第51話 病院の引っ越し

 九田記念病院は、グループ病院のなかでは歴史があり、昭和50年代前半に作られた病院であった。増築を繰り返していたが、建物の老朽化は否めず、また、医療法の施設基準も変わっており、手狭な旧病院から、新たな病院を新築する、という話が進み始めた。


 新病院の移転先や新しい建物の構造、ICUや手術室、心カテ室、ERの配置などは、偉い先生方を中心に話が進み、ERを中心に、ICU、HCU、手術室、心カテ室など、重症患者さんを扱うエリアは2階に集約し、1階は通常外来部門、3階に透析室、健診部を設け、医局、事務室、看護部のエリアについては、あえて壁を作らずに集約させ、各部門の風通しを良くする、という形で設計された。旧病院は地下1階(シンチグラフィーの部門)地上5階建てだったが、新病院は地下2階(シンチグラフィー、放射線治療の部門は地下1階、地下2階は駐車場)、地上9階(4~8階は病棟、9階は院内保育園、職員食堂、一般の食堂)の建物となった。


 旧病院から直線距離で2kmほど離れたところに新たな病院の土地を確保、適宜、工事の進捗状況が適宜報告され、徐々に病院が立ち上がっていくと同時に、荷物や人の引っ越しの段取りもする必要になった。


 私は医局長から指示を受け、医局の引っ越し担当となった。電子カルテの配置場所、本棚の位置、各先生方の本棚の割り当て、新たな医局でのデスクの配置などが仕事だった。


 看護部、医局、事務部の壁を取っ払って物理的にも、心理的にも壁を作らない、というのが建築の際の意向だったので、デスクの配置についても、診療科別、ということにはせず、全員のくじ引きで決めることとした。机の配置予定図を作成し、各机に番号を振り、先生方にくじを引いてもらって各先生方の机を決めることにした。


 くじ引きの結果を確認すると、2か所、犬猿の仲の先生が隣どうし、ということになってしまった。特に、師匠と、ERの石井先生は対立関係が極めて強く、どう考えてもこの配置のままでは危険であった。なので、本当はする気がなかったのだが、神の手、ということで調整を行い、机の配置を決定した。ちなみに私の机は、厳しい医局長兼心臓血管外科部長と、形成外科部長という偉い先生方に挟まれたところになった。


 引っ越しの荷づくり、荷解きは各先生方がご自身でする、ということにして、医局の引っ越し係は仕事終了となったのだが、今度は引っ越し当日、どのように動くか、ということになった。引っ越し1か月前から、入院患者さんを減らしていき、ICUの患者さんも減らしていったのだが、どうしても数名、ICUの患者さんが残り、また各病棟の重症患者さんも20人ほど残った。


 当院が引っ越しする2年ほど前に、同じ市内にある市民病院が引っ越しをしたのだが、その時には病院機能を1週間停止し、その間は、当院と、市の南部にある総合病院で救急対応を負担した。その時にはずいぶん九田記念病院ERには負担がかかったので、さすがに1週間も病院機能を停止させられない。


 当院は引っ越しにかかわる病院機能停止期間は3日間(正確には、前日の12時から、引っ越し当日、引っ越し翌日の12時までの48時間)とし、患者さんの輸送のために、グループの各病院(遠くは九州の病院から)の患者さん搬送車を集め、引っ越しが行われた。前もって移動できる機械は移動し、大型のCTは1台新規購入したので、旧病院のCT2基のうち新しいものを患者さん引っ越し後に移動、MRIについては1基は引っ越しの1か月前に移動し、もう一台は引っ越し後に移動することとなった。


 患者さんの引っ越しについても、綿密に打ち合わせが行われ、まずICUの患者さんから移動、ICUの患者さんや一般病棟でも人工呼吸器など何らかの機械が装着されている方は新病院のERから所定の病室に移動、移動時に何かトラブルが起こっていたらERで対応、その他状態が安定している患者さんは、地下の駐車場から搬入、という流れになっていた。


 当日のERでの待機は私が、看護師さんはER看護師さんから数名選ばれ、何かあった時に万全の体制を、という人の配置(私がいる時点で「ダメじゃん」という感じだが)となっていた。


 さて、引っ越し当日、前もって新病院のERに到着した私たちは、とんでもない見落としに気が付いた。というのは、引っ越しの前にある程度ERの物品の引っ越しをして、すぐ運用できる状態にしておかないといけなかったのに、新病院のERには全く何も物品がなかったのである。


 あれだけ綿密に打ち合わせをしたのに、恥ずかしいことに誰もがこの大事なことを忘れていた。私たちERに派遣された人間は、もし患者さんに何かがあっても、医療的なことは何もできないような状態であった。とはいえ、引っ越しは予定通りに始まり、重症の患者さんはERに運ばれてくる。


 ただ、ラッキーなことにERを通って入院された方は、移動の際に特に問題を起こすことなく、私たちの出番がなかった。搬送中の状態を聞いて、ご本人の顔色を見て、お話しできる人には「具合はどうですか?」と確認、胸部を聴診して病棟に移動してもらう、という形で全員問題なく移動が完了し、ほっとした。新ERに、必要なものをあらかじめセットしておいて、ERとして機能するかどうかを確認しておかなかったのは大きなミスだったが、もし50年後くらいにまた引っ越しの話が出たら、この失敗は伝えられないまま消えていくんだろうなぁ、と思ったことを覚えている。それはそれとして、引っ越しは無事に終了し、予定通り、翌日から新病院で仕事を継続することとなった。


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