1-エピローグ

   エピローグ



 屋上に照りつける日差しは夏を感じさせるほど強かった。それでも、ときおり吹く風は冷たくて心地よい。空一面には薄く引きのばされた雲が流れ、雲の隙間から覗く空は青々としていた。

 屋上からの景色は壮観だった。

「よくここに入れるって知ってたな」

「生徒会の人間は学生が立ち入り禁止の場所に入れるってよく聞くから」

 屋上を取り囲む金網は腰の高さしかなく、危険な場所として扱われている。教師の許可がなければ、屋上への立ち入りはできない。だが、鍵の管理は生徒会にも権限があるので、おれは自由に出入りできる。

 天見は風を受けて、気持ちよさそうにしていた。

「鍵」おれは天見に手を差し出した。

「何のこと?」

「昨日、加鳥は生徒会室に鍵をかけていたはずだ。なのに、天見が入ってきたからな。……持ってるんだろ?」

「……バレてたか」

 天見から生徒会室の鍵を受け取る。

 あのあと、加鳥には二度と公共の場で迷惑行為はしないと約束させた。もちろん、ただの口約束にしか過ぎない。これからも注意深く、見守っていくつもりだ。

 加鳥は嘘をついた。だが、約束は守ってくれると信じている。

『ちゃんと約束守ってるか見ててね』

「……それで、話ってのは?」おれは天見に尋ねる。

「いや、これといって大したことじゃないけど。……五人揃ったのはいいけど顧問の先生を決めなくてもいいのかな」

「その点は気にしなくていい。顧問のいない部活動には必ず教員が選任される決まりがあるからな。これまでも部員だけを集めて、顧問は後から起用する方法はよくある話だ」

「そっか。教師って大変なんだね」

 天見にいつもの陽気さはなかった。会話をしていても、どこか他人行儀。話を切りだせないようで居心地が悪そうだった。

 と、

「正直言っちゃうとね……嗜好部に五人も集まるとは思ってなかったよ」

「……内心そう考えていたのに、あんなに自信満々に振る舞ってたのか」

「自信もなく、おどおどしてるなんて柄じゃないし」

「天見らしい考えだな。いつもはったりを利かせているというか」

「本当は不安で仕方がなかったりしてね」

 まさか、と返す。

「それでも、後上君が手助けしてくれて助かったよ」天見は嬉しそうに笑った。

「断っておくが、だれでも助けるわけじゃないからな」

「それってつまり?」

「天見の熱意に負けたってことだ」

「熱意ねぇ……。もっとほかの理由が聞きたかったかな」

「他って?」

「それは――」

 やっぱり今の無し、と天見は視線を逸らした。

「……アドバイス」

「え?」

「これから部を引っ張っていく部長になにか一言ないの?」

「……色々言われてやるよりも自分の好きなようにやるのが一番じゃないか」

「それがアドバイスじゃない?」

「……それもそうか」

 思わず笑みがこぼれ、天見と笑いあう。一ヶ月前なら考えられない光景。嗜好部がこれから何をするのかわからないが、天見となら楽しめそうな気がした。

 屋上の扉が開いた。

「捜しましたぞ」富久田が重い巨体を揺らしながら近づいてくる。

「どうかしたのか?」

「準備が整ったので迎えにきたのですぞ」

「準備?」

 おれの反応をみて、富久田は天見に尋ねた。

「……後上どのにまだ伝えていないのですか?」

「忘れてた」

「いったい、何の話だ?」

「説明するより、まずは見ていただきたい」

 ついてきなさい、と大股に歩く富久田の後ろにおれと天見は続いた。

 向かった先は生徒会室だった。

「これは」

 生徒会室のドアの横には〝生徒会室〟と書かれた看板がとり付けられているが、その隣に〝嗜好部〟と書かれた看板が追加されていた。

「それがしは形から入る主義でね。これがなければ始まった気がしませんからな」

「よくできてるよ」おれは文字が彫られている溝をなぞった。

「どこで手に入れたんだ?」

「業者に頼んで手配していただいただけです」

「お金は?」

「もちろん、部費からです」

「貴重な部費をさっそく浪費するとは……」

「お金は使うためにありますからな」富久田は笑った。

「そういえば、天見どのも手配したものがあると伺っておるのだが――」

 辺りに天見の気配はなかった。

 富久田と話をしているうちに、生徒会室へ入っていた。彼女は自分の席ではなく、おれの席に座っていた。

「この部屋は生徒会と嗜好部が共用して使っていくことになるが、決定権は常に生徒会にあるからな」

「えへへ、わかってるよ」天見は気持ち悪いくらいにやにやしていた。

「やけにテンション高いんじゃないか」

「私の一ヶ月に及ぶ部員集めの苦労が知らないからそんなことが言えるんだよ」

「おれも協力したじゃないか」

「後上君には感謝してるよ。――これからももっと嗜好しようね!」

「……もうちょっとマシな言い方はなかったのか」

 生徒会室は普段より騒々しくなった。だが、不思議と心地よい。

 生徒会の仕事は後回し。今は部員たちとのおしゃべりに身を投じてみる。

 黒い漆で塗られた氏名標の隣には〝嗜好部 副部長 後上くん〟と手書きで書かれた氏名標があった。天見がつくったのだろう。

 氏名簿は窓から指しこむ陽ざしに照らされ、淡く輝いていた。

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嗜好のススメ 地引有人 @jibikiarihitoJP

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