第94話 打算的な主治医

 内科研修も4年目、研修医の最終学年である。総合内科専門医を習得するためには症例の経験だけでなく、解剖症例も2例必要であった。解剖症例はその時点で2例(劇症型A型溶連菌感染症の患者さんと、後腹膜出血で亡くなられた方)あったが、後腹膜出血の症例は、内科疾患ではないので、適当ではないと考えた。あと1例、症例が必要であったが、なかなか解剖症例を経験するのは難しい。


 古い時代は、医師の言うことは絶対的な力があり、「解剖します」と医師が言えば、多くの方がそれに従っていたのであろうが、日本では、お亡くなりになられた方のご遺体を傷つけることに抵抗感を感じる方も多く、明らかに

 「医学的な理由で解剖が必要である」

 ということがなければ、ご遺族の方に

 「解剖させてください」

 と伝えることが難しい。


 また、そういった理由があり、どうしても、とお願いしても

 「今まで、治療でいっぱい身体に傷つけることをしていたので、先生には大変申し訳ないのですが、もうこれ以上この人の身体を傷つけたくないです」

 と言って断られることも多い。原発不明の悪性腫瘍の患者さんなどは、ぜひ解剖で原発巣を同定したいのだが、上記の言葉で断られることが多かった。


 その頃、80代の患者さんで、肝細胞癌、直腸癌の二重癌を抱えた患者さんを外来でfollowしていた。手術も以前に受けており、外科も並診していた。外科の主治医は同期の窪ちゃんだった。患者さんは独居で、全く身寄りのない方であった。外科で入院することが多かったのだが、外科的に治療することはあまりなくなってきており、窪ちゃんから、

 「なぁ、ほーちゃん、今度からあの患者さんが入院したら、総合内科で診てくれへん?」

 と相談があった。確かにもう末期で、あまり積極的な治療の適応ではない方であった。その方のために、窪ちゃんのエネルギーが使われるのはもったいない(もっと手術にエネルギーを使ってほしい)こと、そして、身寄りのない人を解剖する場合には、院長が市長に許可を求めれば解剖が可能なのである。なので解剖の同意も非常にとりやすい。この患者さんは二重癌の方であり、それぞれの癌がどの程度、この方の身体に影響を与えているのかは病理解剖で解決すべき問題でもある。そんなわけで窪ちゃんと、私の思惑が一致した。

 「窪ちゃん、全然かまへんよ。末期の患者さんやから、主治医は保谷で、総合内科で診ていくわ」

 と窪ちゃんに伝え、次回の入院からは私が主治医として担当することとなった。


 とはいえ、病状は末期の方、すぐにその時はやってきた。病理解剖を行う場合には、死体解剖医の資格を持つ医師に解剖をお願いしなければならないのだが、師匠はその資格を持っておられるので、師匠にも、そして院長にもあらかじめお願いしていた。患者さんが旅立たれると、すぐに院長に相談、解剖の許可を取っていただき、患者さんの解剖に入らせてもらった。助手をしながら、お身体の状態を確認した。


 病理解剖の結果は、肝細胞癌は肝臓全体に広がっているものの他臓器への転移は認めず。直腸癌は主病巣は小さかったが、周囲のリンパ節に転移を認めた。しかし、それでも直腸がんそのものは小さく、主となる死因は多発肝細胞癌による肝不全、と結論づけた。


 すこし打算的なことをしたが、何とか解剖症例の2症例も経験できた。総合内科専門医の受験資格にまた一つ近づいた。


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