探し求める二人
長い時間、雨が止まない。
鉈射と化瓶は、空き家の軒先で雨が止むのをひたすら待っていた。
「雨、止まないねー」
鉈射は、降って来る雨粒の動きを目で追っている。
「止まないね。でも、工場に着く前に降られなくてラッキーだったよ」
二人は、地区内のリサイクル工場から帰る途中だった。
化瓶が自作した噴霧タイプの殺鼠剤の効果が好評で、地区内外から設置依頼があったのだ。
二人は化瓶の製造した薬品の売上で生活していた。
決して多くはないが、ゴミと錆の溢れた地区で暮らすには十分だった。
後は家に帰るだけだったが、急な大雨で思わぬ足止めを食らっている。
いい加減、軒先から見る景色にうんざりし始めたとき、化瓶は隣にいる鉈射がふふっ、と堪え切れなくなった可笑しみが溢れたように笑うのを聞いた。
鉈射のことだ。きっとなにかくだらないことを思いついたんだろう。
すぐに鉈射が化瓶に提案を持ちかけてきた。
「ねー、化瓶。どうせ今日は帰るだけなんだしさ、雨の中を思いっきり走って帰らない?」
「そんなことしたら、びしょぬれになっちゃうよ」
「いいじゃん。もう何日もシャワー浴びてないんだし、丁度その代わりになるじゃん」
「うーん、でもなぁ」
悩む化瓶をよそに、鉈射は一気に走り出した。
「家まで競争ねー!先に着いた人が一番にシャワー浴びれる権利ゲット!」
もう随分と先まで進んでいる鉈射は、後ろ向きに走りながら化瓶に声をかけている。
「フライングだよー!」
そう言って笑いながら、化瓶も走り出す。
髪が雨を含み、重たくなる。顔に当たる雨が痛い。
鉈射は一歩が大きいから、差はどんどん開いていく。
それでも。鉈射が先にシャワーを浴びれるように、化瓶は万が一にも抜かさないようペースを意識しながら走った。
* * *
翌日、雨で冷えたせいか化瓶は風邪をひいた。
しばらくは依頼もないので、寝たきりでも問題はなかったが、家のことを鉈射に任せきりになるのが申し訳なく感じた。
次の日には熱がだいぶ下がったので、鉈射は化瓶を置いて出かけていった。
帰ってきた鉈射からその日あった出来事を一つ一つ聞かされた化瓶は、身体のダルさを感じていたが、楽しそうな鉈射を見ると幾分か楽になるようだった。
その名前は、鉈射が語る三番目の話題の中に出てきた。
鉈射はいつも出来事を時系列順・起きた順番通りに話すので、化瓶にはそれが起きたのは今日のお昼ごろだと推測できた。
「そういえばさー、今日
「あいつが変なのはいつものことだよ。内容も、誰かを殴ったか蹴ったか、誰かからどんなモノを力ずくで奪ったかのどれか決まってるんだ」
追噛は、鉈射と化瓶が住む地区に暮らすチンピラの一人だ。
少し身体が大きいからか、似たようなチンピラを集めて、そいつらのリーダーを名乗っていた。
化瓶は、追噛に会うといつも因縁をつけられるので、うんざりしていた。
「あたしもそう思うけどさー、今日は違ったんだよねー」
「どう違うの」
「誰かを探してるんだって言ってた」
「人を探してるの?あいつが?」
「うん、そう言ってた。ゴトーとかゴドーとか言う人を探してるんだって」
化瓶も鉈射のように、少し引っかかるものを感じていた。
追噛が人を探すなんて。あいつが人に興味を持つことなんかあるだろうか?
