第63話 低ナトリウム血症、侮るなかれ!

 とある日の内科カンファレンス、電解質異常の患者さんのdiscussionを行なっていたが、その際に、師匠から、

「 低ナトリウム血症から、橋中心髄鞘融解症(以下、CPM)が起きる、と教科書には書いてありますが、私はその疾患を信じていません。もしあるとしたら基礎疾患としてのビタミン不足などが関与しているのではないでしょうか」

 とコメントされていた。


 私は電解質異常の補正に興味があり、低ナトリウム血症については、病状によってはICUで管理し、こまめに電解質の評価を行ない、微調整を行なっていた。他院腎臓内科に定期通院中の患者さんが高度の低Na血症を呈していたが、主治医不在で管理できない、とのことで、その病院から当院に紹介があった。私は患者さんをICUに入れて、慎重に補正を行ない、2日ほどかけて状態を安定化させ、かかりつけの先生宛に診療情報提供書を作成し、退院としたことがあった。その後、その先生から「丁寧に管理をしていただいて、ありがとうございました」と返信が来るほどであった。


 さて、師匠が低Na血症とCPMの関連について、ご自身の経験から否定的な印象を持たれている、との話をされてから数日後のこと。ビール多飲(”Beer potomania”と病名がちゃんとついている)に伴う高度の低Na血症の方が、強い倦怠感を主訴に当院に救急搬送、入院となった。主治医となった1年後輩の浦先生は、

 「ビールばっかり飲んでの低Na血症なので、普通にご飯を食べてもらって、電解質が改善したら帰ってもらいますよ」

 とカンファレンスで方針を述べていた。入院時の血清Na値は106mEq/L程度だったので、

 「もうちょっと慎重にNaの補正を行なってはどうか?」

 と提案したのだが、

 「まぁ、大丈夫っしょ」

 と浦先生はあまり意に介さなかった。


 患者さんは普通に食事を食べ、倦怠感は改善してきたとのこと。3日間でNa 106mEp/L→138mEq/Lと低Na血症も改善し、

 「2日ほど経過を見て、退院してもらいます」

 と浦先生は言っておられた。しかしその翌日、チーム回診をすると、患者さんの様子がおかしい。前日までは普通に手足を動かし、基本的に無口な人だが、問いかけには普通に答えていたのに、四肢は強直性のマヒがあるのか、四肢の曲げ伸ばしはできなくなっており、話も全くできなくなっていた。

 「これ、おかしいよ。CPMの可能性も含め、検査しよう」

 と鷹山先生と私が提案し、採血、頭部MRIを施行。MRIでは橋に恐ろしい変化が起きていた。


 画像を見ると、まるで悪魔の顔みたいな陰影が橋に写っていた。初めてその画像を見たとき、その不気味さにぞっとしたことを覚えている。教科書を調べると、その不気味な画像はCPMの典型的なMRI像であった。師匠は「ないと思っている」とつい最近おっしゃっていたが、やはりCPMはあるのであった。浦先生は

 「あちゃーっ。保谷先生の言う通り、慎重にしておけばよかったですね」

 と反省していた。経口摂取もできなくなっていたために、feeding tubeを挿入したか、胃瘻を作ったか、CV lineを挿入したか、はっきり覚えていないが、その後栄養管理とリハビリを継続した。しばらくは寝たきり、発語もできない状態であったが、リハビリの効果が出てきたのか、4か月ほどで四肢のマヒも徐々に改善、経口摂取も徐々にできるようになってきた。結局患者さんは半年ほど入院したであろうか、車いすで退院となられた。


 それから2年ほど後、風邪を引いた、とのことでその患者さんが私の外来を受診されたことがあった。自分の足で歩いておられ、言葉もしっかり出ていた。私たちのチームが主治医団であったことは覚えておられないようで、初めての人を見るような感じで診察室に入ってこられた。私も深掘りはせず、通常通りの診察をして、適切に投薬して帰宅していただいたが、そのレベルまでADLが改善していて、ほっとしたことを覚えている。




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