第83話 総合内科は「ゴミ箱内科」なのか?
前に、脊髄梗塞で首から下がマヒした患者さんが、脳神経外科、整形外科から入院を断られた、とのことで総合内科に患者さんが回ってきた。
「僕らが断れば、この患者さんは誰が診るんだろう」
と思ったことと、ERボスからの強い圧力で、総合内科が引き受けたが、なんとなく、
「まあ、困ったら総合内科に振ればいいや」
という雰囲気が出てきたことはつらかった。もちろん、内科的問題でのコンサルトであれば、全力で頑張るのだが、
「いや、それはうちじゃないし」
「いや、うちでもないし」
ということで、行く当てのない患者さんを総合内科に振ってくるのはいかがなものだろうか?と思うこともあった。
ある日、私が紹介・ER当番だったのだが、当院とつながりの深い透析クリニックから
「右季肋部痛、胆嚢炎疑い」
とのことで受け入れの連絡が入った。とりあえず
「OK、わかりました」
と病診連携室に返事。患者さんが来られるのをERで待っていた。
30分ほどで患者さんがERに到着。お話を聞くと、当日の朝から右のわき腹から背中が痛い、とのこと。痛みは持続的で波のない痛み。身体を動かすと痛みがひどくなるとのこと。心音、呼吸音には問題なく、腹部触診ではあまりはっきりした圧痛はなし。Murphy兆候陰性。右背部痛が強いとのこと。叩打痛あり、腸腰筋兆候は陰性だった。
体幹部のCTを撮影すると右腎周囲に高吸収域が見られた。
「痛みの原因は胆嚢炎ではなく、この出血だな」
と診断。腎周囲の出血なので、まず泌尿器科に入院依頼。その当時は泌尿器科は一人 で仕事をされていたので
「僕一人やから、受け入れられへん。ほかの診療科にお願いして」
とのこと。ほかの診療科、といっても、後は外科しかないので、外科に連絡。その時には外科顧問という立場になっていたER旧ボスの香田先生に相談。
「後腹膜出血は基本的には自然に止まるから、そのまま様子見といたらええで。ほーちゃん、お前が管理しとき」
とのこと。出血源となっている血管がわからないので、放射線科にIVRを依頼するが、現時点ではバイタルが安定しており、緊急性はなく、透析患者さんなので造影剤の使用もはばかられる、と断られてしまった。
放射線科はベッドを持っていないからしょうがないが、いずれの診療科からも断られてしまったからしょうがない。残念ながらその時には、他院泌尿器科への紹介、などと頭が回らず、
「後腹膜出血の管理は内科の仕事なのか」
とモヤモヤしながら、主治医を担当することとした。透析科に連絡し、入院中の透析の依頼を行ない、貧血が進んでいたので、赤血球輸血2単位をオーダー。透析時に輸血してもらうこととした。
入院後は、透析のたびに採血を行ない、数日おきにCTで出血の状態を確認していたが、血腫の増大はなく、貧血の進行も目立たず、香田先生の言う通り、出血も止まってきているのかなぁ、と思っていた。
入院第5病日は土曜日で、私は仕事は入っていなかったが、患者さんの様子を見るために出勤。ご様子は変わりなく、背部の痛みもほとんど感じなくなったとのことだった。止血できているのだろう。よかったとホッとしていた。
入院第6病日は日曜日。妻の祖父の法事のため、朝から京都の山奥のお寺にこもっていた。同日に、背部痛の再燃と血圧低下が見られ、当直医は再出血、IVRの適応と考え私に何度か電話をかけたそうだが、
「電波のつながらないところにいます」
という返事しか返ってこなかったため、IVRはしないことにしたそうだ(なんで?)。
そして月曜日の朝、少し早めに病院に向かい、7時過ぎくらいに患者さんの病室に伺う。
「おはようございます」
と声をかけるが、明らかに様子がおかしい。
「うぅ~っ!」
とうめき声をあげたかと思うと意識が消失、呼吸も停止した。手足は明らかに冷たくなっている。おそらく出血性ショックの状態でしばらく時間が経っていたのであろう。心肺停止状態となったため、すぐにNs.callを押して、助けを求め、CPRを開始した。
院内にコード・ブルーをかけるには早朝だったので、各科の当直の先生をcall、ご家族が来るまでは、と懸命にCPRを行なった。20分ほどして、奥様が駆け付けられた。CPRを行ないながら、
