第17話 人生は勝った負けたの繰り返し

 パラ=ローグの遥か上空。

 機械蟲ナノボットが編み上げた白銀の蠕虫ワームが、一本の柱となって空を駆け昇って行く。


「…………」


 強盗はその光景を地上から見上げていた。

 機械蟲ナノボットが駆け昇ったあとには、誰一人、何一つとして遺されてはいなかった。

 だが、なにもそれは三人が死んだことと同義ではない。

 

 強盗が機械蟲ナノボットに下した命令は「三人の無力化」だ。しかし機械蟲ナノボットは今、その標的を見失っていた。地上へと帰還せず、未だ夜空を彷徨っていることがその証拠だ。機械蟲ナノボットの頭では、標的がなぜ忽然と姿を消したのか、どこに消えたのか。まるで理解できなかった。

 

 だからたとえ三人が唐突に、としても、その蟲たちには理解のできないことだった。

 理解することができるとすれば、それはきっと同じ魔術師だけだろう。

 

「……まだあなたは魔術そんなものにしがみついているのね。ヴィクター」


 ふと仮面の内から零れた強盗の声は、当然彼の元には届かない。 


 きっかり三秒。

 彼は誰の声に応えるでもなく、時の流れと共に夜空に帰ってきた。


 そしてメアリは今、

 ——空に浮かんだ月を見上げている。


「————」


 ほんの三秒前までは地上を見下ろしていたはずだったのに、知らぬ間に空を見上げていた。体感では一秒にも満たない時間だった。それは眠っている間に寝返りを打つのと似た感覚で、メアリには自分の身になにが起こったのか分かっていなかった。

 

 しかし、倒すべき敵は分かる。

 それは依然として目の前に存在している。

 

 雲にも届く空の上で、自分たちの頭の上で、ぼんやりと立ち止まった機械蟲ナノボット

 正面に見据えた照準の先には、月からぶらりと垂れ下がった白く巨大な蠕虫ワーム

 

 メアリと、敵と、月。その三点は今真っ直ぐな直線で結ばれていた。

 それはまさに絶好の位置、絶好のタイミングだった。


 ……やるじゃん、おじさん!


 メアリは天に向かって両手を掲げ、最後の一節を高らかに詠み上げた。


「——ケイン!」


 三秒前から持ち越した詠唱の続き。たった三音の呪文。

 それで魔術は成った。


 ゲイル・ラ=ボル・ケイン。

 触れたモノはなんであれ焼き焦がし、掻き毟る。鉄をも喰らう雷撃。膨大かつ獰猛な魔力の稲妻が、研ぎ澄まされた雷槍と成って天に穿たれた。

 

『——ッ、ギィィィィイイイイイイ……ッ!』


 翠の閃光が空でピカッと瞬いた直後、茨のように咲き誇った雷が夜闇を引き裂き、夜の空に火柱が上がった。高く高く、雲の向こう側にまで届くような火柱だ。

 そして、業火の内から聞こえてきたのは蟲たちの断末魔だった。


 空からは灰とも塵ともつかない無数の残骸が降ってきて、それらはパラ=ローグの上空を吹く夜風に攫われて、地上に降りしきる前にどこかへと消え去った。

 

 まさに一網打尽。メアリは一撃で機械蟲ナノボットの群体を一掃したのだ。


「——、——」 


 翡翠色の雷電。その名残が灰色の雲海をゴロゴロと駆け巡って、ただの魔力へと還っていく様を、メアリはぼんやりとした表情で眺めていた。翡翠色の瞳には遥か遠くに浮かぶ月が映りこんでいたが、恐らく彼女の目に映っているのはそんな物ではないのだろう。ルーサーにはそれがなんなのか、なんとなく理解できるような気がした。


「ぁ、やば——」


 しんと澄み渡るような静寂が流れたあと、メアリはルーサーの腕の中でゾクゾクっと身震いをした。それから、頬を上気させ恍惚こうこつとした表情でこう言った。


「……あたし今、最っ高に気持ちぃぃい……!」


 今思えばこの瞬間、彼女の運命は決定したのだろう。瞳の奥に焼き付いた勝利の情景は、確かに幼い少女の心を鷲掴みにした。一度その快感を知った者は一生その幻想に魅せられる。それはなにもメアリだけに限った話ではない。メアリもアンも、勝利の虜となっていた。そしてルーサーは——、

 

 ……大したガキ共だよ。だが、愉しい時間もここまでだな……。


 ドクドクと脈打つ双子たちの鼓動に挟まれながらも、一人静かに、短くも長かった夢が終わろうとしているのを感じていた。



 * * *



 双子たちがフラメール邸に帰ってきた頃には、午前零時を回っていた。ルーサーに手を引かれる形で旧市街の上空を飛んできた二人は、我が家の玄関先にふわりと降り立った。一時間ぶりくらいだと言うのに、自分の家が随分と懐かしく思えた。


