03 写真と小説と

 牛が動く。

 カメラも、慣れない手には定まらない。


「ブン屋さん、そこそこ!」


「あっ、牛がオシッコしてる!」


「ちがう、ウンコだ! ブン屋さん、そっちだとウンコが写るよ!」


 分かった分かった。

 というか、ウンコ言うな。

 私は苦労しながらも、牛(ハナコというらしい)の機嫌を取りつつ、そして植田の家族の協力を得て、何枚かの写真を撮ることに成功した。

 こんなに苦心惨憺しているというのに、植田は一向に起きる様子がない。


「……お父さん、寝かせといてあげて下さいな」


 植田の細君が詫びた。

 写真に入れ込み、写真のためにといろいろと働き、働いたあとは、やっぱり写真に入れ込んでいるため、こうして眠らせてあげたいという。


「……しかし、そんなに写真三昧じゃ、奥さんも大変でしょう」


「そりゃあもう」


「……それでいいのですか?」


 私の胸中に、妻と子どもの姿が去来する。

 もし、彼女たちが、私が職業作家になりたいと言い出したら、どう思うだろうか。

 新聞記者としての仕事をなげうって。


 細君は笑った。


「だってあんなに写真がやりたい写真がやりたいって言って、それでちゃんと撮ってるなら、わたしも子どもたちも、もう何も言えませんって」


 でもね、と細君は付け加える。


「ただ単に、写真に憧れてるだけだったら、何言ってるの、ですけど。でもお父さんはちゃんと撮っていますからね……自分が面白いと思う写真を」


 細君も子どもも、それを見て、ああこれは邪魔しちゃ駄目だな、と思ったそうだ。

 むしろ、そういう貫く姿勢がいいと思うらしい。


「……そういうもんですかね」


「そういうもんですよ」


 ……私はできるだろうか。

 そして、私の家族は。


「ああ、よく寝た」


「うわっ、ビックリした」


「あ、すみません」


 植田が突然起き上がると、失礼と言って私からライカを取り戻した。


「おお、結構撮りましたね」


「いや、すみません、フィルム」


「いや、経費経費」


 植田はにんまりと笑った。

 写真館も新聞社も、算盤そろばんは同じなのだなと思った。


「……さて、撮りますか。じゃ、お母さん、みんな、ハナコをこっちへ!」


 ……撮影会が、始まった。



「それで、砂漠の国のお姫様を将軍に預け、旅に出て、砂漠を渡り……」


 夜。

 私は、植田の写真館の客間に泊まることになった(結局、牛を返しに行くやら何やらで、とっぷりと日が暮れてしまったから)。

 子どもたちが布団を敷いてくれ、細君が蚊帳を吊ってくれた。

 それで細君は、現像作業中の植田にお茶を出しに行くと去り、子どもたちもついていくかと思いきや、「何かお話して」とせがまれた。

 そこで、以前から温めていた小説のネタを噛み砕いて話すことにした。


「それから、それから!」


「どーなっちゃうの?」


 どうやら、受けはいいようだ。

 ちょっと、気を良くした。


 ……そうこうするうちに、舟を漕ぐ子もいた。

 無理もない。

 撮影会ではしゃいで、もうこんな遅い。

 何より、この話のは、子どもからしたら、「?」かもしれない。

 だが、そんな危惧は杞憂に終わった。

 最後まで起きていた子が、寝てしまった。


「……面白い話ですね」


 いつの間にか来ていた植田が、拍手をしてくれた。子どもを起こさないために、そっと。


「イヤこれは恐縮」


「そういう話を、書きたいので?」


「……聞いてましたか、編集局長から」


「う~ん、ボクは増谷さんから、小説家の卵みたいだよ、しか聞いていません」


 編集局長・小谷が増谷さん(増谷麟さんという名前の実業家らしい)に、そう言ったのか。

 

「よいしょ、じゃあボクは子どもたちを運びますので、もう寝てていいですよ」


 と言い出すので、慌てて私も一緒に子どもを運ぶのを手伝った。


「いやいや、泊めてもらった上に、そんな不作法はできません」


 いいですいいですと言う植田を押し切り、結局二人で子どもを子供部屋に運んだ。

 結構重い。

 汗を拭き拭き、客間へ戻ろうとすると、植田が声をかけてきた。


「そういえば、現像、できました。見ますか」


「……はい」


 植田が暗室へと誘うと、私はおっかなびっくりでその中へと入った。

 植田が暗室に入ると、手探りでスイッチをいじった。


「明かりをつけますね……んん? 間違ったかな?」


 植田は、現像の時に使う赤い方の電気をつけてしまった。

 おかげで、暗室の中は血みどろの地獄絵図だ。


「失敬、失敬……ボクはメカとか電気は弱くて……」


 たははと笑いながら、植田は印画紙の束を取り出した。


「……凄い」


 そこには、牛が砂丘の中を佇み、歩き、走り、昂ぶり、角を突き出し、吠えるように口を開けている姿があった。

 背景になっている砂丘のモノトーンと相まって、牛は、見る者に見えざるキャプションを与えられているように注目され、集中され、ひるがえって、牛――主役を切り出すがごとく強調し自らは背景に徹している砂丘の凄さも、私には感じられた。


「――ま、これだけあれば、どれかは採用されるでしょう」


 そうでなくとも貴方が出張してきた経費分くらいは仕事しているでしょう、と植田は微笑んだ。

 そしてネガと一緒に印画紙を封筒に入れて渡してくれた。


「ありがとうございます」


「どういたしまして……あ、そうだ」


「何ですか」


「ボクが砂丘で寝ている時……妻は何か言ってましたか?」

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