第45話 訪問診療の両極性

 訪問診療を行なっていると、大きく2つのパターンに分かれることに気づいた。一つは、患者さんの

 「家に帰りたい」

 という希望をかなえたい、ということで家族の愛情のもとで訪問診療となる場合、もう一つは、お金がないので施設にも入れない。行くところがないから家で診る、という場合である。もちろん、圧倒的に前者が多く、日本の高齢者人口を考えると、圧倒的に女性の方が多いのだが、訪問診療となるのは男性の方が女性より多かったような気がする。


 以前にも書いたことがあるが、子供のいないご夫婦でご主人が訪問診療が必要な状態になると、まるで赤ん坊に与えるかのような愛情をご主人に注がれることが少なくない。そのような姿を見ると、ご主人もたぶんお元気な時は、たくさんの愛情を奥さんに注いでいたんだろうと思われた。もちろん、お子さんがおられても、ご主人を大切に介護されている奥様もおられ、おそらく、ご主人が倒れられてから、何度もつらい選択をしてきたのだろうと思うが、それを乗り越えられて、

 「今は、お父さんがこうやって穏やかに過ごしてくれているのが、一番うれしい」

 とおっしゃられていた奥さんもおられた。ご主人は気管切開、胃瘻も造設しておられ、発語もされない状態だが、奥様にはご主人の表情が読み取れるようで、

 「今日は調子よさそうです」

 「今日はあまりよくないので気になります」

 と伝えてくださっていた。ご主人のことを一番看ておられるのは奥さんなので、奥さんの言葉を第一の判断材料として、対応していたことを覚えている。


 ご主人の周りには、奥さんが書かれた詩や絵画が飾られ、本当にご主人のことを大切にしておられるのが伝わってくるお宅であった。奥さんは、言葉のアクセントから鹿児島出身とわかり、いろいろ往診のたびにお話を伺ったが、若いころ、鹿児島から出てきて苦労されていた奥さんを、ご主人が影に日向に守られていたことを本当に感謝されていた。ご主人の愛情の深さが、今の奥さんの愛情につながっているんだなぁ、と深く感銘を受けていた。そのお宅での訪問診療は笑いの絶えない診療で(もちろん、重症の感染を起こされていて「すぐ、病院に入院しましょう」という緊迫した往診もあったが)、私は自分自身のダメ夫ぶりをお話しして、楽しく笑ってもらうことを心掛けた。8年間訪問診療を続け、徐々に衰弱されてこられており、奥様も十分にそのことを理解され、1日1日を大切に過ごされていたが、その頃には私は診療所に転職し、非常勤で訪問診療を続けており、診療所の指示で訪問診療をやめるよう指示され、非常に残念ながらその状態で訪問診療を離れざるを得なかった。その人の最期まで寄り添いたかったと思っている。


 また、嫁-姑関係が前面に出ることもある。私と同年代の方だったが先天的に脳動静脈奇形を持っておられ(てんかん発作や脳出血を起こさなければ基本的には無症状)、それが破裂、手術を受け、水頭症を併発したために脳室ー腹腔シャント(以下VPシャントと略す)を造設したところ、同部位にMRSAが感染し、脳膿瘍、髄膜炎を併発し、大変な経過をたどった方も師匠から引き継いだ方であった。この方はもともと結婚しておられたそうだが、介護の仕方で嫁-姑問題が勃発したらしく、奥さんは子供を連れて離婚、お母様が介護をなさっていた。師匠曰く

 「奥さんを追い出したような・・・」

 とのことらしい。嚥下困難があり、食道ろうを造設(おそらく腹腔内にVPシャントが入っていたから胃瘻を避けたのだと思うが)され、気管切開もされていた。お母様は確かに細かく、厳しい人で、私たちもいろいろ怒られたことがあった。この方は8年間で予想外の回復をされ、食道ろうが挿入されているのに経口摂取ができるようになり(お母様が「食べさせたらむせなく食べた」と言われていた)、ADLも改善がみられ、

 「若いと回復力があるのだなぁ」

 と驚いた。師匠に

 「あの患者さん、経口摂取でご飯をバクバク食べていますよ」

 と伝えると絶句しておられた。この方も8年間訪問診療を続けたが、訪問診療を離れる数か月前にお母様が体調を崩され入院となり、妹さんが訪問診療日にやってこられるようになっていた。この患者さんも、部屋はきれいに片付いていて、むしろご自宅全体に生活感がなく、すこし不自然な感じがあったが、患者さんは褥瘡などもなく、細やかに介護されていたことが分かった。

 ちなみにだが、この方のお宅がマンションの高層階にあり、私が高所恐怖症を持っているので、毎回訪問診療を行なうときは、めまいを感じ、冷や汗をかきながら訪問診療に伺ったことを覚えている。


 一方で、「お金がないから訪問診療」というパターンは、結構大変だった。5年ほど訪問診療を行なった患者さんだが、同居の息子さんが介護、という形になっていたが、息子さんも心の病気を抱えており、とてもお父さんの介護をできる状態ではなかった。ご自宅も「ゴミ屋敷」とまではいかないものの、大変散らかっていた。初めて訪問診療に伺った時、

「お身体を診察しますね」

と布団をめくった途端に、大きなGが飛び出してきたのには本当に驚いた。叫ぶわけにはいかないので、何とか叫び声を飲み込んだが、心臓が止まるかと思うほど驚いたことを覚えている。おむつを買うお金がないのか、布団をめくると、ペニスをシビンに入れ、おむつは履いておらず、布団の中で下半身は何もつけておられない状態だった。それでも、5年程度訪問診療を行なったが、あまり深刻な合併症はなく過ごされたことを覚えている。


 師匠が、

 「私の訪問診療のモチベーションの半分は、野次馬根性なのですよ」

とおっしゃられていたが、本当に様々なお宅があり、人生をいろいろ考えさせられた。そして今でも、人生を考えることは頻回である。


 余談ではあるが、上記のGが布団から出てきた患者さんが、これまでの私の経験の中で、最も劣悪な環境の患者さんだったのだが、つい最近、それを超える方の訪問診療を行なった。ビニール製の足袋をつけて、合羽を着て自分の着ている服を汚さないようにして訪問診療したのは、15年以上の訪問診療歴で初めてであった。

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