ラウンド・トゥ
YUANA
ラウンド・トゥ
新しい制服を着て、部屋の窓を勢い良く開けると、下から何か言っているのが聞こえてくる。
急いで降りるとお祖母ちゃんがお弁当を手渡してくる。
トースターからパンを出して、食べながら鞄にお弁当を入れ靴を履いていると肩をトントンとつついてくるので後ろを向くと目の前に水筒があった。
「夜璃、忘れ物。初登校行ってらっしゃい。帰りは迎えに行くからね」
雅人さんべつに来なくていいよ、友達作って帰ってくるからいってきます、と言って家を出た。イヤホンをして一〇分ほど歩くと目的地に着いた。
手書きのメモを頼りに職員室に向かうと、扉の前で女の人がこちらに手を振っているのが見える。短い髪をクリップでうまくまとめている。可愛らしい先生だ。
じゃあ行きましょうか、と言って歩き出した。世間話をしていると前にいた学校のことを聞かれたが話したくなかった。無理やり話を変えようとすると、気まずそうな顔をして今日の日程について話し始めた。
話の内容が頭の中に入ってこない。
廊下に立って待っていると、顔を上げるのと同時に窓から電線に止まっている二羽のスズメが見える。
ぼんやりしていると、さっきの先生の声が聞こえて教室の線を一気に踏み越えると、私にチョークを向けていた。受け取って黒板に勢いよく名前を書くと見えない仮面をかぶった。
「数日前に引っ越してきました夜璃です。二年からですが宜しくお願いします」
誰に向かって言う訳でもなく、私のために空いているだろう一番後ろの席に向かって自己紹介をした。
心の中で、過去のことは話さないと決意を改めながら。
こうして、私の第二の高校生活が始まり終わった。今まであったこともない祖母と叔父と三人で暮らしたらこんな生活をしているのだろうか。
急いで電車を飛び下りると、目をこすりながらホームを歩いた。
私が通っている学校は中高一貫のようにメンバーが持ち上がるような学校だ。
中学二年になってから前の学校に転校して、先生に目をつけられない努力をした。でも結果的にはれた。それからは一人で過ごすようになった。まともに本なんてものまで読むようになった。さっきまであった鞄がない、なんてことは日常茶飯事で何回買い換えたかわからない。
「柳下の奴、何調子にのってんだろ。少しスタイルがいいからってさ。あんなに媚び売って」
そう根も葉もないことを陰で言われるようになった。
「ねえ、どうやったらそんなにおおきくなるの? 毎日、自分で揉んでるわけ?」
と毎日、胸を触られては何回となく笑いながら聞かれた。
一度だけ、言い返したことがある。
「胸なんか、ないほうのがいい」
そう言って走って逃げた。
私だってこんなことになっているなんて知らない。たしかに中学のころに比べたら少し痩せたかもしれない、でも自分のに関しては今も変わらず自信なんてものは一つもない。
だから私だったのかもしれない。
媚を売っていたように、周りには見えていたかもしれない。
けど、普通の生活をしていただけであって、何も特別と言われるようなことをしたつもりは何もなかった。ただ母と何も話したくなかった、これが普通の子と違っていたことだと思う。それは今でも変わらない。
毎日、朝練習のある運動部の子と同じ電車に乗って学校に通っている。
その間はずっとボリュームを小さくして音楽を聴いている、それが日常。
だいたい家から学校まで五〇分ぐらいかかっていた。
職員室に行ってカギを借りて、教室を開ける。窓を開ける。十分くらいしたら窓を閉めてエアコンを入れる。
私は、誰もいないこの三〇分が好きだった。
その後、髪先をくるくると指に巻きつけながらクラス一のモテ子ちゃんの登場から始まり、それを境にほんの十分でクラスの全員が集合し着席。担任の先生が来て長い一日が始まる。
放課後に課外を受けて電車に三〇分揺られ帰宅。
母のご機嫌をうかがいながら夕食を食べて、寝る。
毎日毎晩、仕事での人間関係や不安、怒りすべて、私にぶつけてくる。
そのすべてを受け止めて、受け流す。
ひとりで。
さすがに、ガラス製のコップや陶器のお皿は投げられても、その場に立っていることしかできない。
ここで反論する権利は、私にはない。
