第59話 クモ膜下出血の思い出いくつか

 クモ膜下出血(以下SAH)は、致死的な疾患であるが時に診断が難しく、医療ミスの原因となったりすることもある。中高年に発症のピークがあるが、若い人にも起こるので、油断ならない疾患である。


 一つの思い出は、まだ私が医学生のころ、関西で働いていた妻(当時は彼女)の職場の同僚のご主人がSAHで急死されたと聞いた。クリスマスイブの日、家の大掃除中に強い頭痛を感じられたようで、

 「風邪を引いたみたいで頭が痛いわ。ちょっと寝るわ」

 というのが最期の言葉となったそうだ。3人目のお子さんが生まれたばかりで、奥さんの心痛はいかばかりか、と思う。


 医師として、ERで仕事を始めると、同様のことはしばしば経験するようになった。診察したその時点での意識レベルで重症度を判断する(Hunt&Kosnik分類)のだが、意識のあるSAHは手術適応、昏睡状態のSAHは手術適応とはならない。SAHを発症したときは血圧も跳ね上がっていることが多く(高血圧緊急症)、降圧剤の静注で適切に血圧をコントロールを行なう。SAHの原因となる脳動脈瘤は複数存在することが多いので、かつてはカテーテルで、今は造影CTを用いて、4本の脳を還流する動脈の評価を行なう(4-vessel study)。そして速やかに術式を判断して、手術適応があれば手術を行なうこととなる。昏睡状態となったSAHは何もできないので、総合内科で管理することも多かった。


 SAHについては、ラッキーとアンラッキーが入り混じっている印象がある。ラッキーな人で記憶に残っているのは、私の夜の外来に来られた方であった。40代後半の男性で受診当日の朝に頭痛を自覚、ただの頭痛ではないと思い市民病院に受診しようとしたが、受付で

 「紹介状がないと受診できません」

 と断られ、市民病院近くのクリニックを受診し、紹介状を書いてもらったそうである。再度市民病院に向かったが、今度は

 「AM11:30の受付時間を過ぎている」

 といって断られたそうだ。全くひどい話である。

 

しょうがないので、九田記念病院の夜の診察が始まるまで、自宅でおとなしくしていたそうである。

 診察時、血圧は落ち着いていたが顔色は悪く、SAHの評価が必要と思われ、すぐに頭部CTの指示を出した。その患者さんを気にしながら外来を継続していたが、患者さんは検査からなかなか戻ってこない。どうしたのかなぁ、と気になっていると、ER当直をしている後輩から連絡。

 「保谷先生が頭部CTを指示した方、SAHだったので、そのままERに来てもらっています。この患者さんはERで診るので連絡しました」

 とのこと。よく死なずにいたものだと驚いた。市民病院に受診できなかったのはアンラッキーだったが、Hunt&Kosnik分類が良い状態で、診察、治療に辿り着けたこと、死ななかったことは本当にラッキーである。


 今はCTの精度がさらに向上しているので、CTでの見逃し率がどの程度になっているのかはわからないが、私が研修医のころは、SAHに対する頭部単純CTの感度は90%程度といわれていた。残りの10%はCTでは写らない。特に、微小なSAHでは「警告出血」と呼ばれているが、ごく少量の出血があり、突然の頭痛を感じるがCTで検出できないことがある。出血を繰り返すごとに致死率が上昇するので、警告出血の段階で診断をつけ、手術できれば、ほぼ後遺症なく回復するが、二度目の出血(second attack)が起きると、致死的になることが多い。


 引っ越し前の九田記念病院から300mも離れていないところに、内科クリニックがあった。若先生に代替わりして数年程度だったと思うが、ある土曜日、午前中に病診連携室を通じて、若先生ご自身が頭部CTを撮影に受診されていたようであった。余程ひどい頭痛だったのだろうか?放射線科の読影結果がすぐつけられており、

 「異常なし」

 との診断であった。

 どうしてそんなことを知っているか、というと、その日の午後3時ころ、救急隊から受け入れの依頼があり、

 「40代男性、◇□クリニックのDr.、意識障害で受け入れをお願いしたい」

とのこと。電子カルテを確認すると、午前中に当院で頭部CTが撮影されており、  

 「異常なし」

 との所見がついていることを確認した。

 同日は脳神経外科はon callで来院まで1時間近くかかること、午前中からの経過を考えると、おそらくSAHのsecond attackと推測され、超緊急症例と考えた。救急隊に