「つい先ほど、『うぅ~っ!』とうめき声をあげて、心肺停止となりました。今懸命に蘇生処置を行なっています」
と奥様に伝えた。その後もCPRを続けたが、残念ながら心拍は再開しなかった。奥様を病室に呼び入れ、蘇生処置を懸命に行ったが、心拍が再開しないこと、これ以上の蘇生処置はお身体をいたずらに傷つけることになるとお話しし、蘇生処置を中止。死亡を確認した。
死亡確認後、ご家族の方にお願いして、どうしても出血の原因を同定したいので解剖を承諾してほしい、と何度もお願いし、病理解剖の承諾を得た。
その日は非常勤の病理の先生の出勤日だったので、その先生が執刀。私が助手となって病理解剖を行った。腹部臓器の奥に後腹膜下腔とそこにできた大きな血腫を確認した。血腫を取り出して重さをはかると約3kgあった。それは命を落とすわなぁ、と思った。血腫除去後、病理の先生から
「先生、たぶんここが出血点ですよ」
と示されたのは右副腎動脈。太さは数㎜程度の血管だった。ここからの出血が止まらずに、命を落とされたんだなぁ、と切なくなった。
肉眼解剖が終わり、レジデントルーム(研修医のためのスペース。各研修医のロッカーなどが置いてある)に戻り、朝一番からのバタバタを電子カルテに入力していると、外科顧問の香田先生がレジデントルームに入ってこられた。
「あぁ、ほーちゃん、気の毒したなぁ。ふつうは後腹膜出血はそこまで出ないから、やはり透析してたのが影響していたんかなぁ」
とおっしゃられる。香田先生にはこの患者さんのことでいろいろアドバイスをもらっていたので、感謝こそすれ、腹を立てたりはしていなかった。放射線科もこの患者さんには網を張ってもらっていて、何かあればすぐIVRができるように段取りをしていただいていたことも知っていた。それは本当に感謝である。ただ、2点、
「なんで?」と思うのは、一つ目は
「主治医に連絡がつかなかったから、IVRをしなかった」
ということである。九田記念病院は完全主治医制ではなく、休日や深夜などについては、特別なことがなければ当直医が全権を握っており、私の判断がなくても、当直医が必要と考えれば、当直医の責任の下、他科への紹介や処置については行ってよい、ということになっているのである。日曜日の時点で、IVRをしていれば、患者さんは命を落とさなかったのかもしれない、と考えると悔しいのである。
もう一点は
「後腹膜出血は内科が診るべき疾患か?」
ということである。最後の砦、といえば聞こえはいいが、悪く言うなら、どの科もとらない患者さんが最後に回ってくるゴミ箱診療科、と言えなくもない。そのように総合内科が見られているのであれば、とても悲しいことである。
ちなみに、CPA蘇生後の患者さんはすべて総合内科が引き受けていた。悪性腫瘍の末期、緩和ケアも総合内科が行っていた。前述のように血液内科疾患、後述するが膠原病などの自己免疫疾患も総合内科が担当した。神経内科的疾患も、週に1回の神経内科専門医の受診をお願いしつつ、日常管理は総合内科が行なっていた。
総合内科の専門手技としては、胃瘻造設を担当していた。脳神経外科など、他科からの胃瘻造設のコンサルトも引き受けていた。
総合内科を立ち上げた鳥端先生は、形成外科、消化器外科のご経験がおありだったので、ご自身で気管切開術も行なわれていた。数回、
「先生も勉強しませんか」
と声をかけていただき、気管切開術の助手として術野に入れてもらい、指導してもらったことがあった。鳥端先生の説明はものすごく丁寧で気管切開の際のポイント(気管表面に到達した後は電気メスは使わない、など)も丁寧に教えていただいたのだが、大変申し訳ないことに、今でもその手技には全く自信がなく、必要があれば外科の先生に紹介している。
時に「ゴミ箱内科なのか!」と怒りを感じつつ、それでも、様々な病態の方に全力で対応すること。いろいろと文献をあさり、他科の先生にアドバイスを求め、できる限りのことをする。その毎日が私たちを鍛えてくれたのかもしれない、と今は思っている。
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