第32話 高齢者には、時にインフルエンザは命取り
呼吸器内科ローテート中は、冬~春の季節だったので、高齢者の方で、インフルエンザとそれに伴う肺炎の方の入院症例を数名経験したことを覚えている。
インフルエンザ罹患後の細菌性肺炎と聞けば、まず思い出す起因菌は黄色ブドウ球菌だが、幸いなことに、黄色ブドウ球菌性肺炎は経験しなかった。師匠の話では、黄色ブドウ球菌肺炎は、非常にaggresiveに進行し、あっという間に重症化して命を落とすか、あるいは、肺化膿症を起こし肺膿瘍を形成することが多いと伺った。肺は黄色ブドウ球菌とは相性があまりよくなく、インフルエンザ後などの特殊な条件でなく、また喀痰のグラム染色で積極的に疑う所見でなければ、黄色ブドウ球菌肺炎は(MRSA肺炎も含め)あまり鑑別に上げなくてもよいと教えていただいた。
もちろん、外来診療をしていると、多くの高齢者が例年インフルエンザに罹患し、発熱、上気道症状を呈して受診される。迅速キットで陽性が出れば、タミフルなどの抗ウイルス薬と対症療法薬を処方し、
「息苦しさが出るなど、悪くなったら受診してくださいね」
と声をかけ、心の中で
「どうか重症化しませんように」
とお祈りしながら患者さんに帰宅してもらう。多くの患者さんは、時にびっくりするほどの高齢であっても、大事にならず、数日の経過でお元気になられ、
「本当に良かったですね!!」
ということも多い。抗インフルエンザウイルス薬の開発を本当にありがたく思うのだが、やはり時には、インフルエンザが命取りになる。
私の少ない経験では、高齢の方でインフルエンザに罹患し、あっという間に呼吸状態が悪化し亡くなられてしまう、ということは多くはなく(私は経験したことがないが、おそらく小児のインフルエンザ脳症は、逆にあっという間に全身状態が悪化し、場合によっては命を落としてしまうのだろうと思っている)、むしろ、インフルエンザをきっかけに、食事量が低下する、あるいは二次性の細菌性肺炎をきたし、抗生剤を投与したりして戦っても、じりじりと体力が削られ、旅立つことになる、という経過を取られる方が多かったように思う。
90代の男性の方、特に基礎疾患のない、年齢相応の体力のある方であったが、入院2日前から発熱、咳嗽が出現。熱が高く、しんどそうにして、食事もとれないという主訴で外来に受診された方であった。BT 38.7度、血圧は140台、HRは100回程度、身体診察では咽頭は発赤あるものの、ラ音は聴取せずcyanosisはなし。SpO2も95%と年齢相応、血液検査はあまり特記すべき異常なく、胸部レントゲンにも異常認めず。迅速インフルエンザ抗原検査でA型が陽性であり、A型インフルエンザと診断、ご家族が
「食事もとれなくて心配なので入院させてほしい」
とのこと。本来は、病棟にインフルエンザの患者さんが入院すると、standard precautionに注意していても、時に病棟内で感染を広げることがあるため、あまり入院は取りたくないのだが、高齢の方でもあり、個室に空きがあったので入院とした。
入院後、タミフル(このころは抗ウイルス薬はタミフルしかなかった)を内服してもらい、食事も水分も取れないとのことで晶質液 1000ml/日を輸液し、経過を観察した。発熱は2日ほどで改善、血液データも特に問題になるものはなかったが、解熱した後も全く食欲がなく、エンシュアなども
「甘すぎてまずい」
と飲まなかった。
「何か食べたいものは?」
と伺っても
「特にない。食欲がないねん」
とのこと。点滴をすることで空腹感が出ないこともしばしば見られるため、点滴を中止、消化管を動かす目的でドグマチールやナウゼリンを試してみたが、効果はなかった。食形態を調整したり、栄養補助としてゼリーをつけたりしたがこれも、あまり食べることができず。ステロイドで食欲が出ることもあるため、どうしようかと迷ったが、ステロイド使用は見合わせた(本当は、コートロシン負荷試験をしてから投与を考えてもよかったのかもしれないが)。そんなこんなで徐々に患者さんは衰弱していった。高齢の方であり、インフルエンザ感染を契機に発症した特定の臓器障害を伴わない全身状態の低下(いわゆる老衰の経過)と考え、患者さんのご家族に病状説明、ご本人には500ml/日の晶質液の点滴を行ない、看取りの方向とした。患者さんは徐々に衰弱し、1ヶ月ほどで永眠された。
また別の高齢の方、この方も90代の男性の方、数日前から発熱、咳嗽があり近医を受診し、抗原検査でA型インフルエンザと診断、タミフルを処方され自宅で療養していたが、高熱が続きしんどそうとのことで救急搬送となった方であった。搬送時、BT38.9度、意識は清明、SpO2はroom airで93%と軽度の低酸素血症あり。血液検査で白血球増多とCRP著増を認め、胸部写真で右肺野に浸潤影を認めた。インフルエンザとおそらく二次感染に伴う細菌性肺炎、低酸素血症との診断でERより呼吸器内科に入院依頼があった方であった。
