第52話 うろたえる
内科、特に総合内科の様に複数の問題点を抱える人を診察する診療科では、受診される方の平均年齢が高くなる傾向がある。おそらく私が総合内科に所属しているときは平均で80歳代くらいだったのではないか、と思う。60代未満の方は超若い人たち、70代は若い人たち、80代が普通、90代はご年配、時々100歳を超えておられる方を見ることがあるが、こういった方は神様で、医学の通用しない世界を生きておられる、と思っている。
医学が科学であるためには、無作為試験や、再現性などが考慮される必要があるが、少なくとも80歳を超えている方は、各個人が全く違う要素をたくさん抱えているため、無作為試験を行なうためのバイアスの除去もできなければ、再現性についても母数が少ないので議論ができない。という点で、80歳代の方は、科学としての医学を超えた存在だと考えている。その方の体調、お体に沿って、若い人で確立されている医療を外挿し、注意深く医療を行なっていく以外にないのである。そういう意味で、とりわけ100歳以上の方は医学を超えた存在、なのである。
普段、そういったことで高齢の方を中心に診察しているので、時に若い方が入院すると、何となく自分のリズムを崩してしまうことがある。
ある日の内科振り分けで、17歳女性の急性腸炎、脱水症の患者さんの担当となったことがあった。2日前からの発熱、腹痛、頻回の下痢を主訴に前日の夜間ERを受診。血液検査では強い炎症反応の上昇と、おそらく脱水に起因すると思われる軽度の腎機能低下を認めていた。血液培養、便培養は提出されずに、CTRXの点滴が開始されているのはちょっと、と思ったが、それはそれとして、診察に向かった。
「調子はどうですか?」
と伺うと、ERに来た時よりは楽になっているとのこと。腹痛は間欠的にあるが、痛みも改善傾向とのこと。経過中血便は出ていないとのことだった。身体診察では、体熱感は軽度、腹部は平坦、軟、腸音はやや減弱、腹部全体に圧痛があるが筋性防御、反跳痛は認めなかった。食事については、原因となりそうなものは思い当たらないとのことだった。抗生剤開始後だが一応、便培養の指示を出し、Salmonellaや病原性E.coliなどを考え、CTRXの点滴を継続した。若い方なので、経過は速く、発熱も翌日には落ち着き、腹痛も日ごとに軽快、血液検査も、炎症反応は急速に落ち着いてきた。経口摂取も可能となり、入院第5病日には、血液検査も正常化。身体所見も問題なく、普通便となったので、ご家族に病状説明、1週間後の私の外来に再診してもらうこととし、整腸剤のみ処方し退院とした。
それから1週間後の外来、すっかりその子の再受診のことは頭から消えていて、外来をしていたが、電子カルテのウェイティングリストに何となく見覚えのある名前が。年齢も若く、
「誰だったっけ?若い人が何だろう?」
と思いながら外来を続けた。その人の順番になって電子カルテを開くと、ようやく、腸炎で入院していた子だということを思い出して、
「あぁ、そうそう。1週間後に来てくださいね、といったなぁ」
と思い出しながら、患者さんに診察室に入ってもらった。
お父さんと一緒に受診したその子は、特に化粧をしたりとかはしていなかったが、それでも入院中には気付かなかったほど、とても綺麗で、服装も制服なのか私服なのかは不明だが、とても可愛く見えた。その可愛さに思わず内心うろたえてしまった。とはいえ、そんな自分の内面は表に出すわけにはいかず、少し声が上ずっているなぁ、と自分で感じながら、
「退院してからの調子はどうですか?」
と問診を始めた。
「入院で体力が落ちたのか、今は95%くらいです」
とのこと。退院後は食欲もあり、発熱なく、下痢もなかったとのこと。腹部診察を行ない、特に圧痛を認めなかった。
「入院するほどの腸炎だったので、少し体力の回復には時間がかかるかもしれませんが、今の状態なら、薬も終了でいいと思います。何か具合が悪いことがあれば、相談に来てください。これでいったん治療は終了とします。お元気になられてよかったですね」
と伝え、診察は終了した。診察終了後、緊張が残っていたのか、電子カルテを入力する自分の指が少し震えていたのはご愛敬である。
ほかの先生はどうなのか、一番聞きやすそうな先輩の岸村先生に
「外来の時に、めっちゃ自分のタイプでかわいい患者さんが来たら、診察のリズムが崩れますか?」
と聞いてみた。
「あぁ、俺もリズムが狂うわ。ほーちゃんがうろたえたこと、めっちゃよく分かるよ」
とのこと。人によりけりなのだろうが、やはり少しリズムが狂うようである。ただし、リズムが狂っても、過たず、すべきことを行なうことがプロである。ということで、私も一応プロの仕事をしたと思っている。ただ、20年近く医師をしていて、あれだけうろたえたのはあの時だけである。
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