第六十三癖『送る焔と、覗く縁』
目標の人物と接触してから一時間ほどが経過。今のところはこれといった変化はない。
俺たちは丁度晩飯を食べ終えたとろだ。本当に来るかどうかも分からない相手をただ待つより何かをして時間を潰す方が賢明だからな。
そんな普段と大して変わらない夜。食後の後片付けをしている最中、閃理が何かを察知した。
「……焔衣。車の前に誰かが来たようだ。おそらく目標だろう」
「え、マジで? ちょっと待って今手が離せない……」
「じゃあ、メルが行ク」
なんと本当に幼馴染みさんが来たみたいだ。しかし来たのはいいものの今は皿洗い中なんだが?
だがメルが率先して様子を確認しに行ってくれた。助かるぜ。
俺もそそくさとやっかいな鍋を洗い終えて玄関へと急ぐ。ここに来るよう言った張本人がいなきゃ失礼だからな。
現場に向かえばそこではすでにメルが幼馴染みさんと会話をしているようだ。
「焔衣、さっきの人、来たヨ。中入れル?」
「あ、マジで来たんだ。……や、どうも。お姉さん。一時間ぶりですね。どうぞ中に入ってください。お客さんを外で待たせるわけにはいかないんで」
「さっきの子だ……。まさか本当にいるなんて」
やっぱり俺が声をかけた人だ。さっきと違い今はでかい箱を抱えてるけど。
この様子を見る限り半信半疑だったらしい。そりゃそうだろうとしか言いようがない。
取りあえず中へとご招待だ。もうじき六月とはいえ夜がふければそれなりに寒いしな。
「……え。どうなってるの、ここ!? え、え? 明らかに車と車内の大きさが違うんですけど!?」
拠点内に連れ込むと案の定な反応をしてくれる。初見は誰だって驚く。俺だって驚いたしな。
当たりをキョロキョロと見回しながら案内するのは応接間。閃理のことだ、どうせもうスタンバってるだろう。
「閃理ー。やっぱりあの時の人だった。それじゃいつも通り説明とかよろしく」
「え、説明……? というかまだ人いるの?」
「ああ、ようこそ。我々“光の聖癖剣協会”の移動拠点へ。俺は閃理と言う者だ……よろしく頼む」
やはりいたわ。説明云々は閃理に任せるとして、俺たちは幼馴染みさんを席に座らせつつ同席。
んで、ここでようやく幼馴染みさんの名前が『
「では早速相談解決と行こう。あなたは最近、謎の現象に見舞われている……それは確かだな?」
「は、はい。半年くらい前にこれが部屋の前にあって、拾ってからお腹が物理的に膨れたりして……。何とかなるんですか?」
普通に始まるお悩み相談。解答者に閃理を据えて、いざ解決に望む。
着席と同時にテーブルに置いた段ボールの箱。それを開けてみれば中に入っていたのは案の定聖癖剣だ。
全体的に桜色だが血管を思わせる赤と青の線が根本から反った刀身に張り巡らされていて、真っ直ぐ構えるとどこか横から見た妊婦の
エンブレムにも妊婦を思わせる絵柄が刻まれている。これが今回の剣か……。
例の症状は間違いなく剣による副作用だが、閃理は剣の銘と解決策を導き出せるのか?
「ふむ……こいつは【
「腹ボテ……?」
一目見て閃理は真銘を看破。複数ある剣も実物を見れば判別が出来るとは流石としか言いようがない。
しかしこれまたアブノーマルな性癖だ。腹ボテって確か妊娠中の腹のことだよな?
