第80話 それはエリート意識か?!

 私たちの医療グループでは年に2回、関西ブロックの研修病院の研修医を集めて勉強会を行なっていた。会場は持ち回りで、関西ブロックのいろいろな病院(名古屋の病院も関西ブロックに入っていたので名古屋に研修医総出で乗り込んだこともある)で開催されていた。


 多くの場合、勉強会のテーマは「失敗症例」だった。医学生、そして研修医の必読本、「研修医当直御法度」にもあるように、失敗しやすい疾患、あるいは失敗しやすい状況というのはよく似ているので、お互いの失敗症例を共有し、他病院の失敗を自分の失敗としてとらえ、同じ状況で失敗しないようにする、というのがおそらく「失敗症例」を関西ブロックの勉強会のテーマとして選んだ理由だろうと考えていた。


 なので、勉強会のたびに、「common disease」で、教科書にも書いてあるようなことで、しかもそれに気付かなかったような症例をわざわざ選び出して、勉強会に持って行った。例えば、片麻痺を主訴に来院され、血液検査が出るまで脳梗塞として対応されていた低血糖患者さん、とか、強い嘔気を主訴に受診されたうつ病の患者さんで、身体疾患の除外を行ない、問題ないとされたが、希死念慮を確認せずに帰宅とし、帰宅後自死された患者さん、などなど、よくあるpitfallに落っこちた、教訓的な症例を選択して提示していた。もちろん他の病院もほとんどが、その意図をきちんと汲み取り、教訓的な症例を選択して提示していた。


 ごく一部の病院は

 「なんじゃそれ?」

 というようなわけのわからない症例を提示して、みんなを混乱に陥れることもあった(それは発表者も、指導医もレベルがおかしすぎ)が、関西ブロックで最も知名度の高い病院の一つである樫沢総合病院はその意図を汲み取った上で、あえてそうしているのか、レア症例をERで拾い上げられなかった、ということで症例提示をすることが多く、そこにある種の「エリート意識」を感じて、非常に不愉快になることが多かった。


 例えば、腹痛を主訴に来院された患者さんで、ERで診断がつかず入院、病棟で造影CTを確認し、下腸間膜静脈の閉塞が見つかった症例、とか、下肢DVTを発症し、入院、抗血栓療法を行なっていたが、心臓内の卵円窩開存の存在に気づかず、脳血栓塞栓症を発症した症例、など、

 「どこが失敗やねん!!」

 という症例ばかり提示していた。1例目については、医療界の格言の一つに

 「蹄の音が聞こえたら、シマウマが走ってきた、と考えるより、まずウマが走ってきたと考えよ」

 という格言がある。また、

 「よくある疾患の非典型的経過の方が、レアな疾患の典型的な臨床経過よりも頻度が高い」

 という言葉もある。レアな疾患を探すことを「シマウマ探し」というように、臨床診断学では、まず頻度の高い疾患のベクトル、見逃すと命に係わる疾患のベクトルの2方向で考えを進めていくことが多い。もし研修医が腹痛で運ばれてきた患者さんの最初の鑑別診断に「下腸間膜静脈閉塞症」を上げていたら、鑑別診断の挙げ方を注意すると思う。しかし、一通りの検査、処置を行ない、そのうえで症状が改善しないときに、再度鑑別診断を評価し直し、「下腸間膜静脈閉塞症」を上げるのは適切だと思う。なので、最初の症例は、非常に適切な対応と考えてよいと思う。どこが失敗なんだ、と言いたい。2つ目の症例についても、卵円窩(という構造物が心房中隔にある。心臓の発生過程の名残り)開存についても、解剖症例では半数近くが卵円窩の解剖学的閉鎖が起きていないことがわかっており、しかしながら左房圧>右房圧のため、機能的にはほとんどの症例で閉鎖していると言われている。なので、その血栓塞栓症の血栓が、本当に下肢DVTに由来する血栓なのか、それとは別の、A to A thrombosisなのか、本当のところはわからないのではないかと思っている。


 あまりにも症例がレア症例過ぎて、この勉強会の意義を何だと思っているんだ、と怒りがふつふつとわいてきた。思わず症例のdiscussionの時、

 「貴重な症例を提示していただき、ありがとうございました。この勉強会は、各病院から失敗症例を提示してもらい、その失敗を学ぶことで、次に同じ失敗をしないようにする、その教訓をシェアする、という目的で開催されていると理解しているのですが、今貴院から提示された症例から、私たちは何を教訓として学ぶべきなのでしょうか?」

 と質問したように記憶している(まぁ、なんて厭味ったらしいこと!)。


 毎年2回開かれているこの勉強会で、樫沢総合病院が提示した症例で「これは学ぶべき」と思った症例は

 「マクロライド系抗生物質を投与され、副作用のQ-T時間延長から発症した致死的不整脈”Torsade de pointes“の一例」

 だけであった。


 そんなエリート意識、なんか嫌だな、と思いながら、勉強会開催の時には、毎回研修医みんなで集まってER症例を思い出し、教訓的な症例を一生懸命に探していた。

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