第25話 特発性肺線維症にも悩まされる
呼吸器内科ローテート中、COPD急性増悪の患者さんとはまた違った点で悩んだのが、間質性肺炎の患者さんであった。教科書的には間質性肺炎は、複数の病態が記載されていて、非常に鑑別がややこしいものであったが、教科書通り、圧倒的に特発性肺線維症(IPF)が頻度が高く、私の呼吸器内科ローテート中でも、間質性肺炎の患者さんのほとんどすべてが特発性肺線維症、あるいはその急性増悪の患者さんであった。
呼吸苦、低酸素血症を主訴に受診され、胸部レントゲンでおかしいと思い、胸部CTを取ると、多くの場合はUIP patternが胸膜直下に散在しており、肺底部は結構蜂巣肺になっていて、ということが多かったように記憶している。たいていの場合は呼吸苦、低酸素血症は重症で、ERに救急搬送され、ERのCTでIPF急性増悪、あるいはDADと診断され、気管内挿管の上、人工呼吸器管理でICUに入室する、という流れが多かった。
ICUではステロイドパルスを行ない、その後PSL 1mg/kg/日で開始、それでよい方向に進んでいれば、徐々に人工呼吸器をtaperingし抜管、一般病棟へ転棟。
しかし改善がない、あるいはさらに悪化するようであれば
「天の神様の御心のままに」
ということになった。当然完治する疾患ではないので、ある程度状態が落ち着けば退院を考えることになる。多くの方は、肺以外にはあまり問題がないので、在宅管理となることが多かった。ということで、呼吸器内科ローテート中はIPFの患者さんもたくさんfollowしたことを覚えている。ステロイドは徐々に減量するのだが、一番悩まされたのは、口腔、咽頭のカンジダ感染症だった。ファンギゾンシロップを処方し、なんとかその場をしのぎながら、ゆっくりゆっくりステロイドを減量していくのだが、経過とともに徐々にO2の要求量が増えていくことが多かった。そしてある日、再増悪をして入院。今度は人工呼吸器、ステロイドパルスでも反応せず、そのまま悪い方向に進んでいく、ということが多かった。
時には訪問診療で、IPFの患者さんのfollowを依頼されることもあった。記憶に残っているのは、大学病院から、
「IPFの患者さんで、この5年来病状が安定しているので貴院で在宅療養を」
との紹介を受けて訪問診療を開始した患者さんである。紹介状には
「病状は安定している」
と書いてあったのだが、初回訪問の時に、これまでの経過を伺うと、
「この2年ほど、だんだん息苦しさが強くなってきて、以前はできていたことも今はできなくなったことが多く、トイレに自分で行くのもやっと、きばったりするのはその後がしんどくてしんどくて」
と病状の進行を訴えてこられた。
「へっ?紹介状と言っていることが全く違うやん!」
と内心思いながら、
「一度受診して、胸のレントゲン、CTを取って相談しましょう」
ということにした。後日来院して写真を撮ってもらったが、たまたまその患者さんが3年前に別件で(転倒して胸をぶつけて痛いとの主訴で)胸部単純レントゲンを撮影されていたものと比較すると、どう見ても、今のレントゲンの方が明らかに陰影が悪化していた。
「どこが『5年来病状は安定』やねん!患者さんもしんどくなってきてる、と言っているし、写真も悪くなっているのに『落ち着いている』ってちゃんと患者さんを診てるの??患者さんがかわいそうやろ!」
と腹が立ったことを覚えている。
在宅医療を成立させる最低条件は
「患者さんとご家族(場合によってはご家族のみでも可)が病状を正しく理解していること」
と、
「在宅医療の限界(十分な検査(特に画像評価)ができないこと)を理解したうえで、在宅での療養を希望していること」
の2点を満たしていることである。この2点がしっかりしていれば、たとえ末期の患者さんでも、訪問診療を行うことには何の問題もなく、可能な限り、患者さんとその家族が希望するような医療を提供できるよう努力する。なので、この患者さんでも、
「病状は進行しており、病態としては末期だが、通院困難となっており、訪問診療をお願いしたい」
という紹介でも、上記の2点をきっちりしていただいていたら、訪問診療を断ることはしない(人的な問題で訪問診療の患者さんがoverflowしていなければ)。しかし、この患者さんでは、紹介状とご本人の病状が明らかに乖離しており、
「訪問診療を受けてもらうために紹介状に手を加えたのか」
あるいは
「主治医は本気で『5年来病状は安定している』と考えていたのか」
どちらだったのだろうか?と心から不思議に思った。
2回目の訪問診療の時に結果を説明した。
「当院で3年前に胸をぶつけたときのレントゲンと比べると、明らかに影は強くなっているので、病気は進行しています」
と伝えると患者さんは、
「ああ、これで納得がいきました。主治医の先生は『特に変わりないですよ』というばかりで、私が『だんだん息苦しさがひどくなっている』と繰り返し伝えてもあまり聞いてくれていないようだったので、気になっていたのです。やはり病気は悪くなっていたのですね。自分の感覚が間違っていなくて、ホッとしました」
とおっしゃられた。もう一度大学病院に紹介状を書いて、積極的に治療を受けられますか?と聞くと、
「いや、大学病院はもう結構です。先生にこれからもお世話になりたいです」
とありがたくもズシリと重い言葉。治療法についてもお話しし、元々の疾患が徐々に進行していく疾患で特効薬もなく(実際このころはピレスパなどもなかった)、ステロイドを使うことで病状の進行をゆっくりさせる可能性があるが、ステロイドを使っても効果が見られないことも珍しくないこと、ステロイドは高容量を使うので副作用は結構強いこと、ステロイドを使わずに、在宅酸素で経過を見ていき、状態が悪くなれば、麻薬で呼吸苦を改善させて寿命を全うする選択肢もあることをお話しした。 患者さんは
「可能性は少ないかもしれないが、ステロイドを使って、積極的に治療したい」
と希望され、入院の上、ステロイド治療を開始した。残念ながら、治療にもかかわらず、病状は進行、最終的には緩和ケアを行ない、永眠された。
ほかのIPFの患者さんも同様で、急性増悪を何とか乗り越え、いったん小康状態となっても、しばらくすると再度急性増悪を起こされ、2回目の急性増悪を乗り越えられた方は残念ながら私の担当した患者さんではおられなかった。
IPFの患者さんは初期研修医時代、へき地離島研修でお世話になった金谷病院でも末期の患者さんを経験した。患者さんは60代前半の壮健な方、2年ほど前にIPFと診断されたが、その後治療を中断されていたとのこと。呼吸苦がひどいとのことで入院となられたが、入院後はO2 リザーバーマスク10L/分(同院での酸素投与の最大量)でもSpO2は70%台。全身がcyanosisで紫色になり、筋骨隆々な身体で、坐位になり
「くそっ!苦しい、苦しい」
と言いながら全身で必死に呼吸をされていた。横で見ていて、本当につらかった。武村部長が
「この患者さんは僕が見るよ。モルヒネで呼吸苦の緩和と鎮静をかけて、楽になってもらうよ」
とおっしゃられ、塩酸モルヒネの持続投与を開始された。翌日には患者さんは旅立たれてしまったが、この患者さんに対するbestの治療は武村部長の治療だと思った。内科医に限らず、すべての医師がそうなのかもしれないが、時にはドクター・キリコにならなければいけないこともある、と強く感じたことを覚えている。
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