まぁ気にしてしまうと突っ込みたくなるから一旦横に置いといて、肝心の副作用はどうなんだ? 抑えられるものなのかな。
「こいつは『治癒』の権能を司っているが、その特性上全くと言って良いほど戦闘能力が低い。精々普通の剣として扱うのが限度だろう」
「戦闘に向かない剣か……。意外と言えば意外だ」
説明は淡々と続く。有識者によればこの剣……
そんな聖癖剣もあるんだな。確かに『癒し系』とか『アルラウネ』みたいな攻撃じゃない聖癖章があるから存在するとは薄々思ってたけど。
「だがこれの真価は後方支援に特化していることだ。俺が知る限り現存する回復系権能を司る聖癖剣の中で最も高い回復力を有している。例えば……軽い切り傷程度なら一瞬で塞がるとかだな」
「……! それ、心当たりあります! 私もついさっき指を切ったら、すぐに治ったんです。やっぱり剣のせいだったんだ……」
ここで孕川さんが反応を示す。どうやら剣の影響は本人にも出ていたらしい。
なるほどな。メルが言ってた洗面台で自分の指を見つめてたっていうのは、切った指が治るのを見ていたってことか。
ということは怪我の急激な回復と謎の想像妊娠現象に繋がりがあるのは確実だろう。俺だってそのくらいの予想は出来る。
「今
「開示攻撃を発動……中ってこと? どういうこと?」
だがここで閃理が……正確には
聖癖剣には大きく分けて三種類の技がある。その一つが『聖癖開示』だ。
簡潔に例えると威力控えめの必殺技。威力が低い分多彩な技を生み出せるという利点がある。
話は戻って
でもちょっとおかしい話だな。人間が一度に保てる集中力の平均持続時間が十五分って言われてるように聖癖剣にもそれに近しい概念がある。
暴露撃や開示攻撃、聖癖リードも技の内容や剣士の技量に左右するものの発動限界時間が決められているからだ。それを無視するなんてわけが分からないぞ?
「聖癖剣の中には永続的に効力を発揮するタイプの開示攻撃を持つ物がある。
「……ということは、つまり?」
「孕川が止めようと思えば、お腹膨らむのは止まル。そーいうこト」
初耳の情報からのあっさり解決策が判明した。
自分の意志で止められるんなら相談する必要なかったじゃん……と一瞬思ったけど、よく考えたら今の孕川さんは聖癖剣が何なのか全く知らなかったわけだ。
つまり治す方法が分かってもやり方までは出来ないってことになる。
ふむふむ、なるほどな。じゃあ次に何をすれば良いのかは決まったようなものだ。
「では今から
「は、はい!」
先生を務めるのは日本一の聖癖剣士と同等レベルの実力者。つまりプロの剣士だ。
その人からの手筈を受けて孕川さんのお悩みを万事解決する。
念のために運動場へと移動。そこで孕川さんを見守りながら事の行く末を見届ける。
基本的な持ち方や扱い等々基礎の基礎を数分かけて叩き込み、いざ実践。
「えーっと、……えい!」
【聖癖開示・『ボテ腹』! 孕む聖癖!】
手順としてはこう。まず一度聖癖開示を発動し、その後改めて自分の意志で効力を消すというもの。その方が解除するに意識を込めやすいからだってさ。
でもこれじゃ開示攻撃が二回分の重複になってるのでは? という疑問が浮かぶけど基本的に開示は重複する仕様ではないらしいからその点は問題ない。
「んむむ……。止まれ止まれ……」
小さく言葉にしつつ、念じること数十秒。剣がぼんやり光ったのを肉眼で確認。
これで開示状態は解けたのか? 発動時とは違い解除時は音声など鳴らないから余計分からない。
「ど、どうですかね……?」
「ふむ。焔衣、
「何するつもり──って、えっ!?」
すると閃理。俺に
おいおい、そんなことしたら怪我するぞ! その考えに漏れず閃理の指先は切れて血が流れ始めた。
痛そう……と思うのも束の間。指の傷など気にも止めず、閃理は孕川さんに訊ねる。
「どうだ。腹は膨れているか?」
「……あ! 全然膨らんでる感じはしないです。普段通りのお腹って感じで……本当に治ったんですか!?」
「成功だな。あなたが常時妊婦体型になっていたのは、聖癖開示の範囲内にいる怪我を負った人間を全員無差別に治癒していたからだろう。コントロールが効かないと味方だけでなく敵さえも癒してしまう扱いの難しい剣でもあるからな」
閃理の推理によると孕川さんの悩みの大元となった原因は『治癒』の権能をコントロールする術を持たなかったことだという。
聞けば孕川さん、上京当時は推測通りかなり頻繁に妊婦体型になっていたらしい。
都会は人が多いからな。怪我を負った人がいなくなる瞬間は少ないんだろう。
そのせいで駄目になったイベントや仕事も多々あった模様。剣の性質を知らなかったとはいえ、ちょっと不憫だ。
「あの、本当にありがとうございます。まさか本当に私の悩みが解決するとは思ってなくて……。半信半疑だったんですけど、来て良かったです」