 「状態は厳しいと思われますが、当院は本日脳神経外科がon callで至急の対応ができません。すぐに3次救急レベルの病院へ搬送をお願いします」

 と伝えた。

 その後は風の噂だが、近くの大学病院に搬送され、命はとりとめたものの、医師としての仕事を続けられる状態ではなくなったらしい。数か月後にはそのクリニックは別の名前のクリニックに変わっていた。


 同様の症例だが、とある日、師匠の外来に定期受診されている方が、予約日でもないのに師匠の外来を受診されたそうである。受診理由は

 「朝から何となく頭痛がする」

 とのことだったと。師匠は何となくすっきりしないような感じを受けながら、頭部CTと採血を確認。どちらも特記すべき異常を認めなかったとのことで、NSAIDsを処方し経過観察とした。


 この方は70代の男性で、ご家族で会社を経営しており社長をされている。その日の仕事が終わり、社員である息子さんと帰るため、先に息子さんに車を回すように伝えたそうだ。息子さんは会社の玄関前に車を回し、お父様が降りてくるのを待っていた。待っていてもなかなか降りてこないのでもう一度事務所に戻ったところ、倒れているお父様を発見し救急要請。救急隊到着時には心肺停止状態で当院ERに搬送、CPRをおこない、何とか心拍再開、頭部CTを撮影し、SAHを認め、SAHに起因する心肺停止状態蘇生後と診断。ICUで管理となっていた。翌朝の総合内科振り分けでICUに患者さんが入院しているのに気付き、カルテを見るとそのような経過であった。師匠に話をすると、

 「そうか、それですっきりした。あの人が、たかが頭痛で来るわけがないものなぁ、しまったなぁ」

と悔やんでおられた。もちろん主治医を師匠にするわけにはいかないので、私が主治医となった。ICUでの管理を続けたが状態の改善なく、2週間ほどで永眠された。この方も、最初のCT所見は「異常なし」であった。


 また、SAHは自律神経系に強い刺激を与えるので、しばしば心電図異常を伴うことがある。これは、私自身は全く触れていない症例だが、夜間のERに気分不良で救急搬送された方、初診医のカルテ記載には「頭痛(+)」と記載があったのだが、主訴が気分不良であり、採血、心電図を確認すると著明な心電図異常を認め、循環器内科が緊急呼び出しとなった。心エコーでは明らかなasynagyを認めず、緊急CAGの適応ではないが、循環器内科に入院、経過観察が必要とのことで、循環器内科に入院となった。経過を見ていたが、心不全兆候や心筋逸脱酵素の上昇は見られず、ただ嘔気が続くということだけが続いていたとのこと。入院第3病日、嘔気の原因検索として、頭部、腹部のCTを撮影したところ、SAHがわかった、という症例があったそうである。この症例は少し揉めていたとのことだった。


 実際にクモ膜下出血の診断は、本当に難しいこともしばしばで、医学生時代、神経内科学講座のポリクリ中、毎朝のカンファレンス時に、原因不明の頭痛で精査を行なっていた患者さんの症例検討が繰り返し行われていた。頭部単純CTは問題なし、頭部造影MRIでは前頭葉寄りに髄膜の肥厚像があり、学生の教科書には載っていないような疾患が鑑別診断として飛び交っていた。精査の一環で髄液検査を行なうことになり、腰椎穿刺を行なうと、キサントクロミーを伴った髄液が回収され(キサントクロミーとは、髄液に混じった血液が吸収される途中でヘモグロビンのヘム鉄が黄色く変色すること、例えば、顔や体などに打ち身で内出血を起こすと、紫色→徐々に黄色くなったり緑っぽい色になって吸収されていくのと同じメカニズム)、発症から時間のたったSAHと診断、速やかに脳神経外科に転科となった症例を見た。時に大学病院でも診断に難渋するのである。時に診断が難しく、しかも見逃すと命にもかかわることがある、SAHは厄介な疾患であると痛感している。



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