「とーちゃーっく! いやー、今宵は大冒険でしたなー!」

「んもう、メアちゃん。夜遅いんだし、あんまし大きな声出したら駄目だよ?」

「あんな戦いのあとだっていうのに、アンは変わらず真面目だなー。あたしたちは強盗に勝ったんだよ? 言うなればこれは凱旋がいせん! もっと堂々としてたらいいんだよ」

「それとこれとは別じゃないかなあ……」


 ふふんと鼻を鳴らして腕を組むメアリを横目に、アンは心配そうな顔でルーサーを振り返った。


「あの強盗さんは本当に諦めてくれたんでしょうか? また襲ってこないとも……」

「どうだろうな。ただ、奴の武器はメアリが退治してくれたからな。アレだってタダで使い回せるほどコスパのいい代物ってわけじゃあないだろうし、少なくとも今日はもう襲ってないんじゃないか。案外今頃は始末書に追われてるかもしれん」

「それって余計に恨み買っちゃったんじゃあ……本当に大丈夫かなあ」


 メアリが機械蟲ナノボットを一掃したあと、強盗はあっさりと引き下がった。上空から見下ろすルーサーたちを一瞥いちべつすると、そのままバイクに乗って走り去って行った。メアリは「あたしに恐れをなして逃げたんだ」と言っていたが、真意のほどは定かではない。


「まあ、奴は宝にしか興味はないみたいだったしな。もうこの家に用はないだろう」

「だから心配してるんじゃないですか。なに言ってるんですか、もう」

「あー、そうだな。そうだった。悪かったよ」


 ルーサーは「これは失敬」と頭を掻きながら、クツクツと笑っている。なにが可笑しいのだろうとアンは不審に思ったが、特に不快には思わなかった。


 彼は自分の家に空き巣に入ろうとした泥棒ではあったが、彼の助けなしでは強盗から賢者の石を取り返すことは叶わなかった。その一点に関しては、アンは彼に感謝していた。きっとメアリも同じように思っていることだろう。


「終わったことはもういいじゃん。それより、今はシャワーを浴びて着替えることの方が重要だよ。結構汗かいちゃったし、パジャマのまま飛び回ってたからちょっと冷える——」


 そう言ったあと、メアリは「くしゅん」とくしゃみをした。

 

 メアリがはなをすするのを見て、アンもぶるっと身震いをする。アンは今になって、自分がワンピース一枚で空を飛び回っていたことに気付いた。強盗を追っている時はむしろ全身がぽかぽかとしていたものだから気にならなかったが、よくよく考えてみると、ルーサーが魔術で作り出した反重力の泡は、パラ=ローグ上空を流れる冷たい風からも二人を守ってくれていたように思える。興奮極まって単に感覚がマヒしていただけかもしれないが……。

 

「…………」


 彼の手から離れた今、二人を守ってくれる物はなにもない。せいぜい薄着が一枚と、まだまだ未熟な魔術だけだ。もしもまた強盗のような襲撃者が現れた時、果たして自分たちだけで賢者の石を守ることができるだろうか。

 一度そんな考えが頭をよぎると、その手を手放すのが惜しいと思ってしまった。

 だから、


「あ、あのっ泥棒さん。もしよかったら今日は——」


 アンは振り返った。

 だが、そこに彼の姿はなかった。


「……ぁ……」


 名前もまだ知らないその泥棒は、それこそ全ては夢か幻だったのではないかと思えるほどにあっさりと、少女たちの前から姿を消した。何も言わずに、音もなく。


「——あれ? アン、おじさんは?」


 メアリは玄関の扉を開けたところでその事実に気付いたようで、外に突っ立ったままのアンの元にパタパタと駆けてきた。


「……帰っちゃった」

「えっ、帰ったの! あたしたちになにも言わずに!? なんだよそれもー」

「多分、もう約束の時間が終わっちゃったから……」

「なにそれ、シンデレラ的な?」


 メアリは首を傾げる。

 すると、不意にメアリはなにかに気付いた様子で、首を傾げた格好のまま言った。


「あれ? アン、その背中にぶら下がってるのなに……?」

「……え、背中? なんのこと……?」


 アンはくるりと腰を捻って、自分の背中を見ようとする。なにか背中に引っ付いた物がぶらぶらと揺れているのは分かるのだが、それがなにかは分からなかった。

 メアリはそんなアンの背中をまじまじと見て、「んむむ?」と唸った。


 そして、


「あっーーーーーー!」


 と、いきなり大声を出した。

 アンはビクリと身体を跳ね上げる。


「ぴゃ! なに、なんなのメアちゃん! もしかして蟲? 蟲なの!?」

「違うっ! これだよ、これ!」


 メアリはアンの背中から“それ”を引っぺがし、アンの目の前に突きつけた。

 

