砂漠渡りと長月 ~砂丘と西域と~

四谷軒

01 昭和二十一年、長月に


 ――そこはただ広々とした、砂の平面と空の青だけが繰り広げられる空間だった。


「まるで、砂漠だ」


 昭和二十一年、九月。

 鳥取砂丘。


 私は、鳥取砂丘こんなところへと出張を命じた編集局長の小谷に対する悪態をつきながら、その小谷の周旋による待ち人を、今か今かと待ち続けていた。


「暑い……」


 今は九月。旧暦だと長月。

 充分、夏だ。

 暑い。

 私はシャツのえりを開けてあおいで、改めて小谷の寄越したメモを取り出して確認する。


 何故私がこの茫漠ぼうばくたる砂丘――砂漠(と言ってもいいだろう、砂しかないし)へ来ることになったのかを。



 数日前。

 大阪。


「野球場での、牛相撲?」


「そーだ」


 小谷は間延びした言い方で、私の疑問というか確認を肯定した。

 小谷は、私の所属する新聞の編集局長である。

 と同時に同期でもあり、四十にもなるというのに、私に対しては、かなり打ち解けた感じで話しかけてくる。


「見ろ、カレンダーを」


 小谷は壁に吊るされたカレンダーを指差す。

 昭和二十一年長月と隷書体で大書された上半分と、それに比してアンバランスなゴシック体のアラビア数字の下半分、1から30の羅列のカレンダーを指差す。


「もうすぐ球場の職業野球も終わる。秋が来る。で、冬来たりなば牛遠からじ、だ」


 それは「冬来たりなば春遠からじ」だ。

 間違っている。 

 私は舌打ちしたくなる。

 小谷は切れる男だ。

 だが、山っ気が多い。

 紙面を揺るがす報道攻勢とか、新聞を挙げての大興行とか、そっち方面での仕事を任されてきて、大過なく果たし、現在、編集局長の地位に就いている。

 新聞記者として文筆をる活動をあまりしないまま、という付きではあるが。

 そして今、小紙のとして、野球場を借り切っての牛相撲を企んでいるという。


「……牛相撲のことなら、学芸部の私には関係のない話でしょう。放っておいて下さいよ、局長」


「ところがどっこい」


 小谷はおどけるようにひょっとこ面をする。

 黙っていればインテリの二枚目なのに、こういうことをする奴だ。


「……これがあるんだな、大あり。牛相撲、宣伝の写真が要る」


「キャメラマンなら、報道部の方にいっぱいいるでしょう。流しフリーの奴だって、結構、出入りしているし」


 ああ、ああ、と小谷は大仰に声を上げる。

 こいつは舞台俳優にでもなるべきだった。


「ンな十把じっぱひとからげなキャメラマンなんざ、どーでもいい! おれが欲しいのは、もっとこう……アーティステイックな奴だ!」


 机を叩くな。

 うるさい。

 だが、アーティスティックと称する理由は分かる。

 小紙はインテリ層向けだ。

 下手に衝撃的な写真よりも、芸術的な写真を好む。


「で、だ」


 小谷は背広の内ポケットから、一葉の写真を取り出した。


「こいつを見ろ」


 小谷に言われるまでもなく、私はその写真に目を吸い寄せられた。


 それは――砂。否、砂で覆われた平面の上に立つ、少女が四人。

 少女は――童女と言うべきだろう、彼女たちは、それぞれちがった方向を見て、ちがった姿勢を取り、ある者は立ち、ある者は座っていて、それはまるで、砂漠を渡って行くような決意を秘めて――


「な、面白いだろう」


 小谷は得たりかしこしと微笑ほほえむ。

 面白いのは認めるが、それゆえにこそ、小谷の思う壺にまったのだと、あとで思った。


「こーいう写真を撮る奴が、鳥取にいる。砂丘に」


「……はあ」


「何だ気の抜けた返事だな。皆まで言わせるな、ここまで言えば、分かるだろっ。なっ」


「…………」


 何となく、小谷の狙う筋が読めた。

 私をこの写真の撮影者のところへと行かせ、牛相撲のコマーシャルな写真を撮らせるよう、依頼するという筋だ。

 小谷は私のを察したのか、満面の笑みでささやく。


「……悪くない話だろ? お前、先の戦争で中国に征き、でも次の年に病気で帰って来ちまった時の台詞、まだ覚えてるぞ? 砂漠に渡りたかった……ってな」


「砂漠じゃない、西域さいいきだ」


「どっちだって同じじゃないか……その西域砂漠と何となく似てるはずの鳥取砂丘、行ってみないか? なあ、学芸部なら、写真家の取材は仕事だろっ。なっ」


 仕事=経費である。

 さすがに、編集局長は抜け目がないな。


「……実はな、このキャメラマンの先生には、伝えてある」


 小谷は、社主の前身である映画館の館長時代のコネを使って、増谷という映画産業の実業家を経由して、その写真家に連絡はしてあると言った。


「あとな、お前、最近、思いつめてるぞ。砂丘で見つめ直してこい、お前自身のことを」


 真顔の小谷に、ずるいな、と思った。

 こいつはほんの一瞬だが、時に、いつもの山師ぶりから想像もつかないほど深刻な表情で、真情を伝えてくる。

 この手に落ちた女と同棲していると聞くが、むべなるかな。


「……おい、聞いてるのか? お前、本当は……石川達三や大佛おさらぎ次郎のように……」


 おっと。

 それ以上は言わせない。


「分かりました、局長! 鳥取砂丘への出張、本日ただいまをもちまして、拝命いたします!」


「……まあいいか。よっしゃよっしゃ。じゃ、このメモに大体のことは書いといた。行ってこい、砂丘! 撮ってこい、写真!」


「……私が撮るんじゃないんだが」


「うるせえな! 局長命令だ! 早く行け!」


「……はいはい」



 こうして、私は編集局長の口車に乗せられ、大阪からはるばる鳥取砂丘へとやって来たわけである。

 問題は。


「……何でキャメラマンの先生が来ないんだ! もう約束の時間、とっくに過ぎてるぞ!」


 ……憧れの砂漠、西域にも似た砂丘で、私は絶望していた。

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