「ああ、あなたの悩みが無事に解決出来てなによりだが、すまないが話はもう少しだけ続く。帰るのはその話を聞いてからにしてほしい」
この施術で終わりと思ったのか、孕川さんは一礼してから運動場を出ようとした。
でも俺たちにとってはお悩み解決は本題へスムーズに入るための口上に過ぎない。ここからが本番だ。
もう一度応接間に戻ると、閃理は例の話を始める。
俺は勿論朝鳥さんも通った『聖癖剣』という存在についてのお話である。
はい、ここも大部分を割愛。同じことを何度もつらつらと聞くのはめんどいからな。
ただし、この話は最後の部分だけこれまでと違う。そこだけ俺もきちんと聞いておく。
「……とまぁ、聖癖剣の危険性などの話はここまでにしておこう。これも本題の一つなのだが、あなたの家の隣に住んでいる青年……彼もあなたと同じく聖癖剣を所持している可能性がある」
「えっ。よーく……じゃなくて
この話を振った途端、孕川さんは今日一番の反応を見せた。
呆然とした様子で幼馴染みのことが話に出たことに驚いている模様。
そりゃ自分の持つ剣と同等の存在である剣をお隣さんも所有しているだなんて偶然が起きてるんだ。こういう顔をしても何らおかしくはない。
よーくん改め
言い方は少しアレだが剣を持ってるイメージが全然湧かないな。偏見だとは自覚しているけど。
「話の通り我々の他に聖癖剣を狙う組織が存在している以上、所有し続けていると危害が及ぶ可能性がある。故にあなたと彼には剣士となるか剣を譲渡するかを考えて欲しい」
「……分かりました。縁雅くんとは幼馴染みで友達なので話すのは問題ありません。でも……」
でも? と、分からないフリをするのも意地悪だ。孕川さんのもう一つの悩みが関係してるに違いない。
夢を諦めたことを叱られて、あれ以来会話をしていないんだ。メールのやりとりくらいはしてるかもしれないが今の様子を見る限り反応も返って来てる可能性は……。
「縁雅くんは現実主義な人です。多分、今教えてくれたことを話しても信じてもらえないかもしれません。それに喧嘩もしちゃってるせいで今はメールしても返信してくれないんです……」
あー、やっぱりかぁ。どうやら予想通り交信手段も拒絶されてるみたいだ。
幸いにもお隣さん同士、いざってなったら声を荒げて無理矢理呼び出すことも可能だろうけど、よーくんの性格を考えると難しそうだ。
ふぅむ……流石に一筋縄ではいかないな。これまでで一番難航してるぜ。
「じゃー、いっそ家に突撃したラ? 友達の親と仲悪いわけじゃないでショ?」
「それはそうだけど……。絶対本人が追い返すから難しいかも……」
「うーむ。何かいい感じに接触出来る方法は無いもんかな……?」
メルの案も逆効果になるとして却下。よーくんの剣もどうにかしないといけないのになぁ。このままじゃいつまで経っても解決出来ない。
まさか本当に仲直りもさせないと剣にたどり着けないとは思わなかったぜ。
「何であれ彼にこのことを伝える方法は任せる。とにかくあなたには剣の所有をどうするかを決めてほしいと我々は考えている」
「ちなみに訊くんですけど、剣士になるってつまりどういう意味で……?」
「言葉の通りですよ。聖癖剣で闇の剣士と戦って世界の均衡を守るのが俺たちの仕事。何か他にも目標があるみたいですけ──……もがっ!?」
「焔衣、それ以上は
素朴な疑問に対する回答をしたら、途中でメルに口を塞がれてしまう。
そういえばそうだったわ。剣士候補とはいえ一般人にあんまり組織のことを教えちゃいけないんだった。
あんまりそういう説明をして来なかったせいで失念してたぜ。今後は気を付けないと。
「すまない。聖癖剣協会の活動は外部の人間には詳しく教えられない決まりでな。無論疚しいことをしている組織ではないことは約束する」
「剣で戦う……そんな創作の中みたいなことが実際に行われてるんですね。すごい話を聞いてしまった」
今日だけで何度もしたであろう驚きの感情を顔に出す孕川さん。俺も初めは同じ気持ちだったからよく分かるぜ。
それはさておき剣士としての概要を一通り聞いて、この人はどう判断するのだろうか。
小さく唸りながら悩む様子を見せている。勿論今すぐに決められる内容じゃないのは承知の上。
出来れば明日か明後日──近日中には決めてほしいところ。まぁ難しいだろうけどさ。
「もう一つ良いですか? 剣士になるってことは、つまり訓練があるわけですよね。自由時間って一日にして何時間ほど取れます? 休日とかは?」
「所属先によって差異はあるが俺たちの班は午前十時から午後五時まで休憩を含む七時間の訓練が週に六日、それ以外の時間は基本自由。日曜は固定で休日だ」
「剣士って職業ですか? お給料は……?」
「書類上は
「不束者ですがよろしくお願いします」
「いや決断早ッ!?」
即決!? 孕川さん、もう剣士になるって決めたの!?
決め手はまさかの
「ちょ……いいんですか!? 剣士になるってことは、場合によってはガチの殺し合いになることもあるんですよ! そりゃ仲間が増えるのは嬉しいですけど、もう少ししっかり考えた方が……」
この即断即決ぶりに思わず不安になってしまう俺。
一方深々と閃理に頭を下げている孕川さんは頭を上げてこう語る。
「大丈夫。私、これでも学生時代はスポーツやってて運動はそれなりに出来る方……だったから」
「過去形!? せめてもっと自信持って言ってくださいよ!」
だった、の部分だけ妙に小声で発言する孕川さん。
そんなんで良いのかよ……即決過ぎて朝鳥さんの時より不安だわ。
「それに私、つい最近東京からここに戻って来たせいで無職だから仕事がいるんです。就職しろってよーく……縁雅くんからも言われてて……」
続けて口にする入職理由。そういえば実家に数日前引っ越してきたんだっけ。
この街から東京はそれなりに遠い。電車でも毎日通勤するのはとても厳しいだろうから、前職を手放していてもおかしくはないな。
そんな状況で目の前に良い仕事が転がってきたらそりゃ食い付くよな。危険な仕事ではあるんだけど。
「ふむ……だが焔衣の心配も道理だ。聖癖剣士は相応に危険度の高い仕事である以上、軽い気持ちで決めると間違いなく後悔をすることになる」
「だから、あともう何日かしてから、もう一度剣士やるかどうか聞ク。その間、しっかり考えテ」
即決の件に関しては閃理らは俺と同意見みたいだ。
よーく考えてから判断するようにと孕川さんに釘を刺す。
当然だ。俺の時は実際に危険な目に遭った上で入るかどうかを検討したんだ。普通は時間をかけて考えるべきなんだよ、剣士の道ってのは
「……そうですよね、いくら私に剣士になれる資格があるからとはいえ、簡単に決めるのは向こう見ずな行為ですもんね。分かりました、三日ほどお時間をください。その間に決めますので」
「ああ、急かすつもりはない。家でゆっくり考えてほしい。焔衣、帰宅の付き添いに行ってやれ」
改めて剣士になるか否かを再考する決意をしてくれた孕川さん。どういった結論を出しても俺たちは導き出した答えに茶々を付ける気は無い。
見れば時刻は八時に差し掛かろうとしていた。夜道を一人で歩かせるわけにはいかないから、俺が帰り道をエスコートすることに。
無いとは思うが俺たちに報復が向けられるのは困るからな。専用の鞘の予備を貸し与えて剣を仕舞わせている。
「何かごめんね、物持たせちゃって」
「これくらいどーってことは無いですよ。俺だって剣士なんで」
空の段ボールを俺が持ち運びつつ帰路を行く。談笑しながら歩くこと数分で目的地が近付いてきた。
ここまで来れば大丈夫かな? 玄関の前で立ち止まると、持っていた段ボールを渡す。
エスコートはこれで完了だな。戻って家事の続きでも──と思った瞬間のこと。
「……? あれ、気のせいだったかな?」
「え、どうしたの?」
不意に何者かからの強い視線を感じた。何か気になった俺はすぐに視線の位置を特定。
右斜め前に顔を向けたらカーテンがシャッと閉まったのだ。誰かが俺を──否、犯人は分かってる。
「あー、いえ。あっちの家から視線を感じて。確か隣が幼馴染みの……」
「あ、そういうことか。なんだ、闇の剣士でも来たのかと……」
あの家は幼内さんが住む一軒家。その二階ともなれば犯人の特定は容易だ。
締め切ったカーテンの僅かな隙間から漏れる光、そして熱感知能力ですぐ奥に立ちすくむ人型が見える。
どうやら今のやりとりを見られたみたいだな。よーくんがこっち見てやがるな。
まぁ、あっちからすると幼馴染みが知らない男と一緒にいるんだから、きっと動揺してるかも。
なんであれ闇の襲撃と勘違いさせてしまった孕川さんのためにもさっさとずらかるとするぜ。
「これ以上いると嫉妬を買うかもしれないんで、俺はここらで失礼します。あ、そうだ。念のために閃理の電話番号以外にも俺のやつも教えておきますね。もし繋がらなかったりしたらここに連絡ください」
「あ、うん。ありがとう」
さらっと俺の電話番号を教えつつ、今日のメインお仕事はこれで終了。
孕川さんが家の中に入ったのを確認してから俺も帰るぜ。
帰り際……というかさっきからチラチラと見てきていることには気付いている。熱感知によると同じ所によーくんは立っている模様。
ふむ……突き放すような言動、慰めではなく叱咤。幼馴染みの間柄にしては距離を置いている感じだったのにどうしてこっちに関心を向ける?
