第19話 診療所での当直(救急医療と「善きソマリア人の法」)

 師匠と恩師のお計らいで、子供の頃からお世話になっていた診療所で日直、当直の仕事をさせてもらえるようになった。子供の頃から憧れていた、診療所の先生が座られる椅子に私も座ることができるようになったことに、感慨深いものがあった。しかしながら、やはりその椅子に座る責任はとても大きなものだと感じた。例えるなら、「ダモクレスの剣」のようなものである。これまでは、大病院で、行なおうとすればいつでもほぼ十分な検査ができる状態でERでの診療を行なっていた。これは、言い換えるなら、病歴や身体診察で多少の見逃しがあっても、検査でその見逃しをひっかけることができる、ということでもある。

 また、疾患によっては緊急造影CTでないと確定診断できないもの(肺塞栓症や絞扼性イレウス、上腸間膜動脈閉塞症、大動脈解離など)やMRIでないと診断できないもの(急性期脳梗塞など)があり、そういった疾患も確定診断できる能力のある病院で仕事をしていたわけである。もちろん未熟者とはいえ、九田記念病院のERで重症の患者さんをたくさん診察、診断治療を行なっていたが、それは私の臨床能力ではなく、病院の規模、設備などが優れていたということである。


 しかし、診療所ではできる検査には極めて限りがあり、ごくわずかな採血項目と心電図、レントゲンも時間帯によっては取れないのであった。ありがたいことに、恩師が積み重ねてきた信頼のある診療所であるが、それゆえに重症患者さんも診療所にやってこられる。患者さんの重症度を適切に判断し、適切に紹介することは、純粋に私自身の臨床能力にかかってくる。そのようなところで診療を行うことは、非常に怖いことであったが、自分自身の臨床能力を鍛えるにも(九田記念病院とは別の意味で)適切な場所であった。


 とある深夜、30代の女性から腹痛で診察の依頼を受けた。事務所から電話を繋いでもらい、ご本人にお話を聞くと、下痢も嘔吐もなく、波のない左下腹部痛が夕方から続いており、排便しても痛みは改善しない、とのことであった。病歴からは、簡単な胃腸炎などではなく、場合によっては腹部の造影CTなども必要になるであろうと考え、大阪府の救急案内番号(#7119)を伝え、高次医療機関での診察を勧めたが、どうしてもこちらで診察してほしいとのこと。仕方なく診察を受け入れることとした。


 30分ほどして、患者さんがお母様と一緒に来院。もう一度病歴を確認し、腹部の触診。腹部に明らかな腫瘤は触れないが左下腹部のあたりを痛がる。筋性防御はなく、反跳痛も認めない。Heel-drop testも陰性。腹部単純レントゲンでは得られる情報は少ないと考え、腹部写真は撮らず、血液検査、検尿を提出したが、院内の緊急検査ではやはり有意な異常を認めなかった。しかし、腹痛はそれなりにひどそうであり、

 「こちらでの診察、検査では痛みの原因ははっきりしませんでしたが、痛みも強そうであり、やはり精密検査が必要だと思います。今から対応できる病院を探しますね」

 と伝え、近隣の高次医療機関に転送を依頼。受け入れ可能な病院を見つけて、紹介状を作成し、その病院へ受診していただいた。次の当直時に転院先から返信が届いており、確認すると、左卵巣嚢腫茎捻転で緊急手術となった、とのことであった。

 「ほら、やっぱりここでは診断できない病気やったがな」

 と、速やかに転院してもらうことができたことにホッとした。


 また、日曜日の日直帯に、生後3か月のbabyちゃんが、

 「この数日で急に重たくなってきた」

 との主訴で受診された。

 「数日で急に重たくなった?何だろう?」

 とご家族の話を聞いても最初はよくわからなかった。ミルクの飲みは悪くなく、機嫌も悪くないとのこと。発熱も認めなかった。新生児~乳児の早期は順調であれば30~40g/日程度で体重が増えていくので、確かに体重は日ごとに増えていくのだが、数日、と考えても正常な体重上昇なら、150gくらいなので、

 「急に重たくなった」

とは感じないだろう。

 「成人で急に体重が増加するときは『浮腫』だよなぁ」

 と思いながら下腿前面を押さえると明らかに圧痕がついた。

 「あれぇ?確かに浮腫があるよ。このころのbabyちゃん、pitting edemaを来すことなんてないはずだよなぁ??」

 と思い、近隣の二次医療機関の小児科にすぐ転院調整、わかることは

 「生後3か月のbabyに浮腫が起きているのはおかしいとおもいます」

ということだけだったが、その旨紹介状に書いて受診してもらった。次の当直時に、上野先生から

 「先生が日曜日に転送したbabyちゃん、ネフローゼ症候群で、向こうでの採血ではアルブミン 0.3g/dlだったよ(正常なら4.0g/dl以上)」

 とのこと。危ない危ない。この患者さんも、もう1,2日診断がつかなかったら大変なことになっていたであろう。


 そんなわけで、検査体制も十分ではない医療現場で、自分が何をできるか、ということを常に問いかけられる診療所での業務であった。


 ここからは余談になるが、日本の「救急医療」を取り巻く法律的環境は極めて悪く、このような日本で、救急医療を支えている医療スタッフの尽力は本当にありがたいことである。


