第66話 怖いところ

 私たちの医療グループの初期に作られた病院は、医療を受けることができない人たちが多く住む場所に作られている。それはグループの信念に基づいているのだが、そのような場所は、基本的にはあまり治安のよくない地域である。創立者は最初に4か所病院を建てたが、そんなわけでいずれの病院もあまり治安のよくないところに立地している。


 九田記念病院も夜のER当直では怖い思いをすることが多かった。鳥端先生や白井先生が初期研修医のころには、乱暴な患者さんに髪の毛をつかまれ、駐車場を引きずり回されたことが何度かある、と伺ったこともあるくらいである。師匠も、初期研修医から九田記念病院でトレーニングを受けておられ(もちろん、その後、国内留学、アメリカへの留学もされたそうであるが)、以前述べたように、師匠は背も高くがっしりした体系なので、そのような暴力沙汰が院内で起きると、初期研修医のころから最前線に立たされていた、と嘆いておられたことがあった。


 私が初期研修医のころだったが、深夜帯に、救急車用入り口から「いかにも」という雰囲気を漂わせた若い男性が

 「兄ちゃん、ちょっと診たってほしいんやけど!」

 とドスの利いた声を響かせながら入ってきた。

 受付を通らず、救急車入り口から入ってくる人は、本当に病気が悪い人(例えば心肺停止寸前の人)なのか、今回の様にややこしそうな人なのか、いずれにせよ、ろくなことがない。


 その若い男性は、

 「ちょっと山道を飛ばしていたら、急に車のドアが開いて、連れ(友人)が転げ落ちたんや。結構頭を強く打ったみたいで、その後から様子がなんか変やねん」

 とのこと。話が本当かどうかはよく分からない(仲間内でリンチをしたのかもしれないが)、いずれにせよ高エネルギー外傷の可能性が高い。重症みたいだ。


 男性看護師さんと二人で患者さんを車から引きずり出し、車いすに乗せてERに入れる。ストレッチャーに移ってもらい全身の診察とバイタルを確認。体幹には明らかな打撲痕はなさそうである。頭部は皮下血腫と挫創を認めた。連れてきた人の言うことは本当かもしれないなぁ、と思いながら、緊急で全身のCTを撮影した。胸腹部には明らかな臓器損傷や腹水、胸水は認めなかったが、頭蓋内に外傷性SAHと脳挫傷を認めた。連れてきた自称友人に病状を説明、

 「頭蓋内に出血があるので、脳神経外科の専門の先生に診てもらいます。この方のご家族の連絡先をご存知なら、すぐ連絡して、当院に来てもらってください」

 と伝えると、

 「お前!こいつに何かあったら、絶対許さんからなぁ」

 と脅してくる。薬物反応やアルコールについては評価していないが、悪いのは本人じゃないのか、と思いながら脳神経外科の先生をコール、入院を上げてもらったこともあった。


 またこれは私が後期研修医の時、未明の4時ころ、救急隊から連絡。催涙スプレーをかけられた30代の女性を搬送したいとのこと。バイタルは安定していたので、

 「すぐ来てください」

 と返答。患者さんの来院を待った。10分ほどで患者さんが到着。お話を聞くと、夜のお店で仕事をされている方で、深夜3時ころに仕事を終え、歩いて帰宅していたところ、後ろから近付いてきた車から、顔に催涙スプレーをかけられたとのこと。その後、車の中から男性が二人出てきて、彼女を追いかけてきたそうだ。彼女は必死に逃げ、とある民家の玄関に入り、

 「助けて~!」

 とドアをドンドンと叩き続けたそうだ。室内の電気がついたとたんに男たちは逃げていったとのこと。そのお宅の方が救急車を呼んでくれた、とのことだった。起こったことも恐ろしいが、もし男たちにつかまっていたら、と考えても恐ろしい。本当に怖い目にあったのだろう。


 噴射されたのはおそらく催涙スプレーで、流水でしっかり洗浄する以外に治療法は特にないとインターネットで調べた。

 初期研修医の先生と、看護師さん一人が彼女に付いて、流水と石鹼で顔を繰り返し洗っていたが、しばらく洗い続け、彼女が

 「少し楽になってきました」

 という頃になって、今度はその二人が、

 「目と手が痛い」

 と言い始めた。

 「しまった。医療者側の保護が不十分だった。二次災害の防止ができていなかった」

 とひどく反省した。今度はその研修医と看護師さんが手洗い場から離れられなくなってしまった。

 ER勤務終了後すぐ私が二人を診察し、皮膚にびらんなどができていないことを確認し、ステロイド軟こうを処方、この診察については、労災での診察とすることにした。


 その後しばらくしてから、また催涙スプレーの事件が発生。新聞配達でバイクに乗っていた男性に、後ろから来た車から見知らぬ男が催涙スプレーを噴射、バイクが運転できず、転倒してしまった男性に対し、車から出てきた男たちが蹴ったり踏んづけたりなどの暴行をはたらいたとのことだった。彼らが去ったところで、ご自身で救急車を要請、当院に搬送された。今回は、前回の反省を踏まえて、患者さんに接触するスタッフ全員に、ゴーグル、手袋、上腕保護のためのアームカバーをつけてもらい診察してもらった。

 患者さんの体幹や四肢の損傷はそれほど目立たず、ひどいやられ方をした割には傷が軽くて済んだのは幸いであった。顔面、頭皮を石鹸を使って十分に洗浄を行い、刺激がちょっとましになったとのことで処置を終了とした。

 この方は、救急隊から警察に連絡が行っており、処置が終了すると、事情聴取とのことで、警察署に移動されることになった。今回は、スタッフは誰も二次被害を受けることがなく済んで、ほっとした。


そんなこんなで、夜間のERは恐ろしいところだ、と再認識した次第である。


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