第67話 Castle made of sand

 僕がチーフレジデントのころ、みんなで相談して、土日のER当直を24時間から、人繰りがつけば12時間ずつに分けることを試みた。というのも、内科当直の先生方はやはりそれなりにご高齢で、土日の24時間当直がしんどくなってきたとのこと。人繰りがつけば12時間の半日当直制度を作られたからである。ER当直はAM7:30からなので、日勤半日ならPM7:30で終了、その後は、家族団らんの食事とするか、飲み屋でワイワイするかは個人次第、ということで気が楽になり、夜間担当ならPM7:30からの仕事、大きな患者さんの波を一つ越えれば、あっという間に深夜帯、時間分けをしてしまえば、もう翌日、ということでずいぶんと当直が楽になった(もちろん当直料も半分だが)。そんなわけで、土日は24時間の当直になったり、12時間の半直になったりするようになった(残念ながら初期研修医の先生は24時間当直のまま)。


 そんなある日曜日、私はERの24時間当直、内科当直の先生は前半が総合内科の新海先生、後半が消化器内科の秋山部長というシフトだった。ER自体はいつもと変わらない忙しさで、初期研修医、後期研修医の3人チームで頑張っていた。休日の午前中のwalk inの患者さんについては各科の当直医が診察する、というのが九田記念病院のローカルルールがあった。新海先生が内科外来をされていた時に、

 「風邪を引いたかも」

 という主訴で30代の男性が受診された。職業は教師で、部活動にも力を入れておられ、土日もほとんど休みを取っておられない方だったそうである。前日から38度台の発熱があり、咽頭痛もあるとのことだった。新海先生は、

 「一応血液検査をしておこうか」

 と考えられ採血をしたところ、白血球数25000,CRPはそれほど高くなく、LDH高値、検査技師さんが検鏡したところ芽球がたくさん見られたとのことであった。急性骨髄性白血病と免疫不全に伴う感染症と診断され、入院、広域スペクトルの抗生剤の点滴を開始された。日曜日なので、翌日に血液内科への転院を調整しようということになった。新海先生から白血病の病名を聞いて、ご本人もご家族もさも驚いただろうと思われる。


 新海先生は月曜日に別の病院に仕事に行っておられたので、内科当直の引継ぎの後でERに来られ、

 「ほーちゃん、申し訳ないけど今日入院させた白血病の人、明日、主治医になってもらって、転院先を探してくれないか」

 とのこと。

 「わかりました」

 と答え、ERでの仕事を続けていた。仕事の合間にチョコチョコと電子カルテでその患者さんの様子を確認していた。


 ERは、19時ころから22時ころまでに患者さんのピークがあり、ERの医師3人で頑張ってその波を乗り越えた。23時ころ、少し一息つき、患者さんのカルテチェックをすると、予想外のとんでもないことが起きていた。


 20:30頃に患者さんが頭痛を訴え、秋山部長が診察、もともと患者さんは頭痛持ちで、頭痛はいつもの頭痛と同じような感じ、とのことで鎮痛剤を処方。21時ころに頭痛がひどいと再度Ns.callがあり、看護師さんが対応、少し受け答えがぼんやりとして、意識レベルが明らかに低下しており秋山部長をcall、頭部CTを撮影したところ頭蓋内出血を認めた。出血部位は忘れてしまったが、血腫が周囲の脳を圧迫し、mid-line shiftあり、脳ヘルニアの状態を呈していた。

 秋山部長から、脳神経外科当直の先生に手術の相談をされていた。脳神経外科の先生のカルテ記載もあり、未治療の白血病で強い出血傾向に伴う脳出血であり、止血困難であり手術適応なし、との記載があった。患者さんは一般病棟からICUに転床となっていた。ご家族も再度来院してもらい、秋山部長からご家族に病状説明されていた。


 ER当直が済み、総合内科の患者さん振り分けで、私がその患者さんを担当することにした。朝回診で患者さんのところに初めて訪れたときには、患者さんは気管内挿管、人工呼吸器で管理されており、臨床的には脳死の状態であった。午前中にご家族が来院された。奥様、お子さんと、ご両親が来られていた。主治医としての挨拶と、現状について説明。

 「急激な症状変化で非常に受け入れがたいと思いますが、現時点では臨床的にはいわゆる脳死の状態であり、手の施しようがないです」

 と説明した。ご家族もこの24時間での急激な変化を受け入れられず、みんな茫然としていた。私も、なんと声をかけていいかわからない。ご家族に面会していただくが、頭蓋内圧亢進の影響か、顔がむくんだようになっている。人工呼吸器を装着され、呼びかけにも反応がなくなったご本人を見て、ご家族の涙は止まらなかった。

 「先生、主人は休みなく働いていたんですが、過労と白血病は関係ありますか?」

 「残念ながら、少なくとも大きな関連性はないと思います」

 とわずかに言葉を交わし、

 「どうぞよろしくお願いします」

 と言われて、ご家族は帰られた。私も、新海先生から引き継いだ時には、翌朝このような状態になるとは夢想だにしなかった。


 人工呼吸器を装着し、昇圧剤で血圧を維持し、ご家族の面会の時にはご家族の言葉を傾聴し、少しでも気持ちに寄り添うこと、それしかできないことが歯がゆかったが、医学の限界。これが事実だった。第4病日、患者さんは旅立たれた。つい1週間前には元気で教壇に立っておられた方である。前日まで一生懸命に部活動の指導に当たっておられた方である。


 医師の仕事をしていると、奇跡的に命がつながる方がおられる一方で、砂でできた城が波に崩れていくように、先ほどまで元気だった方があっという間に命を失っていく。その事実の前に人間は無力である、と心から痛感するのである。



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