再会の拒絶もしたくらいだ。よーくん自身に孕川さんへの嫌悪があると考えても別におかしくはない。
仮にそうじゃないとして、ではあの関心はどういう感情によって突き動かされているものなんだ?
分からない。憎しみか怒りか、あるいは別の何かか……人生経験が少ない俺にはちょっと難題だ。
とにかく、明日以降孕川さんがよーくんをどうにか説得してくれるよう願うしかない。
俺はここでもう一度振り向いてよーくんの方を見やった。またカーテンがシャッと閉められたが、俺は特段気にせず帰路に戻る。
任務はまだ始まったばかり。ここからがスタートライン。頑張るしかないよな。
†
この日は半分趣味にしていた株価の変動を見ることだけをしていた。
先日投資した分は上がることもなければ下がることもない、こういうこともあるんだなと思いながらパソコンの画面とにらめっこをし続けている。
気付けば時刻は夜の八時。起きたのは昼過ぎとはいえあっという間に夜更けだ。
無為にしてしまった時間を悔やんでいたのも何年前のことか。慣れというのはさも恐ろしいものである。
ずっと座り続けていたのもあり、俺はストレッチをした後のついでに真隣の家を覗く。
……部屋の明かりは付いていない、か。一階にでも降りているのか命徒は不在の模様。
「この時間にいないのは珍しいな。前までなら原稿描くのに机に向かってるだろうに──って、そうだった。あいつ、夢諦めたから帰って来たんだったか」
あいつの夢は漫画家だということは当然知っているし、実際描いた漫画も読んだこともある──と、ここまで記憶を引っ張り出した時、俺は命徒が帰ってきた理由をまた思い出す。
あいつは夢への挑戦に挫折して戻ってきた。筆を折ったという事実に俺の心は苦しくなった。
「……本当に諦めたのかよ」
ふとそんな言葉を漏らしていた。本当はあいつに言いたかった本心の言葉を。
俺だって夢を諦めろだの現実を見ろだのと言ってはいるが、全部が全部本心じゃない。
出来るなら、可能なら、俺は止まったあいつの背中を押してやりたかったんだ。夢を諦めるなって。
けど今の俺にはそれが出来ない。心の中にいる劣等感が誰かの夢が成就するのを拒んでいるから。
まさかそれが命徒にまで向けられるとは思わなかったんだ。今は以前よりも冷静になれているから、先日のことを酷く後悔している。
「俺にもう少し勇気があれば、今みたいなことにはならなかったんだろうな……」
自虐しても笑いは出ない。むしろ浅ましい自分に嫌気が差す。
スマホを見やると数件のメールが届いていた。命徒から俺宛のメールだが、中は未だに確認していない。
これが届いた直後は思わず固まってしまったが、内容は何となく察しはつく。俺の様子を心配する旨が書かれているんだろう。
それをずっと放置してしまっている。その間に届いたメールもある。少なくとも俺のこと嫌いになっているわけではないはず。
正直めちゃくちゃ嬉しいが後ろめたい気持ちが強すぎて何も出来ない。
俺なんかに心配をかけることに頭のリソースなんか割かなくても良い。自分のことに集中してくれよ。
大きなため息が吐き出されると、俺はもう一度隣家を確認。やはりまだ明かりは付いていないものの、ちらっと視界に映った物を見て驚いた。
「み、命徒……っと、誰だ、あいつは……?」
隣家の玄関前。そこにいる二人、片方は幼馴染みの孕川命徒。白いワンピース姿なのはどこかに出掛けていたのだろう。
隣には見知らぬ男が両腕で抱えるほどの長い箱を渡していた。その光景を見て、俺は頭が真っ白になった。
まさか……デート? 異性と……デート!? あいつがそんな…………!