 法律的環境が極めて悪い、ということはどういうことか?と言えば、司法の世界で、

「専門外の医師が救急患者さんを受け入れることは有罪(奈良心タンポナーデ事件)」

「設備の不十分な施設で救急患者さんを受け入れるのは有罪(加古川心筋梗塞事件)」

「救急患者さんをいったん受け入れて、応急処置を施し、その後高次医療機関に転送するのは有罪(加古川心筋梗塞事件)」

という判例を作ったからである。


 医師も人間であるから、当然適度な睡眠時間、休息を要するのは当たり前であるのだが、どういうわけか、人の命を預かる仕事であるパイロットや鉄道の運転手(バスの運転手は悲しいことに極めてブラックな場合もあるが)は、休息に対する厳しい規定があるにもかかわらず、それ以上に人の命を左右する仕事である医師には、本来適応されるべき労働基準法もまともに機能していない有り様(というか、労働基準法を順守すれば日本の医療は完全に崩壊する)であり、常に多くの医師(特に勤務医)が過労の状態で業務をしている。私は産業医の資格を有しており、一時は産業医の業務も行ったことがあるが、単月で100時間、継続して月に80時間の時間外労働が過労死ラインとされており、そのような労働者は、医師との面談が必要とされているが、当直のある医療機関で仕事をしていると、2週間の時間外労働時間が120時間近くなることは普通であり、月に100時間の残業をした職員への面接を2週間で120時間の残業をしている医師が行う、という滑稽なことも珍しくはない(実際私もそうだった)。

 そんなわけで、2次医療機関と言えども、全診療科にそれぞれ当直医がいる病院の方が圧倒的に少ない。二次医療機関とはいえ内科系の当直医が一人、外科系の当直医が一人で夜間の対応している病院も少なくない。あるいは一人で全科当直、という体制を取っている病院もごく普通に存在している。外科系、と言っても眼科なども外科系になるので、眼科の先生が外科系当直に入っておられる場合には、たとえその病院が地域の基幹病院であったとしても、なかなか急性虫垂炎を受け入れるのは難しい、ということになる。つまり前述の法律の縛りがあるので、救急告示をしていても、合法的に救急患者さんを受け入れることができる病院はほとんど存在しないことになる。


 世間では「救急車のたらい回し」などと問題にされているが、法律的に考えれば、断っている病院が

 「患者さんの安全を考える合法的な病院」

 で、患者さんを積極的に受け入れている病院は

 「患者さんの安全を考えず、金儲けに走る違法な病院」

 ということになっているのである。このようなことはどう考えてもおかしいのだが、司法がそう判断している以上、いかんともしがたい。また、飛行機や電車の中で

 「お医者さんはいませんか~!?」

 と問われても、手を上げない医師も多い。これも結局、

 「専門外の医師が救急患者さんを診るのは有罪」

 「不十分な医療設備で救急患者さんを診るのは有罪」

 「応急処置をして高次医療機関に引き継ぎをする、ということも有罪」

 と司法が決定しているからであり、当然、倫理観が高く順法意識の高い医師であればあるほど、手を上げることはなく、医師としての使命感と、その使命感と相反する法律との矛盾に胸を痛めるのである。


 諸外国では「善きサマリア人の法」という形で、医療スタッフを法的に保護している国が複数存在する。「善きサマリア人」とは下記の聖書の言葉に由来している。


 ある律法の専門家が立ち上がり、彼を試そうとして言った、「先生、わたしは何をすれば永遠の命を受け継げるのでしょうか」。

イエスは彼に言った、「律法には何と書かれているか。あなたはそれをどう読んでいるのか」。

彼は答えた、「あなたは、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神なる主を愛さなければならない。そして、隣人を自分自身のように愛さなければならない。」

イエスは彼に言った、「あなたは正しく答えた。それを行ないなさい。そうすれば生きるだろう」。

しかし彼は、自分を正当化したいと思って、イエスに答えた、「わたしの隣人とはだれですか」。

イエスは答えた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗たちの手中に落ちた。彼らは彼の衣をはぎ、殴りつけ、半殺しにして去って行った。たまたまある祭司がその道を下って来た。彼を見ると、反対側を通って行ってしまった。同じように一人のレビ人も、その場所に来て、彼を見ると、反対側を通って行ってしまった。ところが、旅行していたあるサマリア人が、彼のところにやって来た。彼を見ると、哀れみに動かされ、彼に近づき、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった。彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れて行き、世話をした。次の日、出発するとき、2デナリオンを取り出してそこの主人に渡して、言った、『この人の世話をして欲しい。何でもこれ以外の出費があれば、わたしが戻って来たときに返金するから』。さて、あなたは、この三人のうちのだれが、強盗たちの手中に落ちた人の隣人になったと思うか」。

彼は言った、「その人にあわれみを示した者です」。

するとイエスは彼に言った、「行って、同じようにしなさい」。

— 『ルカによる福音書』第10章第26~37節


 ここから、「善きサマリア人の法」とは、病者、負傷者その他の困っている人を助けようとした行為が、最終的に望ましくない結果をもたらしたものだったとしても、救助者の責任を問わないとするものである。


 医療人の一人として、「善きサマリア人の法」を裏付ける法律が制定されることを心の底から願っている。「善きソマリア人の法」は医療スタッフの職業的倫理観と一致するものであり、私たちが医療を安心して行うための法的根拠となりうるものであるからである。


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