第28話 胸膜痛? 狭心痛?
肺がんは、患者さんも多く、死亡原因としても高位に位置する疾患である。現在は腫瘍の遺伝子解析をして、各患者さんに最も適切と思われる治療を選択する、ゲノム医療が最も進歩している悪性腫瘍の一つであるが、私の研修医時代は、小細胞がんと非小細胞がんで抗がん剤のレジメンが異なっているだけの時代だった。腫瘍も発見された時には進行がんとなっており、手術適応のない状態で発見されることも珍しくない疾患である。
師匠から、
「この患者さん、胸水がたまっているから、胸水を抜いてから胸膜癒着術を行ない、化学療法を1コース行なって退院とするから」
ということで70台の女性の方を担当することになった。胸水を抜くためにchest tubeを挿入し、ある程度胸水が抜けたところで、胸膜癒着術を行なった。胸膜は肺の表面にある臓側胸膜と、胸郭の内貼りをしている壁側胸膜があり、正常であればその隙間にごく少量(20ml程度)の胸水があり、呼吸をして、肺が膨らんだり縮んだりするときに、肺と胸郭が滑らかに動くようになっている。肺がんなどで胸水が貯まったり、肺が破れて空気が胸腔内に漏れる自然気胸という病気を繰り返しているようなときは、臓側胸膜と壁側胸膜のあいだに、人工的に炎症を起こして癒着させ、胸水貯留や自然気胸を起こさなくするための処置が胸膜癒着術である。抗生剤であるミノマイシンや、増殖できなくさせた細菌(ピシバニール)などを使うが、九田記念病院ではタルク(滑石)を用いていた。タルクを滅菌蒸留水と混和させて、chest tubeから無菌的に胸腔内に注入。患者さんの体位をゴロゴロと変えて、胸腔内全体にタルクがいきわたるようにして、chest tubeを抜去し、たばこ縫合でtube挿入部位を閉じて処置が終了。胸膜癒着術は、注入した異物に対して強い炎症を起こし、癒着を作るので、処置後1週間程度は患者さんは胸膜炎で胸も痛がるし、高熱も出る。血液検査でも強い炎症反応が見られるので、自分の無菌操作が悪く、感染を起こしているのではないか、と冷や冷やしながら経過を見ていた。
1週間ほど経って、発熱も落ち着き、胸痛も落ち着いてきたころ、朝の回診時に患者さんから、「昨晩は、また胸が痛かったです」とのこと。ふと気になり、お話を良く聴くと、胸痛は寝ているときに10分弱ほど続き、特にきっかけとなるようなものはなかったとのこと。重くグーッとするような痛みで、これまでの痛みとはちょっと違う感じのものだったと言われる。
「あれ~っ?これは胸膜痛ではないよなぁ。もしかして・・・」
と思い、心電図、採血をしたが有意な所見は見られなかった。しかし循環器内科の坂谷先生に相談、CAG(このころはまだ、冠動脈CTが実用化されていなくて、心筋シンチかCAGをするしか虚血の評価ができなかった)をお願いした。CAGをしていただくと、左前下行枝に高度の狭窄病変が見つかり、同部位を責任病変とする狭心症と診断、同部位にPCIをしていただき、その後は同様の胸痛の再燃を認めなかった。判断は難しかったが、患者さんの訴えをしっかり聞いたことで、胸膜痛と狭心痛の区別ができたことは良かった。
師匠や呼吸器外科の先輩からは「いや~、その程度の訴えだったら、胸膜痛でスルーしていたよ。ほーちゃん、よく気が付いたね」とお褒めの言葉をいただいた。その後は、特にその患者さんは大きなトラブルなく、化学療法を1コース行ない、退院され外来での化学療法となった。
それから1年半ほどして、私の訪問診療のリストにその患者さんが加わった。もちろん、末期状態での在宅看取り目的だった。オピオイドを中心に疼痛管理を行ない、ステロイドで体調の改善を期待したが徐々に衰弱し、数か月で旅立たれた。
病気の始まりと終わりに、私がかかわった方であった。
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