あいつが人に興味を持つときは、正確にはその人の持ち物に興味があるだけだ。それを言葉で脅して奪うか、力づくで奪うかを考えるのが追噛にとってのコミュニケーションなんだと化瓶は思っている。
「じゃあ、そのゴトーって人がなにかすごいモノを持ってるんだろうね」
「あー、なんかそんなことも言ってたなー」
「追噛もそう言ってたんなら、そうなんだろう」
「ううん、別の人だよー」
「別の人?」
「うん、追噛と話した後に会った人もおんなじこと言ってた。ゴトーを探してる。ゴトーを見なかったかって。家に帰ってくるまでに会った人皆に聞かれたから、なんかおもしろいなーって」
そんな印象的な出来事なら真っ先に話しそうだけれど、鉈射のことを知っている化瓶にとっては違和感はない。
「ねー、化瓶。わたしたちも探してみよーよ!」
化瓶は話を聞いている途中から、鉈射がそう言うだろうと思っていた。
翌日から、二人でゴトーを探すことになった。
次第に化瓶にも皆がゴトーを探している理由がわかっていった。
ゴトーとは一体なんなのかについて、有益な情報は得られなかった。だから、わかったのは、ゴトーを探す者たちの動機だ。
追噛に話を聞いた。彼は、ゴトーはきっとお宝を持っているに違いないと言った。
彼曰く、他からこの地区にわざわざ来る奴なんていない。街の中心から運ばれてきた廃棄品が貯められ、リサイクルされるこんな場所に、わざわざ来る理由はない。
その点は、化瓶も同意見だった。
ならば、ゴトーはここに来たのではない。ここ以外の場所から逃げてきたのだ。
なぜ逃げてくるのか?価値あるモノを独り占めするため、他人に奪われないようにするために決まっている。
だから、追噛はゴトーを探すのだった。ゴトーが持つ金あるいは大金に換金できるような価値あるモノを奪うため。
いつも酒場に入り浸っている
出火兎は、ゴトーは街の中心から来た調査員だと言った。
彼曰く、最近この地区や周りの地区で失業者が溢れているのはゴトーのせいに違いないそうだ。
人件費を削って工場の利益率を向上させるため、大規模な解雇が行われているのだという。
解雇する人物を選定するため、各地区に調査員が送られていて、出火兎が工場を解雇されたのもそのせいらしい。
ゴトーはこの地区担当の調査員なのだろう。酒場にいるとき、出火兎は見慣れない人影を見たと言う。
その人物の着ている服装が、場所に似つかわしくない妙に小奇麗で整った格好だったので、そのとき他所から来た奴だろうと思ったのを憶えていたそうだ。
あいつがゴトーに違いない。あいつが適当な調査なんかしやがったから、俺が職を失う羽目になったんだ。あいつに詰め寄って、上に話をつけさせて復帰できるようにさせてやる。
出火兎は、そう息巻いていた。
この地区に住んでいる者は、出火兎が解雇された理由が彼の放火癖のせいだということを皆知っている。
だから、出火兎は今日も一人で酒を片手にうろついている。
この地区で娼婦として働いている
魅乱堕は、ゴトーはこの街の色々な地区を渡り歩いて治療を施す医師だと言った。
彼女曰く、隣の地区で娼婦をしていた知人が最近結婚できたのはゴトーが彼女を治療したかららしい。
その知人はひどい頭痛に長年悩まされていたらしく、痛みが強い日には叫びながら周囲に当たり散らしたそうだ。
彼女が結婚できたのは、無事頭痛が完治し、まともな日常生活を送れるようになったからだと言う。
似たような話が他の地区でも起きたらしく、それが流浪の名医が各地区で治療を施して回っている証拠だという。
そんな矢先、彼女は近所でその医師を見かけたそうだ。周りの人間がボロボロの服を着る中、その医師は衛生面を考慮した清潔な衣装を身に着けていた。
きっと、病を患う魅乱堕の噂を聞きつけ、この地区まで治療に駆け付けたのだろう。
魅乱堕は入れ違いになってしまったゴトーを探して、早く治療を受けたいと涙を流して訴えた。
この地区に住んでいる者は、魅乱堕が虚言癖の老婆だと誰も相手にしていない。彼女の語る知人の娼婦が本当にいるかは怪しいし、彼女の患う病と言うのも客に移された性病のことだった。
だから、魅乱堕は誰もいない裏路地を何度も何度も行ったり来たりしている。
* * *
数日に及ぶ聞き込みで、化瓶は「ゴトーは街の中心から来た人間である」という仮説を立てた。
根拠は、出火兎と魅乱堕の話に出てきた見知らぬ人物だ。