 それは、ぬいぐるみだった。

 お友達部隊唯一の生き残りとしてアンにただ一人仕え、強盗の懐に潜入し賢者の石奪還の任務を見事果たしたMVP。そんな英雄は今、なぜかガムテープでぐるぐる巻きにされた状態で、アンの背中に貼り付けられていた。


「きゃああ、私のぬいぐるみさんがミイラ男みたいになってる! 見ないと思ったらこんなとこに……誰がこんな酷いこと……!」

「……あいつだよ、あのドロボーがやったんだ……!」

「泥棒さんが? でも、どうして……」

「これがその証拠だよ!」


 メアリは、ガムテープを剥がそうとするアンの手からぬいぐるみを引っ手繰って、その表面をよく見るように、と再度アンに見せた。

 ぬいぐるみにぐるぐると巻かれたガムテープ。そこには、文字が書かれていた。

 


 賢者の石はいただいた。ガキ共は夜更かしなんかせずにさっさと寝ろ

 ――怪盗ヴィクター



 それはルーサーが双子たちに宛てたメッセージだった。

 

「アン、賢者の石は? 確かぬいぐるみに持たせてたよね? アレは今どこ!?」

「……えっ、そんなこと急に言われても。だって、さっきまでこの子が持ってると思ってて……あれ、嘘……ない! どこにもないよ……!」


 予想だにしていなかった事態に、二人はわたわたと慌て始める。アンはワンピースをパタパタと払ってみるが、なにかが出てくる気配はない。元よりワンピースにはポケットが二つ付いているだけで、物を隠すスペースなど他にはなかった。メアリも一緒になって自分のパジャマをまさぐっていたが、当然出てくるはずもない。

 

 それでも諦めきれずに、アンはポケットをパンパンと叩いてみる。出てこい出てこい、賢者の石。するとそこでもう一つ、アンはあるべき物があるべき場所から無くなっていること気付いた。アンはサッと青ざめた。……まさか、そこまで。

 

「そうだ、アン! こうなったら警察に通報しよう。あいつの写真はパラコルで撮ってるわけだし、それを見せればあんな奴すぐに捕まって——」

「……無理だよ、メアちゃん」

「なんでさ!」


「盗られちゃったみたい……賢者の石だけじゃなくて、私のパラコルも一緒に……」


「……嘘、でしょ。それってつまり……」

「うん。私たちはあの泥棒さんにまんまとやられちゃった、ってことだよ」

「そんな……だってあんな、あんなへっぽこだったのに……それなのに……」


 アンの一言で、メアリは全身から力が抜けてしまったようにくずおれた。

 

「——っあんの、おっぱいドロボーーーーーッ!!」


 きっと彼は最初からそのつもりだったに違いない。彼は二人に協力するフリをしながら、二人が賢者の石を取り戻す瞬間を待っていたのだ。あとは隙を見て盗み出すだけでいい。賢者の石も、彼の素顔を捉えた写真も、ずっと彼と密着する距離にあったのだから、その機会は幾らでもあっただろう。二人が勝利の快感に酔いしれている間に、夜の景色を愉しんでいる間に、彼は自分の仕事を遂行したのだ。

 そしてその接近を許してしまう程度には、二人とも彼のことを信用しきっていた。


 裏切られた。ひと時でも信頼を預けた人からの裏切りだ。

 双子たちの胸中で渦巻いていたのは、「信じていたのにどうして?」という悲しみが半分と、「よくもやってくれたなあんちくしょー!」という怒りが半分だった。


 そしてこの双子たちは、悲しみと怒りを抱えたまま泣き寝入りするほど殊勝な性質たちでもなかった。彼女たちは今、復讐に燃えていた。アンはメアリのように叫び出したい気持ちをぐっと堪えて、夜空に焼き付いた泥棒の面影を睨みつけた。


 ……私たちを騙したこと、絶対に後悔させてあげますからね。泥棒さん。

 

 その復讐は本人たちも思いもよらぬ形で叶うこととなるのだが、とかくこうして、短くも長かった双子たちと怪盗の第一章は幕を下ろした。

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双子はポケットに入らない ~落ちぶれた元怪盗は人生逆転を賭けて魔術師の卵×2を拾う~ 達間涼 @ryo_tatsuma

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