第23話 厄介なCOPD(High-Flow systemとCO2ナルコーシス)

 呼吸器内科でずいぶん苦労した記憶があるのはCOPDの患者さんである。COPDの急性増悪はあっという間に悪くなり、良くなるにはずいぶん時間がかかること、低酸素血症があっても、うかつに高流量の酸素、場合によっては低流量の酸素でもCO2ナルコーシスを来すので、管理が難しかったことを記憶している。急性増悪の大きな原因は心不全(肺性心)の悪化、あるいは気道系感染症が原因であり、入院時にまずその二つを確認。感染があれば、各種培養、特に痰培養を提出し、抗生剤の投与、ステロイドの投与を行ないながら、抗コリン薬の吸入を中心とした吸入薬の治療を行なうことになる。酸素投与の方法もHigh-flow systemでの投与を考慮する必要がある(私が呼吸器内科をローテートしたころは、現在頻用されているnasal-High flowは存在せず、NPPVもようやく実臨床で使われ始めたころであった)。内科の中でも、呼吸器内科の先生以外では、酸素投与のLow-flow systemとHigh-Flow systemの違いをご存じない方も多い、あるいは病院そのものがHigh-Flow systemを用意していないところもあるので、少しだけ、話をしたいと思う。Low-flow systemは医療従事者にはなじみのある、鼻カニュラ、酸素マスク、リザーバーマスクでの酸素投与systemのことである。投与される酸素濃度は、鼻カニュラ、酸素マスクでは(21+4×酸素流量)%、リザーバーマスクでは(10×酸素流量)%という簡易式があるが、大きな問題は、装着している患者さんの一回換気量によって投与される酸素濃度が変わる、ということである。一回換気量が少ないと、予想以上に酸素濃度が高くなってしまう、ということが起こりうるのである。後にCO2ナルコーシスの話(このメカニズムも医学生泣かせで、内科医になって、ようやく自分の中でメカニズムを理解できた)もしようと思うが、Low-flow systemはCO2ナルコーシスのriskが高いのである。私の経験では、普段鼻カニュラでO2 2L/分で使用中の方が、酸素状態が不安定になったため、O2 3L/分に増量したことでCO2ナルコーシスを起こし、転院先の病院が決まるまで、3時間半、一人でバッグバルブマスク換気を続けたことがある(専門用語で言うところの、アンビューを一人で3時間半揉みつづけた)。

 High-Flow systemの名前は、まさしく患者さんに大量の気体を流すことができる、という意味である。呼気の二酸化炭素を再度吸わないようにするためには最低30L/分の気体を投与しなければいけない、とされている。High-Flow systemでは、患者さんに投与する気流は30L/分以上の流量を持っている(Low-flow systemでは、目いっぱい酸素の目盛りを上げても15L/分が限界である)。High-flow systemのもう一つの利点は、患者さんの一回換気量にかかわらず、定められた酸素濃度の気体を患者さんに投与できることである。なので、CO2ナルコーシスを起こしにくい酸素投与法なのである。九田記念病院ではアーキュロックス型のHigh-Flow systemを主に用いていた。

 ところで、病院の酸素の回路からは、頑張ってもO2 15Lまでしか引き出せないのに、どうやって30L/分以上の流量を作るのであろうか?私が医学生や、研修医の頃は説明が難しかったのだが、今は、かのdysonの扇風機を考えていただくとわかりやすい。Dysonの機械は羽をもたず、周囲のリングから風を吹き出すようになっているが、噴き出した風の動きで、周囲の空気も引きずられて動くので、機械が吹き出す量以上の風を起こせるのである。

アーキュロックス型のHigh-Flow systemでは、所定の酸素濃度を作る「ダイリューター」(dilute:薄める)が数種類あり、それぞれのダイリューターの後ろには、必要な酸素流量と、それで作られる酸素濃度が記載されている。回路を作り、ダイリューターに所定の酸素量を流すと、ダイリューターの中心から、酸素が高速度で吹き出し、それが周りの空気を引き込んで、30L/分以上の流量の、定められた酸素濃度の気体を作るのである。

(ちなみに、現在使われているnasal-High flow systemは、一般空気の配管、酸素の配管から直接ダイリューターに接続されるので、最大で100%酸素 60L/分まで投与可能となっている)。