衝撃的な光景────。目下で行われるやりとりに釘付けになる俺。
あの男は一体何者だ? 命徒とはどういう関係で、今日は一体何をしていたってんだ!?
疑問は溢れるほどに出てくる。今すぐ下に言って問いただしたい。でも無理だ。行ったところで無関係な俺が首を突っ込んで良いわけがない!
修羅場なんて嫌だし、第一俺は命徒を拒絶してしまっているから顔を合わせただけで気まずさで死ねる!
本心との葛藤をしていると、それは不意に起きる。
「──ッ!? 気付かれたか……!?」
命徒と話していた男はふと俺のいる方向を向いたのだ。それにいち早く気付いた俺はすぐにカーテンを締めて姿を隠す。
バレた……? 俺が二階から覗いているのを。
いや、バレた所でなんだ。仮に奴が命徒の恋人であったとしても、ただの幼馴染みである俺に喧嘩をふっかける理由なんて無い。
そもそも命徒が恋人に暴力を振るうような奴を選ぶとは思えない。暗いから姿こそ曖昧だったが、俺の予測が正しければ歳下のはず。
もし仮に喧嘩をふっかけてくるのだとしたら──俺はあの鎖鎌を装備して迎撃するだけのこと。
大丈夫、当時より衰えども感覚まで忘れているつもりはない。やろうと思えば男一人倒すのも造作もない……はず。
しばらく待って俺は再び覗き込む。もう俺の方を見てはいなかったが、またしても衝撃の光景が。
「れっ……、連絡先を交換してる……ッ!?」
見えてしまった。それは命徒が男のスマホの画面を見ながら番号を教えてもらっているという光景をだ。
まさか今日初めて遭ったばかりというわけではあるまいな!? その上であんなでかいプレゼントを!?
いや、命徒の性格とあの感じから察するに二人はまだ恋人という段階にまでは至ってないのは確実。
推測に過ぎないけど一応は安心しておこう。冷や冷やさせやがって。良かっ────
「……って、俺は何を一喜一憂しているんだ……」
ここで冷静さを取り戻す俺。よく考えればどれもこれも命徒の勝手じゃないか。
何で後方彼氏面して実況をしてるんだよ……。いくらあいつのことが今も好きだとはいえ、幼馴染みの恋路など引きこもりの俺が関与していいものじゃない。
自分自身の傲慢さに気付かされた俺は、こめかみを抑えて自己嫌悪タイムに突入。
今の数分間を無かったことにしてェ~……。我ながら勘違いにもほどがある。
「でもあいつは本当に何者だ? 仮に今日出会ったとしても命徒が見ず知らずの男といきなり付き合うなんてことはしないはず……」
再度外を確認。今度は命徒が家の中に入るのを目撃。肝心の男は玄関前で立っているが今にも帰ろうとしている。
命徒は基本ガードが堅い。ティッシュ配りの人にも一瞬警戒するレベルのあいつを懐柔するとは何たるやり手。女性の扱いはきっと上手いんだろうな。
その男は公園のある方へと歩いて帰る。だが途中でまた俺の方を振り向いた。
咄嗟に隠れて気配を殺す。一度のみならず二度までもこっちを向くとは……俺の存在に気付いている?
俺は奴のことが少し気になっていた。命徒との関係性もそうだが、何より感じるのだ。
あの男からうっすらと他数人が俺に関わろうとしている気配のような何かが。
「まさか……いや、やっぱり考え過ぎか?」
縁を引き寄せる鎖鎌を手にしてから時々感じるこの感覚。ああ、命徒の帰省メールも昔のクラスメイトに会う時も感じていた。
あの男とは近い内に何かしらの形で俺との縁が結ばされる気がする。それが良縁か悪縁なのかまでは分からないけどな。
これも鎖鎌が呼び寄せたのか……? 以前、感情に駆られて仲直りのチャンスを作って欲しいと願ったのが原因? タイミングがあまりにも良すぎる。
いやまさかな……。きっと気のせいだろう。
あいつだっていつまでの独り身でいるはずはないし、遅かれ早かれ彼氏の一人見つけてくるはず。
死ぬほど納得はいかないけどな──……。認めたくはないが、あいつの幸せを俺はここから願うとする。
それが俺の免罪符なんだろう。そう信じたいところだ。
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