第76話 徒然なるままに
今回は、日々の仕事の中で起きた、ちょっとしたことをいくつか書こうと思う。
とある日、病棟の仕事中にERの石井先生から電話がかかってきた。
「もしもし、保谷先生ですか?ERの石井です(ボスはいつもここまでは丁寧)。あんなぁ保谷、診て入院を上げてほしい患者さんがおるから、すぐERに降りて来い」
とのこと。
急ぎ降りていくと、ボスが
「90代の女性の方で、広範囲の脳梗塞、意識障害でもう予後不良やねんけど、ちょっとこのMRIを見てくれるか?」と。
心臓から脳に向かう血管は4本(左右2本ずつ)あり、それが合流したり分岐したりして、大脳については6本の大きな動脈で栄養されている(片側の脳に3本)。心臓から脳に向かう血管の一つは、総頚動脈から分岐した内頚動脈、総頚動脈は、右については大動脈から分岐した腕頭動脈が右総頚動脈と右鎖骨下動脈に分岐、左総頚動脈は直接大動脈から分岐している。
内頚動脈は脳に届くまでは枝分かれせず、まず初めに目の網膜(網膜はある意味脳の一部)を栄養する網膜中心動脈を分岐し、そのあとで前頭葉、大脳の内側を栄養する前大脳動脈と、側頭葉から頭頂葉にかけて広範に栄養する中大脳動脈に分岐する。
もう一つは、鎖骨下動脈の分枝である椎骨動脈である。椎骨動脈は頚椎の横側に空いている横突孔を通って、頭蓋底に至り、延髄の部分で左右の椎骨動脈が合流して脳底動脈となり、橋や小脳を栄養する分枝を出し、その後また左右に分岐し、後大脳動脈として主に後頭葉を栄養している。左右の前大脳動脈を繋ぐ前交通動脈、中大脳動脈と後大脳動脈を繋ぐ左右の後交通動脈を合わせると、
「Willisの動脈輪」
と呼ばれる輪っかを形成している。
先に述べたとおり、左右の内頚動脈、椎骨動脈の4本の血管はそれぞれ別のところから分岐しているのだが、その患者さんのMRIを診ると、左前大脳動脈の還流部位以外のところがすべて広範に脳梗塞を起こしていた(というか、ダメージを受けていないのは左前大脳動脈の還流領域だけだった)。
「なぁ、保谷、珍しいやろ。患者さん、心房細動もないし、急性発症の脳梗塞みたいやけど、わしもこんな脳梗塞は診たの初めてやわ」
とのこと。確かに、何が起こればこのようなことになるのか、全く見当がつかなかった。
医学的にはものすごく興味深い症例ではあるが、臨床的には広範囲の脳梗塞で予後は不良である。ERにご家族を呼び入れ、画像を見せながら説明、
「残念なことに、左右で合計6本ある大事な脳の動脈のうち5本が詰まってしまって、写真で分かるようにごくわずかの大脳しか生き残っていません。おそらく数日、あるいは数時間の命かもしれません」
とお話しし、入院していただいた。実際数日後に旅立たれてしまったのだが、今も、その患者さんの脳梗塞が、どうしてそのようになったのか、その発症起点はわからないままである。
また別の話。九田記念病院は当直料が年次によってきまっていて、その当時1、2年次研修医は一晩(1単位)1万円(土日の24時間当直は2単位)、3年次研修医は1単位2万円、4年次以降は1単位2万5千円であった。ただし、正月期間(12/31~1/3)は学年に関係なく、2単位、24時間で10万円の正月料金となった。また、出勤者全員に手渡しで500円のご祝儀がもらえる。そんなわけで1年生はお金目当てで正月当直に入りたがる。
「2回入ってもいいですか」
と、みんなやる気満々である。ところが、やはり正月当直はかなりハードなのである。1年目でしんどさを痛感したためか、2年生が
「2回入っていいですか?」
と聞いてくることはほぼなかった。
私は10万円払ってでも当直に入りたくなかったのだが、そういうわけにもいかなかった。希望を提出しても通ることは少なかったが、可能なら、12/31の24時間当直に入りたかった。大みそかは、日中はとても忙しいけど、紅白歌合戦が始まるころから患者さんの流れが止まり、新年0時から翌朝まではどういうわけか、ほとんど患者さんが来ることがなかったので、実は穴場だったのである。でも、大体、24時間ずっと忙しい1/3に当たることが多かった。
チーフレジデント時代、正月明けの患者さんの振り分けを行なったが、内科だけで新入院が90人くらいいて、7:30からの総合内科カンファレンスは完全に振り分けにつぶされ、その後のsign in conferenceも振り分けで30分以上かかったことを覚えている。連休とか、お盆とか、GWとかいらないから、毎週コンスタントに過ぎていくことを願っていた。
また別の話。新病院の隣は団地だった。最初に住んでいた借り上げ社宅であったマンションは、子供たちが二人生まれた後(次郎ちゃんの誕生はまた別の機会に)、階下の人から
「足音がうるさい!」
と強い苦情が来て、出ていかざるを得なくなった。その時には、もう病院移転の話が進んでいたので、新病院の近くに引っ越した。
私の出勤が早かったため、子供たちも朝方の生活で(太郎君は今も朝型で、AM5時くらいから起床して勉強やゲームをしているが、次郎君は普通の中学生の様に朝が弱く、休みの日は昼前まで爆睡している)、毎朝6時くらいには起きて朝ご飯を食べていた。
私の仕事のせいか、病院の近くで生まれ育ったせいか、子供たちは救急車が大好きで、救急車が来るたびに
「救急車、救急車!」
と大喜びだった(いや、しんどい患者さんが乗っているんやけど)。
とある朝のER、6:30頃にホットラインが鳴り、救急搬送の依頼があった。
「受け入れOK」
と伝え、救急車を待っていた。サイレンの音が聞こえ、患者さん受け入れのため、救急患者入り口を開け、外に出ようとすると、
「救急車!救急車!」
とどこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。もしかしてと思いながら、出入り口から出て、救急患者さんを救急車から降ろそうとすると、
「おとうさ~ん!おとうさ~ん!」
とやはり聞いたことのある声が。私たちの住んでいた部屋からERの搬入口は丸見えなので、息子たちが見ていたのだろう。患者さんに自分の家がばれると、体調が悪いときに自宅に突入される、と先輩方から聞いていたので、自宅の場所は内緒にしておきたかったのだが、これでは、まるわかりである。とりあえず聞こえないふり、他人のふりをして、ERの中に入っていった。子供たちがまだ幼稚園に入る前の、かわいいころの話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます