第61話 チーフ・レジデント

 アメリカの研修制度では、学生時代から医療チームの一員として臨床の現場に参加し、その後、医師免許を取得後、研修医(レジデデント)としてトレーニングを受ける。レジデントの最終学年時に、その学年で最も優秀なレジデントが「チーフ・レジデント」に選出される。チーフレジデントに選択されるのは非常に名誉なこととされ、その一方でチーフレジデントには重い責任がある。


 日本の研修病院でもチーフレジデントを選出する病院は多く(特に民間病院で、研修医の教育に歴史のある病院では)、九田記念病院でも私たちが入職した年から、チーフレジデント制度を取るようになった。アメリカでのチーフレジデントは、基本的に担当する診療科の全患者を把握、担当し、実際に治療に当たっている医師に対して助言を与えたりする仕事を担っている。グループ内の病院でも、小児科でお世話になった樫沢総合病院は内科についてはチーフレジデント制を取っており、チーフレジデントは主治医を持たない代わりに、内科の全患者を把握し、後輩や同輩に対して相談を受けたり、足りない指示や見落としを指示する、という大変きつい仕事をされていた。


 九田記念病院の初代チーフレジデントは、私が初期研修で最初に内科を回った時のチームリーダーだった新海先生、2代目は敬愛する兄弟子鷹山先生、3代目は女子高生にクラクラした話をした岸村先生、4代目は野性的勘をもつ大山先生、そして5代目のチーフレジデントに私が選ばれた。チーフレジデントは5年目研修医が担当するのだが、その時点で内科に残っている同期は私と、タマゴンの二人だけなので(ぶっちゃんは、小児科の勉強がしたいといって、グループ病院の扶慈(ふじ)記念病院に移られ、シノちゃんは、鳥端先生と結婚。鳥端先生が総合診療の修業をした大学総合診療部からHelpがかかったので、鳥端先生と他県に移ってしまった)、どちらが選ばれてもおかしくない(というか、総合力でいうとタマゴンの方が断然能力が高い)のだが、そんなわけでチーフレジデントとなった。


 九田記念病院のチーフレジデントは、樫沢総合病院の様に、内科の全患者を把握して、というほどのレベルは要求されなかった(とはいえ、総合内科の患者さんについては、全員把握していて、後輩の先生からの質問に、“Up To Date”など文献を引きながら一生懸命考えたりしていた)が、初期研修医、後期研修医の勉強会を師匠や鷹山先生と一緒に企画したり、あとは日常の仕事として、鳥端先生が退職された後の、朝の患者さんの振り分けをすることが仕事であった。


 内科で入院となっているが、病状からは他科での入院が適切、と思われる患者さんについての転科の相談などもチーフレジデントが行っていた。もちろん、自分の患者さんを見ながら、教育内科でもある総合内科で、初期研修医、後期研修医と一緒に患者さんを診て、特に初期研修医の先生にはいろいろと指導をしたりしていた。残念なことに妻子持ちだったので、仕事外での付き合いはほとんどできなかったが、そんなこんなで、1年間チーフレジデントを担当することになった。


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