他の人物の証言から裏付けが取れたのでほぼ確実だが、数日前からこの地区の外からやって来た人物が目撃されている。
出火兎と魅乱堕が言うには、やたら目立つ格好、それも上等な身なりと解釈できるような服装だという事実が決め手になった。
仮説の更なる裏付けのため、化瓶たちは夜中に人目を盗んで地区間を繋ぐゲートに向かった。
機械いじりの得意な化瓶によって、備え付けの端末から入出履歴を確認した所、確かに地区外からの訪問者がいることがわかった。
おまけに、その人物はまだ帰っていないことも。
「でも、皆でこれだけ探したのになんで見つからないんだろー」
鉈射は、この地区にいる人間誰もが感じていた疑問を総括した。
「もしかしたら」
化瓶はずっと引っかかっていた事実を、ようやく口に出した。
「もしかしたら、街の外に出たのかも」
「え!?」
鉈射にとっても、それは仰天に値する指摘だった。
「見つからないのは、街の外に出たからかもしれない。確かめるには、僕らも外に出て探すしかない。もしくは、街に戻ってくるところを待ち構えるか…」
街の外に出るためのゲートには、入出を管理する機能は備わっていない。
街の中心から出たゴミや廃棄物を運んできて、再利用できるように加工するのがこの地区の存在意義だった。
再利用できないゴミも外には破棄されず、この地区に留められる。
外へのゲートをゴミが通ることはあり得ず、人間が通ることも想定されていない。
ゴトーは、そんな意識の盲点を突いたから誰にも見つかっていないのではないか。
化瓶はそう考えていた。
「じゃあ、化瓶は街の外に行くの?」
鉈射が珍しく不安そうに顔を覗いてくる。
「鉈射は、外に行くの怖い?」
「全然!出たことないから楽しみ!!」
その後、街の外に出てから彼女の期待は裏切られることになる。なにもない荒野が広がるだけの景色は、鉈射を落胆させるのに十分だった。
そんなことを知る由もない鉈射は続ける。
「化瓶は怖いの?」
「うん…だから、鉈射についてきてもらえたら頼もしいんだけどな」
「ついてくついてく!当たり前じゃん!」
化瓶は、遅れて鉈射の不安の理由を理解した。
彼女は化瓶が一人で外に出ていって、自分が置いて行かれることを恐れていた。
* * *
二人は家に戻り、準備に取り掛かった。
鉈射は、収納から鉈と拳銃を取り出した。鉈は右手に、拳銃は腰に差して、それだけで完了だった。
「化瓶ー、準備終わったよー。まだ時間かかりそー?」
鉈射は、家の奥にある作業スペースに声をかける。
「もうちょっと待っててよ。それに出発は、明日の朝だよ」
「なーんだ。じゃあ、わたし先にシャワー浴びてるねー」
そう言って、鉈射は風呂場へと消えていった。
化瓶は作業台の上に、いくつかの薬品と実験器具、殺鼠剤噴霧に使っている装置を置いて思考を働かせていた。
化瓶は、鉈射の実家に住まわせてもらっている。この作業スペースも、元は鉈射の両親の寝室だった。
ゴトーが街の外に出たとして、いつか街に戻ってくるだろう。街の外、人間が徒歩で移動できる範囲にはおよそ居住に適した場所はないはずだ。
かつて大学で見た街の鳥観図を思い出すと、外へ通じる道で人間が通れるのは一つしかなかった。
それが丁度この地区に続いている。ケビンはそこでゴトーを待ち伏せることにした。
薬品を混ぜ、発生した気体を空気に触れないようにして集める。それは神経ガスの一種で、吸い込んだ生き物を数秒で意識不明に追いやる。
致死性はなく、空気中の酸素と反応して数秒で無毒化する性質を持っている。その上、後遺症も稀かつ軽微なため、捕獲用に最適だった。
気体を入れた容器を、噴射装置にセットする。噴射の勢いと方向を調整するため、いくつかの部品をいじる。
四十分程で、ゴトーを捕らえるための装置が完成した。
化瓶はリュックに装置を詰め込み、一度作業スペースを離れた。
シャワーも浴びれないし、夕食の準備でもしようか。しかし、明日から街の外でゴトーを待ち伏せるならば、持参する食料としてとっておくべきか。
そう思い至って、鉈射が戻るまでの間、野営用の用具を集めておくことにした。と言っても、就寝時に地面に敷いてベッド代わりにできそうな布切れを探すくらいだが。
再び作業スペースに戻り、押し入れを開ける。
化瓶が街の中心部から逃げてきた際、持ってきた荷物はすべてそこに放り込んでいた。
使えそうなビニールシートを見つけ、襖を閉めようとしたとき、化瓶の耳にジャランという音が聞こえてきた。
