第65話 ラッキーな患者さん

 ある日の夜診、60代の男性の方が上腹部痛を訴え内科外来を受診された。カルテを開くと、前日夜のERにも同じ症状で受診されており、外科の同期、窪ちゃんが診察、検査をしており、

 「明らかな検査上の異常なし」

 と診断。胃薬を処方され帰宅となっていた。彼の臨床力もしっかりしており、確かに血液検査、腹部CTも有意な所見はなさそうであった。


 患者さんにお話を伺うと、前日の夕方から急に上腹部に痛みを感じるようになったとのこと。痛みは持続痛で波はなく、増悪因子、寛解因子も特にないとのこと。吐き気や下痢はしていないとのこと、尿の色も普通通りで血尿が出たりはしていないとのことだった。この1週間ほどで、お刺身などは食べていないとのこと。

 腹痛については歩いたりしても響くような痛みではないが、痛みそのものは結構強いとのことであった。放散痛はなく、上腹部に痛みを感じているとのことであった。身体診察でも、発熱なく、バイタルは安定。心音、呼吸音に異常を認めず。上腹部に軽度圧痛があるが、圧迫で痛みが強くなる、というわけではなかった。拍動するような腫瘤はなし。腸音は正常だった。


 特に既往のない方とのことであり、病院に定期的に通院しているわけではないとのことだった。前日処方された胃薬は効いた感じはしていないとのことであった。CVA叩打痛は認めなかった。


 精神的な病気の既往のない、話をしていてもしっかりした印象の方が、腹痛で2回も受診する、というのはただ事ではないなぁ、と思った。何か器質的な問題が起きているのだろうと考え、もう一度、血液検査と腹部CTを確認させてもらった。


 血液検査は異常なく、炎症反応は低値、膵炎を示唆するようなAmyの上昇もなく、血液検査からは服痛の原因ははっきりしなかった。腹部CTについても、もう一度撮影したものを気合を入れて読影した。腹水の貯留はなし。腹腔内にガス像はなし。肝臓に問題はなさそうで、胆嚢壁の肥厚もない。総胆管の拡張もない。膵臓の腫大もなく、周囲の脂肪織の濃度上昇もない。胃壁の肥厚像もなく、十二指腸からTreitzの靭帯にかけても問題はない。小腸にイレウス像もない。小腸、大腸の腸管壁の浮腫もない。水腎症もなく、腎周囲の脂肪織の濃度上昇もない。私の目では、痛みの原因はやはりはっきりしなかった。


 他の患者さんの診察は済んでおり、あとはこの方の結果説明だけだった。患者さんを診察室に呼び込み、血液検査、CTの検査結果を説明。やはり痛みの原因ははっきりしないとお話しし、鎮痛剤を併用して様子を診ましょう、とお話ししたと同時に、私の院内PHSが鳴った。内心

 「今日は当直でもないのに、何だろう?」

と思いながら電話に出ると、

 「保谷先生ですか?こちら読影室です。△〇さんの診察は終了しましたか?」

とのこと、

 「いえ、今結果説明をしていたところです」

と伝えると

 「上腸間膜動脈の分岐部が拡張しています。おそらく上腸間膜動脈の解離があると思います」

とのことだった。帰ろうとしていた患者さんをすぐに呼び止め、

 「今、放射線科から連絡があり、CTの写真を確認する専門の先生から、腸に分岐する血管のところに異常があるようだ、とのことでした。腹痛の原因はそれかもしれません。もう一度写真を確認させてください」

 と伝え、上腸間膜動脈分岐部を確認。確かに少し拡張しており、周囲の脂肪織はわずかに濃度上昇があるようであった。


 「専門の先生がこの時間までおられることは珍しいので、本当に助かりましたが、おそらく腹痛はこの血管が裂けかかっている、あるいは少し裂けているのが原因だと思います。今日は当直の先生が血管のカテーテルを専門にしている院長先生なので、院長先生に連絡し、入院してもらいます」

