第50話 医学の限界

 とある日、病診連携室から、病診当番だった私に連絡がかかってきた。クリニックからの紹介で、80代女性の方の肺炎を入院治療してほしい、との連絡だった。

 「わかりました」

 と連絡して、患者さんの到着をERで待っていた。患者さんがERに来られ、ルーティーンとして採血、心電図を行ない、同時に身体診察を行なう。聴診では右背側下肺野にcoarse crackleを聴取、SpO2も90代前半と低下しており、確かに右肺炎として矛盾のない所見であった。採血結果を確認し、病棟に入院、と考えていると検査室から連絡が。

 「先ほど採血した患者さん、血液像の機械で異常値が出たので検鏡したところ、たくさんの芽球がありました」

 とのこと。急性骨髄性白血病と、それに随伴する肺炎、という診断だった。白血球を何とかしなければ肺炎は治らないだろうと思い、近隣の血液内科に連絡をするが、

 「肺炎が落ち着かないと、白血病に対して化学療法ができません」

 との返答。まぁ、それはそうかもしれないと考えた。ご家族には

 「こちらで検査をすると、肺炎のほかに、急性白血病が見つかりました。肺炎を治療しないと白血病は治療できませんが、白血病で免疫機能がものすごく低下しているので、肺炎の治療を行なっても、肺炎が抑えられるかどうかはわかりません。今回のことが命取りになる可能性が高いです」

 と説明。ご本人には、

 「こちらでいろいろ検査をすると、肺炎のほかにも、ばい菌と戦う白血球という血液の細胞に異常があり、身体の免疫力がとても弱っていることがわかりました。白血球の異常を治療するためには、かなり強い薬を使う必要があるため、まず肺炎の治療を優先する必要がありますが、身体の抵抗力が落ちているので、肺炎の治療もてこずる可能性が高いと思います。しっかり診ていくので、頑張っていきましょう」

 と説明し、入院していただいた。以前、レントゲン読影の話をしたときに、Felsonの教科書の話をしたが、この教科書のユニークなところの一つは、欄外に様々な人の格言が記載されていることである。その中に、訳者の言葉が載っており、この言葉は重要だと思って、今も心に残っている。その言葉は

 「患者さんには決して嘘をついてはいけない。しかし、真実を全て伝える必要はない」

 という言葉である。


 患者さんに入院していただき、白血球分類から計算すると好中球は500/μl未満だったので、好中球減少症時の抗生剤治療に基づき、緑膿菌をカバーする広域の抗生剤を開始した。しかしながら、患者さんの状態は改善せず、徐々に全身状態も、血液データも悪化が認められた。しかしながら、この状況を改善させる手立てはなく、如何ともし難い。毎日回診を行ない、患者さんと言葉を交わす。患者さんご自身も、体調が悪くなっていることは自覚されており、

 「このまま死ぬのかねぇ」

 と仰られた。

 「う~ん、最期のところは神様がお決めになることやから、僕は何とも言えないけど、あなたが良くなるように、頑張っていますよ」

 と伝えた。実際、命の終わりを前にした方に、若造がかける言葉なんてないのだ。私自身は信仰を持っているが、その教義に反することをたくさんしているので、破戒の人間だと思っている。それでも、人知を超える何かがあって、人間をはじめとする生き物は生きていると同時に生かされている、と考えている。


 患者さんは約3週間の闘病を終え、旅立たれた。


 ”To cure sometimes, To care always.”という言葉がある。人間はいつか死んでいく存在であるが、たとえ病気が治療できなくても、病気で戦っている患者さんに、少しでも優しさを届けられる存在でいたい、といつも思っている。


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