第49話 やはりERは戦場
昔話では話の始まりはたいてい、「昔々のことじゃった」とか、「今は昔」という定型文から始まる。形が決まっているのはいいことなのか、悪いことなのか何とも言えないが、今回書き留めている文章も、どうしても特定の日付を覚えているわけではないので、出だしの文章が定型的になってしまっている、しかもこれからも同じように繰り返されるが、どうかご容赦いただきたい。
さて、とある日のER、この日はリーダーが岸村先生、2番手として私、そして初期研修医の3人で担当していた。23時ころ、息苦しいとの主訴で70代の女性がwalk inで来院された。カルテを見ると、何度かうっ血性心不全急性増悪で入院歴のある方だった。
急いでERのストレッチャーに移ってもらい、坐位の状態で酸素投与を開始し、点滴路確保、採血を行なうこととした。女性は高度の肥満があり、点滴路確保と採血が同時には難しいと看護師さんから報告があった。岸村先生は検査のオーダーなど電子カルテに向かっておられ、私は看護師さんに、点滴路確保に専念してくださいとお願いし、私が大腿動脈からの採血を行なうこととした。患者さんは苦しそうに身もだえしている。その頃は急性心不全のクリニカルシナリオという考え方は確立しておらず、NPPVも普及していない。また、治療を行うにしても点滴路が確保されていないと如何ともし難い。看護師さんは点滴路確保に一生懸命、私は大腿動脈からの採血に一生懸命になり、何とか大腿動脈からの採血ができた。検体を別の看護師さんに渡し、ふと見ると先ほどまでしんどいと身もだえしていた患者さんがぐったりして動かなくなっていた。
「わーっ!岸村先生、(心臓が)止まってます!!」と私が叫び、すぐに蘇生処置を開始した。アンビューバッグで人工呼吸を開始し、心臓マッサージを開始、薬剤を使い心拍は再開。気管内挿管、人工呼吸器を繋げ、内科当直医をcall、ICUに入室となった。
その時の入院では、数日で心不全は改善し、歩いて退院されたそうであった。
それからしばらくした別の日、たまたま私が当直に入っていたのだが、救急隊よりホットラインがあった。その患者さんが息苦しくてしんどい、とのことで搬送したい、とのこと。すぐに受け入れOKと伝え、ERメンバーに、
「前回この人は、ERで短時間CPAとなった人だから、みんな心して対応しよう」
と声をかけた。全員覚悟をして、患者さんの到着を待った。患者さんが到着後、すぐに心電図モニターを装着、酸素投与、点滴路確保、採血、フォーリーカテーテルを挿入し利尿剤を投与、とすべてのことが今回はスムーズに進み、内科当直医に連絡。その日は循環器内科医である院長の本田先生が当直だった。院長先生に連絡すると、
「ありがとう。すぐICUに上がってもらうよ」
とのことですぐに先生がERにおりてこられ、患者さんはICUに入室となった。ただし今回は、集中治療にも反応せず、患者さんは永眠されてしまったのであった。
この患者さん、もう名前も忘れてしまったが、初回の来院の時の、患者さんが暴れている中で頑張って採血を行ない、採血することに集中しすぎてしまい、採血が終わって止血しようとするまで、患者さんがCPAとなっていることに気付かなかったこと、患者さんのぐったりした状態を見て、思わず叫んだことなどは今でも忘れられない。
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