その場を早期、解決させたければ。
機嫌を損ねると徹夜で、子守という監視をしなくてはならない。
楽しいとも思わないこの生活を、私は、十六年間生き抜いてきたのだ。
それでお父さんは出て行った。
この家から私を置いて、夢から覚めたような顔をして。
母の子守ができるのは、この家には私しかいないのだ。
それが一度目の転校理由。
そんな生活をしていたある日、クラスの全員が一人ひとり、カウンセラーの先生と話をすることになった。
そのとき「いま、困っていることは何かない」と聞かれて、私はぽろっと母のことやこの頃あまり眠れていないことを言ってしまった。
学校でのことではなく、家庭のことを…
崩れていくのは、あっという間だった。
表向きには仲の良い夫婦に、そこそこ可愛らしい娘という設定だったのに。
次の日には、私の家庭の話で話題は持ちきりだった。
どうやら、昨日のカウンセラーが担任と私の話をしているのを、盗み聞きしていたクラスメイトがいたらしかった。
それが誰なのかは、その日に分かった。お嬢様の絵美だった。
家の稼業が畳屋さんでぽっちゃりした絵美のお父さんはこの学校のPTA会長をしていた。彼女も血筋からか体型がそっくりだった。
放課後、担任に呼び出されて演習室にいくとカウンセラーと母の二人がいた。母は笑ってはいたけれど、怒っているのが部屋に入ってすぐに分かった。
でもそれに気付いたのは、私だけだった。
長い話を聞き終えると、職員室に教室と演習室のカギを返して、その日は母の車に乗り込んだ。
帰宅するまでの時間がものすごく長かったのを覚えている。
私が家に入るのと同時に冷蔵庫から缶ビールを取り出し一気に飲み干すとまた母は子供に戻ったかのように荒れた。
気が住むと四本目の缶を手に、部屋に行ってしまった。
結局、その日は一睡もすることがなく、気が付くとカーテンの隙間から光が漏れていた。
そしてまた新しい一日が始まる。
廊下に出ると香水の臭いで充満していた。
「仕事で接待があるの……あ、もうこんな時間」
そう言いながら、分厚そうな書類や携帯電話をバックにポンポン入れていく。
休みの日ぐらい静かに家にいればいいのに、といつも思う。
口には出さないけれど。
「夜璃、留守番よろしく。二一時までには帰るから」
と言って出かけてしまった。
そもそも、予定時刻を言うときは家に帰ってこない。
新聞を取りに郵便受けを覗くと手紙が一通届いていた。
真っ白な、きれいな封筒に『柳下夜璃さまへ』と私の名前が書いてあった。
差出人は、『柳下』と書いてある。
名前からして男の人だろう。
封筒を開くと中から、薄いピンク色の便箋が出てきた。
手紙の最後の行には『何かあったら電話してください』と書いてあり、携帯電話と思われる番号と住所のメモ、喫茶店らしきパンフレットが同封されていた。
結局、その封筒を持って出かけることにした。
今日から春休みでよかったと思った。
手紙をくれたこの人、雅人さんは母の弟にあたる人で母とは一回りほど年が離れているらしい。
あまりにも離れていたためあまり話もしなかった、というのが手紙を読んでわかった。
叔父なのに会ったこともない。
まったく謎の人だ。
最寄りの駅から電車に乗り次の駅で降りた、のはいいものの人が休日なのにもかかわらず一人もいない。
不安になりながらマップを頼りに歩くとお店にたどり着いた。
『本日貸切』と札がかかっている、そっと開けるとドアのベルが鳴って中から声がした。
震える足を何とか動かして店に入る、とお客さんは誰もいなかった。
「いらっしゃいませ、夜璃ちゃんだよね。来ると思ってたんだ」
と、若い男の定員さんに上機嫌でカウンターに案内され、少し高めの椅子に座った。
奥に消えると、その方角から食器が床に落ちて割れた音がする。
瞬間的に身構えて硬直していた。
手にしようとすると指先が小刻みに震えているのがわかって、鞄からあわててケースを出して薬をとって、紅茶で流し込む。
「大丈夫かい 震えているね お医者さんに連れて行こうか」
そう言っているのがかすかに聞こえる。
数分後・・・・・
落ち着いた私は、彼にブランケットを肩にかけてもらい背中をさすってもらっていたことに気が付いた。
