第46話 死亡診断書

 患者さんが病気や自然死(いわゆる老衰)で亡くなると、死亡診断書を作成しなければならない。一方で、病死、自然死以外の理由で亡くなられた場合は「異状死」として、24時間以内に警察に届け出なければならない。これは法律で決まっていることなのだが、時に線引きが難しいことがある。例えば、神経変性疾患などで嚥下能力が極めて低下している人で、胃瘻や経管栄養を強く拒否され、経口摂取を続けている人が、適切と思われる食形態であるミキサー食やゼリー食などを食べているときに誤嚥、窒息され亡くなられた場合、これは病気の症状としてひどい嚥下機能の低下があり、それに付随して起きたことと考え、原疾患による死亡、すなわち「病死」とするのか、目の前で起きた誤嚥窒息を不慮の事故と考えて、「異状死」とするのか、本当のところは正解がない問題だと思う。


 ERで仕事をしていても、九田記念病院では心肺停止状態で搬送された方は、蘇生しなければ「異状死」として警察に連絡、到着時心臓も呼吸も何とか続いており、例えば「致死性不整脈」あるいは「心筋梗塞」などと診断の推測がついた時点(来院後数分程度)で心肺停止となり、蘇生しなかった場合は、その病名で死亡診断書を作成していた。これも、例えば、救急隊到着時にはまだ息があって、救急車内の心電図で明らかに心筋梗塞と推測される心電図が確認され、搬送中に心肺停止となり、ERでACLSを行なっても蘇生しなかった場合は、死亡診断書を書くべきなのか、異状死として警察に連絡するべきなのか、これも悩ましいところである。


 師匠から訪問診療を引き継いだ方で、女性の方であるが重症のCOPDをお持ちの方がおられた。ご主人は威圧感のある印象の方で、いろいろ言葉に気を使いながら対応していた。経過とともに奥さんの呼吸機能は低下していき、気道感染症を来し入院が必要となった。おそらく今回の入院が最後の入院になると考え、入院時にご主人には

 「全身状態が悪く、今回の入院で命を落とす可能性が高いと思います」

とお話しし、入院とした。ご主人のキャラクターなのか、愛情なのか不明だが、病棟の看護師さんが制止しても、食事を勝手に与えたり、飲み物を勝手に飲ませたりして、病棟の看護師さんには悪態をつくような状態だった。


 こちらとしても、誤嚥窒息は避けたいし、看護師さんも愛情をもって接しているので、ご主人を呼んで、数回

 「飲食については、病棟のスタッフが行うので、ご主人が行うのはやめてください。どうしても、というときには病棟スタッフを呼んで、見守りのもとで行ってください」

 と注意していた。


 ご主人の、病棟、病院へのクレームは多く、

 「このまま、患者さんが亡くなられたら、病院側が訴えられたりするかなぁ(訴えられるようなことは何もしていないのだが)」

 と気にかかっていたのだが、ある日の昼、病棟から連絡、ご主人が勝手に食事を与えていたところ、患者さんが誤嚥、窒息され、ひどい低酸素血症になっているとのことだった。急変時の気管内挿管や人工呼吸器装着については希望されない、との確認は取れていたので、大急ぎで病棟に駆け付け、気管内の吸引処置などを行なったが、そのまま低酸素血症は急激に悪化し、そのまま心拍も停止した。ご主人は茫然と立ち尽くしていた。


 患者さんの死亡確認を行い、ご主人には、勝手に食事を与えていたことを責めず、

 「病気で嚥下機能もずいぶん低下していたので、誤嚥は避けられなかったようですね」

 とお話しし、全身状態の悪化に伴う嚥下機能の低下、誤嚥に伴う死亡と判断し、病死及び自然死、という形で死亡診断書を作成した。


 もちろん見ようによれば、ご主人が禁止されている患者さんへの食事提供を行ない、窒息させた、ということで異状死として扱うのが適切だ、とも考えられるのだが、異状死として扱うとおそらくご主人は殺人、あるいは過失致死という形で有罪になると思われた。そのような対応をすると、結局後々大変な泥仕合になると考え、ある意味「恩を売った」形としてその後の処置を行なった。ご主人は、あれほど言っていた当院へのクレームの言葉も何も言わず、奥様のご遺体とともに退院していかれた。

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