第82話 こっちはこっちで頑張ったんだよ!

 まだ鳥端先生がおられたころのある日、近くのクリニックから「吐血」を主訴に紹介があった。その日の紹介、ER当番は鳥端先生。患者さんが来院されるとバイタルサインの割に、ずいぶん顔色が悪く、両下肢に出血斑も診られたとのこと。ただの吐血にしてはおかしいと思いながら採血、輸血については赤血球輸血を多めの6単位(1単位が200mlの血液に相当)を用意された。するとすぐに検査室から鳥端先生に連絡が。

 「Hb 4.3,pltは9000です。WBCは1200,検鏡すると芽球です」

 とのこと。よくある消化性潰瘍からの出血ではなく、どうも血液疾患(おそらく急性骨髄性白血病)による凝固異常からの出血が推測された。急ぎNGチューブを挿入し、胃内容物を吸引し、氷水で軽く洗浄。チラ見だけでよいので、と内視鏡室に依頼。消化器内科の先生に胃を覗いてもらうと、特定の出血点はなく、胃壁全体から滲むように出血しているとのことだった。


 鳥端先生から私に連絡。

 「保谷先生、うちでは総合内科専門医を取るときに、血液疾患の症例がなくて困ると思うんですよ。私がバックアップするので、先生、主治医をされますか」

 とのありがたい申し出。

 「先生、ご指導のほど、よろしくお願いします」

 とお願いして主治医とさせてもらった。さて、血小板が9000と大変な値、凝固系もずいぶんと延長していた。まずは輸血、凝固因子の補充が必要と判断した。急変に備えて、病棟はICUで管理とした。検査室に連絡し、FFP(新鮮凍結血漿)6単位と、血液センターから血小板輸血20単位を用意してもらうよう伝えた。ご本人には、

 「血を吐かれた、とのことでこちらに来られましたが、胃の中に傷などはなく、どうも血液の病気で血が止まらなくなっているようです。先ほどの胃カメラでも、胃の壁全体から滲むように出血していました。不足している血液の成分を輸血で補い、なるだけ早く血液専門の先生の検査・治療を受けてもらいます」

 と説明。ご家族には

 「おそらく白血病で血が止まらなくなっている状態です。不足している血液の成分を補いながら、血液を専門とする内科である『血液内科』のある病院に転院調整を行ないますが、転院が間に合わずに、命を落とす可能性があることもご了承ください」

 と説明した。そして、転院先を探し、何とか某巨大病院血液内科から、

 「クリーンルームが2日後に空く予定なので、2日後に受け入れます」

 と返事をいただいた。赤血球輸血、FFPの輸血、そして、少し時間がかかったが血小板輸液を行ない、その後採血。Hbは7近くまで上昇、PT、APTTも改善、血小板数は4万程度に上昇した。バイタルも安定していたので、その日は帰宅した。


 翌朝、採血を行なうとHbは5台に低下、PT、APTTは再度延長しており、pltも1万程度と減少していた。再度赤血球輸血、FFP輸血と血小板輸血10単位を検査室に依頼。血小板はおそらく夕方になるとのこと。とにかく、輸血を行なった。ご本人はあまり重篤感はなく、吐血することもなかった。ただ、血液の病気、と言われたのが不安で、これからどうなるのだろうか、と心配されていた。

 「血液の病気は非常に複雑に分類されていて、あまり僕も詳しくないのです。治療についても、医学生時代に少し習っただけで、実際に治療を経験していないので、どのように進めていくのかはよくわかりません。すみません。詳しいことは、血液内科の先生に教えていただきましょう」

 と正直にお伝えした。患者さんの不安な気持ちを時間を取って傾聴したことで、少し気持ちは落ち着かれたようだった。


 その翌日は某巨大病院に転院の日。AM11:00に病院に着いてほしいとのことだった。九田記念病院の患者搬送用の救急車にご本人、ご家族と私が同乗し、10時過ぎに当院を出発。10:45頃には病院に到着した。受付に紹介状など必要なものを渡し、血液内科の病棟へ移動。患者さんが病室に入られ、担当の先生に引継ぎをしたら、私は病院に戻る予定だったのだが、11:00に来るように言われ、ほぼ時間通りに到着したのに、担当医の先生がお見えにならない。看護師さんもバイタル測定に来ない。ほぼ病室で患者さん、ご家族と私で放置状態だった。病室がNs.ステーションのそばだったので看護師さんの話し声が聞こえる。

 「この程度の状態でICU管理となっていたんだって。ふふふっ」

 と笑っている看護師さんの声が聞こえた。この3日間、患者さんと私たちが命懸けで闘っていたことを鼻で笑われたことに大変不快な思いをした。40分ほど待たされただろうか、ようやく主治医の先生が訪室。私の姿を見て、

 「あぁ、紹介状確認しました。帰ってもらっていいですよ」

 とのこと。時間通りに来た私たちに「お待たせしました」とか「遅くなりました」などの挨拶は全くなかった。私は患者さんに、

 「では、これで失礼しますね。治療は大変だと思いますが、頑張ってくださいね」

と声をかけて退室した。


 専門性の高い医療を行なっており、その先生でなければ救命できない命があるのだろう。しかし、人を待たせて謝罪の一つもないのだなぁ、と思った。別次元の話だが、外来で診察が長引きお待たせしてしまった時は、患者さんを診察室に呼び込んだ時には、必ず

 「お待たせしました。遅くなってすみません」

と謝罪するようにしている。看護師さんの発言も不快だった。巨大で高度の医療を提供している病院であるのは確かだが、

 「なんだかなぁ」

と思いながら戻ってきた。その後、普通ならある程度治療の結果が出た段階で返信を送るのが一般的だが、返信も全くなかった。その患者さんがどうなったのか、そんなわけで全く分からないままである。



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