第31話 なんてアンラッキー!

 ある日、ERの石井先生から入院依頼の連絡があった。「あんなぁ、呼吸苦と低酸素症の患者さんやねんけど、ERで精査したが原因がはっきりせえへんねん。保谷、呼吸器内科でよろしく」とのこと。急ぎERに降りていき、患者さんの診察をした。70代後半の女性、胃がんの術後で、当院の外科に定期follow中だが、再発は指摘されていなかった。これまでは毎日4kmほどの散歩を日課にしていたが、1週間ほど前から歩くと息苦しくて、日課の散歩ができなくなったとのこと。搬送当日は、自宅でも動くのがしんどいとのことで救急車を要請したとのことであった。


 意識は声明ではあるが、話は2文ほど話をすると、ふーっと大きく深呼吸しないとしんどいと。呼吸回数も22回/分と頻呼吸。O2は2LカヌラでSpO2 94%程度。心音、呼吸音に異状なく、下肢の浮腫も認めない。血液検査は貧血などなく、ERでの採血は問題なし。胸部レントゲンも異常なく、心拡大を認めない。胸部単純CTも撮っているが、肺野に明らかな異常を認めなかった。胸水貯留などもない。心電図も明らかな異常を認めなかった。


 ERでの評価では呼吸苦の原因ははっきりしなかったが、普段4kmの散歩をしていた方が、急に呼吸苦で動けなくなっているのは確かにおかしい。ということで、

 「呼吸苦、低酸素血症」

 の病名で入院とした。


 喘鳴や陥没呼吸は見られないので、スパイログラムはしていないが、おそらく喘息は否定的だろうと考えた。特に喫煙歴はなく、肺野もきれいで、COPDやIPFも否定的と考えた。


 たぶん、石井先生は

 「とりあえずよく分からんし、保谷に診させておけ。あいつが何とかしよるやろ」

 という理由で私に主治医が回ってきたのだろうと思ったのだが、身体所見や検査結果を見ても、どうも呼吸器疾患とは考えにくい。印象としては急性の発症で、うっ血の所見に乏しいことから、除外診断として、肺塞栓が怪しいかなぁ、と考えた。


 私の医学生時代は、肺塞栓症の診断は「換気‐血流シンチグラフィー」あるいは肺血管造影、とされていたが、実際の臨床では、造影CTがGold-Standardとなっていた。ただ、造影剤を使うときに、検査の必要性、起こりうる合併症(実際に九田記念病院在籍中に数人、造影剤でアナフィラキシーショックを呈し、コードブルーとなった症例を経験している)を説明し、承諾書を取る必要があること、造影剤で腎機能が悪化することもあり、なるだけ造影CTを取りたくないなぁ、と躊躇する気持ちがあった。それで、外堀から埋めようと考えた。


 ERの採血で提出されていなかったD-ダイマーと、右心負荷所見の確認のため、心エコーを先に確認することとした。果たして、検査の結果は、D-ダイマー <0.5と基準値内、心エコーも肺高血圧所見なく、明らかな異常を認めない、との結果であった。


 しかし、患者さんの呼吸苦、低酸素血症はあまり改善なく、鑑別診断としては肺塞栓以外に思いつかなかった。ご家族、ご本人に病状説明、同意書をいただき、造影CTを確認すると、両肺の末梢側に多発する微小な静脈血栓の塞栓を認め、やはり肺塞栓症であった。

 発症から時間がたっていること、血栓が小さく、両肺の末梢に飛んでいるため、侵襲的な血栓除去術の適応ではないと判断。血栓溶解療法の適応でもない(その頃はまだ、t-PAは肺塞栓症に適応なく、ウロキナーゼを使っていたが、ウロキナーゼは出血の合併症が多く、あまり使いたい薬ではなかった)ので、循環器内科で行なったように、ワーファリン(まだDOACは発売されてなかった)で管理することとした。凝固系の異常も精査したが、明らかな異常は認めなかった。なので、どうして肺血栓塞栓症が発症したのかも不明であった。


 治療によって、低酸素血症は徐々に改善し、酸素も外れたが、4km歩けるほどまでは改善せず、自宅生活が維持できる程度のADLになってしまった。それと、困ったことにワーファリンで出血傾向が強く出たことに苦労した(PT-INRは1.7程度と、教科書的に推奨されているより低めでコントロールしていたにもかかわらず)。患者さんは1ヶ月ほどで退院されたが、数か月後自宅で階段から落ち、腰部にひどい血腫を作って外科に入院となった。それが落ち着き、退院されたと思ったら、その数週間後に脳出血で脳神経外科に再入院となったりした。最終的にワーファリンを中止したように記憶しているが、そのあたりは記憶が定かではない。結局、それまでお元気だったのに、肺塞栓症を発症してから、ガタガタッと状態が悪くなってしまったのであった。年齢的には、確かにいろいろと起きる年齢ではあるが、何ともアンラッキーである。


 


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