いくつか荷物をひっくり返して、化瓶が大学に通う際に使っていたカバンが音の発生源だと判明した。
中身に心当たりがあった化瓶だが、わざわざ取り出して手の平の上に乗せた。
それは、化瓶が街の中心にいたときに暮らしていた家の鍵だった。
化瓶はここ数日の聞き取り調査を経て、自分の中に芽生えた一筋の光明に希望を見出していた。
そして、決意を固めるべく、かつて束の間の恩恵を授かった理想郷での暮らしを思い起こした。
* * *
幼い頃の化瓶は、街の中流層が暮らす地区に暮らしていた。
父親の稼ぎだけで慎ましいながらも暮らせていた。化瓶は専業主婦の母に見守られながら順調に育った。
化瓶の特性が初めて外の世界に向けられたのは、彼が四歳のときだった。
自宅の床下倉庫を探検中に一匹の鼠を見つけた。その鼠を追いかけると、目線の先に壁に開いた小さな穴を見つけた。
このままでは穴に潜り込まれて逃げられる。そう思って、保存食を並べた棚を登り出した。最上段まで登ると、棚の裏側の隙間に胸の辺りまでを滑り込ませ、胸と膝をくっつけるようにして器用に体重をかけた。
その棚は、母が屈む手間を嫌がって、足元の収納は空で上部に瓶が集中していたため重心が歪になっていた。
化瓶の予想通り、木製の棚は床に倒れこんだ。
ケビンは下敷きになる前に、棚の裏側に滑りこみ事なきを得た。
逃げた鼠は、棚の縁と床の間から首だけを出して動かなくなっている。即興の断頭台にかけられ、断末魔も上げずに静かに息絶えた。
化瓶は鼠の亡骸の首根っこを掴んで引きずり出した。鼠の身体から溢れる赤黒い液体を興味深く見つめている。
この中身を見てみたい。
そう思って辺りを見回し、床に散乱したガラス瓶の破片を手にとった。
音を聞きつけ、駆け付けた母親は、息子がガラスの破片を使って鼠の腹を裂いている姿を目撃し、しばらく呆然としていた。
以降、化瓶は生き物を捕らえては解剖した。見かねた両親は化瓶を叱り、二度と行わないよう約束させた。
代わりに化瓶は、捨てられた機械類を分解して欲求を満たした。その内、簡単な修理も手掛けるようになった。
機械はバラバラにしても、部品の役割を理解して組み立て直せば元通りに動くので楽しかった。
では、どうして生き物は同じようにいかないのだろうと思った。
その日から再び化瓶は生き物の中身を見たいと思うようになった。
ある日、化瓶は路上で泡を吹いて死んでいる犬を見つけた。
その死に方を見て、血を出さずに死体を手に入れればいいのか、と化瓶は思った。
殺すときに血で汚さなければ、両親に見つかる危険を減らせそうだ。
また自宅の代わりに、学校の帰り道にある雑木林を実験場に選んだ。
それから、化瓶は学校や地区の図書館で薬品についての知識を集め、自作の毒を色々な動物に与えては、その死体を解剖した。
化瓶は死んだ生き物は機械のように元に戻らないことを理解していた。すでに興味は、与える薬剤によって様々な反応を起こす身体組織へと移っていた。
断裂し、溶け落ち、肥大し、硬直する筋肉。
溢れ出し、凝固し、滞る血液。
身に着けたその知見を、小学校の自由研究としてまとめると、地区の上層部の目に留まった。
数か月後、一家は街の中心部に移り住むことになった。
化瓶は、年齢を問わず街中から優秀な人材が集まる大学へ編入することになった。
化瓶が十一歳のときであった。
街の中心部での暮らしは、充実していた。
化瓶は思いついたことをいくらでも試せる環境に満足していたし、両親の幸せそうな顔を見ると嬉しかった。
街の中央での恵まれた暮らしは、化瓶が致死性の神経ガスを人間相手に試していたことが知られるまで続いた。
化瓶たち一家は、もう中央にいられなくなった。
* * *
化瓶と鉈射は、明日に備えて寝ることにした。
布団に入ると、ものの数分で鉈射の寝息が聞こえてくる。
化瓶は微笑ましく鉈射の寝顔を見つめた。
「こんな暮らしから救ってあげるよ、鉈射」
鉈射を、あの充実した中央での暮らしに救い上げる。
そのための鍵が、ゴトーだ。
ゴトーはきっと、中央の人間に違いない。
奴を待ち伏せ、身分証やゲートの通行許可などを奪えばいい。
街の中心部に潜り込めさえすれば、あの素晴らしい環境に包まれながら二人で幸せに暮らせるはずだ。
そうだ、きっとそうに違いないさ。
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