フィルム包みのコウノトリ
三上優記
ネガに眠る欠片
蝋燭の焦げた臭いが、まだスタジオに微かに残っていた。
「あぁお帰り、ぬーさん。ケーキ切っといたよ」
「あ、かっちごめんね。疲れてるのに、わざわざそんなことさせて。……皆はもう帰った?」
パイプ椅子に腰を下ろす。先程まで沢山の人がいたスタジオも、今は僕とかっちしかいない。CG用の緑のスクリーンが妙に大きく見える。
「あぁ。撮影班は倉庫に機材を置いて帰ってったし、役者陣もしばらくここの外で喋ってたけど、もういい時間だからって帰った。明日もあるからな」
既に照明は消され、カメラは片付けられていた。それだけで、どこかもの寂しく感じられた。
「君だって帰ってよかったのに。ケーキなら有難くいただいたんだからさ。わざわざ僕に付き合わなくても」
「いいんだよ、そんなこと。それよりぬーさん、あまり無理するなよ?」
「その言葉、そのまま返させて貰うよ。君だって今日撮影した映像、見直すために残ったんでしょ?」
バレたか、と渡された巨大なホールケーキの一切れ。茶色いチョコの上で赤いイチゴが光る。……まだ半分も食べられていない。
「え、まだこんなにあるの……さっき演者さんとスタッフさんたちが皆食べてたのに?」
「あはは……人数多いからって、大きいの頼んじゃったからなぁ。ちょっと見積りが甘かった。他の部署の人たちにも手伝ってもらうか」
「クランクアップの時も飲み会するんでしょ。……あぁ、今月は太っちゃいそうだ」
「ぬーさんは細いから、ちょっとくらい誤差だよ誤差」
「どの口が言うんだい。君だって細いのに……あ、美味しい」
チョコレートの味が口いっぱいに広がる。ふわふわのスポンジの感触。とろりととろけるクリーム。
「だろ? うちのスタッフが教えてくれたお店なんだ。今度から社内でお祝いする時、ケーキはここに頼むか」
「毎度こんな大きいの頼んで、僕らの会社を破産させないでよね、岩田社長」
からかわれたかっちが大きく笑った。
「生憎、社長やってても、お金回りはいつも君に頼んでたからとんと疎くてね。ま、今はこの通りだから頑張るけどさ。んー、しかし美味しい」
彼はペロリと平らげると2切れ目に手を伸ばす。大きな皿の隅には、僕が先程吹き消した28本の蝋燭が置かれていた。
「もう君と出会って10年たつんだね」
「そうだな。高校から10年一緒か。長いな、映画作って10周年! これはこれで別にお祝いが必要だなぁ」
最初の作品は、未だに家の棚の中に置いてある。小さなデジカメを回して撮ったショートフィルム。その時は人も足りなくて、皆で演技をして、ロケーションは近くの街だったっけ。1枚1枚DVDに手焼きして。今見ると本当に拙いけれど、味わい深い、あの手作り感。
「よくこんなに続いたよね、僕ら」
あの時はまさかそれが一生の仕事になるとは思ってなかったな。
「確かにな。ずっと映画を作ってるけど、飽きないもんだよなー」
そしてあの時の演劇部の皆と会社を作って、ずっと一緒に働くことになるなんて、想像すらできなかった。
「だからさ、最近考えてるんだ。どうして俺は映画を作ってるのかなって」
楽しそうに笑って、かっちはフォークに刺さったイチゴを掲げた。
「――――ケーキがしたいことって何だと思う?」
「え? ケーキがしたいこと?」
そもそも何で映画の話からケーキの話に?
