第91話 秋山部長の臨床力の高さ

 消化器内科部長として招聘された秋山部長は、もともと九田記念病院の卒業生。地域は存じ上げないが、少し辺境の診療所で地域医療に携わっておられ、師匠の呼びかけに応えて部長として戻ってきてくださった先生である。お酒が好きで、飄々として、押さえるところはきっちり押さえる先生だった。

 秋山先生の臨床力の高さは、もちろん消化器内科分野だけではなく、その他の分野で輝きを見せられることも多かった。


 一つの症例は以前にも書いたことがある「粘液水腫昏睡」。高齢の方にルーチンとして、甲状腺機能を評価する、ということをしている人は気づく(あるいはそれでも甲状腺機能低下と意識障害が結びつかない人がいるかもしれない)かもしれないが、全く何もない状態で、ご自身の「意識障害」の鑑別診断の中に粘液水腫昏睡を挙げ、正しく診断をつける、というのは尋常の臨床力ではない。


 意識障害の原因検索で「AIUEOTIPS(あいうえおチップス)」というゴロがある。なかなか意識障害の原因が同定できない方に、網羅的に原因を検索するのに使うのだが、粘液水腫昏睡はE(electrolytes disorser, encephalopathy, endocrine problem)に属するが、このEについて漏れのないように鑑別診断を考えるのはERなど、診断のスピードを要求される場所では難しい。


 診断は推理小説を読み進むことと似ていて、答えがわかってしまえば、一気にたくさんの伏線(というか、特徴的な兆候)が見えてくるのだが、読み進めているときにはわからない。例えば以前に書いた、肺塞栓の患者さんでボソッと私に行った「最近足が痛い」という言葉みたいに。特に粘液水腫昏睡はまれな疾患なので、そこを外さず診断をつけた秋山先生はすごいと思う。


 また別の機会だが、右季肋部痛、胆嚢炎疑いで夜間のERに紹介された30代女性の患者さん。内科当直医は秋山先生だった。先生は診察して単純な胆嚢炎ではなく、SLEを疑われた。総合内科でfollowするように、とのことで、秋山先生から「多分この人、SLEだと思うから」と一言。患者さんは外見上特徴的な蝶形紅斑などはなく、引き継いだ時点では腹痛も落ち着いており、検査結果を待つしかなかった。一般検査ではあまり特徴的な所見なく、検尿所見もわずかにタンパク尿がある程度だった。抗核抗体やRPR、TPHA、血沈などは外注検査であり、結果が帰ってくるのに数日かかる。


 つらいことに、この患者さんは小学生になったばかりのお子さんを持つシングルマザー、ご自身のお母様も体調がすぐれず、何とか数日だけ、ということで息子さんを預かってもらっているとのことだった。確定診断はついていないが、見込みで他院のリウマチ膠原病科の受診予約を取った。


 受診当日に外注結果が帰ってきたが、抗核抗体は>640倍、血沈は振り切れている状態。TPHA(-)、RPR(+)と、特徴的な生物学的偽陽性を呈しており、秋山先生のおっしゃる通りSLEだった。胆嚢炎様の痛みはSLEによる漿膜炎だったのだ。


 検査データを患者さんに持って行ってもらい専門診療科に受診していただくと、     

 「紹介の通りSLEと考えます。重篤感はありませんが、血液データからは非常に活動性の高い状態と考え、当院で治療を開始いたします」

 とのFaxが届いた。この患者さんは振り返っても、胆嚢炎とよく似た痛みを呈した漿膜炎、軽度のタンパク尿以外にはSLEを疑う身体症状はなく、これも、秋山先生の高い臨床力があってこそ、患者さんが速やかに治療を受けられたのである。


 ただ、この患者さんを担当して、心に引っ掛かっていたのは、息子さんのことであった。お母さんはおそらく長期入院となりそうだが、その間、彼の面倒を誰が見ることになるのだろうか。医療の介入するところではないが、幼稚園から小学校時代、父の病気のため、祖父母の家や叔父の家にしばらく厄介になる(預けられる)ことが多かった私にとっては、切ない思いであった。


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