第55話 ご本人の意思、家族の意思

 病棟での仕事中、いつものごとく、ERから連絡が来た。「あんなぁ、80代の女性、脳梗塞の人やねん。よろしく」と石井先生より。急いでERに向かい、患者さんを診察する。


 80代の女性で、自宅で動けなくなって倒れているところを訪問したヘルパーさんが発見し救急要請、当院に搬送となった。意識レベルはJCS-Ⅱ-30、痛み刺激には開眼するが、刺激がなければ閉眼している。右上下肢は完全にマヒ、左上下肢もあまり力が入らない(傾眠のためか?)、心音は整でAfはなさそう。呼吸音は清、採血は、おそらくある程度の時間倒れていたためであろうか、CPKの上昇がみられたが、その他は問題はなさそう。頭部CTの所見は申し訳ないが、もう記憶には残っていない(もう15年位前のことなので)。

 入院のオーダーを入力していると、ER看護師さんから、「保谷先生、この方、尊厳死協会に入会されているようです」とのこと。う~ん、これは困ったことになったと思った。


 病状が軽くて、経口摂取が可能であれば、悩むことはなくしっかり治療をすればよい。また、病状が極めて重く、人工呼吸器など、侵襲的な治療を行なわなければ速やかに永眠される、という病状であれば、これもあまり悩むことはなく、侵襲的な治療を行なわず経過を見ていくことでよい。悩ましいのはこの方の様に、それなりに重症だが、リハビリを行なうことである程度の機能回復が期待される場合である。嚥下訓練などもある程度時間がかかり、その間、何らかの形で栄養をつながなければいけない。治療で改善の可能性があるのに、現状だけで命をつなぐ治療を行なわず、命を終える方向に進んでいくのは倫理的に正しいのか、というのがまず1点、あとは、ご本人は尊厳死協会に入って、ご自身の意思表示はあるが、ご家族がそのことを知らず、ご本人の希望とご家族の希望が一致しない場合があることである。


 医療は、その地域の文化と密接に関係しており、A国で正しい、ということがB国では正しくない、ということはよくある。日本の中でも、例えばとある離島では、亡くなるときは必ず自宅で、という文化があるので、その島では、病状が進行し、いよいよ亡くなりそうだ、ということになると、大急ぎで退院の段取りを開始し、自宅に帰っていただくのである。私がいる街ではそういったことは極めて少ない。それは文化の違いであって、どちらが正しい、ということではない。


 西欧では個人の意思の尊重が当たり前の文化であり、ご本人の意思が最優先になるが、アジア圏では「家族」というつながりが強く、家族の意向を無視して、医療を行なうことは難しい。もちろん日本もアジア圏であり、ご本人の意志だけでなく、ご家族の意向も確認し、そのすり合わせをする必要がある。それは決して間違っていることでも遅れていることでもなく、日本の文化に合わせる、ということである。


 余談であるが、7,8年前、プライマリ・ケア連合学会でACP(Advance Care Planning)が紹介されたとき、ご年配の先生から大きな反発が起きたことを覚えている。その時は発表者が、アメリカなどで行なわれているACPをそのまま持ち込んできたので、現場でご本人の希望、家族の意向をすり合わせながら日々仕事している先生方からは到底受け入れられなかったのであろうと推測している。こういったことは日本の中でも、病院のレベルでも変わってくると思われる。発表者は大学に所属している方だったが、大学病院などいわゆる高度で権威のあるとされている病院では、ある程度西欧の個人主義的考え方をそのままで持ち込めるが、地域の開業医、かかりつけ医、訪問診療医などは、それぞれの家族を見て、その家族にとってより良い在り方をオーダーメイドで組み立てており、反発が起きたのもむべなるかな、と思われた。その後、厚生労働省から「人生会議」という言葉でACPの概念が提示され、ACPの理念に基づきつつ、日本の文化にも配慮したいい在り方、いい言葉だと感じている。


 閑話休題、ご家族が来られた。Key personの息子さんは医療関係者であった。お母様の気持ちは配慮しつつ、それでも、末梢点滴は続けてほしい、と希望された。


 点滴をしながら経過を見ると、徐々に意識レベルは改善、片麻痺はあるが、少し発語も出てきた。嚥下機能評価のため、S-SPTという手法で評価したが、0.2mlでは嚥下反射は出現せず、2mlは反射が出現する、という嚥下訓練をすれば経口摂取が可能になるかも、という悩ましい結果であった。嚥下訓練を含めリハビリを開始したが、もともと血管の細い方で、末梢点滴を行なうことのできる血管がなくなってしまった。嚥下訓練はしているが、経口摂取でエネルギーや水分がとれるほどには回復しておらず、かといって、点滴をせずに見ていくと、脱水で身体がへばりそうだった。ご家族に状況をお話しするが、

 「母の気持ちを尊重して、経管栄養やTPNは希望しないが、末梢点滴でリハビリは継続してほしい」

 とのことだった。これは、大きな倫理的問題を抱えていると考え、院内の倫理委員会の開催を師匠にお願いした。倫理委員会で議論を行ない、輸液路としてCV lineを挿入するが、TPNは行わず、晶質液のみを輸液する、ということに決定した。再度ご家族に来てもらい、結果をお話しすると、

 「TPNは拒否しましたが、CV挿入を拒否したことはないですよ」

 とのこと(じゃあ点滴確保ができない、と相談したときにそう言ってよ(泣))。


 それで、CV lineを挿入し、晶質液の点滴とリハビリを継続。嚥下機能はある程度回復し、発語は、意味のある文章は話せないが、「はい」、「嫌」、という形での意思表示が可能なレベルになった。ご本人が、この状態を良しとしておられるのか、そうでないのかはわからないが、とりあえず経口摂取は可能、意思表示は簡単なものは可能なレベルに改善した。そして施設調整を行ない、施設に退院となった。


 「尊厳死」といっても、積極的に命を奪う医療行為はできないので、おそらくご本人は不満に感じておられるかもしれない。「尊厳死」を希望していても、現実的にはそれなりに重度の障害を抱えて生きていかざるを得ないこともあるのである。これは難しい問題である。



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