つまり歴史に触れることそのもの。このチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。


 メルの言葉も気にせず、俺はこっそりと先ほどの部屋の前へと向かう。その間にも会話は理明わからせを通して耳にしていく。



【──『それでは失礼します』】

【──『えっ!? な、何を──』】

【──『河岸を変えます。今からお教えする内容は本来誰にも聞かれてはいけないお話。ですので聞き耳を立てられては少々困りますから』】



「……! まさか」


 その発言は心臓を殴るかのような威力で俺を襲う。

 まさか理明わからせを使って聞いているのが気付かれているとでも言うのか……!?


 嫌な予感を感じさせるには十分過ぎる言葉。むしろ始まりの聖癖剣士ならば気付かれていてもおかしくはないのだが。


 河岸を変える……。つまり場所を移動するつもりだ。そうだとすれば非情に不味い。

 異次元の聖癖剣士──その二つ名には複数の意味を持つとされている。


 一つは異次元とも言える強さを秘めるというもの。そしてもう一つが────


「……っ!?」


 俺は無意識の内に早足で駆け、到着早々先ほどの部屋の襖を開けた。


 その瞬間、始まりの聖癖剣士は待っていたかのように俺の方を見ながら口に人差し指を当てる仕草を一瞬見せると、そのまま眼前に開かれていたの中へ焔衣を連れて入った。


「しまっ……!」


 引き留めようとする間もなく、穴は消え去りこちらからの干渉は不可に。

 やられた。一歩……いや、聞き耳を立てた時点で手遅れだったのかもしれない。


「閃理! 今の何!?」

「おそらく異次元の聖癖剣の力だ。まさか理明わからせに気付いていたとは……」


 一緒に来ていたらしいメルも今のを目撃したようだ。驚きに満ちた顔で俺に問いかけてくる。

 あれこそが始まりの聖癖剣士が一人にして伝説の一振り、【女良働剣鳴動超メイドけんめいどうちょう】の権能。


 それは『異次元干渉能力』。詳細や正式な名称は分からないが、その力は世界中のありとあらゆる場所にアクセスが可能と耳にしたことがある。


 つまり、焔衣とメイディ・サーベリアは世界のどこかに移動したのだ。ほんの一瞬で……理明わからせでも捕捉出来ないほどに遠方へな。


 こうなってしまえば最早どうしようもない。戻ってくるまで待つしか手段はない。

 まさか連れ去ったりなどはしないだろう。……そうであればいいんだがな。

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