 と患者さんに伝えた。


 院長の本田先生に連絡、かくかくしかじか、こんな患者さんで、上腸間膜動脈解離の疑いで入院をお願いしたいのですが、と伝えると、

 「保谷先生、遅くまでお疲れさま。大丈夫、僕が診るよ。必要があったら、上腸間膜動脈でもステントを入れられるから、心配しないで」

 とおっしゃってくださった。すぐに院長の本田先生が降りてこられ、患者さんに

 「今晩はICUで経過を見ましょう」

 と仰り、ICU管理となった。患者さんには抗血小板療法が開始され、数日で腹痛は消失、ステントを入れることなく退院となった。


 後日、読影室の先生にお話を聞くと、

 「『さぁ、帰ろうか』と思ったら、写真が飛んできたので、『じゃぁこれだけ見て帰ろう』と思ったのです。それで写真を見たら上腸間膜動脈が解離しているのでびっくりしました」

 とのことだった。もし読影の先生が帰られていたら、診断が数日遅れていたかもしれない。患者さんはとてもラッキーだった。


 ラッキーだったのはその患者さんだけでなく、私と、数年後に私が診察した別の患者さんもであった。


 九田記念病院を卒業し、恩師の診療所で外来をしていた時に、やはり60代の特に既往のない男性が、上腹部の持続痛を訴え私の外来を受診した。痛みは前日の午後に突然出現し、波のない持続痛、食事や排便に変化なく、体動でも痛みの増悪はないとのことだった。痛みが強いので、前日の夜に市立病院のERを受診し、血液検査と腹部CTを取ってもらったが

 「異常なし」

 といわれ、胃薬と痛み止めをもらったが、痛みがよくならないとのことだった。


 普通の人が、腹痛で夜間外来を受診し、良くならないので日中の外来に受診されるのはよほどのことであると判断、以前に上記のような症例を経験していたので、

 「おなかの写真は造影剤という薬を使って撮影しましたか?」

 と確認したが、造影剤は使っていないとのことだった。

 「お手数をかけて申し訳ありませんが、紹介状を書くので、もう一度市民病院に受診してもらおうと思います。今度は造影剤というお薬を使っておなかのCTを撮ってもらい、もう少し詳しく検査してもらいましょう」

 と伝え、市民病院の病診連携室に連絡。

 「前日腹痛で時間外外来を受診された方だが、上腸間膜動脈の解離などが疑われるので、今度は造影CTを撮って、もう一度診てほしい」

 と伝え、紹介状を作成した。患者さんは市民病院で腹部造影CTを撮ってもらい、予想通り上腸間膜動脈基部の解離が見つかった。

 「当院での管理は緊急時の対応が困難と判断し、速やかに救命救急センターに転院としました」

と返信が届いた。救命救急センター退院後は、定期的に市民病院で腹部CTを確認してもらっており、抗血栓療法は当院から処方をして管理し、患者さんの状態は、私が診療所を離れるまで問題は起きなかった。


 余談ではあるが、血管の解離について、解離の部位について対応が異なるのは面白いなぁ、不思議だなぁと思っている。大動脈の解離の場合は、解離の部位によって、血圧コントロールで保存的に管理することもあるが、侵襲的な手術としては、解離した部分の内側に人工血管を内張りとしてつなげる術式や、金網と内張りでできた「ステントグラフト」を大動脈瘤の内側に留置することが治療となっている。また、心臓の冠動脈は、PCIで冠動脈に解離を起こした場合は、その部分にステントと呼ばれる金網で内張りをすることが基本である。しかし、その他の部位の解離については、例えば椎骨脳底動脈解離であれば、同部位にステント留置をすることが第一選択となることはなく、抗血栓療法を行うことが一般的であり、今回の上腸間膜動脈解離についても、ステントを留置するわけではなく、抗血栓療法を行い、血管閉塞を避けることが治療の主眼となる。血管によってアプローチが正反対なのが、面白いところであり、不思議でもある。


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