02 砂丘の写真家

「………」


 見晴るかす、砂の波、砂の大海。

 それは遠くつづき、たしかに編集局長の小谷の言うように、想像の中の砂漠に似ていた。


 西域さいいき

 大陸の唐、そして宋といった王朝がその手を伸ばし、さらなる先の異国へと交流した、その地。

 その地のことを想像すると、湧き上がるものがある


 書きたい。

 その地で起きたこと、起きたかもしれないこと、想像にしか過ぎないことを。


 書きたい。

 一心不乱に。


 だが。

 新聞社に勤め、職を得ている今。

 そして、妻も子もいる。

 そんなことに血道を上げて、どうする。

 普通の小説なら、受ける自信がある。実績もある。

 けれども。

 受けるという保証もない、西域の小説に――


「…………」


 考えているうちに、どうやら私は眠ってしまったようだった……。

 


「いやー、遅れてすみません」


「…………」


 その写真家、植田は、私がとうとう砂丘で寝入ってしまったところを、ちょうどその上から覗き込むように現れた。

 すみませんと言っているものの、ちっとも悪びれる様子もなく、気持ちよさそうですねと私の隣に寝転がる始末だった。


「……いやいや、一緒に砂丘で寝転がろうと話に来たわけではないですので」


「いやでも、ボクも疲れているので」


 ボク、と来たもんだ。

 私より五、六歳若いくらいだろうが。

 第一。


「何で疲れているんです? 失礼だが、待たされたのはこっちで……」


「あーそれ」


 間延びする口調は、編集局長の小谷を思い出すからやめて欲しい。

 そんなことを植田は知ってか知らずか、その口調を改めずに話す。


「いやー実は、増谷さんから牛って話を聞いて、じゃー牛どーするかなって」


「牛……そういえば」


 小谷の奴、牛を撮れと言ってる割に、その調達を考えていなかったのか。

 牛相撲といえば、宇和島が有名だが、この辺だと隠岐の島だと聞く。


「隠岐まで渡るか……いや、そこまでさすがに経費で出せないだろ……」


 経理がかんかんになっても知らないぞ。

 第一、そこまで出張が伸びたら、さしもの妻も怒るだろう。

 頭を抱える私に、植田が声をかけて来た。


「それでですねー、連れて来ました、牛」


「え、ほんとですか?」


 植田が後方を指差すと、母親と子供たちとおぼしき集団が、一頭の牛を囲んで、わいわいがやがやとやっていた。


「あれ、ボクの家族」


 体言止めか。

 と言っている場合ではなく、私は植田に聞いた。


「……いやでも、それっぽい牛、よく連れて来られましたね」


「開拓農村に伝手つてがありまして」


 植田は首に吊るしたライカをいじりながら答えた。


「ボクは写真が好きで、それが昂じて写真館なんて経営してるんですが……嬉しいことに、ボクの写真を気に入っていてくれる人がいて、それで……」


 近隣の町や村に出向いて写真を撮ることがあり、その中で、開拓農村で牛を撮ったことを、今朝思い出したという。


「すぐ連れてくるつもりが……それか、妻か子どもを寄越して、写真館の方で待っててもらうようにしたかったんですけどね」


 妻も子も、一緒に行きたいらしく、それを言い出せなくて、と植田は頭を掻いた。

 見ると、植田の細君と子どもたちは、牛に乗っかったり、牛に抱き着いたりして、凄く楽しそうだ。


「……まあ、写真のモデルになってもらってるので、ボクも強く出られません。お察し下さい」


「モデルになさってるんですか?」


「いやまあ、近所の子どもたちとかね、この砂丘に連れて来て、撮るんですよ」


 植田にとって、この砂丘は絶好の舞台であるという。

 砂と空とのコントラストの中、屹立するモデルを、ある種のオブジェのように捉えて撮る。


「……それが、すっごく、面白いんですよ」


 見ますか、と植田は一葉の写真を取り出した。

 それは、社で小谷に見せられたものと同じだ。

 たしかタイトルは。


「少女四態、といいます」


「……ほう」


 四人の少女、というか童女が、それぞれの方向を、それぞれのポーズをとって、見つめている。

 砂丘を背景にした彼女たちは、モノクロの色調にあいまって、何かこう、見る者に響くものを持っている。


「……そう、この砂漠を渡ろうとしているような……何かの決意と言うか……あ、失礼、砂丘でしたね」


 植田は嬉しそうに笑った。


「面白いでしょう」


「そうですね」


 私もつい、笑みがこぼれた。


「……じゃ、撮ってみて下さい」


「……え!?」


 何を頓狂なことを言い出すんだ、この人は。


「いやだって、キャメラマンは貴方ではないですか?」


「撮ってみて下さい。ボク、さっき言ったとおり、牛連れて来て、疲れているので。ライカ、貸しますから」


 疲れているって、そんな問題じゃないだろう。

 私の抗議を聞き流しながら、植田はさっさと寝転んでしまった。


「論より証拠。自分で撮ってみて下さい。そうすれば、写真の良さが分かります。分かったら、どんな写真が欲しいか、教えて下さい」


「はあ……」


「……やってみること。やる価値が自分にはあると、確かめること。まず、そうしないと、始まりませんよ、貴方の夢」


「……え!?」


 植田の真剣な口調に、小谷の真顔を思い出す。

 だが、当の植田はさっさと寝入ってしまったらしく、すうすうと寝息を立てているので、それ以上、何故そういうことを言うのかとは、聞けずじまいだった。

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