喀痰のグラム染色を確認しようと、気管内から吸引痰を回収し、Gram染色と培養検査を依頼したが、グラム染色では白血球像とpolymicrobial pattern(複数の種類の細菌が混じっているパターン)との連絡があった。気管内採痰での結果であり、おそらく不顕性誤嚥があり、polymicrobial patternとなっているのであろう。起因菌がはっきりしないので、頭の悪い抗生剤の使い方だと思いつつ、インフルエンザに伴う細菌性肺炎であり、黄色ブドウ球菌もカバーするようにVCM+MEPMで戦うこととした。持参のタミフルも継続してもらい、加療を行なったが発熱は続き、血液データも改善に乏しかった。5日程度で解熱はしたが、全身状態は入院時よりも悪化している印象で、入院時はある程度お話ししてくださった方だったのだが、口数も少なくなってきた。血液データもCRPは高値で推移していた。VCMについては九田記念病院の薬剤部は非常に優秀で、TDM(Therapeutic Drug Monitoring:治療薬物モニタリング、VCMでは、投与直前の血中濃度(トラフ値)と投与後2時間後の血中濃度(ピーク値)を採取する)を行なうと、解析ソフトを使って、最も適切と思われる投与量、投与パターンを教えてくださった。それに従ってVCMの投与タイミング、投与量を決め、VCM+MEPMで治療を行なったが、状態はあまり改善せず。胸部写真をfollowするが、肺化膿症を呈している印象はなく、喀痰Gram染色もやはり気管内採痰では、polymicrobial patternであり、黄色ブドウ球菌肺炎は否定的と考えた。
抗生剤はde-escalationが必要と考え、クラミドフィラやマイコプラズマなど、従前の処方でカバーできない病原体をカバーするようにMINOに変更し、経過を観察したが、やはりCRP高値は続いていた。入院時の血液培養は陰性で、経過中に撮影した胸腹部のCTでも、肺炎像はあるが、その他focusとなるものはなく、手詰まりとなってきた。患者さんの体力も落ちてきて、活気もなくなってきた。元気が出れば、と補中益気湯を処方したりしたが、内服も困難となってきており、この方も1か月近くの経過を経て、永眠された。病名は、A型インフルエンザと、二次性細菌性肺炎ということになるが、経過を見ると、やはりインフルエンザで全身が衰弱した、という印象であった。
やはり高齢者のインフルエンザ(に限らず、あらゆる病気)は、それが引き金となって命取りになるのだなぁ、と改めて実感した。
インフルエンザの話をしたので、インフルエンザワクチンについても余談を少し。
例年、10月から12月は、多くの方がインフルエンザの予防接種を接種しに受診される。これは非常にありがたいことなのだが、外来診療をしていると、インフルエンザと診断した患者さんから、
「私、今年もワクチンを打ったのですが、なんでインフルエンザに罹ったのでしょうか」
と質問されたり、ワクチン外来で
「昨年、ワクチンを打ったのに、インフルエンザでしんどい思いをしました。このインフルエンザワクチンって、本当に有効なのですか?」
と聞かれる(時には厳しく)ことがしばしばである。こういった方には、時間があれば次のように話をしている。
「ワクチンを打つ目的は大きく2つあって、接種した個人そのものを守る目的と、接種した集団を守り、ワクチンを打たない、あるいは打てない人も含めてその集団を守る、という目的があります。インフルエンザワクチンは、『個人を守る』ということについてはMRワクチンなど、99%近くの効果を持つワクチンと比較して、それほど強い効果はなく、多く見積もっても、60~70%程度と言われています。なので、ワクチンを打っても、かかる人はかかりますし、それなりに強い症状が出る方もおられます。ただ、2つ目の、『集団を守る効果』については、接種したグループ、していないグループを数万人の規模でみると、明らかにワクチンを接種したグループの方が、していないグループより患者数が少なくなります。なので、ワクチンを接種することには意味があることだと考えています」
と説明している。
数年前、インフルエンザワクチンについて医療講演会を行なう機会があり、その時に改めて、いろいろな文献を調べてみると、非常に興味深い文献を見つけた。
私たちの世代が子供のころは、記憶が確かなら日本脳炎とインフルエンザワクチンは小学校で集団接種をしていた記憶がある。残念なことに、私はインフルエンザワクチンで目に強いアレルギー症状が出たことがあり、眼科の先生から
「もうインフルエンザワクチンは打っちゃだめだよ」
と言われたので、それ以降、今に至るまで毎年のインフルエンザワクチン接種は受けていない。私自身は内科医で、毎冬インフルエンザ大流行の中で、たくさんのインフルエンザ患者さんの検査、診察、治療を行なっているのだが、私を守るのはワクチンではなく、マスク、こまめな手洗いのみであるが、毎年、それで何とかインフルエンザに罹患することなく、20年近く仕事をしている。
興味深いことに、2005年にNew England Journal of Medicineという有名な雑誌に記載された論文で、日本国内で『小学校で』集団接種を行なっている期間は、『高齢者の』インフルエンザによる超過死亡が減少していた、という論文が掲載されていた。集団接種を行なっていたのが、いつからいつまでだったのかは忘れてしまったが、ワクチン接種後の副反応などの問題があり、学校での集団接種が中止となった。その後は各自が医療機関でインフルエンザのワクチン接種を受けるようになったのだが、学校での集団接種が始まる以前、集団接種実施の期間、集団接種が中止されてからの期間のそれぞれで、インフルエンザでの超過死亡を経年的に追っていくと、集団接種が始まると同時に、統計学的有意差をもって高齢者のインフルエンザでの超過死亡が減少し、集団接種が中止されると、これまた有意差をもって、高齢者のインフルエンザ超過死亡が増加し、集団接種前の水準に戻った、という記事であった。
非常に興味深いことは、ほとんどの小学生にワクチン接種することで、明らかに高齢者のインフルエンザでの死亡リスクが低下したことである。これはまさしく、集団免疫の効果である。
「ワクチンを接種しても、かかるときはかかるしなぁ」
と悩むことは多々あるかもしれないが、集団免疫、という視点から、接種可能な方は、ぜひワクチンは接種していただきたいと思う次第である。
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