「ケーキの目的っていうのは、食べられることなんだよ。全部美味しく食べてもらって、ご馳走様! あー美味しかったーってなるのが、ケーキの望み……野望なんだよ」
ケーキの、野望。
「多分俺たちはそれと似ているんだ」
……ケーキと? そう、ケーキと。
「作ったケーキの中に、色んなものが仕込まれていて、それが俺たちに美味しいとか甘いとかを感じさせるように、俺たちの作品を見てくれた人たちが、悲しいとか笑えるとかうっとおしいとか……何か感じてもらって、あぁ見てよかったなって思えること。それが俺たちの望みなんだ。ケーキと変わらないんだよ」
「あぁ……なるほどねぇ。中々面白い考え方じゃないか」
へへへ、と笑う。
「そして、俺たちは、映画を作ることで俺たちの欠片――――頭の中で考えたこと、思ったこと……いわば、俺たちの思考的な遺伝子みたいなものをバラまいているんだ。それは色んな人の元へ行って、ある人はそれを受け入れてくれるし、ある人はそれを拒絶するけど……俺たちの欠片は世界中にバラまかれていく。子どもがいなくても、俺たちは俺たちであったことが、作品とその人の頭の中に、記憶されるんだ。だから俺たちの作品は、俺たちの子どもであり、遺伝子なんだよな。俺たちは日々、それを作って……世界中に広げようとしているんだ」
作品は子ども、なんて言われるけど、実際にものを作っているとよく分かる。僕は映像データの入ったパソコンを見つめた。この中には、電子の羊水に浮かんで、フィルムで包まれた僕たちの子どもが眠っているんだ。衣装さん、役者さん、撮影の皆さん、編集さん、そして監督のかっちと脚本の僕……色んな人の遺伝子が詰まった素敵な子どもが。
「これはやっぱりある意味本能みたいなもんでさ。ただただその衝動に突き動かされて……こうしてものを作ってるんだけなんだよ。確かに、いわゆる生物学的な遺伝子ではないけれど、俺の頭の中で考えられたものが、違う誰かに受け継がれるなら、機能として遺伝子と大きな違いはないんじゃないかな。なんていうのか……いわば文化的遺伝子というか。それにほら、本当に子どもを作るならその……女の人の協力が必要だろ?」
僕は思わず苦笑した。もう、いいこと言ってたのに。彼も照れているようだ。男2人とはいえ、僕らの周りではこういう話が出てくることは多くない。……ちょっと気まずい。
「最後ちょっと際どかったか? あはは!」
「あのさぁ、食事中だよ? それこそ、美味しいケーキが食べにくくなっちゃうんだけど」
冗談めかして、食べかけのケーキを軽く叩く。
「分かってるって。あれでもできる限り綺麗に話をまとめたんだよ。このくらいならセーフだろ? ぬーさん」
「そうだねー……及第点にしておいてあげる」
ありがと、ぬーさんと彼は笑ってまたケーキを一口頬張り、4切れ目を手に取った。元気だなぁ……本当によく食べる。
「そういや俺たちの周りじゃ、そういう浮わついた話は聞かないな。ぬーさんもたけぽんもアキも皆音沙汰なしだよな」
「いつもこの面子でいるからじゃない? そういう君は、そんな話はないの?」
そう言われると、かっちは大きく笑った。
「あるわけないだろ? 俺はやっぱり仕事人間だからさー、そういうのに興味持てないんだよな。多分一生結婚できないと思うわ。だから君たちの誰かがやる結婚式に呼んで欲しいな」
「そうか。君がそう言うなら仕方ないけど、君が結婚できないなら、多分僕らは皆無理だね」
「それは残念だな。友人代表としてスピーチでもしようかって考えていたのに」
僕は何でだろうか、彼の言葉が少し悲しかった。彼のあの技を受け継げる人が1人消えたことが、悲しかったのだ。
僕は彼の作る美しい画が好きだった。10年前、パソコンの中に描かれていく剣に宿る炎、湖の斑紋を見た時、僕は彼の世界に心を奪われた。奪われて、今僕はここにいる。もし、僕にそういう技術があれば、彼の弟子になって学びたいと思えるほど――――美しかった。
もし、彼が死んだら、あの美しい水の流れは消え去ってしまう。多分僕はそれが嫌なんだ。
彼に息子さんや娘さんがいれば、それを受け継げたかもしれない。そう思うと、その可能性がなくなることが少し悲しいのだ。
誰かに、あの画を受け継いでほしい。残念ながら絵が描けない僕ではとても出来そうにないから、他の誰かに。そうしないと、あの画は消えてしまう。
そういう意味では――――僕らがものづくりをしていてよかったと思えるのだ。
新しい画が生み出されなくても、彼のあの美しい世界は、フィルムの中に織り込まれる。ネガに焼き付く。彼の画が、映写機の中で眠り続ける。
そうしてフィルムに包まれたその遺伝子が、僕らが消え去った後の地球のどこかで、見知らぬ誰かに辿り着けたなら。
きっとそれ以上の幸せはないのだろう。
「……ん? ぬーさん? それ食べないの?」
元気に4切れ目を平らげた彼が、僕のを指差して笑う。
「……うん。もういいや。……君にあげるよ」
「いいのか?」
「どうぞどうぞ。一杯食べて、元気つけてよ」
「あはは。ありがとう」
――――だから今は、君の新しい世界を僕に見せてね、かっち。
フィルム包みのコウノトリ 三上優記 @Canopus1776
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