第34話 師匠からのありがたい課題

 九田記念病院では人間ドックも行なっている。各種検査は検査科(超音波検査、心電図など)、放射線科(レントゲンなど)と、医師しかできない検査として、消化管内視鏡検査があった。身体診察は非常勤医師が担当しており、希望者については夕方に来院してもらい、内科医(もちろん後期研修医がメイン)が結果を説明し、必要があれば適切な診療科の予約を取り、紹介状を作成する、という仕事をしていた。


 それはそれとして、行われた検査についても、それぞれ所見をつけるのは基本的には医師の仕事になる。人間ドックや職場健診で撮影されたレントゲン写真は、原則としてすべて呼吸器内科医が読影することになっていた。ただ、慢性的に医師不足(基本的にはほとんどの市中病院が医師不足だが)の九田記念病院では、師匠がすべての写真を確認し、所見をつけておられたそうであった。本来は2人の医師で確認する、ということになっていたので、師匠が写真を一度確認して、数日あけてもう一度写真を確認する、ということで読影を回していた、ということであった。

 読影については、正しい在り方ではなかった、ということは師匠の心の中にあったのであろう。それと、研修医にしっかりと胸部レントゲン写真の読影トレーニングをしてもらおう、という考えもおありだったのだろう。ある日、師匠から健診での胸部レントゲン写真の読影の話、現状師匠一人で行なっている、という話を伺い、

 「そこで、まず保谷先生に健診の写真を全て確認して、所見をつけてもらおうと思います。そのあと、私と一緒に読影して、健診の最終所見としましょう。学んでほしいことは、健診の写真のほとんどは正常なので、『正常なレントゲン写真』というものをつかんでいただきたい。正常といっても、人の顔が違うように、それぞれ写真も微妙な違いがあります。なので、『正常』にも幅がある、ということを理解してもらいたいのです。そして、系統的に写真を読影することをトレーニングしていただきたいのです。『パッと見て』ではなく、正常な胸部レントゲンでは、このような部位にこのような構造物が、このように見えるはず、というものを順序だててみるようにしてほしいのです。おかしいものが写っている、というのはすぐわかりますが、正常ならあるはずの構造物が正しく見えない、という意味での異常はとても見逃しやすいのです。なので、そのような見逃しを減らすように努力してください」

 と指示をいただいた。それまで、何度も健診部から師匠が

 「早くレントゲンの所見つけてください」

 と言われるのを見ていたので、師匠の仰せのままに、1次所見を私が見るようになった。


 私が初期研修医で入職したころにはすでに電子カルテが導入されており、レントゲン写真もPACSでディスプレイ上で見ることはできるのだが、健診の写真については師匠の指示で、フィルムで出力されていた。Felsonの教科書(診療所に勤務していた時、事務スタッフが放射線技師の専門学校に通い始めたので、貸してあげたまま、私が診療所を退職してしまったので、今は手元になく、本の題名がわからないが、Felsonのレントゲン読影の本、といえば、多くの医師はわかってくれると思う)を参考にしながら、当直や夜診のない日に紙を用意して、読影にいそしんだ。ID番号と、所見がないと思えば「所見なし」、これが異常だと思えばその所見を書いていき、写真を読み終えたら師匠の都合を聞いて、時間を合わせて師匠にプレゼンテーション(仰々しいものではなく、「ここがこのようにしておかしいと思います」という程度)をして、師匠がコメントをつけてくださる、という形で答え合わせ(&内科医二人で読影)を行ない、最終所見として、その結果を健診部に返す、ということを呼吸器内科研修中に行なっていた。


 Felsonの教科書では、ニーモニック(英語での語呂合わせ)として、“Are There Many Lung Lesions?”(肺にたくさんの病変があるかな?という意味)が記載されていて、それぞれの大文字”A”は”abdomen”(腹部)、”T”は"Thorax"(胸郭)、

”M”は”mediastinum“(縦郭)、二つの”L“は両方とも”Lung”(肺)で、肺野は、1回目はそれぞれ片方の肺を細かく見ること、2回目は同じ部位を左右で比較しながら見ていくことを指している。もちろん、正常で見られる構造物やその見え方も教科書に載っており、Felsonの教科書を横に置きながら、写真を1枚1枚、”Are There Many Lung Lesions?”とブツブツ唱えながら、読影していた。師匠と写真を見直すときは、

 「これはおかしい」

とプレゼンした写真が

 「それは問題のない所見です」

と言われたり、

 「問題ないと思います」

とプレゼンした写真が

 「保谷先生、ここをどう見る?これは異常所見だよ」

 と指摘されたりと、マンツーマンでトレーニングしてくださった。そしてすべての写真を確認すると、師匠の指摘も加味して、各写真の所見を電子カルテに入力し、その回の健診の業務は終了、となるのであった。毎週10~20枚程度の写真が回ってくるので、ちょっとサボると本当に大変で、仕事を終えた後、2時間くらいかけて読影し、また師匠との読影でも2時間くらい時間を取られたが、これは本当に勉強になった。そこで鍛えてくださったことは、今でも役に立っている。本当にありがたい。

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