第73話 急性喉頭蓋炎

 のど周りの感染症は珍しいものではない。しかし、感染を起こした場所によっては命に関わることがある。

 

 ものを飲み込むときに、のど仏が上下することは、おそらく誰でも知っていると思う。のどは、空気と食べ物が交差するところであり、タイミングが合わずに気管に少量でも唾液やお茶などが入ってしまうと、ひどい咳が起こり、入ったものを出そうとする。この空気と食べ物、飲み物をうまく交通整理するために下咽頭・喉頭は非常にうまく連携した一連の動きを行なう(嚥下反射)。

 ものをゴックンと飲み込んだ時には、のど仏が上方に移動するのだが、この時気管入口部(声帯などがあるところ)が持ち上がると同時に、上から蓋がパタンと閉まる動きをする。この動きのおかげで、飲み込んだものが気管に入らないようになっている。この蓋は「喉頭蓋」と名前がついているのだが、この喉頭蓋に感染、炎症が起き、腫れてくると強い痛みで、うまくものを飲み込めなくなるだけでなく、蓋が腫れてくるので、蓋を閉めるつもりがなくても、蓋が閉じてしまう状態となってしまう。喉頭蓋が本当にひどく腫れて、気管入口部を完全にふさいでしまえば、空気が通らなくなり、窒息死してしまう危険な病気である。


 ある日曜日の午後のER、walk inで若い患者さんが受診された。問診表を見ると「のどが痛い」と殴り書きしている。なんとなく嫌な予感がしながら、診察室に呼び込んだ。


 「△◇さん、今日はどうされましたか?」

 と、いつものように問診を開始した。しかし患者さんはしゃべろうとしない。黙ってご自身ののどを指さしている。

 「のどが痛いのですね?」と聞くと強くうなずかれる。

 つばも飲み込めないようで、ひっきりなしに唾液をティッシュペーパーで拭いている。


 その時点で明らかにおかしい。鑑別診断として咽頭後壁膿瘍、扁桃周囲膿瘍、急性喉頭蓋炎の鑑別が必要と考えた。特に急性喉頭蓋炎については、一般的な咽頭の診察を行なうだけでも刺激になり窒息することがあるため、可能な限り、非侵襲的な検査を行なうこととした。横になるだけでも窒息することがあるので、血液検査、頚部軟線撮影をオーダーした。


 血液検査は著明な白血球増多、CRPの上昇を認め、頚部軟線撮影では側面像で喉頭蓋がポチャっと腫れていた。やはり急性喉頭蓋炎の可能性が高いと診断した。


 速やかに気道確保を要する状態である。人手も必要、場合によっては侵襲的に緊急の気道確保も必要であると判断し、内科当直医であった消化器内科の先生をcall、ERスタッフを集めた。

 患者さんには病名、病状を説明し、このままでは窒息の危険があるため、口から呼吸のための管を入れること、場合によってはのど仏の下に管を入れ、呼吸をできるようにする処置を緊急で行なう可能性もあること、緊急処置後に、気管を切開してのどからチューブを入れることがあることを説明した。


 緊急時のため、18Gの留置針(太い点滴用の針)、ミニトラック(輪状甲状軟骨穿刺で気道を確保するキット)を用意した。患者さんは完全に臥位にしてしまうと窒息の危険があるため、半坐位とし、まずはポータブルの気管支ファイバーを用意し、挿管チューブの中にあらかじめ気管支ファイバーを通しておき、気管支ファイバーガイド下での気管内挿管を試みた。患者さんにマウスピースを噛んでもらい、慎重にファイバーを挿入していった。喉頭蓋は明らかに腫脹し、点状に空気の通り道が開いているだけであった。ゆっくりその点にカメラを進め、その奥にカメラを進めようとしたが、抵抗が強くてファイバースコープが入っていかない。あまり無理をするとさらに喉頭蓋が腫脹するので、すぐに撤退。


 当直の先生が、経鼻上部消化管内視鏡の機械を持ってこられ、私に代わって経鼻内視鏡下気管内挿管を試みられた。気管支ファイバーの先端は上下にしか動かせず、後はカメラの回転で先端の位置を動かすのだが、経鼻内視鏡では、先端が上下左右に動き、また、術者の腕前も、当然消化器内科の先生がはるかに上手なので、そのピンポイントの空気の通り道にうまく内視鏡を挿入し、慎重に挿管チューブを進めていった。無事に挿管は成功、気道確保ができた。


 気道確保ができれば、命の危機は乗り越えたことになる。あとは、抗生剤を使って喉頭蓋の炎症を鎮静化させればよい。気管内挿管をしているので、T-チューブをつけ、FiO2は28%で流したが、SpO2は良好。患者さんは呼吸器内科で管理してもらうこととした。


 患者さんは翌日、待機的に気管切開術を施行され、抗生剤を継続。血液データも改善した時点で、抜管が可能かどうかの気管支ファイバーを行なうこととなった。たまたまその当時呼吸器内科ローテート中の研修医が、ERから患者さんの緊急対応で呼び出されたため、私が緊急気管支ファイバーをすることとなった。気切チューブを抜去し、切開孔から見上げる形で喉頭蓋を確認し、喉頭蓋の浮腫が消失していることを確認した。気切チューブを抜去すると、切開孔は数日で閉鎖するので、抜去した状態で絆創膏を気切チューブ孔に貼り、手技を修了。患者さんは無事に退院となった。


 外来で患者さんを最初にみたときは冷や汗をかいたが、うまく気道確保ができたことは本当に良かった。よい経験をした。

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