「もう、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「そう、ならよかった~ いま温かいのに淹れ直してくるね」
紅茶でいいよねと、携帯を片手に奥に消えてしまった。
数分後、ティーポットを手に戻ってきた。目の前に湯気の立ったカップを出してくれる。
「あの……連絡って入れちゃいましたか」
「いえ、なんでもないです。気にしないでください」
「俺、姉貴には自分から電話なんて一度も掛けたこともないよ。あっちから掛けてくることはあるけど」
「誰かとお話していた声が聞こえたような気がしたので……」
「あぁ……さっき電話したのは俺の御袋だよ。夜璃ちゃんからするとお祖母ちゃんか。そもそも俺が誰だかわかる? 頑張って手紙書いた本人なのだけれど……」
と、目をそらして言った。
今思えば、なぜ私の名前を知っていたのだろう。
動揺して初対面のはずなのに、自己紹介も何もしていないのに。この店で顔を見てわかる人と言えば、伯父さんしかいないはずだが。
「あの、人違いだったらごめんなさいなのですが。雅人さんですか?」
「そうだけど。何で疑問形なの」
冷静に考えてみると、髪質が似ている気がする。
「想像していたよりも若かったもので、すみません。因みに今お幾つなんですか」
「二十七だよ。A型のさそり座、十一月三日生まれ。身長はーいくつあると思う」
外れたら敬語口調は禁止ね、と言われても今カウンター越しに話していても私よりも一五センチほど高い気がする。
「一六五ですか」
するとドラムロールが始まってダンダン、と止まると。
「残念、一七一センチでした」
勝手に楽しんでいるこの人は本当に母の弟なのか、頭を抱えて考えているとドアのベルが鳴った。
と思ったのはほんの一瞬で、今度は何かが勢いよく抱きつかれ、身動きが取れなくなる。
やっと動けるようになったかと、その人の顔を見ると、足が震えて動けなくなった。
「御袋、いきなりやめてあげなよ。夜璃ちゃん、大丈夫かい」
「ごめんなさいね、つい孫の顔が見られるって舞い上がっちゃったの。悪いことをしたわ」
そう言われて自分が泣いていることに気が付いた。
母に瓜二つのその人はおろおろしながら、でも私が落ち着くまでずっとそばにいてくれた。
勢いで「もう家に帰りたくない、学校にも行きたくない」と言うと理由を聞かれて、また泣きながら今の母の状態のこと、学校でされていることを話した。
「うちに好きなだけいればいいわ。そんなに学校が嫌なら、こっちの高校に転校すればいいのよ。手続きは全部しといてあげる、には適当に言いくるめておいてあげるから引っ越しておいで」
とお祖母ちゃんは言ってくれた。
そこから記憶がぷっつりとない。
気が付くと目の前には知らない天井があった。
ぼ~っとしていると、横から声をかけられた。
どうやら私はお店で泣き疲れて寝てしまい気を利かせた二人が自宅まで運んでそのまま泊めてくれたらしい。
そこそこ重かったのでは、と心配になったが聞かないで置いた。
「静かになったから、泣きやんだのかと思ったら寝ていてびっくりしたよ。可愛い寝顔を拝ませていただきました」
そんなことを言われながら、三人で食べた朝食は家で食べたどのご飯よりおいしかったことを覚えている。
それからバタバタと引っ越しやら、転校手続きやらであっという間に春休みが過ぎて行った。
「お店でバイトしたい」
と、言うとお祖母ちゃんが許可してくれて、雅人が大歓迎してくれた。
それから小さなパーティーをして起きたら今日の朝。
で現在に至る。
授業は前の学校よりも少し遅れていたので、先生にあてられたときはすんなり答えられた。
ホームルーム終わり、教室の掃除をしているとポケットに入れていた携帯が鳴った。
『迎えに来たよ。車は路肩に止めておくからby雅人』
とまさかのメールだった。
窓から門のあたりを見ると女子たちが案の定、黄色い声を上げて周りを囲んでいた。
急いで終わらせて、校内案内は明日ということで断って、靴を履いて外に出ると門まで全力疾走した。
「雅人さんが何でここ―」
「遅いよ、夜璃。迎えに行くって朝ちゃんと言ったはずだけど」
最後まで言う前に、満面の笑みで、両手を広げて待っている。
「だからって…門の前でっ…待ち構えなくても、そもそも別にいらないって言ったのに」
ついた途端の息切れと、周りの目線が痛いというかキツイこの状態。
「とにかく、今日は速く帰りましょう。雅人さんはお店もあることですし」
「そうだね、みんなに任せすぎてもいけないしね。どうぞ」
そう言って助手席のドアを開けてくれたので乗ると、急いで家に帰った。
結局、バイトという名のお手伝いのことは
「初登校だったわけだから疲れただろうから無しね」
ということになった。
気が付くと外はオレンジなのか紫なのかよくわからない気味の悪い色をしていた。
壁にかかっていた柱時計が十八時を知らせる、家の中に音が鳴り響いた。顔にくっついた新聞紙をはがすとぺりぺりっと今にも破けそうなお音がした。
ダイニングには周りを見回しても誰もいない。どうやら新聞を読みながら眠ってしまったらしい。
そのあとダイニングを片付け、台所で夕飯の支度をし、朝の残り物を食べ部屋に上がった。
そのあと、いつ母が帰宅したのか記憶にないし覚えていない。
気が付いたら外はまた同じ太陽が昇っていた。
あんなに軽かった制服が妙に重く感じる。
すべてが現実だったらいいのに。
そう思いながらお気に入りのラウンドトゥのローファーを履いて学校に向かった。
いつも通りの、私の中では当たり前の日常で家にいるより少しましな学校で過ごす時間は、時の流れが少しだけ速い。
そしてあっという間に一日が終わり、放課後になる。
鞄を持って図書室に向かう途中、もち手が肩に食い込むのがわかった。
朝は気にもしなかったが、計四冊も単行本の小説やらエッセイが入っているのだから重いのも当然である。
今頃気が付く私に溜息をつきながら、図書室のドアを開けた。
中学のときは貸し出しカードに手書きをしていたのに、高校になってからはすべてバーコードの読み込みで終わる。
レトロ感があったあの古風なカードは絶滅危惧種になっているのかもしれないと一つの楽しみが消えてしまったかのように感じる。
しかもこの学校には司書の先生が常駐しているので、読みたい新刊をリクエストすると、ほとんどのものが入る。
私が第二書庫と呼ぶ場所で、学校唯一の居場所だ。
鞄から出して重ねると、そこそこ高さのある山ができた。
返却お願いします、と本にブックカバーを貼っている司書の先生に声をかけた。
「あぁ、夜璃ちゃん久しぶり。新刊入ってるけど、どうする」
とブックトラックに視線を向けながら聞いてくる。
ここ最近の楽しみが先生と今夜の夕餉の話をすることだとは、きっと気が付いていないだろう。
「右端の単行本と二つとなりの文庫本、借りて帰りたいんですけど。私、何冊借りてましたっけ?」
「ちょうど借りられると思うよ。二冊だけでしょ、今カバーかけるからちょっと待ってね」
と言って、慣れた手つきで作業に取り掛かっている。
通常通りだと借りられるのは最高五冊までなので、家にあるものを除けばあと一冊は借りて帰れるはずだ。
さすがに、学校の蔵書にまで手を書けるようなやからはない様で、個人所有物だけを狙うのだ。なのできまって学校で読むのはいつも蔵書になっている。
「返却は二週間後ね」
「この前頼んだリクエスト本いつ届きますかね」
「早くても一ヵ月後か。まあ、気長に待ってて」
は~い、と返事をしながらドアノブに手をかけて先生に手を振り、図書室を後にした。
借りた本たちを眺めると聞いたことのある様な名前が、著者欄に書かれている。
『柳下雅人』そう書かれていた。
どこで耳にしたか分からないが聞き覚えのあるような名前。
首をかしげながら本たちを鞄にしまい、生徒玄関を後にした。
最寄り駅つくころにはちょうど日が傾き始めていて、頭の上で田舎なのがよく分かる、十七時を知らせるメロディーが流れ始めているところであった。
ホームにたどり着くころには、すでに放送は終わっており仕方なく鞄の中からスマートフォンを取り出し、ボリュームを小さめに設定したイヤホンで音楽を聴き始めた。
おわり
ラウンド・トゥ YUANA @202197
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