第109話 アメリカからの指導医、Dr.Kと私。

 私が後期研修医の2年目だったか?私たちの医療グループに、アメリカの(確かワシントン大学だったか?)医学部 家庭医療学の准教授をされていたDr.Kが入職された。関西ブロックの各病院を回り、主に初期研修医、時に僕ら後期研修医も交えて教育を担当してくださるようになった。


 Dr.Kは樫沢総合病院の名物院長、武原院長の大学時代のご友人で、日本の医学部を卒業後、ご自身が働いて貯めたお金でアメリカに単身留学され、努力されてその地位に就かれたとのことだった。武原院長とのつながりで、グループ病院の研修医教育に携わってくださるようになったとのことである。


 もちろんDr.Kは日本人なので見た目は明らかな日本人のじいさん先生。しかし、長くアメリカにおられただけあって(もちろんご本人の性格もあるのであろうが)、大きな声でフレンドリー、ボディータッチも多い(もちろん握手をしたり、肩をたたいたり程度で、セクハラは絶対にされない)。長年のアメリカ生活で、英語よりむしろ日本語が苦手になってしまわれたバイリンガルの先生であった。


 Dr.Kが来られてから、師匠がされていたモーニングカンファレンスは、週1回のDr.Kの英語でのカンファレンスに変わった。

 病歴の提示で面白い、と思ったのは、日本の症例提示は基本的には

 「〇月〇日から」とか、

 「△日前から」

 と、発症時点から病歴を提示するが、英語圏での症例提示は、その前のこと

 「×月◇日までは普段通り元気であった」

 というところから始まる。教科書を見れば、さらに、病前のご本人の様子も入れるとされている。例えば、日本では

 「60代男性の方で主訴は心窩部不快感。入院2日前から間欠的に5分ほど続く心窩部の重い感じのする不快感を感じていた」

 というように始めるのだが、英語圏であれば、(恥ずかしながら、日本語で書かせていただくが)

 「60代のフレンドリーで穏やかな性格のアジア系男性。入院3日前までは普段通りの元気さで、自転車で近くのショッピングセンターに通っていたが、入院2日前より~」

 という形で、明らかに日本の病歴には含まれない病前情報が多い。また、患者さん個人のキャラクターについても、

 「決してnegativeな表現では記載しない」

 というルールがある。そのようなことを指導しておられた。私の初期研修医時代には、師匠が、毎週症例提示のトレーニングのために時間を割いてくださっていた。それはそれですごくありがたく、師匠のトレーニングのおかげで、患者さんの主訴から鑑別診断を考え始め、病歴を聴取する中で鑑別診断を整理、身体所見で除外できるものを除外し、検査を行なって、という適切な頭の使い方を身に着けることができたのだが、Dr.Kの英語での症例提示のトレーニングもぜひ受けたかったなぁ、と思っている。もちろん、鑑別診断を考える、などは師匠と同様にしっかりと考えさせられるもので、そこは師匠と変わりがない。


 症例提示の後は、その患者さんの回診に回るのだが、やはり、医療はローカルな文化を反映するもので、日本での医師-患者関係とアメリカでの医師-患者関係は異なる。


 非常に困ったなことに、Dr.Kは日本人の外見をしているので、つい患者さんも日本のお医者さんが来た、と思ってしまう。ここにトラブルの元があって、例えば、白人や黒人の医師が、つたない日本語で、Dr.Kと同じことを同じように言って、同じようなしぐさをしてもおそらく問題になることはないと思うのだが、いかにも日本人の見た目(実際日本人なのだが)で、流暢な日本語でアメリカ流の医療を行なうと、患者さんが混乱したり、

 「なれなれしくて失礼だ」

 と患者さんが感じてしまうのである。なので、症例提示をする患者さんが決まったら、回診が始まる前にその患者さんのところに行って、

 「今からアメリカで勉強された偉い先生の回診をさせてもらいます。日本人の先生ですが、アメリカで長年お医者さんをしているので、アメリカの医師のスタイルで医療を行なわれます。なので、過度になれなれしく感じたり、言い方が直接過ぎて不快に思われるかもしれませんが、先生には全く悪意はないので、気を悪くなされないでください」

 とあらかじめ声をかけていた。それでもDr.Kの回診では、患者さんは面食らっていたことが多い。


 ありがたいことに、Dr.Kはずいぶんと私をかってくれていて、

 「保谷先生は後輩たちのロールモデルね。まず患者さんにやさしいね。後輩や看護師さん、スタッフにも親切で優しいね。そしてよく勉強しているね」

 とよくほめてくださった。確かに時に短気だが、基本的には穏やかで優しく、控えめな性格だと思っている。よくDr.Kから、

 「保谷先生はなぜアメリカで勉強しない!君ならアメリカでも立派に医師として通用するよ。僕が保証するよ。どうしてアメリカに行かないかなぁ、もったいないよ」

 ともよく言っていただいた。大変ありがたい言葉であるが、先ほど述べたように、アメリカにはその文化に即した、日本にはその文化に即した医療がある。私は日本で医者を続けるつもりなので、アメリカに行く必要はない、と思っていた(もちろん、異文化を知ることで、より深く自国の文化を理解することができることも知っているのだが)。それに、私は、みんなより8年遅れで医師になり、しかも子持ちである。もう人生で博打を打つことはできない。そんなわけで、

 「K先生、僕はみんなより年を取って医者になり、妻子もいるので、一番に家族を食べさせていかないといけないのです。もちろん自分の勉強も大切ですが、それ以上に自分と家族の生活の基盤を作らないといけないので、過大なお褒めの言葉はありがたいのですが、たぶん僕は日本にいたままで、医師を続けていくと思います」

 とDr.Kに伝えた。

 「Oh!とってももったいないね。才能のある若者が海外に出ていかないと、日本の国も沈没してしまうよ」

 とDr.Kには残念がっていただいた。でも、師匠の下で内科医としてトレーニングを受け、アメリカで、非常に高い地位におられたFamily medicine、internal medicineのspecialistであるDr.Kからそのような言葉をいただけるほど成長させていただいたのは、師匠のおかげである。周りの先輩、同期、後輩もみんな優秀で、充実した時代に、充実した研修を受けさせてもらえた。そのことは本当に良かったと思っている。


 数年前に「九田記念病院同窓会」と銘打って、病院主催で研修医として過ごした先生方全員に、九田記念病院の院長になられた師匠から招待状を送り、卒業生が大集合したことがあった。知らない顔、懐かしい顔が並んでいる中にDr.Kもおられた。Dr.Kは私の顔を見ると、昔と変わらないフレンドリーさで、

 「Oh!保谷先生、元気でやってる?先生、九田記念病院に帰って来てよ。先生のようないいロールモデルとなる先生、めったにいないよ。患者さんにやさしい、後輩やスタッフに親切で優しい、自分でしっかり勉強する、ぜひ戻ってほしいね」

 と昔のように言っていただいた。とてもありがたいことである。


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