04 西域の小説家

「ボクが砂丘で寝ている時……妻は何か言ってましたか?」


「ああ、それは」


 言ってもかまわないだろうと思い、語った。

 ただ、それを聞いた植田は、出ましょうと言って、暗室を出た。

 そしてそのまま廊下の縁側から庭に出た。

 吸いますと言って、懐中から出したマッチをって、煙草に火をつける。


「……そんなことを言ってましたか」


「はい」


 すると植田は吸いますかと言って、煙草を差し出した。

 私は黙って一本受け取り、投げてよこされたマッチで、火をつける。


「……ボクは別に、家族の理解は関係なかった」


「え?」


 だが、独り言のように言っているので、それ以上は反駁はしなかった。

 植田の問わず語りがつづく。


「ただ――写真を撮ることによって、家族の生活に影響が出ます。では、話しました……が、家族の理解は別にいいのです。大体、理解が得られなかったとして、貴方、書くのを止めますか?」


「それは……」


 モラトリアムの日々が去来する。

 懸賞小説を総なめにした日々。賞金はうなるほど貰った。卒業なんて、したくなかった。このまま、このままずっと学生のまま、書きたいものを書き散らしていき、のんべんだらりと過ごしていけばいい――そう、考えていた。


 だが。

 ある日。

 父が痺れを切らし、とうとう所帯を持たされることになった。

 妻のことは嫌いではない。

 その懇望を受け入れ、卒業し、就職した。

 ただ、書くのはやめなかった。

 そうこうするうちに、出征した

 出征した先に、砂漠が――西域が、あった。

 書きたい――そう、思った


 しかし病気により除隊、そして終戦。

 子どもを得て、生活の安定は必須だった。

 幸い、新聞社に籍を置いていた。


「書けばいいじゃないですか」


 植田は言う。


「幸い、写真ほど手間はかからない。一人でできる。だったら、書けばいいじゃないですか」


 家族の迷惑とか理解とか、そういうのを気にしていては、何もできない。

 植田はそう付け加えた。


「砂丘を――貴方の場合は砂漠でしょうか、それを渡るのは、貴方だ。他の誰でもない」


 むろん、生活を保障することは必要だろう。

 でも、だからといって、写真を、小説をやめることはない。

 そのためには、どうすれば――


 ふと、植田家の廊下の額に入れられて飾られている、「少女四態」がのぞいた。

 そうか。


「分かった。そうか……」


 紫煙の向こうで、植田が笑っていた。



 大阪へ戻ると、私は社に直行し、編集局長の小谷に、植田の撮った写真を渡した。


「――うん、いい。実にシャープだ。ソフトだ」


 何やら矛盾した表現を口にしているが、とにかく、気に入ったのだろう。

 私は胸をなでおろした。

 これなら、これから話すことも、抵抗なく受け入れてくれるかもしれない。


「よくやった。じゃ、今日はもう帰っていいぞ」


 家族サービスをしてやれ、と小谷の目が語っていた。

 むろんそのつもりだが、その前に、と小谷に告げると「座れ」と言われた。


「砂丘で、植田さんに会って、何かあったな? 言ってみろ」


 ざっくばらんに見えて、細心の気遣い。

 さすがに戦中戦後の魑魅魍魎ちみもうりょう渦巻く新聞業界で名を成しただけあって、できる男だ。


「……牛相撲、どうなってる?」


「それか。それなら、来年の一月が目途だ。今、九月だから駆け足だな」


 小谷は両腕を振って、駅伝の真似をした。

 新聞興行主らしい物まねである。


「実はその牛相撲、小説のネタにさせて欲しい」


「小説の!?」


 小谷は素っ頓狂な声を上げた。

 そして数瞬の間を置いて、笑い出した。


「……おいおい、興行プロモートの雄たる小谷おれを前にして、その興行をネタに、自分の小説をプロモートだあ?」


「……頼む。これなら、当たりそうなんだ」


 石川達三の「蒼氓そうぼう」のような中編とまではいかないが、短編で、切れ味の有る作品ものを書く自信があった。


「……ふん、まあいいだろう」


 小谷は口を尖らして言ったが、満更でもなさそうだった。


「お前は文章を書く。そのお前が書くとなれば、この牛相撲、後々まで語り継がれることになるな」


 一流の興業主である小谷には、小説それによってもたらされる旨味を、その脳内の算盤そろばんで弾いているようだった。


「……だけど交換条件だ。この牛相撲、こき使ってやるぞ。いいか。それもロハただでだ」


 人手が足らん、さらに言うと金銭かねが無い、と小谷は言った。

 しかし、この牛相撲さえ成功しちまえば、もうこっちのものさ、とうそぶいた。


「なあ小谷」


「何だ、井上。今日ぐらいは帰っていいぞ。おれもそこまで鬼じゃない」


「いや、そういうことじゃなくて」


 牛相撲じゃなくて、ちがう名称を使いたいと提案した。

 小谷は「聞こう」と言って、煙草を薦めた。

 私は出された煙草を手に取って、マッチで火をつけてから、物欲しげな小谷の視線に応じた。


「それは――」



 それからしばらくして。


 鳥取。


 境港の植田写真館で、相も変わらず近所の子どもたちを連れて、砂丘で撮影会と洒落こむ植田――植田正治は、妻から呼び止められた。


「今日は絶好の撮影日和なんだ。用なら後にしてくれる?」


「用? ちがいますよ」


 そう言って、植田の妻は夫に一冊の本を差し出す。


「いつぞやのブン屋さん、本を書いたんだって。で、貴方にって」


 植田はその本を一瞥しただけで、受け取らず、本棚にしまっておいてくれと頼んだ。


「撮影が終わったら、読むよ」


「また本棚の肥やしにするんじゃないでしょうね」


 しないしないと、植田は笑った。


「ボクがきつけたようなモンだ。読むよ。ただ――ボクだって、あのブン屋さんに負けたくないからね。だから撮りに行くんだ」


 そうですか、と植田の妻は諦めたように本を抱え、本棚へと向かった。

 そして、ええと、と言いながら、作者名であいうえお順に整理された本棚に本を収めるため、改めてその本を見た。


「――『闘牛』、井上靖、か」


 その本により、「私」――井上靖は芥川賞を受賞し、書くことについて誰にも遠慮することが無いと判じ、新聞社を辞め、専業作家として独り立ちした。

 そして作家として軌道に乗ったのちは、砂漠を渡り、「敦煌」や「楼蘭」といった西を書いた。


 一方で植田正治は――写真の発祥の地というべきフランスでもUeda-choとして、特に砂丘を舞台にした、その「植田調」の演出写真を轟かせた。




 井上靖。

 植田正治。

 当時の「私」にとっては砂漠、植田にとっては砂丘にて――

 長月に出会った二人は――こうして、書きたいものを書き、撮りたいものを撮った。



【了】

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