 種々の問題でHigh-flow systemでもうまくコントロールできない方は、当時実用化され始めたNPPVで管理をすることとなった。


NPPVでは、鼻と口をマスクでぎゅっとふさいで陽圧をかけるので、どうしても褥瘡が顔にできやすい。褥瘡ができないようにすると、マスクからの漏れが多くなってしまい、漏れを少なくしようとするとマスクによる褥瘡ができてしまう。なかなかマスク装着の加減が難しかった。また、NPPVは回路に一定の漏れがあるため、酸素の使用量が多いのである。NPPVが九田記念病院に導入されて間もないころ、ICUから一般病棟にNPPVをつけたままで、患者さんを転床することになった。それまでも、人工呼吸器をつけたままICU→一般病棟への転床は珍しくなかったので、それと同様に準備をした。150気圧×10Lの未使用の酸素ボンベを用意し、配管の酸素からボンベに酸素を切り替え、ICUの出入り口へ患者さんを機械をつけながら移動。そこでICU看護師さんと病棟看護師さんの申し送りが行われるのだが、申し送りの最中で、NPPVのアラームがけたたましくなり始めた。一瞬、みんなが「何で??」と凍り付いた。私は「はっ!」とあることに気づき、酸素ボンベを見た。満タンのボンベをつけていたのだが、酸素が全く無くなっていたのだった。NPPVでは常にある程度の回路の漏れがあるので、酸素濃度を高めにしていると、人工呼吸器と比べて、圧倒的に酸素の使用量が多いのである。「すぐ配管の酸素につないで!」と指示し、患者さんの低酸素の時間はごく短時間で済み、大事にならずに済んだ。それ以降、NPPVの患者さんは先に申し送りを終わらせて、酸素ボンベに繋ぎ変えたら大急ぎで病棟に転棟し、すぐに配管の酸素に繋ぐようにした。誰も経験したことがないことは、時に思わぬ失敗を来すことになるのである。


 「CO2ナルコーシス」のメカニズムも、医学部の学生時代は生理学で学ぶのだが、当然ほとんどの学生はチンプンカンプン、九田記念病院で学年が上がり、後輩たちに指導する立場になった時に「CO2ナルコーシスのメカニズムは?」と聞いてもほとんどの研修医も詰まってしまう。かくいう私も呼吸器内科で研修し、ようやく理解した次第である。「ナルコーシス」とは「麻酔」の意味で、高濃度のCO2で脳に麻酔がかかるのである。と言ってもよくわからないと思うので、少し詳しく説明しようと思う。


 いま、COVID-19の流行で、自宅にパルスオキシメーターを購入する方も多いと聞く。自宅にパルスオキシメーターがあり、なおかつ呼吸器疾患を持っていない方は試してみても良いと思う。私は時々外来や病棟で患者さんの説明のために時々行なうのだが、指にパルスオキシメーターをつけ、息を大きく吸って、1分間呼吸を止めるのである。私もずいぶん年を取ってきたので、1分間を我慢するのは死ぬんじゃないかと思うぐらいに苦しいのだが、パルスオキシメーターはその状態でもSpO2 97%と普通に呼吸しているのと変わらない値を示している。ではなぜこんなに苦しいのか?呼吸をしなければいけない、と呼吸中枢に影響を与えている一つは、血液中のCO2濃度である。呼吸を止めていると、血液中のCO2濃度は速やかに上昇するので息が苦しくなってくる。もちろん、酸素が足りなくなってきても呼吸苦を自覚、あるいは呼吸が早くなる。COVID-19では”happy hypoxia”と言って、SpO2が低下しても呼吸苦を感じないことがしばしばみられるが、その場合でも、呼吸数は上昇しているので、呼吸中枢は低酸素血症を認識しているのである。すなわち、呼吸中枢を刺激するのは低酸素、あるいは高二酸化炭素状態であることがわかっている。

 ところが、COPDの患者さんなど、CO2が身体に蓄積するタイプの呼吸不全(Ⅱ型呼吸不全)では、高CO2血症に体が慣れてしまい、血液中のCO2濃度が上昇しても呼吸中枢が反応しなくなることがわかっている。なので、COPDなどⅡ型呼吸不全の方では、低酸素血症だけが呼吸中枢を動かしている。

 この状態で、うかつに患者さんにたくさんの酸素を与えてしまうと、呼吸中枢は「酸素がたくさんあるから呼吸を減らそう」と反応し、呼吸が高度に抑制されてしまう。呼吸回数が減ると、体内に呼吸で出ていくべきCO2がどんどん貯まってくる。貯まったCO2は脳に麻酔をかけてしまうので、意識レベルが低下してくる。それだけでなく、呼吸中枢にも麻酔をかけてしまう。呼吸回数が減ったことで、血液中の酸素濃度が低下し、呼吸が必要なレベルにまで低下してしまっても、困ったことに呼吸中枢はたくさんのCO2で麻酔がかかっているために呼吸が再開せず、そのまま低酸素血症が進行し、窒息→死んでしまうことになる。このようなことが起こっている状態をCO2ナルコーシスと呼んでいる。酸素投与を行なう状況が、基本的には医療機関内でのことなので、意識レベルの低下で気づかれることが多い。正常の動脈血中のCO2濃度(PCO2)は40mmHg、Ⅱ型呼吸不全はPCO2 45mmHg以上の呼吸不全と定義されている。CO2ナルコーシスの時はPCO2が120とか200などという数字を見ることが多い。軽度の意識障害レベルのナルコーシスなら、前述のHigh-flow systemで呼気のCO2を再吸入しない条件で管理することが多いが、多くはNPPVを行なって、体内のCO2濃度を減少させなければならない。


 そうならないようにSpO2や患者さんの状態を見て、患者さんの酸素投与量を調節して管理するのが難しい。状態が良くなれば徐々に酸素を減らして、酸素なしでも動けるようであれば退院、動くと低酸素血症(SpO2 90%未満)となるようであれば、在宅酸素療法を開始する、という形でたくさんの患者さんを管理してきた。

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