第24話 九田記念病院での訪問診療

 その日は突然にやってきた。師匠と栗原先生、私の3人で呼吸器内科の回診をしていた時に、師匠の院内PHSが鳴った。おそらくグループ本部からの電話であったと思うのだが、師匠は渋い顔をされていた。電話が切れて、師匠がしばらく頭を抱えていると、ふと名案が浮かんだように顔を上げ、私の方を向いて一言、

 「保谷先生、往診好きでしょ♡」

 普段から

 「九田記念病院の返事は『はい』か『Yes』の二つだ!」

 と言われており(半分は嘘)、実際、自分のこれからの仕事を考えるうえで、訪問診療は外せない仕事の一つであること、初期研修医での金谷病院での訪問診療もやりがいがあったので、

 「はい!」

 と即座に返事をした。


 師匠にお話を聞くと、私が小児科研修でお世話になった樫沢総合病院で、内科医師の大量離職が起き、外来を回すために師匠にも応援要請がかかったとのこと。応援日が師匠の往診日である金曜日、と指定されたため、訪問診療の患者さんをどうしようか、と困ったとのことであった。それまでは師匠が一番たくさん訪問診療の患者さんを抱えておられたので、

 「長い付き合いでどうしても師匠に診てもらいたい!」

 と強く希望する人は曜日を変えて師匠の訪問診療に、そうでない方は金曜日に私が訪問診療に回ることになった。


 研修医1年生の時に、一般内科・呼吸器内科のローテート中は、金曜日の師匠の往診につかせてもらうことが数回あった。その時に師匠は

 「訪問診療は、いわば薬の御用聞きなんですよ」

 「私が訪問診療をするモチベーションの半分は、私の野次馬根性なのですよ」

とおっしゃられていた。それは決して、冗談や軽口ではなく、年を経ても同じように言われていたので、師匠の本当の気持ちなのだと思っている。


 私が医師として仕事をしている中で、短期間の離脱はあるが、初期研修医時代に金谷病院での訪問診療、そして、この時点から現時点に至るまで訪問診療に常にかかわっているが、師匠がどのような気持ちで、前述の言葉をおっしゃられているのかは、まだわからない。

 ただ、前者の言葉は、訪問診療の舞台では、医師は医療チームの中心では決してなく、むしろ患者さんと良く接している訪問看護師さんやヘルパーさん、ケアマネージャーさんが中心のプレイヤーで、医師は脇役、という意味ではないかと思っている。 

 実際に、医師が訪問診療の患者さんを診察するのは、余程重症の方でもない限り、2週間、あるいは月に1回なので、普段接している訪問看護師さんの方がよほど問題点を把握されている。訪問診療ではそういったスタッフのバックアップをすることが医師の仕事だろうと感じている。もちろん「医師」という存在は非常に大きいことは理解しており、患者さんの想いを聞いて、不安や葛藤に寄り添うことが大切なことは言うまでもないが、そのことを師匠は「薬の御用聞き」とおっしゃられているのかもしれないと思っている。


 師匠曰く、内科医でも、訪問診療をあまり苦にしない内科医と、強い拒否感を感じる内科医に分かれるそうである。確かに、臓器専門性を誇りとする内科医にとっては、ありとあらゆる(時には医学とは全く関係のない)問題が発生する訪問診療は苦痛であると思う。そんなわけで、あまり臓器専門性を持たない私にとっては、(もちろんとても困ることも多かったが)訪問診療がそれほど苦痛ではなかった。私の目指す「地域のかかりつけ医」としても、訪問診療を抵抗なく行える、というのは必須の技能であるとも思っている。


 九田記念病院で訪問診療の担当をさせていただいたのは非常にいい経験だった。というのも、患者さんの状態が悪いときに、かなり高度の医療を提供できる九田記念病院で管理することができるのは、非常に心強い。実際に、後期研修医時代の私の働く場所はICU、HCU、一般病棟、ER、一般外来、在宅医療、産業医(あまり働かなかったが)と非常に広い範囲にわたった。

 「僕の活躍の場は、ICU、ER、外来から在宅まで」

 ということが一つの自分の誇りになっていた。


 実際に在宅の患者さんで脳に高度の損傷を受けている人が、内服薬でコントロールできないけいれん発作を反復したときなどは、ICUで人工呼吸器を装着して、バルビツール酸系の薬で十分な鎮静をかけ、抗けいれん薬の調整が可能であった。超重症の時も、在宅の時も同じ医師が診察してくれる、ということは、ご家族にとっても安心であっただろうと(勝手に)思っている。


 そんなわけで師匠の担当患者さんの多くを引き継ぎ、九田記念病院の訪問診療で、いきなり患者さんの数が院内最多の訪問診療医にもなってしまったわけである。



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